ATOM 鉄腕アトム
〜ハリウッド製CG映画《ATOM》公開記念イラスト〜

アトムとウラン

すごく、オテンバなウランちゃん。
特に起動した時は、無邪気かつ傍若無人。アトムが世話を焼くと
「うるさいなあ、もう、お兄ちゃんなんかだーいっきらい!」ヽ(`Д´)ノだって。
良い子のアトムは大弱り(´・ω・`)だ。
ウ「わーーい、つーかまえたっと」ア「わーウラン、ダメェ〜!」

しかし、おかしなものである。ロボットとは機械である。
何のために、機械化が進んでいるのか?
いわゆる、家内制手工業から問屋制家内工業、そして工場制手工業を経て待望の工場制機械工業へと発展を遂げた訳である。
人間は、働くと疲労し効率が悪くなる。そして時に、監視者が居ないとさぼったり、狡い事をしたりする。
残念ながら、人間の自主性なんてそんなモン、なのである。
第一、楽がしたいから技術は進歩するのだ。
機械は、文句も言わず忠実に働いてくれる。
その仕事量も、人力とは比べ物にならない。
そして、何より重んぜられるのが、『正確無比である事』だ。
だが、それなのに何故、人はロボットに人間臭さを求めるのか?
心とは不完全なモノだ。
そもそも『ロボットとは完璧な人間、という理想を追い求めた結果』に他ならない。
なのに、何故退行する様な真似をし、それを望むのか?
それは、単に人間の利己主義によるものである。
つまり、分りやすく言うと、優しくされたい、気を使って欲しい、時に単なる作業動作ではなく、言葉や仕草などマニュアル通りとは違った細かい部分や、ちょっとしたハプニングなどを起こしたり=優越感など、要するに自分を楽しませて欲しいだけなのだ。
では、アトムにちなんで、原子力施設で働くロボットが、そんな曖昧なもので、ハプニングなんて起こした日にはどうなるか?
恐らく人々の反応は、『火の鳥のロビタ』と同様の扱いをするだろう事は、想像に難く無い。(=アトムの『うそつきロボット』の回が丁度そんな話だった)
アトムの問題点は、実は生みの親である天馬博士が、最初から提示しているのだ。
アトムは、人間では無い。ロボットだ。成長もしないし、反抗もしない。
その様に造られているからだ。
なのに、過度な人間性を求めてしまう。
らしく見えれば見える程、それを要求してしまう。
今、介護でロボットに、そういう役割を期待している様だが、パワーだけにしておいた方が良い。
もっとも、そんな高度な心を持つロボット等、出来ないだろうが。
仮に、感情を持つロボットが造られたら、悲劇が起こる。
介護は体力的にもそうだが、身体に支障の出ている人間相手の場合は、実は体力よりも気力を必要とする。
人間は、身体の調子が良く無いと、心もおかしくなる。
痛みによって不機嫌になり、ちょっとした事で怒りっぽくなる。
そして介護する側が人間でも、介護される側がワガママに乱暴になったりするのに(実例です。金を払って介護頼んでた老人。気に喰わないのか杖で、介護人を打ち据えてました。見てて吐き気がした、どんな人生歩んで来たんだこいつ!!)ましてや相手が、機械だと思うと遠慮会釈ないと思う。
だから、心を持っているロボットだと、あまりにも哀れだ。
それに、心を持ってしまったら、人権に近いものを与えないと、ダメだろう。
(確かに、アトムの物語の中では、そうなっている。手塚先生も、突き詰めて考えたのだろうか?)
だから、ロボットは感情を持たず、マニュアル対応で、反応がそれらしく見せる、程度で良いと思う。
だって人はそういうものを、本当は同じ人間の中にこそ、求めているはずだからである。
それを、ロボットに求めるのも、限界があろう。
それに良い所取りしたいけど、相手の権利は認めたく無い、のなら通り一遍の対応で我慢するしか無い。
ロボットを、奴隷とする根性は卑し過ぎるし、(第一、良い人として人生を送れば、面倒を見てくれる人は必ずいる。デタラメに、人を虐げて生きて来て、苦しい末路を人に看取って欲しい、などとは虫が良すぎる。だから人は、自分を律して人に慈しみを持ち、生きて行かなくてはならないのだ。ロボットと言う、逃げ道に泣きつくのも真にみっともない人生だ)それにどう頑張っても、ロボットは人の代替えでしかないだろうから、最終的には空しさを感じつつ、人生を終える事請け合い、なのである。

次回予定 アトラス対アトム


前へ

次へ

手塚メニュー