〜我が心の仮面ライダー〜
仮面ライダーが好きである。良い年した大人なので、男の子供がいればそれをダシにして幾らでもライダー三昧出来るのだが、世の中はそんなに甘いもんでも無いらしく残念な日々を過ごしている。(近々待望の男の子が来る?かもね)前は良く一人で映画にも行ったり、前売りの付録=おもちゃを喜んだりしていたが、ちょっとライダー大戦の怪しい商法から盛り下がって、今は流石に映画をちびっ子に混じって見る様な事は無くなった。食玩は別腹wそもそも何ゆえにライダーが好きなのか?であるが、大人が子供に正義を見せる、教えるそれがライダーだったからである。
そもそも仮面ライダーであるが、悪の組織ショッカーに狙われた本郷猛は頭脳明晰な科学者でレーサーでもある身体運動能力に優れた、まあ所謂超人なのであった。それゆえに目を付けられ、改造人間として更に頭脳と身体の能力を極限まで高めた、究極の生物として生まれ変わるべく強制的に手術をされて人間では無くなってしまった。だが、その苦悩を払拭するがごとく彼は自分を改造した悪の組織ショッカーと戦う決意をする。それは罪無き人々を守る為である。
コレなんだよ、コレ!!、である。暴力的な手段で改造され、怪人になった主人公が一般市民を救い正義の為に戦う。普通はできない。普通の人間なら超人的な力を手に入れた途端に私怨に走り、自分の復讐の為に戦う事になると思う。それを自分の身を犠牲にする様な戦いに、敢えて身を投じるのであるからやっぱりヒーローだろう。志郎=V3は家族が殺され復讐を行うべく、1号と2号に自分を改造して欲しいと頼むのだけれども、二人は断る。無理矢理改造された二人だからこそ、そんな気持ちで改造しても志郎はきっと後悔したり、すぐにやられてしまうだろう事を知っていたからだ。私怨だけでは戦えない世界。それ程までに恐らくは仮面ライダーの能力は強力なのだ。某アメリカンヒーローも強い力には責任が付きまとう、と言っている。多分そう言う事なのだろう。自分の為に使うだけではその力は制御不能なのだ。そしてアクマイザーや他の項でも書いたが、失われた肉体の血と肉への追憶や人と違う事への差別や疎外感、(ライダー1号は最初仲間が居なかったのであるから)その孤独感たるや相当の事であったろうと思う。なのに、弱い者の為に自分の力を使おうと決めたヒーローとは私にとってはかなり衝撃的なものであった。真に正しく強い正義の人、だった仮面ライダーの存在はある意味私の生きる支えでもあった。過言では無い。世の中にそんな人がいればいいのに、と言う思い。正義を信じようとする心。それを与えようとする意図がこの作品には必ず込められていたと思う。だから私は今でも仮面ライダーが好きなのである。ps.彼の行動を見ると、これはまさに聖人である。つまり私は仮面ライダーの信者と言える。
好きなライダー。もう1号&2号は神格化されているので好きとか嫌いとかいうレベルでは無いので除外する。V3とライダーマンの比較考察も面白いが、好きと言うよりもっと強烈なインパクトを与えたライダーが二人いる。仮面ライダーXとアマゾンである。仮面ライダーXの何にそんなに衝撃を受けたのかと言うと、同時期位にやっていたロボット刑事のせいなのである。ロボット刑事のKはマザコンロボットである。常にマザーマザーとうんざりする程のマザコンぶりだし、マザーもそれをすんなり受け入れている。が、瀕死の重傷を負った為にやむを得ず改造手術を受けてカイゾーグである仮面ライダーXになった神敬介は、父親にちょっと愚痴を言っただけで、その頼りにしたかった父親=父の知能と人格をコピーしたコンピューター、は「私がいるとお前が弱くなる」と叱責した挙げ句に自爆してしまい完璧に息子を突き放している。これが女親と男親の違いなのかッ!!とそう言う意味で愕然としたのであった。『いや判るけどさ、何かちょっと酷くね?』と子供心に思ったのである。それと武器を持ってるライダーというのと渋い=地味ともいう、Xのボディースーツの配色。そしてアマゾン。これはかなり衝撃的と言うか、まずアイツは改造されて無いし、造詣がピラニア?魚かよっ! 昆虫がモチーフっぽいのが仮面ライダー、改造人間=仮面ライダー、と言う定義から大きく外れてる。これは戸惑った。ライダーに入れて良いのか?である。平成のライダーは全部改造なんかなんてされてないので、それと比べると今ならOK出しても良いが、当時は悩んだものであった。

ライダーマン


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