【第十六話「しらぬいの巻」の感想】
また、うっかり騙されそうな良い人キャラになり損なったイタチを見て、騙される人も多いだろうな、だからそのまま年取ってオレオレ詐欺などにおめおめと引っ掛かってしまうんだろうな、と何とも言えない気分になりました。
イタチが、日和見主義でなんも考えてないのは分かるけど、今回は恩知らずの鬼畜ぶりを遺憾なく発揮しててビックリだ。
これの設定がそんなに悪人ではない!、だったら笑える。
やってることは、実にえげつないからですよ。
イタチは、火袋の言う通りに侍が百姓を人間扱いしていない、のは百姓は農作業しかできなくて戦闘に使えないと思われているからだ』と思い込んでいた節がある。
火袋はそうではなく『ただ生まれが百姓として生まれてしまったのなら、何やっても百姓であり続けるしかないのだ』という差別が存在していることを熟知していたのです。
それを思い知らされた(戦闘で使い捨てにされた)のに「火袋の言ったことが正しかった。火袋を裏切ってしまってすまない!」なぞとは微塵も思ってないよね、イタチ?
そう思っていたら、恩のある親方の奥さんの墓は暴けないでしょう。その忘れ形見であるどろろに対しても!
下衆い描写あったね。どろろが背中に何も無いのを見せたので、視聴者も安心させて置いて後でオールヌードにするって、これ、完璧にどろろの尻見せたいからでしょ。そういう性的サービス描写は、作品を安っぽくするから、止めて欲しいんだが!
『サ メ 退 治 し て 海 か ら 上 がっ て 濡 れ て い る ど ろ ろ に、 イ タ チ が 親 切 そ う に 「やっ た な、 ど ろ ろ。 お め え そ の ま ん ま だ と 風 邪 引 く ぜ、 こっ ち 来 て 火 に 当 た れ や」 と 言 わ れ て ど ろ ろ が そ の 通 り 体 を 乾 か し て た ら、 上 か ら 見 下 ろ し て い た イ タ チ が 「お 前 怪 我 し た の か?」 ど ろ ろ 「えっ!」 「赤 く なっ て る ぞ、 見 せ て み ろ」 ど ろ ろ ハッ と し て 「や め ろ、 お い ら に 触 る な」 イ タ チ 「何 で え、 急 に。 あっ、 お め え ま さ か!」 背 中 を 剥 か れ て、 模 様 が 浮 き 出 る の を 見 ら れ 入 れ 墨 の 秘 密 が バ レ る。』というシチュエーションに私ならするけど。その方が持って行きたいだろう方向の偽善的イタチ、っぽいし。どろろの尻を見せる必要もない。
普通はそれぐらい考え付くので、どろろの尻を見せるためにわざとそうしなかったと思う。)
これは児童ポルノの規制に引っ掛かりそう。
イタチはいつも損得で物を考えて、景気の良さそうな方に流されてくっついてあっちフラフラこっちフラフラの根なし草。
これからそういう人間の末路が描かれる訳ですね。
イタチは良い人っぽく見せてるけど、どんな悪人だって機嫌が良ければ普段はわざわざ悪いことをしないでしょう。
四六時中不機嫌でネチネチ人に当たるような嫌な人間でも、それは犯罪者ではないのが大多数、と言うのと同じくらい真理です。
一見良い人に見せ掛けているだけに、イタチがホントにたちの悪い嫌なやつ過ぎてマジ草(www)です。
もっと嫌なことに、現実にこういう奴いるいるっぽいのでイタチという存在がなお鬱に感じられます。
そして多かれ少なかれ、実際にこれに近い性格の人間が周りにいるんじゃないか、だからみんなのイタチへの意見が好意的なのでは?と勘ぐるほどイタチ人気。実際にそんな奴がいたら「イタチは人間臭い」だの「憎めない」だのそんな呑気なこと言わないで、みんな全力で叩きまくるか見下したりしそうだけどね。
結局、いかにもな悪党が悪いことするとやっぱり、と思われてしまうけどなまじい良さそうに見える人が悪いことすると、理由を勝手にこじつけてもらえるんだからすごいな、惨め臭いけど。
そこまで考えて設定してたら素晴らしい物語なのかも知れませんが、単に曖昧に悪とも正義とも白黒つけないのが、複雑で物語に深みを与える、と考えてるなら脇役でそれをやるのは鬱陶しいだけです。実際にはイタチのやったことを書き出してみると、紛れもない悪党なんだけどね。
(だいたいさあ、主役をもっと主役らしく描いた方が良くない?。百鬼がまだアレレだから、余計に活躍させたりもっと心情を表す描写しないと、人気が落ちるでしょうよ)
景光にしたって、まず描くべきは領地の元々の惨状で、鬼神と契約後からの変わり様までの前後を見せてくれていれば、そして歴史に名を残す!などと信長でも言いそうにない事を景光に言わせなければ、説得力もあったことでしょう。
物語にふさわしく、ささやかな幸せを守りたいだけだと、なぜ言わせなかったのか?
物語がちんけに見えるから?
でも逆に大言壮語させたために、物語の成り行きが竜頭蛇尾に見えて仕方ないんですが。
これでやはり火袋のお宝が無かったら、この物語の行方を示唆して見えてしまうんだろうな、と心配です。
次週アニキはどろろを救いに来られるんでしょうか?
絵に関しては、エンディング後のチラッと出てきたアニキの顔がたまにちょいブサで、先週がだったので萎えた。(物語はキャラ命!評価の50%はキャラによるものだと思っています)
養父樹海との再会はアニメオリジナルですが、エセ家族醍醐家の事情、も出て来るようなので、後で見返してこの回いらんわ、蛇足だわー、と言われないことを願うばかりです。
次回第十七話「問答の巻」。真実は見えるか!

【第十七話「問答の巻」の感想】
 嫌らしい(=歪んだ)愛情を描かせたら逸品だね、どろろ。
百鬼丸にとっては、体を取り戻して初めて自己の存在を確認できるわけで、それは鬼神の呪縛からの自由と人間としての自立を意味しています。
例えは非常に胸糞だけど、実際に胸糞だしこれが一番ぴったり来るんで言うけど『男が金で人を雇って女をさらって来て、無理やり夫婦になって子供を何人も生ませた所で、血眼になって探していた女の両親に探し出された。さあ、どうしましょ?』と言うことだよね。
女を百鬼丸の体に、誘拐犯が鬼神で大金で雇った共犯者が醍醐ファミリーで、両親がどろろと百鬼丸、生まれた子供たちが繁栄を享受する領民たち、に置き換えられます。
誰が悪いか悪くないか?は一目瞭然でしょ?

寿海はまさに母親臭い。悪い意味で。足=愛、とすると、言うこと聞かないと知りません(あげません)よ、と脅して時に子供の自立を阻もうとする母性そのものに見えて気味悪い。
自分のトラウマや思いだけを押し付けて、百鬼を信用してないのか赤子扱いなのか、お前がきちんと百鬼の情操教育をやっていればな、ってことを今さら心配するなら、最所から家に閉じ込めとけ!と思います。
寿海に向かってのおっかちゃん発言については、単に百鬼に「救ってやれない」と言ったからこの台詞を言うのが自分にとってのおっかちゃんなんだ、と百鬼が思っただけ(それはそれで哀れ)の話だと思うけど。
だからそれでウルウルする人がいるとしたら、おめでたいですね。
母親なら決して助けられない、などと子供を見捨ててはならないんですよ。無理なことだったとしても、最後まで足掻いてあげる苦しさすらも喜んで受け入れるのが母なのだから。
寿海は愛や情で縛るだけで、何か父にしても女々しすぎますから、百鬼丸のあのダメ母と同じ穴の狢としてそう呼ばれるのにはぴったりと言えますね。
まあ私は女だし父親も小さい頃にはいなかったので、父性についてはあまり語れないけど、『いざと言う時以外はあんまり口出しも助けもしないし、放置か信頼かスレスレな位置にいる、普段は見守り隊みたいな人、それが父』と思ってたんですが、それに当たる人がこの物語には誰もいねえ
あ、イヤ居たわ。それに一番近く思えるのが琵琶法師ってなんじゃそらあwww。

百鬼が血まみれていく、と寿海が言ってましたけど部位を持ってる鬼神が殺戮繰り返してたら、そりゃ取り返した部位は当然血塗られたものになるでしょう。
傷つくのが怖いから死人しか相手にできないようなネクロフィリアのくせに、偉そうに殺すな云々言える立場じゃないでしょう。
死体に色々とお直しするのは、大半が生きている遺族のためです。
だから、野ざらしになった死体に対して寿海のやってることは残念ですが、全くの無駄なことです。完璧な自己満足です。(やってる側から盗まれてるし。バカなの?)
生きている人に施せないなら、やらない方がましです。少なくとも私はそう思います。
私がその死体で、口がきけたなら「私の体はもう腐り落ちるばかりで、手や足を付けてもらっても、もったいないだけだから知り合いの○○さんに付けてやって欲しい」と頼むと思う。
死に近づくほど我欲は消えるみたいだから、皆も多分そう思うんじゃないかなって気がする。
それに寿海が、死体に懸命に無くなった体の部位を付けてやっているのを見ていた片手のおじいさんも、自分にこそやって欲しいと思ったことでしょう。
そういう本当の人の思いも汲み取れないから、化け物にも人間として認めてもらえず、襲われることもなかったのですね。
人は人なんか救えないのは当たり前です。手助けはできますけど。救おうなんておこがましいこと考えるからいびつに歪むんですよ。人は自分で自分を救うものだからです。
だいたい大量虐殺しておいて、傷つくのが嫌だとか甘すぎます。百遍死んでもつぐなえません。
人を殺したら魂?に色が付く(鬼神になる)としたら、あんたこそが立派な鬼神(真っ赤な色の魂?)だろうにね。
でも、百鬼eyeで見て、赤くなってないのはすでに死んでるから?前に自殺してるし、本当はその時に死んでるのかも。
でなければ、あんなに大量に人を拷問して殺しておいて、普通の色だと設定がますます謎!どういうこと?もしかして死にぞこなったら魂のリセット可能とか?www
寿海は死んで鬼神の手下になっていた、それで百鬼の鬼神退治を邪魔するのに足を与えなかった!だったら神だけど、まああり得ないわね。
しかし、この百鬼丸はあんまり順調に育ってないよね。百鬼丸が自分のために何かが欲しいなんて要求したのって初めての主張なんじゃないのか?
子供って大概は欲しがったら手に入れるまでキチガイみたいになるはずなんだけど。
だから足をやらないと言われても、もう少し粘るはずだと思うよ、「くれよ、くれよ、くれよ」って喚き続けて聞き分けのない反抗期っぽい描写にすべきだったと思う。(ほのぼのするだろうけど、マジ白痴っぽい百鬼じゃ説得力なし)
でないと、あんな希薄な関わりのミオが殺されても、あそこまでマジキチ状態にはならないはずでしょう。
やっぱチグハグ
だいたい、百鬼丸を無垢な赤子から成長させたいのか?身体が不自由だったから、表現が拙いだけで元々内面は年相応だったのか?どうなの?わっかんねーなーもう。
その辺が曖昧でいい加減だから、百鬼丸の魅力が半減しちゃうんだよね。

今回の化け物鼠は、四化入道は出しません、という意味かな?あの話は結構好きなので残念です。
その代わり、多宝丸は順調に闇落ちしてますね。
母親の意識が戻っても、知らんぷり。ばんもんでの放置っぶりと目の前での自害を見せつけられたことで、自分のことなんかちっとも考えてくれてなかった!という疑惑を確信としてハッキリ悟ったのでしょう。
だから、化け鼠が人を殺して子供たちの餌にしていたのを見て、こんな化け物ですら親としての情愛があるのに、家の親ときたら!ちくしょー!!、と思ったからこそ、八つ当たり的に一思いに殺してやらず、逃げられなくされた母鼠がいるため、そこから離れられない子鼠の化け物もろともジワジワと焼死させるという、えげつない処刑スタイルもできたんでしょう。この点は非常に評価できますね。
親を信じられなくなって非行に走る多宝丸のこの先がとーっても楽しみです。
今回は、本当に寿海がなんで出て来たのか?(百鬼のイチャイチャが見たい人へのサービス回だよね!ぶっちゃけ。箸休め回)
でも、本当は醍醐家の事情パートツー!をメインに描きたいけど、百鬼も出さなくちゃ、でムリクリ出しただけな作りだし、得るもの(体の奪還)もないし、カットしても良い気がします。その分を醍醐家の(裏)事情にw
どろろの方を出さなかったのは正解でした。いつもなら平気でぶっ込んで来そうですが。
次回第十八話「無常岬の巻」見ないと逮捕なのだ〜!

【第十八話「無常岬の巻」の感想】
まず謝っとく、すまん。どろろの背中は白粉彫りじゃねえわ。
あぶり出し!だったわ。全くのファンタジィ〜〜、ってことで解決ね。
白粉彫りは、皮膚が紅潮して白い彫り物の痕がくっきり浮かぶから白粉なんで、どろろの背中は赤い線が浮き出てたから全っ然別物ですね。どっちも存在してないものだけどね!まだあるとか嘘言う人もいますが、本当に白粉彫りなんてありませんから。

しかし相変わらず鬼神が弱いんですが、これって手や足の部位は所詮は本体にはかなわないってこと?
だとしたら確かに本体=百鬼丸、がメッチャ強いのは仕方ないんだけどさ。
それでも、こんなに描き方が希薄なのは、鬼神は人の弱味や悲しみに漬け込んで、力で誘惑して人を堕落させるのが手口だから、その鬼神に操られる側の事情を詳しく描写すると、やっぱり鬼神って悪いんじゃん。その力を利用した醍醐はやっぱり悪いやつじゃん!
なんて言い出すだろうことを、単純な視聴者に気づかせまいとするためだとしか思えません。
気付かなければ、百鬼丸のしているのは自分の身体を取り戻すエゴ、にも見えてしまいますから。本当はエゴでもなんでもなく百鬼丸は身体を利用された者として、鬼神の悪行に落とし前を付けているだけなんですね。
それができるのも百鬼丸だけで、それを一番知っているのが他ならぬ百鬼丸自身だからやってるんです。
鬼神を利用したつもりの人たちも、悩んだり虐げられたりと苦しんでいた気持ちは理解できます。
しかし、だからと言って鬼神に頼るのは金を積んでヤクザ者を使って報復するのと変わらない。
そしていったん縁が出来ると、死ぬまでいや死んでからも骨までしゃぶり尽くされます。保険金とか子供とか目当てに取り憑くよ。
だいたいやくざにみかじめ料を払わないように、って警察も言ってるでしょう。そのお金が悪の勢力拡大のための資金源になるからです。
鬼神の犠牲に目をつぶって、自分たちだけ良ければ!という態度でいると被害が増大して、それは最後に利子がついて自分に回って来るだけ!ってことね。
放っておいたら最悪自分という個人は助かっても、大切な家族や友人が犠牲になりますが、景光のように見殺しにできるんですか?
「自分なら悪いけど一人の犠牲なら見逃す、」という意見も良く見ますが、すでにいじめを見て見ぬふりしたりして、後ろ暗いから他人に同意求めてるのでしょうか。
でなければ、そんな冷たいこと言えないでしょう。
こう言う人は今ワイドショーのあちこちで糾弾されている児童虐待を見て見ぬふりした、児童相談所や小学校の職員の同類もしくは予備軍!になれるメンタルを持ってるようで気味悪いです。冷血漢w

それから鬼神化ですが、これはもっと別設定を作るべきことだった、と考えます。
この戦国時代、襲われたら反撃しますし、やられたらやり返すのも司法制度が機能していない状態にいるなら、止むを得ないのは子供でも分かります
殺しに来ている野獣どもを前に、反撃するな殺すな、と言うのは死ね!と言うことですから、実に馬鹿げています。
まあ、そこまでして愛憎劇のホームドラマがやりたいだけでしょ!としか思えませんが。醍醐家のホームドラマは鬼神が絡まないと結構ウンザリします。
多宝丸は間違っても百鬼丸とは和解しないでしょう。
この戦いは親の、特に母親の愛情の争奪戦として位置付けられてますから、百鬼は邪魔者でしかありません。
なんのかんの、領土がなんたらと偉そうなこと言ってますが、結局は百鬼は自分から親の歓心を奪う鬼神、敵でしか無いわけです。だから何としても百鬼を葬り去りたいんでしょう。そうすれば、子供は自分だけになりますから。
このように、醍醐ファミリーは本音と建前がえげつなく解離しすぎているのでウンザリです。

それよりも火袋のお宝が存在していたことにビックリです。あったんだーw
これはおじさん一本取られたよ、参った参ったハッハッハ、です。
ちゃっかり軍資金としてちょろまかす、コソどろろも素敵です。
最期は結果的にどろろたちを助ける形になったしらぬいも、舟をチャーターして駆けつけた百鬼も、常に忍者のような尾行者でも付けていたのか?それを嗅ぎ付けて追いかけて来た多宝丸たちも、呆れるほどにご都合主義で、段々この物語には売りだったはずのリアルもクソも無くなり、何でもアリアリになって参りました。
この財宝は後々設定として生かせるのか?
多宝丸には地獄堂に行った時にすでに鬼神が取り憑いている、という噂もありますが、私はただ『ばんもんの件』でブチキレて本心通りに行動するのを躊躇わなくなっただけ、なのに口では相変わらずご高説を垂れているので、皆がその行動と口ぶりの裏腹さ、矛盾に混乱して鬼神のせいにしているのだと解釈してますが、どちらが正しいのか?
また次におちゃらけ回入れてる様ですが、せっかく構築した作品の比較的ハードな世界観、がぶち壊されないか?そもそもその話を入れる必然性、繋がりとして一貫性を持つ物語になっているのか?
と言うのが気になります。刀を直すらしいけど、足だって都合良く取り戻したんだしwだったら手を取り戻しても、ねえw

次回第十九話「天邪鬼の巻」絶対見るナリよ〜!次回の感想は、ちょうど家族の入院手術と重なるので、更新日がどうなるか個人的にもハラハラ時計wです。

【第十九話「天邪鬼の巻」の感想】
5月21日NTTの通信障害のため、アップできねえ!もうWi-Fiもドコモ解約してしまいてえぇヽ(`△´)ノプンプン 責任とって欲しいわ。
私は個人だからまだ良いけど、いわゆる法人、会社とか(個人でも大口の投資家とか)社会的に重要で被害を被ってる所は無いんだろうか?NTTは迷惑かけといて放置なんだろうか?やっぱり優遇?知りたいわ。
つくづく、通信の一本化の危険性を思い知ったわ、そして携帯をソフトバンクに変えて良かった!と心から実感しました。ありがとうソフトバンク!
そして、一切その理由をお知らせも謝罪もしていないNTT!謝ったら負けだからやらないんですか?お役所体質は相変わらずですね、ふん電電公社め

まあそれは置いといてw。
この十九話は皆どう思っただろうか?
まあ、他人の見解はほぼ無視して書いてるのですが、今回ばかりは皆がどう思ったか激しく意見を聞いてみたいものです。
天の邪鬼という妖怪が引き起こす、主人公のすれ違いなドタバタ話。
うーん、何か私としては素人の二次創作を見せられているような気分
話自体は悪くないんだけど、このどろろという物語一連の繋がりを強調していたザッピング描写(成否は別として)からすると、今回はハッキリ言うと異色だよね。
刀を直す以外の必要性のない回だし。
その百鬼丸の仕込み刀も銘刀だとかいう描写すらないから、わざわざ打ち直さなくても別の切れ味の良い刀を買ってくっつけても良いんじゃんくらいにしか思えないのよね。
まあ、だから今回も身体の取り戻しもないし、手の掛かる百鬼に萌え萌えするためだけでしょう、という内容の話でした。
絵が異色過ぎると言われたマイマイオンバ後編は、なんのかんの言われても一連のどろろから羽目を外していなかったのに、ここへ来て話の羽目外すのは、これ以降は悲惨な話になります宣言とも、穿って見えるよね。
だから、これからの話の展開がブーイング必至なので、キャラ萌えに走って人気を保ちたい?みたいな。
だったら遅くね?そんなの10話かせいぜい15話までにやっておかないと。
それなら、物語がこの先どう転んでも、キャラ厨の皆さんが最後まで付いて来て応援して下さるでしょうからねえ。
全体的に見て話の順番、構成が明らかに違うでしょ!という時があるんだよね。この話も順番がここでなかったなら、またはキャラ萌えがここまでできちんと確立されていれば!と思うと実に残念。
正直言ってこのどろろは、元々面白そうな設定を持ち寄りで作って風呂敷広げまくったけど、それをうまく生かせませんでした。
てんでに持ち寄った設定については、それぞれが描写してスッキリして終わり、前後の繋がり?そんなの知らね!みたいに見えて悲しいわ。
そして、今回も妖怪の存在意義が曖昧封じたのも事情を解明したのも主人公ではない!ということを見てもわかる通り、妖怪は物語の中心にはいません。ちょっとした小道具扱いですね、だから禍々しい鬼神の脅威も薄れて感じられるのでしょう。本当はそうではないのに。
このフワッと曖昧に描いて脅威を薄れさせる、という事から想定される懸念が実現しちゃいましたよ。
北方領土を戦争して取り戻せと発言した丸山議員。ゲームやら映画や小説などで、作り物の上っ面のキレイに装った良いところばかりしか目にしていない(戦 争 に 参 加 さ せ ら れ た こ と を 美 化 し た い 人 が い る の も 分 か り ま す= 負 け た か ら 戦 死 も 犬 死 に、 だっ た ら 何 の た め に 死 ん だ の か、 ま た 何 の た め に 苦 し い 思 い を し た の か 無 駄 に な る と 考 え た ら 虚 し い で す よ ね。 で も、 そ れ は 遺 族 感 情 だっ た り 不 必 要 に 美 化 さ れ た 思 い 出 だっ た り し ま す。 他 人 か ら そ れ ら が 美 し す ぎ て 見 え る と、 戦 争 ま で 美 化 し て し ま わ な い か と 心 配 で す。 今 回 は そ れっ ぽ い し) か ら、本当の脅威も理解できず、ああいう発言になるのでしょう。議員のくせに発言が軽々しすぎるのは、深く考えないから何も理解できてない、からです。
分かります?戦いの火種を撒き散らしたんですよ?思い切って尖った事を言えちゃう俺カッケー!所じゃないです。
(しかも、酒の場で発言してるのが、後で酔っていたから、という責任逃れの逃げ道作戦を実行したわけで、これはあまりにこすい、卑怯な小心者のやり口です)
酒飲んだ上での発言はたわごと、と甘い顔して世間が許してきたから、そんなものと平気でできるんでしょうね。
案外、酒のせいだって言ってるのに!(飲まないと公言したのも守らないなら、嘘つきでもあるね)と予想外の展開になって言い出しっぺの本人が一番驚いてるかも知れませんね。
(酒飲んで暴れて人を怪我させたり殺しても、酩酊状態で責任能力ないから無罪と聞きましたが、本当だったらそこに行き着くまでにはいくつかの段階を踏んでるはずなので、それでも欲望に負けて飲酒して犯罪するなら故意だと思うし)
だいたい言論の自由とは『何言っても良い』というゲスな意味じゃないでしょう。
自由とデタラメを一緒にされたら困るんだよね。
信念もなく、結果も考えず言いっばなしなのは、無責任極まりない!
大人のそれも責任ある地位にいる人間のすることではないです。
それを考え無しな言葉で引き起こそうとするって、この人こそ恐ろしい脅威そのものだよね。
そもそも戦争した結果が今のコレでしょうに。また戦ったら(しかもこちらから仕掛けるって?バカ?)今度は北方どころか本土を取られるかも知れないでしょうが!もし、そうなってしまったら引き起こした責任とれんの?死んで詫びてもそんな命一つぽっちじゃ、いやたとえ家族一族全員の命を差し出したとしても、それで失われる命の代価には全然足りないでしょ、足りなさ過ぎるでしょ。何千万もの人間の血と膿みと苦しむうめき声しか残らない世界、それが戦争の正体なんだから。
ひめゆりの塔の記念館とか、戦争に関する生々しい本当の姿を記録したものをじっくりと見るべきです。それでなおかつ、こう言うことが言えるのか聞きたいものです。
絶対ここまで考えられてないでしょ。今頃やっと他の色々な人の意見を読んで慌ててる頃?
知らなかったじゃ済まされないし、知らないなら黙っとけ!です。
この発言に世論が激しく反発してホッとしています。
前にこのサイトのどこかに書きましたが、他国と話し合いで問題を解決するのが政治家の仕事だと思うので、それができないなら国民の迷惑なので辞職してください。

それから個人が騙されるのは自業自得、とか言われちゃう風潮だけど、その結果が、私の不幸は他の家族の不幸!と言うのが現実なので、何事も行動する前に良く考える癖をつけた方が良いです。
フワッとした曖昧なものの中には、上っ面だけがキレイで中身が汚ならしいものが世の中にはたくさんあり、隙あらば人を騙そうとしています。注意深くちゃんと見て考えましょうね。
よほどの迷惑者でない限り、(いや迷惑者だったとしてもちょっとでも可愛いげがあったりすると)家族なら尻拭いが必要な人間を簡単には見捨てたり切り離したりできるもんではないです。残念ですが。
それが人間の心というものです。
ただ、これも残念なことに、それに気づこうとしない人こそ家族に迷惑を掛ける側で、決まって偉そうなことを言うし他の家族を助けたりもしません、というか出来ないのですね。
そう、まるで景光みたいでしょ。だから私は最初から信用してない。そして案の定、家族は今ほとんど空中分解中!状態。

次回第二十話「鵺の巻」見てくれよな、レッツ&ゴー‼

前回の丸山議員がウオッカとコニャックという、アルコール純度の高い酒呑みまくって、酔うとドキュン仕様になるということが分かって、やっぱりね、だよ。やってることヤンキーの最下層のドキュンレベルでしょ、ドキュン確定。しかも悪知恵に長けてると来たもんだから、始末に終えねえ。公的権力を持ったドキュンかあ。一般市民が一番怖く思う存在じゃない?大阪維新ってこういうレベルなんだ‼ふーん(ここまで放っておいたんだから、そう言われてもしゃーねえべ?www)

【第二十話「鵺の巻」の感想】
鵺というと四天王で有名な源頼光の孫の孫、頼政。ご先祖の頼光伝来家宝の弓と矢で、夜な夜な出て来ては天皇の安眠を妨害したこの化け物を倒しました。
これは、あのホモ野郎、藤原頼長(台記)が鵺退治のご褒美の『
獅子王丸』という刀を(実際に上野の博物館にあるよ!)天皇が頼政に下賜した時に、キザったらしく歌で褒めて来た、キタキタキタキターッ、キンモー!頼政全力で逃げてー‼という、おぞや君を感じたので、私の中では有名。
この鵺の巻は百鬼が、強がっても所詮は臆病な一般人三郎太と対比させて、人間じゃないから鬼神を倒せるんだよー。鬼神を倒せるのは鬼神なんだよー、だから百鬼丸は鬼神だよー。
と言いたいみたい
っすね。説得力ないけど。
だとするとさ、じゃあ、頼政は鬼神だったのか!ってことになる。ま、これは揚げ足取りだが、鬼神化の条件って何か?がハッキリしてないからダメなんだよ。どうでも良いところばっかり説明させるんなら、肝心なところも説明しなよ。
それと琵琶法師も便利屋扱いだけじゃなくて、どろろ=疑似女兄弟として癒しの役割を果たしてるっぽいから。琵琶法師=疑似叔父貴、のように百鬼丸に社会的な常識や知恵を教えるとか(寿海マジダメ親父だから代わりに)、もっと百鬼丸に関わっても良かったんじゃん?
そうすれば原作漫画での琵琶法師と寿海の立場が
ちょうど
逆になって良かったのにね。
鬼神設定に関しては、ネタバレ回避のつもりでだんまりなのだったら、種明かししてもらっても納得出来なかったらこき下ろしても良き?
何となくこれまで妖怪・鬼神の類いってあっさり扱いで、描写も瞬殺に近かったから、あんまり重要視してないから説明も曖昧なのか?と思っていたけど、それはみんなに深く考えさせないためで、実はこんな秘密があったんだヨーン!とか最後にドヤ顔でイキナリ設定出してきそうな悪寒がします。
だとしたら、視聴者はいい意味でやられた=騙された、とは思わず騙し討ちかよっ!みたいな感情しか残らないだろうなあ。
 本当に醍醐家のホームドラマ主題と思って見てたら、やっぱり鬼神の謎が最大テーマ!だったらどうしましょ?ね。笑うしかないか。
マジこのアニメ全部ちゃんと視聴者に納得できるように説明できて終われるのか不安になって来たわ。

次回、第二十一話「逆流(ぎゃくる)の巻」にフエーード・インッ!


【 第二十一話「逆流の巻」感想】

爆弾が落ちて、妹が柱の下敷きになった。
周りも火が燃えてて、逃げたいけど妹を置いて行けない。
逃げるおじさんを呼び止めて、何とか柱をどかしてもらおうとしたけど、重くて動かなかった。おじさんは「動かせないよ、ごめんね」と言ってどこかに行ってしまった。
妹は熱いし重いし、だんだんぐったりして行く。
また、男の人が通ったので頼んだけど、動かなくてやっぱりどこかに行ってしまった。
困って悲しくて泣いていると、真っ黒に燃えた女の人が来て、柱を何度も持ち上げたら男の人たちがあんなにやっても動かせなかったのに、どかせた。妹は助かって女の人を良く見たらお母さんだった。

という話。うろ覚えだけど、これは実話です。
これが一番良く母親の本質を表した話だと思う。
愛は力を発揮するけど、中でもとてつもない力を発揮するのは、母の愛です。
恐ろしくも素晴らしいことに、普通に母親と呼ばれる人たちは平気でやってのけるのです。子供への愛の力で。
(中学校の時に、担任のセンセーがドラマでも映画でも死ぬ時におかあさーん、と言って死ぬけどなんでお父さんと言わないんだろう不公平だ、と言ってたけど、母親は考える前に飛び出せるからでしょう。子供のためなら。そもそも命がけで産んでくれてるし。全く何を言ってるんだか?)
そういうのをどろろで描いて欲しいんだけど?
おじやの手でお粥を受けるのが最大の母エピソードだね。このエピソードはオリジナルだし。新作じゃムリムリか。何となくだけど、見ていて親の愛を信じてないな?というのを作品に感じるのはなぜなんだぜ。
百鬼母はまた「ハア?」なセリフかましてるし。
兄弟だろうが命を取りに来るなら普通は容赦しませんよ?
戦国時代でしょ?
わざわざ二手の敵味方に別れて戦ってまで、一族を断絶さないようにしていた時代に、何寝ぼけたことほざいてるんだか。
体を取り戻すのを、おもちゃに夢中って例えてるのもトンチンカンすぎてイミフ。見当違いも甚だしいわ。
次回はこの百鬼母、縫の話です。この人を聖母みたいに描きたいんだろうなってのは分かるんだけど、上っ面だけの人に見えて仕方ないです。理想論だけで作られた、それこそこの作品で一番生身を感じられないキャラで怖いわ。
現実の母は聖母と言うには程遠いでしょう。人間だから欠点も沢山あるし、間違ったこともするかも知れない。
でも、子供を簡単に見捨てたりはしません
ね。
この人は母になる覚悟をもつ前につまずいて(百鬼丸の件で)、ショックから全然立ち直れずイッちゃった人にしか見えん。多宝丸見たらどんな母か正確に分かるし。
多宝丸も、大事な人がみんな居なくなるんだろうな。心を許せる人が一人もいなくなった時、どうなるんだろう?と考えるとドキドキです。従者の姉の方は死病に取り憑かれているみたいなので死亡フラグ立ちまくりですし。
それにしてもこのアニメ、あんなに大ケガして良く出血死してしまわないものだ、と思いません?やっぱりファンタジーなんだなあ。(ブラック・ジャックが側にいれば話は別ですがw)
最近ハワイでサメに片足食いちぎられてお亡くなりになった人のニュースを見ましたが(ご冥福をお祈り申し上げます)、現実はそんなに生死はアッサリしているのですよ。蟻地獄で片足を千切られた百鬼丸を思い出したのは私だけではないと思います。百鬼は痛みに苦しんでましたが、この姉弟片腕を付け根近くからブッツリいってるのに、あんまり苦しそうじゃないのも、イラッと来ます。
というわけでますます不安しかない
次回、第二十二話「縫の巻」お楽しみに。

【第二十二話「縫の巻」感想】
何を考えて作ってるんだか?
結局、半端な時代ホームドラマで終わりそうで鬱。
こんなのどろろじゃねい!
百鬼丸が大量殺人鬼になってて、目が点だよ。
どろろを連れ去られたので取り返すのに、堂々とどころがハデハデしく乗り込んで、宣戦布告?するバカがいるの?
そういうのは今目の前で、どろろがひどい目に会わされた姿を見せつけられて、ブチキレるんなら理屈も通りますが、いきなり鬼神馬みどろ+鬼神百鬼丸が現れ殺戮を開始してビックリだよ。
鬼神化した残忍な百鬼丸見せたいだけでしょ?どう考えても。
百鬼を災厄扱いしたいのが透けて見えてゲンナリするわ。

 私は、アレコレ貶されることも多い、実写映画版のどろろが確かに原作設定とは大幅に違うけど、やっぱりどろろだと思えるし、人がなんと言おうと私は映画のどろろが好き!だけど、このアニメはもうムリ
元々のどろろがどんな物語で何を訴えかけているから未だに根強い人気があるのか?をどれくらい理解できているか、レポートに書いて提出して欲しいです。
こんなミイラ取りがミイラになった百鬼丸を誰が見たいのか?
どうしてこうなったか?マジ教えてください。
だいたい、鬼神化の条件が勝手にお察しください!視聴者に丸投げ状態じゃ、あらすじだけ見せられて「良いでしょこれ、デヘヘ」って言われて意見求められてるのと変わらんよ。
(多宝丸と従者姉弟も鬼神化したら、ますます謎設定。説明はやはりないだろうな。と言うことは、やはり『お察しも出来ねえバカは見るなpgr!というアニメ』なわけね。すべて提示されたものを論ずるのは楽しいけど、全てが詳らかにされていないものを論じても、推測で補完してるからあやふやだし、結局人と議論にすらならなくて嫌な思いだけが残るのよね)
百鬼の残りの部位を持ったズッコケ三人組の方が、丁寧に描かれていますが、無駄なことに労力使わないで欲しい。
そこまで掘り下げてもらっても、大して面白くなかったし。そこに時間使うなら、どういう経緯と心情の動きがあり、百鬼丸が馬の鬼神みどろと意気投合して共闘するに至ったのか?描くべきはこっちじゃないのか?それすらないのは手抜きじゃないのか?
本筋投げ出して、枝葉みたいな話ばっかりチマチマ見せられても私は満足できないよ。主役を(どろろも百鬼丸も)きちんと描けないなら、アニメ化して欲しくなかった。

しかも、その力入れているらしきホームドラマもワケわからんし。
人物の心情と設定がブレブレだからつまらない。
残酷描写とやたら良い人に誤魔化そうとするヌルヌルな物語が、明らかにチグハグなんで、見ていて違和感=不快感を感じる。

鬼神が百鬼に固執するのも、カインとアベルを知ってる程度に知識があるなら、納得できますが鬼神でその設定は逆に必要なのか?
醍醐領地の人々は、多分景光が百鬼を生け贄にしたことを聞いても、非難はしないでしょう。
それは、他人事だから、と言うより、大事な跡取りを犠牲にしてまで、おらたちの事を考えて下さった!って思うだろうから。
しかし、実際は跡取りも百姓も、いや妻も跡取りにと思っている息子も、景光には野望実現の道具でしかなく、多少は壊れても仕方ないが無くなったら困るから無くさない程度に、しか大切にしていないんでしょう。
だから、誰に対しても途中からは驚くほどに冷淡になる。道具に対する態度のようだ。
その通り、もしも替えが効くならどうでも良い、程度の存在だから、ですよ。何と言っても野望が第一!ですから。
景光が元々は普通の人で、最初の子供を犠牲にした時点から、徐々にそうなってしまったとしたら、百鬼丸の存在は実は計り知れないほど大切だったことになる。
その大切さを自覚したくないから、目の前から存在を消したい=捨てろ、なんだろうし。
なのに妻は毎日、百鬼のことを仏に拝んで忘れさせてくれない=妻の断罪による復讐
縫の方でも、後から生まれてきた多宝丸のことを景光が大切にする度に、実は次男が憎くて仕方なかったのでは?それを押さえるためにも祈っていたりして。
だって最初の百鬼丸がアレで、事情が事情なのを察してしまうとますます不憫で可愛いと思う(描かれ方が下手だからハッキリしないけど、言葉ではちゃんと何度もバケモノじみた赤ん坊を愛しいと言っている)だったら百鬼を忘れられるはずないわ
だから、何不自由ない無邪気な次男の顔を見ると、ますます前の子がかわいそうでたまらず、本来ならあの子が!と思うと、次男が憎たらしく思えて(長男の気持ちになったつもりで、長男のために。本当は長男はどう思っているか?は別問題)放置して仏を拝む。
まあ、そう考えたら母としては哀れだわね、どっちの子から見てもあんまり良い母とは言えないだろうけど。それはこの女があまりにも不幸なせいでしょう。
結局は、父も母も百鬼丸に振り回されるように、百鬼丸の事しか考えてない。それを見て自分は跡取り!と思って頑張って来た多宝丸は、どんどんおかしくなって行く、のですね。
そして、一番大事なのは↑これらも、そんなに詳しく描かれてませーん。そして今まで書いてきた感想もほぼ、私の補完による妄想でーす。信じないように!

あともう少し、妄想全開で最後まで乗りきれるのか?
次回第二十三話「鬼神の巻」多宝丸の三つ目時三つ目分、三つ目ワールドでまた会おうぜ!

ググールさんからお手紙でカバレッジうんぬんと来たので、色々考えて結局は久しく更新していなかったサイトマップを作らされて、などで朝から時間取られたわ。ちょいちょいページ入れ替えのリニューアルしてるんで、ファイル名が変わったのが原因って、知らんがな。勝手に断りもなくリンクされてるんだから、相手方に言って欲しい。
【第二十三話「鬼神の巻」感想】
取って付けたような、やっぱり鬼神に頼るのはダメですとか、白けるよ、醍醐母
最初からそのスタンス貫ければ、物語に芯が通ったけど、遅すぎで意味なし。あっちにもこっちにも良い顔したいだけ、の割には夫にマウント取ったり、下の子放置で自分勝手なんですけど。口だけ何とかですね。
視聴者もあちこちで啓蒙されてるみたいだから、荒れるんじゃないか?とちょっとドキドキ。
贔屓にされている、と聞いていた陸奥と兵庫の姉弟が、妖馬みどろに、首モギモギとか、蹴られて死ぬとか(人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ、を地で行ってて)コレ何かのギャグだろうかとちょっと悩んだけど笑った。
あーあ、無駄に時間割いたにしては、呆気なく無様な死に様だったわ。キャラ愛も何も無いじゃん。これマジか?
せめて多宝丸を守る形で二人を死なせることが出来なかったかな?
まあ、それよりもさ、首ちょんぱされてても動くって、もう人間じゃないよね?どうやって鬼神化するんだよ!
ワケわからんわ。
燃えてる館見て、八つ墓村か魔界転生か?と私的には飽き飽きな構図がトドメだわね。
泣いても笑っても次回が最終回
ミオからもらった種籾と火袋の残した財宝がどうなるのか?せめてそれくらいの決着は着けて欲しい。
投げっぱはいかんよ。
『スカッとしない妖怪退治にどろなお家騒動
どろろだからってw
最終回「どろろと百鬼丸」君達も僕と一緒に不思議な冒険をしよう!

第二十四話「どろろと百鬼丸」の感想】
最後だから総括も込めてやります。
緒っ端から盲人に手を引かれるって、どう、しょーもないおばさん百鬼母でワロスだった。
そして、ただやられに出てきただけの鬼神あまりに弱すぎて瞬殺ってもう意味ないからむしろ出てくるなワロス。
本当に何なの?妖怪退治最後まで要らなかったじゃん。
しかも、大半の視聴者の願いも空しく、一番みんなが嫌がっていたどろろと百鬼丸の別離エンド。(原作通りだね)
そして一番死ね死ねと言われていた元凶の景光は生きているし(原作通り)、ここまで視聴者の神経逆撫でエンドにするとはある意味清々しいな、清々しさすら感じるわ。
この景光生存は旧アニメと真逆に変えて来たってわけね、つまりめんどくせえ部分だけは原作に押し付け、というスタンスを貫き通したってことね。いいなあ、リメイクって責任を原作に押し付けられるし楽だね

しかしこの物語はアレか?百鬼丸が体を取り戻すのを、身体障害者が嫉妬してクレーム付けるとか思ってる?そういう配慮でもしてるんですか?
だから妖怪を倒しての体の取り戻しを、ちゃんと描かずにうまく避けて通りたいのか。
(そ の 割 に は、 百 鬼 丸 が 明 ら か に 障 害 者 描 写、 い や 実 際 そ う な ん だ け ど ね。 に し て も 登 場 か ら 長 い 間、 頭 に も 障 害 が あ る ん じゃ ね? と し か 思 え な い ひ ど い 描 写 だ し、 百 鬼 丸 ア ウ ア ウ アー = 蔑 み や か ら か い、 と か 言 わ れ て る の を 見 て、 私 は い た た ま れ な かっ た わ。 嫉 妬 さ れ な い た め に 百 鬼 が こ れ な ん だ と し た ら、 ア ニ メ 化 す ん な し)
というか、百鬼の内面の描写さえ、もっとしっかりやってくれていればこんなことには‥‥‥。お陰で見ているこっちはフラストレーション溜まりまくりだったよ。
そして、これ私は体を取り戻す意義を曖昧にしてしまったために、周りが執拗に百鬼丸に言っている「不自由な体で命にしがみつくな、人の役に立て、犠牲になれ!」ってストレートに言いたいのをごまかすためにみんなの利益!というもっとダメな価値にすり替えたため、感化された人たちが、社会的弱者に向かって=身体障害者とかまさに社会的に弱い立場の人に、みんなに対する社会貢献のため人体実験の犠牲になれ、とか言い出すんじゃないかと思うと、気持ち悪いわ。
なに戦前の特攻隊やナチスのような、一で十を救う、みたいな理論振りかざしてるんだ!としか思えん。
そうやって救われたり利益を享受した多数の人たちは、自分だけじゃない!と思って犠牲にした少数への罪悪感も薄まるんだよね、最悪じゃん
だから、人と鬼の差というのは、大して無いよ。血も涙もない、いじめに通じるこんな理屈を支持する人も、中にはいるのかと思うと、推して知るべし。
しかし一番わからないのが、コンセプトが、体を取り戻す=人間性の獲得ではないって、そんなわけあるかいっ!w
教育とか訓練のこと言ってるなら、何で寿海にキッチリ百鬼の教育させなかったのか?だけど、「できねーから!」でしょ。
体=五感、としたらそれが無いのに普通に教育のしようがないと思うし、それで人間って言える?という描き方だよね?第一話から、そうだったはず。
変にリアルだけど、それが事実で物語の中ではやっぱり百鬼は徐々に獣っぽい野性が抜けて人間らしくなり、ってことはつまり人間性を取り戻して行った、ってことだよね、残念だけどそうとしか読めないわ。
そこの目眩ましのために、鬼神化とかいう設定を無理矢理作って持ってきてません?
そこに、すんごい矛盾を感じるのは私だけ?
間違ってるとしたら、ここで言われている人間性って何?その定義は?ってことが問題になるでしょう。鬼神化同様にわからん?教えて。

それと、琵琶丸は「怒りすぎても優しすぎても人ではなくなる」と言ってましたが、人が怒りという感情に呑み込まれると、鬼畜みたいなことでもやってしまうのは確か。カッとしてやりました、は犯罪者の常套句だし。
でも、本当に優しいっていうのは誰に対してか?だよね。自分に対してかしら?優しい私だけが大好き、にしか見えない縫ママみたいな人、確かに人間じゃないわ!人にもたらす感情の方向性を考えると鬼神と変わらないんじゃないか?と思う。
(誰も救えないんじゃ優しさがいくらあったって意味ないしね)
琵琶丸は、両極端になった人間離れした人は、もはや人ではないと言っているが、果たしてそうだろうか? (常人には考え及びもしないほどの思考回路の持ち主、人間としての枠を振り切って飛び出すような、ってそれは悪い方は外道鬼畜で良い方は悟った状態と違うんかい!自分がなれないからって人もなれないとは限らないんだが。近い人は実際います。滅多に見ないけどいるよ、どちらも) と 言 い た い ん だ ろ う け ど、 こ の 物 語 に 限っ て は 受 け 入 れ る 優 し す ぎ の 人= 仏、 は い な い よ う だ。

最終回終わり良ければすべて良い、なんて訳なかったね。
偽善母ダブル(縫と寿海)で百鬼丸を助ける?形にして、これもさ、死なせる必然性も全く感じられなかったわ。
これから先を描くのが面倒なキャラの始末をしただけにしか見えない。
もしくは単に最終回感を出したかったから、死んでもらいました!にしか見えないわ。
二人とも百鬼丸をダシにして、勝手に自分の罪の清算をしただけだから、考えると百鬼が責任を感じることも無さそうだけど、案外ものすごく傷付いてるかもね。(私の妄想ですけど。描かないから。初めて見たのが、結局はW母の姿なんだから、今生の別れに取り戻せた目で泣かせてもよかったろうに。で、これはなんだこの冷たいものは?と百鬼がつぶやく。位出来んのかい。)

それにマジで多宝丸が百鬼丸に嫉妬してたし。
えー、ここは最後まで偽善的に国のため、せめて尊敬する父のためと言いきってくれないとさ、逆に陸奥と兵庫が盛大な兄弟喧嘩に巻き込まれて死んだことになり、これって全くの犬死にでしょう。かわいそうに。哀れだわ。
(それに百鬼も言わないから分からなかったけど、ちゃんと自分の正当な立場を理解しててビックリしたわー。と言うことは、最後まで何考えてるかわからない主人公、って嫌すぎるー。)
ちょっとトサカに来ましたので、四コマをちょっと頑張ろうかな?という気になりました。アップしますね。
考察はとりあえず終わりです。

《まとめ》
あー、私が失敗したんじゃないかと思うのは、醍醐家のお家騒動のホームドラマが実際は本筋からはどうでも良い話のはずなのに、中心としてやっちゃったから、です。それなら百鬼丸外伝にでもして、多宝丸中心のアニメにするべきでしょう。どろろの話も全部カットして、百鬼丸も脇役にして。誰が見るの?ってそれは知らんがなw
ただ、全部視聴してみて、百鬼丸勝利で終わり、それは取りも直さず主人公として成立させるのにかなり気を使ったな、と言うのが丸わかりなのですが、周りがボロボロだし、それによって百鬼丸の心も傷つくはずだろうに、相変わらず何も考えてなさそうにしか見えない描写だから、なぜか『本当にこの人が主人公だったんだろうか?』感がハンパないな、ってことです。
最後の場面は、キャッスルか?と思ったよ。キャッスル、ミステリー作家の事件ファイルの最後の場面。
どう見ても死んだだろう描写なのに、唐突に七年後の子供達に囲まれた二人の姿。
これはどろろと百鬼丸のようですね。
だからというわけではありませんが、こういうフワッとしたどちらとも取れる描写というのは、あくまでイメージの世界だと思うので(せめてどろろがアニキーと呼んでたら別だったけど、曖昧にしておきたいんだろうし、事実そのように補完する視聴者多数続出してるしwあわれ)
あれは、視聴者サービスで、どろろを置いて旅に出た百鬼丸は、その後どろろとは絶対に再会はしてないと思うわ。
終わり(後に総括します)

◆総括まとめ◆
考えたら、百鬼丸を食い損なった鬼神がいるとしたら、鬼神の数は結局12だとすると、奪われた体は11なのでは?と思うんですが、どうなんでしょうか?
だから取り戻す体の部位がハッキリしなかったのでは?その場で取り戻していたらもちろんわかりますが、鬼神間での体の譲渡もしくは火事場泥棒的に百鬼丸の体の窃盗があったらしい、のを匂わせるだけで描写を拒否!(考えたくねえ奴、理解できない奴は見るなですか?)
体を取り戻すのが主題ではない、(だから、鬼神の戦闘どころか存在がお座なり描写)らしいがそのくせ百鬼丸が体の取戻しによって成長し人間性を取り戻しているのは矛盾だろうと思う。
体の必要性が疑問だったのはむしろ原作である。だとすると主題が間違っているのでは?と視聴者は考えてしまう。
鬼か人か?と言うのも鬼神化の定義が示されず、単なるキチが鬼?としたら意外に当たり前だが、比喩的な鬼でなく鬼神のはず
この鬼と鬼神の間には越えられない壁がある位の違いがあるだろう。どうして鬼神化してしまうのか?がわからない。こればっかりは設定があるはずなので、推測で視聴者が補完するのはムリ!
よって、それを示さない、示せない時点で失敗!と言える。
百鬼丸が過酷すぎる産まれと成長のため、それ以上の悲惨な目に合わせるのを躊躇い、家族間の(矛盾だらけの)心理戦に終始してしまったことも、物語が間延びして見える原因の一つだろう。
体の取り戻しが、鬼神討伐とその加護を得ていた者への加護の取り上げだけでなく、懲罰も付いているので、百鬼丸以外は(百鬼丸の気持ち以外の実質的な)損害被害が甚大になると言う利子付きだが、この辺をもっとうまく描写して欲しかった。
つまり百鬼丸が関わると、みんなズタボロになる(どろろ以外は)にすればまた違う魅力が出たと思う、と言うことである。
考えたら、主題を欲張り過ぎていなかっただろうか?どれか一つを掘り下げていたら、名作になれたかもしれない、と思うと残念である。
ただ、このどろろがダメな作品だとは思わない。
原作や旧作を越えた部分もあるし、下回った部分もある。つまり、どう作ってもこの物語の骨子はアクが強過ぎて、中途半端になるのは必至である。
それを覚悟で、まとめようとせず、一点だけ突き抜けた物語にする、しかないのでは?と思うのですよ。
奇跡的に物語をまとめようとすると、ゲームのようにどこかしらを大幅に改変しなくてはならなくなると言うことです。ゲームでは、景光と多宝丸がそれに当たります。が主人公はほぼ、そのままの設定です。
つまり主役以外を変えるか、主役を変えるか・・・。今回はどちらも変えてしまいましたが、変え方に問題はなかったのか?です。
そこはこの文の、体の取り戻しと人間性の奪還、に繋がるので、どろろの改変の優れた部分が生かし切れなかったために、逆に欠点に成り下がる結果に終わってしまった、と言う気がしてなりません。
正直、尺が足りなかった、と思われます。欲張ってあれもこれも描くには時間が足らなさすぎるのです。
結構人気が出たと思うので、12体のままでいいのでもうワンクール作っていれば、みんなが納得が行くものが作れたのでは?と言う気がします。
だから、傑作とは言えませんが、悪い作品とも言えないのです。

それと、もう一つ明言されていないのでこれも私の妄想になりますが、どろろの言う力が金だとすると、どろろは百姓をしない気がします。初登場の時の場面では、盗品の横流しをしており、これが手っ取り早くて一番儲かると思うからやっていたのだろうし。
だって、このままだったらせっかく田畑をちゃんと作っても、また侍たちの戦に巻き込まれて全てがメチャクチャにされて無駄になってしまうんなら、簡単に持ち運びできる金に頼るのがベストと考えるだろうし、だとすると元手の金で農業はやらずに何かの仲介業だとか、流通の問屋でも始めそうな匂いがプンプンするんですが。

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