2016年12月3日

 手塚治虫のファン大会というものに、一度は出てみたいものだと思っていました。
特に、慎ましやかに個人サイトを運営している身であれば、どのような趣旨でそれが開催されているのか?には非常に興味があり、それを確かめずにはいられなかったのでした。
 とはいえ、この会の講演のテーマが音楽であったのを、前もって知っていたならば、参加していたかどうかは、残念ながらかなり疑問です。
それ程までに、私楽器も歌も苦手なのです。
今回は、それでも目的は果たせたもの、と思っています。ある意味楽しく、ある意味残念なものであった、と言うのが私の結論です。

 トークイベントその1 『アトム誕生秘話』 について

音関係には、難色を示す私ですらも、大御所とされる人(高井達雄氏)の話は、非常に楽しめました。
手塚先生とピアノの連弾で、曲を作り上げた事があると言う逸話も、それで先生がピアノを弾かれるのだ、と初めて知りました。
失礼ながら最初、高井氏はご高齢とお見受けしましたので、トークへの不安もありましたが、終わって見れば一番話し振りも、話の構成もしっかりとなさっておられた様です。私はそういう思いました。
 そのアトム秘話ですが、この開場する前の待ち時間に「ある街角の物語」を上映したのですが、その音楽も担当なさっていたそうです。他にもCMソングの作曲でご活躍されている、と言う事で、高井氏に白羽の矢が立ったそうです。
電話で手塚先生に練馬の自宅に呼び出され、夜九時に着いてみれば、先生いわく「明日の午前十時に会議なので、それまでにアトムのテーマ曲のデモを三曲よろしこ!」とのたまわれ、池袋の自宅に帰る電車の中の、わずか15分で一曲作ったとか。
それから自宅の前では、夜間工事の騒音の中、徹夜であと二曲作ったそうです。
そして、自分では最初の曲が気に入り、翌日先生に聞かせると、やはり最初の曲が良いと仰る。
しかし、会議の面々は、他の二曲を推したのでした。
その頃の子どもの歌は、童謡唱歌の比較的単純なフレーズのものが多かったのです。
それに対して、この曲は子供が歌うには難しすぎるのではないか?というのが理由でした。
ですが、そこはそれ、手塚先生の鶴の一声で最初の曲に決まりました。(先生のワンマンぶり、パネエですw)
そしてご存知の通りの大ヒットになった、のでした。


〜所感 その1〜
 前に美輪明宏氏が「赤ン坊や子供だからと言って、汚い言葉で馬鹿にしたりしてはいけない。赤ン坊だろうが子供だろうが人間なので、ちゃんと理解しているものだ」とおっしゃいました。
そして「良いものは、子供だろうが誰だろうが、きちんとわかるものです」とも。
私も思うのですが、子供だからと言って、切捨てて別のランクの低い物を与える、というのと難しい物を子供に判り易く、多少の改変を加えるのとでは、雲泥の差があるのではないでしょうか。
確かに、それでも完全に理解することは出来無いでしょう。
しかし、良いものは良いと、子供でも誰でもきっと判るはずなのです。
それが本物の持つ力なのだと私は思うのです。


〜所感 その2〜
僭越ながら、私もただひたすら無心に近い状態で、浮かび来る物、自然に沸き上る物、刹那閃く物には、不可思議な力が宿っているように思われます。
そうやって作り上げた物は、自分も気に入るし、人からの評価もおおむね良い物が多いのです。
これを、無理矢理作りあげようとした物は、残念ながらあまりよろしくはないです。
それに関しては、常に付きまとうのが生みの苦しみ、です。作品をギリギリまで直前まで作り続けた手塚先生は、もちろん怠けていた訳ではありません。
これで良いのか?もっと他にやり様があるのではないか?と自問をくり返した結果、そうなってしまうのではないでしょうか?
それは、少しでも良い物を作りたい、と言う創造者の欲求に他ならぬ訳であり、その裏には絶えず不安と恐怖が存在し、迷い苦悩していたのに違いありません。
しかし、それは仕方のない事です。上には上がいます。自分よりも才能のある人間はいくらでも居ます。
そして、物の優劣も一部の人々によって決められたりもします。
ここで一部の人々と申上げましたが、これは一般的な人々という意味ではありません。
なぜなら、この一部とは、類似した性質を持つ者の集まりであるからです。
つまり、偏った考え(権威)の人々と言い換えても、差し支えないかも知れません。アトムの会議もそんな集団だと考えれば、納得いきます。一般とは、もっと多様性を持った広義の物だからです。
だから、私に出来る事とは?まず、楽しんで作っているか?また、それが好きか?そして、自分が尽力に値したか?ではないでしょうか?
それを踏まえた上で、やっとごくまれに『神掛かった』と自分でも思える物を得られるのだと、私は思うのです。
たとえ得られなくとも、それすら些細に感じる程に、満足感が得られて、もうこれで良し、と出来る物なのです。
それを言い訳がましく、やっつけのおざなり仕事をするなどは、もってのほかで、そんなのは次第に衰退するもの、と決まっています。
精魂を込めず何かをしたとしても、誰も感動などしないし、バカにしたおこがましい行為、の様に感じられるからです。

次頁へと續く


余談。この大会の後、高円寺に行きました。

2016/12/3
KYOYAさんとロックバンドのウィラードの元ドラマーである、KYOYAさんがステーキハウスをオープンしています!
私ではなく、連れが大ファンで、こんな時でもないとあまり都内には行かないので、行ってみました。
私は、結構正直に言います。
沖縄でも許田のステーキがウマイ、と言う評価がありますが、関東から行った人は、絶対に口に合わない、と思います。
というか、そもそも沖縄の料理は味付けが独特だし、ニンニクの味しかしませんでした。
それと比べると、このKYOYAさんの店、贔屓無しで言いますが、柔らかいし、味もおいしいです。(二人の同意見)付け合わせのマッシュポテトも絶品とまでは行かないけど、ホントにおいしいです。付け合わせとしては及第点以上。
お店も駅から歩いても、5分とかかりません。南口の商店街みたいな所をずっと歩いて行くとあります。
高円寺に行く人で、お肉が好きなら、ゼヒ行ってみてね!美味しかったから勧めちゃうよ。
KYOYAさんは、奥さんと経営なさっていて、お二人とも優しくて良い人でした。そこもポイントね!
なんと、いっしょに写真も撮って下さいました。KYOYAさんカッコヨス!

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