★テレビドラマ『避暑地の猫 
 傑作であるとハッキリ言える。これは入院した時にテレビ朝日のテレビドラマ(全四回)でやってまして、前宣伝見て、高橋君が出ていたので『面白そうだから 見よう!』と思ってたんだけど、丁度入院と重なった為に夜九時からの放送だったにも関わらず、(体力が無くて)もう眠くて眠くて見ていられなかったドラ マ。病室は個室だったんだけど、テレビの音量が気になったし(イヤホン無し)、消灯で電気消されてたのも重なって、で「もういいや!」って思い寝てしまっ たのだった。退院してから続きは見た。流石に四週間も入院はしていなかったんでw。このドラマ、今残る印象は『役者が全員美しい』と言う事である。物語的にはサスペンスタッチだし、真相は情念渦巻いているのに、それは神秘的と言い換えても良いかも知れない、幻の中の出来事の様に儚げで優美な出来であった。その上、エンディングテーマの歌錦城薫の歌う『赤い華』がドラマの雰囲気をかなりばっちりと盛り上げていた。それは、姫神の『神々の詩』の歌を聞いた時に近いモノ=インパクトがあった。過去への郷愁の様な取り残された不安の様な、 それでいてどこか懐かしい感じ、だ。なので、今となっては『避暑地の猫』と言うと【高橋良明 君】の悩める少年の憂い、と同時にこの歌が浮かんで来る。ちなみに赤い華とは彼岸花の事で歌詞も『曼珠沙華』=よみ:ひがんばな。作詞・北原白秋、作曲・ 山田耕筰(←やまだこうさく一発変換だ、すごっ!そして小学校の国語の教科書が懐かしい)、という歌を念頭に置いているものと思われる。だが、これ確か再 放送一回は?見た事がある記憶はあるのだが、後は見た事無いしググってもビデオすら出ていないとの情報を得た。よって見返す事も出来ないので、古い記憶を 頼りにうろ覚えの所がある(が勘弁な!)。 この話の内容はというと、一見穏やかで貧しいながらも清く正しく仲良く暮らす家庭が、本当はそうでは無く、主人公だけがそれを知りませんでした! って物語。だけど、ドラマの方は背徳的で淫微な感じと犯罪の顛末が物悲しい。それはまるで過ぎ去った夏の日の避暑地での浮き浮きするバカンス特有の華やか さ、と同時にそこであった変事を懐かしむ感じに近い。それと回想すると記憶の底に閉じ込めて隠されていた秘密や、その時には気付かなかった何かを改めて思 い返してみて感じるものがあり薄ら寒い、みたいな。ドラマは更に小説を改良していて鮮烈である。だがこのドラマを見ての唯一の難点がある。主役の永島敏行 が少年時代が(事件から15年経ってる設定)あの高橋良明君(=早世した伝説のアイドル)に役者を変えているのに、その姉役はずっと同じ女優さんだから弟が兄貴になっちゃったwという事である。この違和感だけが残 念! 題名の避暑地の猫だが、この猫は物語には直接関係無い。と言うか、本にもドラマにも猫は出て来るが見事なまでにそのエピソードは本編の出来事(悲劇)に直 接に絡んではいない。ただ、猫の持つ怪しげな雰囲気に彩られたドラマではある。では、主題としての猫はとは何か?だが、暗喩としての猫であり、それなら物 語中に沢山いる。ちなみに猫は夢占いでも『欺きや性的な裏切り』を示し、恋愛感情に関係がある暗示でありイメージ的には肉感的な陰湿なエロス、の感じである。一般的に小説でも『猫みたいな女』と 言われる場合は二通りあって、猫特有の気紛れな人を振り回す、魅力的だが自分勝手で身軽(ある意味尻が軽い)な女性の代名詞と、飼い主に可愛がられ女王様 の様に優雅で品はあるが、威風堂々とした=太った気の強い女主人、の様に使われる。そしてこの物語の場合、主人公から見て猫とは母親と姉、そして父の仕え る別荘の持ち主の妻、の事を表す記号でもある。彼にとって時に猫(母・姉)は上辺では従順であり、優しく可愛い存在である。しかし、誰にも見せない本性がある。男の見ていない所で妖しく爪を研ぐ様な。それは女の側からすると当たり前かも知れないが、純粋な少年の目を通してみる とそれは自分に対する裏切りに他ならないのである。そして、本性のネズミをおもちゃにしていたぶりまくる残酷な猫の、我が侭な暴君として女王然と振る舞う 象徴、として別荘の主人の妻がいるのだろう。そして、《猫は他の何者も決して信じない》
あらすじ…主人公は別荘番の父・母・姉とみすぼらしい小屋で貧しい暮らしをしている。別荘の主人は彼に優しいが、その妻は一家四人をいびりまくる。主人の 妻から女家族を守りたいのと嫌悪感とから殺意が芽生え、17才になった主人公は事故を装い主人の妻を殺す。しかし、この事を契機に家族の秘密が暴かれ家庭 は次第に崩壊して行く。
  テレビドラマでは、もう少し(人間関係が)残酷な事実に"改変"されている。しかし、それは関係が残酷なのであって、物語の事件との事実関係が絡んだ時にはむしろ優しいのである、と言える。ゆえに物語を美しくする、という点ではこの改変は成功し"改良"で あったと言える。この場合の物語の美しさとは主人公に負えるのだろう。視聴者は完全に彼目線であり、彼が知らされて行く事実が彼の信じていたものとかけ離 れていればいる程彼は傷付き、見えていなかった物=真実が見えて行く。信じていた美しい物が汚されて行く残酷さ、と無知で無垢だった自分の喪失と変容。も うあの頃には戻れないと言う追憶がもの悲しい。彼が家族を救う為に犯した罪が、結果その家族を失わせる事で彼に罰を与えたのだった。
【改変部分】別荘の主人と主人公の母が不倫して出来たのが主人公。なので別荘の主人は唯一の息子である主人公に優しかったのである。父と母は再婚で、姉は父の連れ子。という本当は血の繋がりが希薄な他人家族と 言うのが実態なのだった。そして、それを知らなかったのは主人公だけなのである。姉が別荘の主人と肉体関係を持ったのも、実は血の繋がらない母への当てつ け。父を取られたので情夫を寝取ったのだ。そして、姉は主人公を最初から弟ではなく男として認識し、ずっと執拗な愛情を抱き続けている。なんかすんごいド ロドロだぁと思うかも知れ無いが、実は原作の方がもっとエグい。ほぼ全員自己中で血の繋がりがあるだけに救いが無い。つまりドラマでは他人だから許せ る、って部分もあるから救いになっている訳だ。しかし切ない。それは犯罪は事が起こってしまったら、起こる前には戻れないからだ。物理的に取り戻したと見 えても決して元通りでは無い。心に大きな傷も残す。犯罪は関係者に悲劇をもたらし必ず不幸にするし、後悔しても遅いと言うのを改めて知らされるからであ る。人に迷惑掛けといて、立ち直るとか甘えた事言ってるのがたまにいるが、人の優しさや善意の上にソレが成り立ってるのを忘れるなよ、と思うのである。
 作者 宮本輝 講談社文庫刊 ドラマデータベース テレビ朝日 1988/09/01〜09/22 木曜午後9時放送 高橋良明君は伝説のアイドル。バイク事故で軽症と報道されたにも関わらず、症状が急変し平成元年に死亡。順風満帆な芸能活動に終止符を打った。未だにファンサイトが存在し、根強い人気を保っている。
ドラマに永島敏行が出ていたので思い出した。てか、彼の主演映画で遠雷とかいうのもあったけど、ひどく地味な感じがしたので見ていな い。湯殿山麓呪い村(映画)、は見たw横溝モノに更に輪を掛けた悲惨な真相と結末にドン引きだ、という内容。
★浦沢直樹の漫画『モンスター
 
 怪物の正体……元々この物語 で怪物と目されていた者はヨハンだった。で、彼の策略に翻弄され連続殺人が起き、失踪した彼の行方を辿り、そもそも彼を怪物にした原因は何か?を探って行 くのだが、どうも読み進めると彼が怪物ではない様な気がして仕方がない。だから、便宜上の怪物の正体が判明した途端=怪物に変貌した理由、に辿り着くと急 に物語りが色褪せるのだ。読者感覚では怪物はすでにヨハンではないのに、物語では依然ヨハンが怪物として登場している違和感からである。しかし思うに名前の無い怪物とは、実体とは違う名前で呼ばれる事の 暗喩なのではないだろうか?影で操る実体のないもの。とすると、やっぱり当てはまるのはニナしかいないw。考えてみて欲しい。母親から手放されて連れ去ら れ、この世の地獄を見て生還したのに、彼女が普通にいやそれ以上に優等生である事が出来たのは何故か?片や、母親の庇護の元でぬくぬくしていた男の子が何 でいきなり大量殺人を平然とやってのける怪物になるのだ?ニナが記憶違いしているか、事実とすれば二人の間で何かあった、としか考えられない。この子供達 は普通の出自とは違う。選民思想に基づいた優秀な能力=遺伝子を持つ男女を、家畜の様に掛け合わせて作られた双子なのだ。当然、知能も体力も並外れて優れ ている。母親はモルモットにされる子供達が不憫で連れて逃亡したが、見つかった際に母親がニナを渡したのは(この行はソフィーのパクリだが)、もしこれが ヨハンだったらこれから体験する事に耐えられず死んでしまう、と判っていたからだ。つまり女の方が耐えられるのだ。ニナは思惑通り生き残った。怪物と化して。明らかにこの物語にはそれと気付かせぬ様に、彼女の行動にはフェイクが含まれているだろう。 彼女の存在が不確かなものであるとする根拠は、兄ヨハンが作中で妹ニナに変装しているからだ。(しかもバレていない)よって、彼女の不在の証明は出来な い。つまり、逆もまた真と言う事だ。ニナがヨハンに化けていた可能性だって否定出来ない、と言う事である。なぜヨハンはこれを黙認していたのか、は当然自 分ではなく妹が辛い目に会ったという負い目から来る。そして、彼が自殺したのは尻拭いの存在である自分が居なくなればニナの暴走が止められると思ったの か、いや撃ったのはニナなのでやはり『何か』ある。たんに心弱く耐えられなくなったヨハンを始末しようとしただけなのかも知れない。そして、頭を撃たれた 事で彼もまた一線を踏み越えてしまったのだ。それ以降は積極的にニナの協力者になっている。命の恩人の邪魔者を排除する、という無邪気で残酷な恩返しは他 ならぬ恩人に嫌疑をかける結果になっている。その事実を考え、裏を返した怪物の行動として解釈すれば、それはヨハンを始末し損ねたニナが彼を救った天馬に 与えた罰と考えれば納得が行く! なんちゃって〜w
 

こうだったらいいのにな〜、な怪物の正体!w。あくまで推論てゆーか願望でもある。
圧倒的な絶対悪は書くのが難しいが、成功したら効果は絶大である。
★がっかりアニメ空中ブランコ
 モノノ怪と同じスタッフと言う事で鳴り物入りだったらしいが、原作を読んでる者としては、何でこんな微妙な のをアニメ化すんの?と言うのが偽らざる感想だった。あの小説のツボはひとえに精神科医である伊良部に負う所が大きいからである。心の悩みを抱えてやって 来る患者に対して、色白のキモデブで注射フェチの彼が
外見に違わず(個人的には伊良部繋がりじゃないけど、野球選手の伊良部秀輝をもっとだらしなく太らせた様なイメージである)普通の人が眉を顰めるような行動をやってのけるのに付き合わされる羽目になって行く普通の感覚を持った患者が、散々振り回され価値観をぶち壊され現 状は変わらないものの、物事に対しての見方を変える事で治癒するというのがパターンなのだ。普通なら相手にされない男が優れた肩書きを持っている事の矛盾 と結果オーライが見所なんだろうと思う。しかし、この小説にも弱い所がある。患者達はこぞって物の見方を変えただけ、つまり考えを少し変えてみただけなの で、現状を打破する行動に繋がっている場合もあれば無い場合もあるのだ。ある場合は治療は成功しているし、読者からしても納得行くが、ただ変に納得してし まった場合はモヤモヤが残る。人の考えなんてコロコロ変わるからだ。現状が=行動様式が変わらなければ、その時は納得してもまた心の壁にぶつかってイタチ ごっこになるからだ。そんな物語をアニメ化するのは難しいだろう。そして案の定、やっちゃったな…。伊良部がぬいぐるみになったり生意気な子供になったり している。彼の内面を戯画化してみせたのかも知れないが、何度でも言うがこの小説は『彼のあのビジュアル』に負う所が大きいのだ。なので一番やっちゃいけ ない事をしてしまった様だ。あと、紙に描いたものを画面に動かすアニメなら押井守の『立ち喰い師』の方が独特の世界観が出ている分マシ(でも内容がつまらん)だが、やはり同じくこういう見せ方をした作品なら『猫目小僧』が一番面白いwよ。
 原作 奥田英朗 文春文庫巻 『空中ぶらんこ』アニメ化は2009年

★個人サイトの明日はどっちだ?!

 今や簡単操作で誰でも作り易いもんだから皆ブログに流れて行く。皆もやってるからやる人も多い。だけど、検索してヒットしてそのブログに飛んでから先、欲 しい記事に辿り着くまでが結構苦労する時がある。あれって日記だから、検索エンジンが読み込んだ時点のキャッシュからタイムラグがあって、今現在の全然違 う記事が表示されたりする事もある。おまけにその主題をシリーズで分けて書かれ、カテゴリー分けがして無いブログだと、もうどこに行ったら良いやらちんぷ んかんだ。個人サイトの方が丁寧で分りやすい。第一、イラストサイトなんてピクシブに行っちゃってて開店休業の所も増えて来たし、ブログに日常の行動を晒 されてもね、特別な事が起こらない限り面白く無い。書いてる本人も段々それに気がついて、書く事ないってかマンネリに嫌気が差していつの間にか消滅し、ま た別の所で"皆やってるから、やっぱりやってみようか"と気軽に復活してまたいつの間にか…のエンドレスw。それだからこそ、芸能人のブログが大流行りす るんだろう。刺激的な世界で裏ネタとか意外な暴露話とかありそうだし、面白いに決まっているからだ。そうは言っても所詮はサイトもブログも自己満で書いて る訳だから,仲間内で馴れ合いコミュに徹しようと何しようと用途は自由ってのが基本っちゃ基本。しかし、である。一応公共の場であるというのは忘れない方が良いと思う。簡単に作れるとその不特定多数に発信しているという自覚が希薄になるし、削除も簡単だから、益々チラ裏が増えてはすぐに消えるを繰り返すんだろう。しかし、減ってある意味嬉しいのが素材サイト。一時期雨後の筍の様に乱立していた。特にランキングなるものが流行り始めた時がそうなのだが、これはイライラし通しで気が狂いそうになった。その分かりにくさはブログなんかの比では無い。どれもこれも申し合わせた様に『どこが入り口かわかんねえよ!』な作りだった。書かれている文字もみんな揃って極小だし、ランキングバナーなのかサイト内リンクバナーなのか良く見ないと、ってか見ても判らない。ランキングバナーへのリンクでページ一面埋め尽くされている。これには、混乱させてランキングバナーだけ押させて素材は渡さん、みたいなセコさってか、底意地の悪さを感じたね。ごめん、悪口っぽいけど、実際そうです。だって素材って使ってもらってなんぼなんじゃないの?出し惜しみするなら何でやってんの?だが、やはり皆もそう思うのか、今では大分マシになった(少なくとも入り口は判る様になった)そして淘汰され大方優良なものが残っている様だ。勿論残党wはまだまだいるが。このサイトと言えば、ブログ化はない。とゆーかブログ化した方が面倒臭い。おまけにブログはデザイン的にも面白く無いし自由度少ないのでやってて飽きるだろうから性格的にダメだ。私は基本、自分の思い通りにやりたい剛田武タイプなんでw他の人達はブログをトップページに設定して、コンテンツは他のプロバイダーの自己サイトにリンクさせている。ブログ取っ掛かりにして見てもらう戦略だ。個人サイトやってた人は本当にそうしてなんちゃってブログにする人が多い。(その為にそのリンク記事を常にトップに持って来る為にその日付けを数年先に偽装というタイムラグを利用した工作を…)ブログなんてそんなもんだ。それにブログの何が嫌いッて、書いてる記事の途中に広告挟んで来る事だ。あと拍手とかいうボタンがウザい。余程欲しい記事とか為にならない=楽しませてもらわない、限り押さないっつーの。それと日記だから毎日更新され、書かなくてはならない様な義務感を感じさせる押 し付けがましさが特にイヤ。かく言う自分もまあブログも持ってるが、それはサイトに載せる程の内容でもないが捨て去るには惜しいと思った記録達の完璧保管 庫なのでそこで完結していてリンクはする価値が無い。このサイトにはイラストもあるが、それは単に自己満な評論や感想やそういうものをただ書いただけでは 誰も見ないだろうから、その対策として人目を引く為に載せているのである。と言ってもここはテキスト系でもない気もする。実際初期はゲームファンサイトから始めたし。今はまあ自分が興味をもった面白そうなもんは萬何でもやるってのがこのサイトのコンセプト。ちょっとアレっぽいが要するに『今後とも宜しく』、って仲魔を思い出した〜( 爆
 検索エンジンもお金を出してる企業のサイトを検索の上位にランクインさせてるよねっw最大手の所なんかは知名度だけで検索されるからそんな必要無いし、堂々と広告バナー出してて潔いけど。
 あとpixivもよく投稿者が題名を『落書き』って書いてる。落書きレベルをよく載せたい気持ちになるよね。公共の場なんだけど。pgr されるの覚悟?いや、そうではあるまい。所詮落書きだから、と言い訳してpgrして叩かれても痛く無いように防御してるんだろう。なんか惨め臭い。
 ツイッターも流行りだが、主旨が【ブログより気軽につぶやき程度のチラ裏を垂れ流してね☆推 奨!】というのだが、人間は何気ないつぶやきこそ多くの(個人)情報を漏らしてしまいがちなんだが、気付いて無いんだね。つぶやきの断片をつなぎ合わせる と(リア友のフォローが特にそれをフォローするw)…手軽度が高いと匿名性が反比例して低くなる!ってこわーい…。
★夢占いで未来予知
 
 夢占いのオーソリティとか言う人の説によると、社会的な事象は無理だが、個人的な未来予知については、自分の見た夢を占う事により夢見人の抱える問題点 と起こりうる出来事、そして時に解決されるであろう方法のヒントなどを読み解く事が出来る。(その確率は7割強らしい)ただの占いではない理由は全てを知 る者がきちんと情報を提供している点で、なのに当たらない方がおかしいと宣う。夢のフェイクやまやかしに引っ掛かる夢術者=夢を読み解く者、の腕が悪いか ら当たらないのだそうだ(すんまそん)。他の占いは本人の願望を反映したりする意識に左右され易いが、夢は無意識なので嘘が付けないのだ。だが、この単純 な夢合わせだけではまだ鑑定結果が不確定過ぎるので、更に○種類のある事をする。と、この占いの特に未来予知の確率は飛躍的に跳ね上がる。 〈見料も飛躍的にア〜ップ!?w〉時に9割越えるとか(最初『嘘くせぇ!』と思ったのだが…)実は一回だけ参加した事がある=夢合わせの勉強の為に援護射 撃役、つまり補助的な役割として。だがもうやらん。アレは神経擦り切れる。キリキリ張りつめ過ぎてて涙目、別世界を見そうだ。いや、もう少しで垣間見れた かも知れんw。しかし脳みそ振り絞って考えて考えた末に天啓が降りて来た時のあの凄い達成感は病み付きになるかも知れない。尤も某さんも最近ではそういう 変則的なのは滅多にやらないらしい〈精神的とかではなく、あまりにも俺様だからだ、つまり人望の問題w〉このやり方はその境地まで到達不可能な占い師共 が、ただやり方だけを真似してやると相談者が不利益を被る=確かにエセ占い師達にとっては手抜きして儲かるんで=技量が低いと適当にやって結果も曖昧にす る、つまり占ってもらう方は代価と内容が見合わなくなると思う=絶対損する、危険性があるので明かせないが、確かにこれなら的中率は飛躍的にアップすると 思う。個人的には非常に興味深いので、近い事をやってみたいがそこまでの叡智を集めきれるかわかんないので=パーだし、ヘタレだからwム〜リ〜です。
 世情が不安定になったり、思い通りの人生を歩めないと欲求不満になる。すると人間は破壊的な気持ちになる。それが終末思想を支持するのだろうが、その結果荒野と化した地上に生残るつもり満々なおまいらは、そこで一体何をするつもりなんだ?と聞いてみたいものです。
素材サイト First Moom
★映画キクロプス
 注意: 妊婦の閲覧は自己責任でお願いします。
 
あらすじ
…高校生『みゆき』は産婦人科医の兄『享』とその兄嫁と三人暮らしだ。兄嫁は妊婦でみゆきは新しい家族が増えるのを楽しみにしている。ある休日、 原宿のホコ天で友人と遊ぶみゆき。それを監視するかの様なスーツ姿の男達がいた。そしてみゆきが兄に連絡をする為に公衆電話を捜しに行っている間に、若い 男がみゆきの友人『ゆみこ』に声を掛ける。「高森みゆきさんでしょう?」ナンパ男がイケメンなのでうなずくゆみこ…。眠らされて裸にされたゆみこは、手術 室の様な設備ある部屋で医者と思しき中年男と若い助手の男に身体を検査される。外で待つナンパ男始めとする男達の元へ医者が出て来て「普通の人間の女の子 だ、」と告げる。その時助手の男=ゆみこの身体を覗きまくり医者の見ていない所で触りまくるスケベ男、が脱がした服の中から身分証明書を発見して持って来 る。人違いに気付き、地団駄踏んで悔しがるリーダー格の中年男。国家公務員なのにこんな仕事をしなくちゃいけねえ! とか口汚く喚き散らす。それを冷ややかに=呆れて見ている一同。怒りが治まらないのか中年男はサングラスを掛けた大男『曾根崎』に八つ当たりで掴み掛か る。その騒ぎでゆみこが目を覚ます。ゆみこは事態が把握出来ないまま立ち上がる。が、そこへ男達が戻って来る。ゆみこは悲鳴を上げて逃げようとするが、取 り押さえられる。麻酔が効きにくい体質だったらしく、予定外に早く目覚めてしまったのだと医者は言い訳したが、リーダーの男は顔を見られてしまったと言 い……。翌朝、パジャマ姿で走っているみゆき。空き地に駆け込むとそこには人だかりがあり、首を絞められて殺された裸のゆみこの死体があった。運ばれて行くゆみこを見て泣き崩れるみゆき。後から追い掛けて来た兄がみゆきを優しく抱きしめる。そんな二人を見 つめるサングラスの男に気付く兄の亨。サングラスの男はサングラスの上から片方の目を押さえて笑った。家に帰り恩師である医学博士の高沢のカルテを見る 享。奇形の1つ目の赤ん坊の写真の下に『michio sonezaki 』の名前を見つける。同じく家に帰ったみゆきは嘆き悲しみベッドのシーツにくるまりのたうち回る。シーツからはみ出た手足の数が増えている。デニーズで打 ち合わせらしい男達。リーダーの男がやって来て曾根崎に死体の始末方法について文句を言い出す。が不敵に笑う曾根崎。病院では兄の亨が同僚の医師から妊婦 である妻を早期入院、その妊婦への薬品の投与、運動もさせない訳を問い質されるが、亨は「普通の父親と同じで最高の赤ん坊が欲しいだけだ」と言う。錠剤、粉薬、カプセルの大量の薬を飲む兄嫁。みゆきが見舞いにやって来るが大量の薬の空をそっと捨てて何食わぬ顔をする兄嫁。見舞いの帰り道、みゆきは曾 根崎と出会う。「誰かが悲しんではダメだと教えてくれたのか?」と【心声=テレパシー】、で言われ酷く驚き逃げ出すみゆき。その後へ車が止まり「何故何も しなかった?」と曾根崎を責めるリーダーの男。「あの子は普通の人間だ」と言う曾根崎に、「高森=享、が妹として側に置くのはそうでは無いからだ」、と核 心を突くリーダー。そして後部座席にいた中年医師は最初から懐疑的で茶番に付き合わされているという趣旨の事を言い出す。みゆきを付けねらうナンパ男を密 かに撃退=殺、する曾根崎。その後曾根崎は亨に接触する。そして、博士の研究には重大な欠点があると言う。それは外見を人並みに近づける事は出来てもそれ は恒久的な事ではなく、頭部に激しい衝撃や損傷を受けたり激しい感情がリミットを越えると元の姿に戻ってしまうのだと言う。その証拠と言い曾根崎がサング ラスを外すとそこには蠢く赤い肉と粘膜の中に埋没した1つ目があった。曾根崎は亨のしようとしている事=わざと奇形のミュータントを作り出す は、ただ自分の存在を正当化したいだけだと語り、その研究を阻む為に赤ん坊諸共殺すと宣言するのだった。病院の見舞いの帰り道でみゆきは再び曾根崎と出会う。曾根崎は亨の恩師高沢の話を始める。10年前の鼠に使った殺鼠 剤は今の鼠にとっては食料に過ぎないと言う事実=耐性、の理論を人間に当てはめたのだと言う。そして急に亨は実の兄ではないし、本当は普通の人間ではなく 二重胎児で特殊な身体をしていると言い出す。しかし、みゆきはそれでも構わないし亨が好きだと言う。なおも亨から離れろと赤ん坊が産まれる時恐ろしい事が 起こるとみゆきに激しく掴み掛かりながら言う。それを振り払い逃げ出すみゆき。みゆきの誘拐から産まれた赤ん坊を強奪する計画に切り替えたらしい男達は病 院に車を走らせていた。その頃亨は同僚の医師に今夜赤ん坊が産まれるので取り上げて欲しいと頼む。不審に思いながらも承諾する同僚医師。曾根崎は急に車を 停車させ、後部の隣の座席に座っていた中年の医者に殴り掛かる。血塗れになり苦しむ医者。「何をするこの化け物が」とそれを見てリーダー格の男がぶ。それ に対して曾根崎はリーダーの首を絞めて殺す。そして「赤ん坊は俺が殺す」と静かに言う。曾根崎の存在を【感知した】亨はメスを手に持ち迎え撃つ準備をした。そしてエレベーターで処置室へ向かおうとする曾根崎の元に乗り込む。陣痛は始まり兄嫁は絶叫を上げて苦し む。それに付き添うみゆき。その頃曾根崎は胸から表皮のない真っ赤な腕を突出させ亨を襲う。体格差もあり曾根崎に一方的に蹴られ殴られ攻撃され瀕死状態の 亨。その状況を感知したのか、みゆきが兄の姿を求めて走り出す。エレベーターの中ではなおも死闘は繰り広げられる。そして曾根崎は「お前は自分が可愛いだ けだ。人間の姿のままでいたいんだろう?=その姿で居たいから反撃も出来ないんだろう」と言い「その姿のまま殺してやる」と言う。意識が朦朧としている亨 はみゆきが自分を呼んでいるのに気付き、ついに反撃に出る。腕の中から赤い腕が突出しメスで曾根崎を突き刺す。曾根崎は絶叫し、それに呼応するかの様にエ レベーターの機械類がスパークする。と見る間に曾根崎の姿が変容し始める。顔の皮膚が真ん中から弾ける様に割れ、肉塊の様な顔が飛び出す。同じく亨も左頬 がぶくぶくと膨らみ割れてもう1つの頭が出現した。二人に分かれた亨は「子供は殺させない」と言い、一人の亨は口から触手の束を出し曾根崎に絡み付き動き を封じる。そしてもう1人の亨がメスで曾根崎の腹を裂く。曾根崎も裂かれた腹から触手を伸ばし亨に絡み付き殴り掛かる。二人の身体はどろどろと溶解し始め る。その様を【クレアボイヤンス?】したのか察知したみゆきは泣きながら兄を捜し続け、エレベーターの前に来たが到着したその中から飛び出して来た肉塊に ぶち当たり後ろの壁に激突し一瞬気を失う。気を取り直したみゆきだが、壁に激突した衝撃で頭にダメージを受けてしまっていた。顔から血が溢れ出し元の姿に戻りそうになり顔を押さえながらのたうち回り兄に助けを求めるみゆき。肉塊に成り果てた亨は最期にみゆきに感情を抑える様に言うが、みゆ きの顔は溶け変容は止まらない。その頃、看護婦は悲鳴を上げ同僚医師は腰を抜かしていた。産まれたぶよぶよした巨大芋虫は床の血溜まりに落ち蠢いていた が、急に猛スピードで動き出す。みゆき、みゆきと呼びかけながらみゆきの元へ。みゆきはそれを感じ取り「赤ちゃん」と手を伸ばす。その瞬間芋虫はみゆきの 顔に飛びついた。同僚医師が恐る恐る血と粘液の後を辿るとそこには得体の知れない巨大な肉塊と血塗れのみゆきの姿があった。みゆきは立ち上がり二三歩歩い て振り返り兄だったものを見て「名前、考えなくっちゃね」と言った。--画面白光して完--

 まあ、まとめるとこんな感じの物語です。テーマは環境汚染を続けて行くと奇形の発生頻度が高まるが、それも環境適応の1つの形態としての進化ではないの か?しかし、それは現代社会では人的淘汰を受けてしまうので人為的なメタモルフォーゼで人並みの身体にして生きながらえさせる。彼らは不完全な身体を補う かの様な特殊な能力を持っている。←この辺が人の残酷さと対比させて救いを求めているんだよね。救われたいとか報われたいとかそういった足掻きみたいなも のがある。それがとても切なかったりする。そういうものを飯田譲治は持っているからというかそれが特色の様な気がする。あくまで私見だが。だから、人を突 き放しつつも足掻く物語は、人の中にあって協調しながらもリアリズムしか感じない人間達には書けない物語だろう。そういったものに少しの憧れはあっても本 質的にはやはりバカにしている=差別する側の人間だからだ。
 飯田譲治『キクロビデオプス』にっかつビデオ 52分
パッケージ解説より〜キクロプスとは……重度障害のため生存の望みを断たれた新生児たちの形態のひとつである。ギリシャ神話に登場する一つ目族の名にちなんで、そう呼ばれるようになった。
 曾根崎役に『阿藤海』が出ている。ガタイの良い男だ。しかし、謎の組織=国家公務員らしい。のリーダー役の人、容姿は
いかにもで良いんだが滑舌悪過ぎで何言ってるか判んねえ〜。原宿のホコ天はなつかしー。女子高校生の制服のスカート丈がふくらはぎ丈だwポニーテールとか聖子カットとか、ウインドブレーカーとか公衆電話とかクレープとかポッキーとか当時の風俗が見どころ満載!!
★砂の器  玉木宏が主役のテレビスペシャル版砂の器と映画版の感想。
 前に砂の器に関するレビューを書いたつもりだったが…無いね。八つ墓村の時に書いた様な気がしてたけどまあいい。野村芳太郎の映画板砂の器では不覚にも涙 してしまった。ドライな私はドラマで泣くなんてほんとに有り得ない事なんだが、唯一泣いてしまった名作である、ので今回のドラマ版も見てしまった。玉木君 は声が良いし、最近痛々しいやせ細りぶりから回復したんで容姿もオッケーなんで見てみたのである。今回は、何か映画版を意識し過ぎじゃん?まあ、意識する なと言うのが無理ではあるけどね。何しろ名作だし。映画版を意識した時点で負けているのではないか?でも、うん、映画の劣化版とまでは言い切れない出来で はあったと思う。何しろ二夜連続二時間というのはやはり長編小説を映像化するには強みである。ドラマ見て良いと思ったのは、時代が昭和でもやはりドラマの 世界だった事。映画版は生身の昭和臭が漂っていた。道路には煙草の吸い殻、ガムの噛みカス、プルトップが散乱していた頃のあの昭和。昭和を今の平成の世で 描く時、それらのゴミゴミしたドブ臭さが無くなる。それを良いと取るか悪いと取るか、であるが、昭和と言う時代を回顧する時に郷愁に美化するか、それとも 辟易するか?で違って来ると思う。私はあんな時代に戻りたく無いんで、その空気を浄化して良いとこ取りした様なこの映像は、嘘くさいが嫌いではない。こん な小奇麗な虚構の昭和の方が好きですらある。まあこの辺は人によって正反対の意見を持つんで私見に過ぎないが、三丁目の夕日がアレ程流行った事からもあながち間違いでも無いと思う。若い刑事視点というのも新鮮だし、意味不明な存在ながらも、中谷美紀の演技が良いので見てて得 した気分になれたし、ただね、肝心な事件の動機と顛末が正直ちょっとショボイ。あのタブーに挑戦した映画版を越える位の動機付けがなされていないから、仕 方ないのだろうが、根本的に弱者が日の目を見たいと足掻き苦しむのが無い、からダメなのだろう。この社会的弱者が成り上がる為に陰謀を巡らして、それを掴 む一歩手前で挫折するという主題が描き切れてなかった気がするんだが。(と思うと唐突に映画の天城越えが見たくなってしまったりするのだった。やっぱ野村 芳太郎監督そのテーマで描くの上手いよ。田中裕子もその頃良い女優だったんだけど、ジュリー……罪な人だよ。)ドラマ版で力を入れなきゃならなかったのは 音楽。これは映画版からの流用か?と思わせる程似てたような気がする。音は門外漢なんで何とも言えないが、その素人の私が似てると思っちゃうんだから不味いだろう。そしてあのお遍 路、根本的な動機となりうる病苦が無いのなら、このお遍路の意味は無い。映画版のお遍路は救いを求める旅、魂の救済の求道の旅である。だからとても意味深 いもので、見る者の涙を誘うのだ。あの圧巻な映像の意味を、その意義をドラマ版は理解していただろうか?別の部分では、玉木版も悪くは無かったと思う。映 画版は序盤ドキュメンタリー風であるがゆえに、事件を追っての人間描写がある意味稀薄であるが、クライマックスに向けての盛り上がりが、収束に向かう一点 へ向かってのエネルギーが凄い。全てを手に入れたと思っている男に、逮捕状をもった刑事が待ち構えている所で終わり、だったのも盛り上がるだけ盛り上がっ てカタストロフィーの結末を知らされつつも、その場面が無い映画版は視聴後の余韻を持たせるこの手法は流石に劇画というか映画的だ。結局、映画はそれゆえ に名作となりえたのであると思う。玉木版は、というと各人間描写が掘り下げて描かれているだけに、放浪シーンは映画を思わせるものの、散漫な印象になってしまった。もうむしろ放浪シーンは大胆にカットして、もっと刑事達が丁寧に捜査するシーンを増やした方が良かったのではないか?とも思われる。テレビドラマ版としては健闘したと思う。頑張ったよ。

某日、市の動物公園に行きました。やっぱ、秋だね。夏はうだるから出掛けたくない。秋は過ごしやすくていいよ。で、展示室なんか見ていたら、来園者の今年 の一枚投稿みたいなのがあって、去年の投稿で大賞?取ったのが『日本カワウソの親子』を激写したものだった。レッサーが下火なんで、今度はカワウソ推しな のか?と思い、「あらや」のカワウソを探して激写だっつ! と思ったら巣穴から出て来ないでやんのwと言う事で、ほのぼの写真の被写動物を探してたら…。おおっ、居たではないの! 鳥よ鳥よ鳥の歌〜♪。しかも仲良しさんだし、と角度を考えたり、動きを追って撮ってみた結果が、←これだっ!!(上)この鸚鵡、最初は仲良く寄り添って何か内緒話してる様な仕草で、良い感じジャンと思っていたら、急に交尾はじめてんの。しかも、良く見ると後ろでゾウガメ まで交尾…。何たる事。ここには幼稚園や小学校低学年のいたいけな子供達が大勢いるというのにっ! いや、これが自然の姿を見せる動物園の正しいあり方なのか?って、そんなわきゃないな。事故だね。まあ、こんなの動物園の激写一枚には応募出来ない事請け 合いだが、このサイトには載せられるだろうと思い、消去せずにおいたのだった。今回はラクダが泡吹きまくってたり、象が物陰に隠れてゼンゼン見えなかった りと、ビミョーな写真が多かったけど、まっいいかwww。比較的まともな猿山ほのぼの写真(下)は一見仲良しに見えるが、良く考えると、これって力関係が 明確だよね。左に行く程権力者って事w弱肉強食
カワウソは人を化かすのである。人間に化けるのだが、「誰じゃ?」と聞くと「おらじゃ」と答えるが、「お前はどこの何者だ?」と言うと「あらや、かはい」と意味不明な事を答えるのである。カワウソはバカだから、質問が難しくなると理解できないのだ。

戦う女、の正体
 まず、言っておくけど女は女同士の小競り合いくらいは日常茶飯事である。なぜなら、それすらもコミュニケーションの一部だからである。女と言うものはかく も他とつながりを持ちたい欲求が強い生き物なのである。それは本能であるから仕方が無い。そもそも肉体的に弱く、ゆえに共同作業で補い合いながら生きて行 くのに向いているのが女である。女が群れたがるのはそう言う訳なのだ。男とは違う。だから女は根本的に暴力=戦いには向いてない。と言うか、男と居れば女は自分が戦うなどとは決して思わない夢にも思わない。 では、アニメなどで女が戦っているが、アレは女から見れば実にバカバカしいの一言で切り捨てられるのである。そしてその意味を良く知っているので、オタク をバカにするのだ。では、戦う女の正体とは何であろうか?簡単である。女は男と共にいれば戦わない、が、それ以外で戦う場合は確かにある。それは、子供の為、である。子供の為なら女はゴリラとでも戦うだろう。叶わないと知ってても子供を逃がす時間稼ぎが出来れば良い、と思って身を投げ出す=戦う、事もするんである。つまり、戦う女を求める男、は戦う女=お母さんを求めているマザコン男、の事なのである。では、何故少女の姿なのか?それは2つある。男が他の男を貶める時、「母ちゃんのおっぱいでも吸ってろ」である。だから大人の女の姿では描かれないのだ。そしてもう1つ。大体、自分が子供の頃は母親だって当然若い。若くて自分を守る女=若い頃の母親なのだよ。それを見抜くからこそ、女はオタク男=マザコンを回避するのだ。子供とマザコン旦那の面倒なんてキモくて見たく無いからである。良く戦う少女を描くのはロリコンだと言われるが、とんでもない、どう見ても筋金入りのマザコンです。ほんとうにありがとうございました。www
 草食系?僧職系?女に縁が無いから酸っぱいぶどうって訳じゃ無いよね?だとしたら、物凄く情けないんだけどw
★フラメンコ発表会の見学
 まずフラメンコとは?だが、スペインの舞踊である。しかし、ただの踊りではない。それを知ったのは、市民レベルでの所謂文化センターのカルチャースクールの発表会である。運動が好きでは無い私には、まあこういうのも何なんですが、遺伝レベルで体型的に足の形質上歩き方が独特なので、こういう舞踏には向かないのですよ。それを熟知しておりますので無謀な事=ダンスを習う、などと言う事は有り得ないのですね。よって、何の興味も無かったのですが、身内からの招待しかもチケット購入させられたのでは、行かない訳にもいくまい。と言う事で見て参りました。
 で、早速本題に入ります。私は全く予備知識無しにフラメンコというものを見に行ったのですが、こういうのって趣味でやっているせいか、個人差があるのでかえって善し悪しが見て取れるものなのですね。30人以上いる中でも上手い人は目立ちます。中でも情熱的と言うか情感的と言うか女のなまめかしさたっぷりに踊る人、と、もうひとりやたらと挑戦的と言うかこちらに迫って来る様な踊りの人がいまして、この二人が他を圧倒してダントツの踊りっぷりでした。しかもこの人達が肉体も肉感的な人なので、スマートな妹は子娘が踊っている様な軽さ、もしかしてちょっとピザでないとこの踊りは難しいのか?という結論を下さざるを得ないな、と思っておりました。先生(スマート)の踊りを見るまでは!これヤベエだろ。むしろこれって先生の発表会じゃん?という位にレベルが違い過ぎ。と言うか、お金払ったのはこれ見る為だったんだな、と納得だ。まず先生(プロフェッショナル)と生徒(アマチュア)の違いは一目瞭然でした。あー、と言っても見るんじゃないんだな。先生の踊りは音楽だったんだよね。てゆーかさ、それまで生ギターと生歌が入ってて、それBGMにしか思って無かったんだわ。むしろ、私は知っての通り何回もくどいと思われるかもしれないけど、ゲームの音楽すら最低か無音にしないとイライラする位音が気になるんで、その演奏もたまに耳が痛えぜ=うるせえ、としか思って無かったんさ。いや、これが先生が踊り出すと、ええっ!だよ。その足で繰り出すフラメンコのリズムが音楽と一緒になってるし。音楽を引き立てて、音楽も踊りを引き立てて、まさに渾然一体。踊りが音楽になった瞬間を見たぜ。これがフラメンコだったんだよ!w 生徒達のは申し訳ないが、生演である意味が無かった。(というか、演奏と歌もプロだったんだな、実力が発揮出来る=踊りと一体感が出る、と出来ないとではまたえらく違うものなんだな、と)結論は、流石に3時間も座り続けてるとお尻が痛くなっちゃうぜ。踊
ダンス
る皆もっと良く音楽を聞け。だな。これが理解出来ただけでも行った価値はあったと思った。そして発表会が終わって…出演者たちを見たら、ヅカばりに物凄い附け睫毛とノーズシャドウの入りまくった化粧。あんたダレ?状態。遠くから見たらあんなに綺麗に見えたのに、近くで見ると…。舞台の化粧は本当に凄い。しかも、おばさん達の夜は皺が凄い(ゴメン!)。そして私は楽しみレベルだろうと、この凄さ=フラメンコの神髄?を知った後では、習うなんて恐れ多くてミリ、だとつくづく思った、のだった。ちなみに義姉はフラダンス、もう1人の妹はベリーダンスと周りには矢鱈とダンスを習う輩に囲まれ居てるのだった。駄菓子菓子、私はぜってーダンスなんてやらん!
★詐欺師
 今、巷でノーベル賞の山中先生にのっかった詐欺師が出たね。アレ見てると、昔考古学で発見に次ぐ発見した人とダブるよね。どっちも本職ではなかったと言う 所までソックリ!。しかも、素人の私が見ても怪しさ爆発で、『そんなバカな話があるかっ!』と思った所までまんまで笑える。だいたいさー、研究第一人者の 山中先生に先んじて培養と移植まで済ませてるなんて考えられます?その研究に山中先生が絡んでないんだよ?ウソ臭さ全開じゃん爆笑。素人の私でもおかし いって判るわ。考古学の人は何百キロも離れた遺跡で、石器の欠片がぴったり合ったとか言う、噴飯ものの話。アレを新聞で読んだ時に、私はまだ義務教育中 だったが感想は【くそったれ】だった。てゆーか、これ新聞に載せてる事自体異常だろうと思ったからである。まともに考えたら有り得ないっつーの。それが世 界に7つ位しか発見されてないナニかの1つが別の場所から見つかったなら、古代にもその地域で交流があった証拠になるよ。でもねー、爪の垢みたいな石器が ぴったり合わさるなんて詐欺もいいとこだって小中学生でも判る事を真面目に新聞に載せちゃう辺りで、変だと思ったし、発掘ってグループで行ってる訳だから参加してる人 も変だと思わない所に何か、欲得づくのナニかがあるなと思った。しかもさー、学校に行ったら狂しが得意そうに話してるの聞いてこいつバカだ、と思ったね。 田中角栄が中卒で総理大臣になって偉いとか言ってたけど後にロッキード事件起こしたし。その結末も「記憶にございません」で関係者逃げおおせるんだから、 日本は腐ってると思った。正義なんてナイナイ。そのうち殺人も記憶にない、で誤魔化すんだろうと思ったら案の定心神喪失とか出て来てワロス。今回も研究費 云々で金が絡んでるよね。詐欺は金が目的だから。詐欺の張本人はバレないと思って大真面目に名誉欲むき出しで動いてると思うけど、周りの薄汚ねえハイエナ 達はそうじゃない=金、からなあ。いつかはバレると知ってて隠蔽に加担してうまい汁吸ってる、責任だけはこいつ1人に被せて、こっちも騙されたとか被害者ぶって責任を逃れるんだよね笑。それが子供心によっく判ってしまったので、まあその時から私は歴 史みたいなのはあんまり信用してない。第一記録なんか曖昧なものだし、手紙や日記みたいなものだってバリバリ主観で書かれているから事実とは言い切れない よね。だいたい聖徳太子も居ませんでした、年号も今と昔では違いますってさあ、…ノーベル賞に考古学賞がないのって納得。賢明だねwだいたい大昔の人間が今の人間に何してくれるのさ?遺跡なんて家建てようとして見つかっても面倒だから埋めちゃうみたいだよ。それが現実。
 詐欺のやり口を逐一見た事がある。うまく話を作るんだよね。よくよく常識があれば、と言うより詐欺ってその(作り)話に興味がない人が客観的に見ると、すぐに話に矛盾だとか荒唐無稽な事ばっかりあるのに気が付いて変だ!と判る。んだけど、一獲千金とか狙う山師が絡むと大変な事態になる。笑っちゃうよ。登記とか名簿みたいなの見たけど、錚々たる面々。ここで実名言うとヤバい人達とだけ言っとくねw 実際にそういう人達が絡んでるのか良く判らない。恐らく名義貸してお金取って生活してるのかも知れない。中心人物は物凄い熱意で周りを説得しまくってお金 を出させる。で、集めるだけ集めてドロンとお金だけ消えちゃう。見事なものでした。中心人物は結局、手駒に過ぎなくて、どこにお金が行ったのか判らないん だってさ。笑えるでしょう?↑もそうだと思うよ。