人造人間キカイダー
〜正義と悪との青と赤〜
作品データ『人造人間キカイダー』(特撮)1972年 43話『人造人間キカイダー THE ANIMATION(アニメ版)2000年 12話 ちなみに劇場版=のセロファンの貼ってある眼鏡で観ると立体的に見える、というもの は見に行きました。(けど、眼鏡の数が足りなくて3人兄弟なのに1個しか貰えず涙目、という懐かしいw思い出が)思うに当時唯一の娯楽『東映まんがまつり(はあと)』は今のジブリの様なもんだったんだなぁと思う。今でもたまにライダーと戦隊関係で行ってたりするけど、一人で! 爆w)劇場版仮面ライダーと言えば、本郷猛が劇団ひとりに見えて仕方が無いよ

人間体『人造人間キカイダー・ジロー』

ギターは描くのが難しい。細部のバランス良く判らん。背負う時は勿論、ギターの裏板が背中に接するように背負う。(って当たり前か)最近はギターの音色とも無縁の生活である。

この作品が好きな訳は主人公の抱く異物・異質感=疎外感に共感したからなのだった。似て非なるもの、見た目は同じ様に見えても内容が甚だしく違うモノ。他者から向けられる畏怖・嫌悪といった感情は堪え難いものがある。四方八方から身体に剥き身の剣を突き付けられているような、一触即発の危険と恐怖をも味わうのだ。ジローの場合は本来のキカイダーの外見が、ロボットにしても不完全なのではないか?と思わせる頭部スケルトンの機械的な歯車で動く様が見えるのも、本来隠されるべき部分を見せる事によってより不完全さを表わし、機械と人間の狭間でゆれ動く姿を体現している。加えて、ジローは不完全な良心回路により機械本来のセオリー他者の命令通りに動くという事と、自我に基づく自己判断を行う事の軋轢や葛藤という自分の内面にも苦しまなければならないのだ。仮面ライダー達が自己の存在理由を無償の、人の為の正義に定義付けた時に、人の持つ絶対的な強さを目の当たりにしたのだが、人造人間キカイダーが自己を模索する時にはそれとは異質の、我々が機械に求める当然の義務であると認識する服従や無償奉仕的な役割を突き抜けた向こう側に何を見い出すか?を思うと暗澹たる気持ちになる。変な心まがいのモノを与えられてしまった為に機械にも人間にも成れないどっちつかずの存在は、この世にただ一人の実感と孤独を味わわなければならないのだ。そこには誰かのエゴがあり、それゆえに人間の弱さの代弁者としてのキカイダーが全面に押し出されるのだ。失いそして得た改造人間と、無いかも知れ無い不確かなものを求める人造人間ではポジとネガ位に違う。悲哀、やるせなさ、どんな事をしても叶えられない願いや運命という現実の冷たさを突き付ける物語、それが『人造人間キカイダーだ』。それゆえ思い入れがずっと燻っている。明確に思い入れに気付いたのは、このサイトの主力コンテンツだったワイルドアームズである。元々あれに入れこんだのも、主人公が明かに、造られた身体の人造人間だった設定からオマージュによるパロディ作品だった為である。それから最後に一つ、特撮版のミツコはどことなく日陰に咲く様な、弱々しく女女した感じで、いつも「ジロォー」と語尾が変に伸びて女特有の媚びの入った発音で呼ぶのに背中がムズムズしたものだが、アニメ版ではお嬢さんぽくない、ってゆーか将来肝っ玉母さんにでもなりそうな、体格良く顔が丸々した肉感的な女に描かれていると思うんだが、それが(Hシーンがあるのが余計に)生々しくてなんだかなーである。その点についても感情が肉体を易々と支配してしまうのが人間の男だが、機械の身体がなぜそのように反応するのか?が謎だったりする。  それから、関連作として【人造人間考】もこのサイトに置いてますんで、興味のある方はテキスト系のメモランダムから探してチョ!


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