トークイベント その2 ソノシートと主題歌

主題歌LPソノシートと言うのは、セロファンの様にキラキラした、薄っぺらいビニールで出来た小さいレコードの事です。
今で言うと、雑誌に付いて来るCDやDVDのような存在だった、と考えてもらえれば良いです。
左の画像は主題歌LPですが、昔買いました。しかし、今はもう手元にありません。が、これだったか、別のものか?四枚組の主題歌LPも買った覚えがあります。
手塚先生というと、漫画とアニメです。
特撮なら石ノ森章太郎です。石ノ森漫画は結末が、暗くてダークで後味の悪い物が多すぎるので、漫画なら手塚治虫の方に、私は軍配を上げたいと思います。
とはいえ、手塚先生もしっかりと特撮作品を作ってらっしゃいます。
変身途中の描写が、メチャメチャ怖かったバンパイヤや、ヒーロー物のサンダーマスクなど。
でも、中でも怖かったのが、マグマ大使のゴア様(なぜか様付けw)
後年、シュメール人の粘土人形見て、即座にゴア様を思い出してしまった。
あのまばたきしない、大きな黒目。銀粉まぶしたような顔。ガチムチボディー。りっぱな牙。そしてあの、おかんパーマ。『ギャー、マグマ大使ー早く倒してー』
どれをとっても気持ち悪っ!子供を恐怖のずんどこに陥れるに、十分な造形なのでした。
急にそれを思い出したのは、マグマ大使テーマ曲秘話。
知る人ぞ知る。本人も忘れていたという、歌の合いの手カシーン×3の声をあのアトムの清水マリさんが入れられていた、と言うことと、彼女の御尊父がアース様(この様の使い方は正しいw)だったという豆知識を、披露されたからでした。
その他には、今年お亡くなりになった、作曲家の冨田勲さんの話など。
シンセサイザーの機械をアメリカから買った時に、そのものが前衛的過ぎて、税関で(もちろん船便)シンセサイザーを理解できずに、差し止められて仕方なく、倉庫を一ヶ月借りて入れて置き、その間に証明書(これは楽器です)を取り寄せた、という話でした。
私にもっと音心があれば、もっと面白く聞けたかも知れませんね。

 トークイベント その3 みなもと太郎氏のほぼ独演会

参加賞みなもと太郎氏といえば、私はむしろ少女漫画から。(古いけど)
少女フレンド(ホラー漫画満載)と少女コミックとマーガレット、が少女向けの週刊誌だったころの事です。(今は知らん!)
そのころ、(またはもう少し後)私は高階良子の伝奇シリーズにハマってました。血まみれ観音サイコーです。
みなもと太郎氏も、長くてやはり今では大家なので、生き字引的な話を多数されてました。
が、いかんせん話が飛び飛び(スライドも飛び飛び)なので、一つ一つの話は興味深いものの、内容がまとまりに欠けてしまい、今ひとつの感が拭いきれませんでした。
その話の中で、さいとうたかをは劇画的である。そして、手塚漫画は映画的と言うのとは異なるのでは?というお話がありましたが、私は劇画イコール映画的、とは思いません。
なぜなら、実際にゴルゴは映画にもなってもいますが、これからも実写化したとしても、たいして面白く無いと思います。
絵や道具、ストーリーがある程度リアル、というか、リアルを追求し過ぎたものであるために、映画には向かないでしょう。
実写化というより、ドキュメンタリー風味が強いものになってしまうだろうし、暗殺も職人的な、時には神業の技術と緊迫感が持ち味なので、絵にすると実に地味、だと思うのです。
逆に、映画とは何が出来る物なのか?を考えた時に、手塚漫画が映画に向いているか?を考えれば良いのです。
ここで映画論をしてもしかたがないので、止めておきますが、私はやはり手塚漫画は映画的である、と断言できると思っています。 

 私の所感 その1
みなもと太郎氏の発言で、ハッとさせられたのは、明治の民族学者と同じ事をおっしゃっていたからです。
それは、紙芝居の光景のスライドを見て、「紙芝居そのものの記録を撮る事ではなく、それを見ている子供たちが写っている事に意味がある。この子供たちの気持ちを理解する事が一番大切な事なのである。」と言った事でした。
紙芝居は、戦後の日本で発展した日本固有の独特なものである。
なぜ、外国ではなく、日本でこのように発達したのか?
それは、子供たちが求めたから、渇望したからに他ならず、それを物余りの現代の心で理解しようとしても、到底難しい事でしょう。
その心を理解しなければ、事由の本質はわからない、と言う事なのです。
つまり、世を隔てる程にその当時の人間の心は、計り知れなくなって行くのですが、文明が進み続ければ、それに伴って人の心もまた、推し進んで行くのは当然の事である、と言う事です。
高々百年余り前の事すら、我々には理解しにくくなっています。
それを、それ以前の明治の人が言っている程ですから、言わずもがなでしょう。

 私の所感 その2
そう考えて行きますと、甚だ残念な事が見えて来ます。
昔の心のままで、手塚治虫を応援する会を作っても、今の人に受け入れられるのか?
という疑問が湧いて来ます。
究めて行くと、今強力に支持している世代と共に、手塚漫画の支持も失われる危険性もあります。
色々思う所はありますが、……、正直ギリギリです。
私で、ギリギリ、なのです。この講演に参加して、ほぼ理解できる内容だと感じられたのは。
マニアには遠く及びませんが、私もそれなりに漫画を集めたり、テレビを見たり、レコードを買ったりした青春時代を送っていましたから。さりとて、私にもこの集まりは、あまりにも敷居が高かったのです。
そして、若い人=愛は地球を救うのアニメを見ていた頃の世代、ですらもう40代です。
それでも、なおかつチンプンカンプンのようですよ。
つまり、この会は若者という新規を取り込む力は皆無です。
趣旨が、そもそもそういうものではないからです。
でも、それは仕方のない事です。参加しているファンに取っては、それが居心地の良い、マニアックな集まりですから。
その人たちのためにこの会をやらなくなったら、今度はこの人たちが離反して行くのは、目に見えています。
この会で、二兎は追えないでしょうね。欲張らない事です。
もし、新規ファンが欲しいのなら、別の集まりを開催するべき、なのでしょう。

このページのトップへ