まず、手塚先生が月刊マンガ少年別冊火の鳥乱世編の表紙裏に、寄せられたメッセージ抜粋。
「乱世編について」
「乱世編」は、望郷編にひきつづいて『COM』に連載をはじめようとして、第1回だけ書いて、中断してしまったものです。
 あの当時は、『COM』は売れなくて気息えんえん、ついに一時期おかしなポルノ雑誌まがいの青年誌になり、
よけいに評判をおとして、またもとのスタイルで再開したときに、はじめようとしたものです。
 この「乱世編」には、ほんものの火の鳥はついに登場しません。
飛びまわのはクジャクだけです。しかし、登場人物のいずれもが火焔鳥、火焔鳥といってさわぎたてるところが、この編の新味で、ありえない存在にたいして夢を追いつづけ、それが生き甲斐となっているある種の人間像を、しつこく描こうという物語です。
この部分は読まなくても可
わたしは結構、キャラなどを手きびしく批評する部分もありますが、マンガが一般化しすぎて=子供の読み物から逸脱、そうした結果、現実として鵜呑みにしてしまうんじゃないか?と昨今の素直な人たちを見てて、怖くなったので、現実的な批評にならざるを得なくなってしまいました。
あんまり無責任な、アウトロー推奨もいかがなものか?と思ったんです。
まさか本気にするバカはいないよ、たかがマンガ!などとは言い切れない世の中、になって来た気がします。
空気読めって言ってる割に、大切なことがスポーンと抜けてる、人が多いような気がして仕方ないです。
本読まない、映画見ない、そこから感銘を受けたりして人生について深く考えること(←何につけてもこれだけが大事)が少なくなったからだと思います。
その代わりとしてエッセンスのみのマンガわかりやすさもあって、そこから何かを学ぼうとする人が増えているのではないか?と思うのです。
悪いヤツぁ、三つ子の魂百まで、死ぬまで卑劣で悪いヤツなんだよ、人間てのはそうそう変わるわけがない!
というのを(真実を)とりあえず言い聞かせておく方が良いです。
馬の耳に念仏かもですけど、教える義務はちゃんと果たしておかないとね★
薄っぺらい同情だとか感動とか、に踊らされると、実にあほらしい結果にしかならないです。
そういうものも大事な時があるけど、その時を見きわめられるほど、ほとんどの若い人は人間が出来て無い(熟練・習熟してない)でしょう。
実際問題として、理想論を言いつつも、実際に身近にアウトローな人格の人間がいたら、世間様は、ぜっったいに手厳しくしたり、嫌ったりするものだし、かかりあいを避けるのも、もう目に見えております。
そういう人間と一緒にいると、たいていは類友と見なされます。
肉親ならいざ知らず(家族の悲劇はまた別問題)、他人に入れこんで破滅する人間なんてのは、わたしにはやっぱりバカとしか思えません。
冷たい様ですが、わたしは自分が一番大事な人間なので=許容量、包容力が少ないとも言える、悪いけど他人なんて切りすてます。
その辺を曖昧にすると、逆に最悪の結果になりますね。
人間としての限度、付き合える限界を超えた人間関係が構築され、おしまいには長年お互いに憎しみあった末に(おたがいが、おたがいにガマンしてた、被害者はこっちだとかののしり合って、です。どっちもどっちなんですけどね、第三者から言わせるとね)殺し合いにまで発展する、なんてことになりかねないです。
大げさでなく事実、かも知れませんよ。
一般的に言っても誰しもに言えることですが、ほんとうに人間って自分で考えているほどには、性格的にも人間が出来てませんから。受け入れがたいでしょうが、事実です。
だから偽善者ほど、化けの皮は剥がれやすいです。本人もその時になってびっくり、ってこともままあります。ということも、一応言っときます。
他人のヤバい部分は早めに見抜き、見抜いた時点で対処(絶縁など関係を切る)しないとダメです。
閑話休題
本編〜乱世編あらすじ〜
●普及版乱世編のあらすじ(朝日ソノラマ版)ざっくりは無理なのですが、少しづつアップして載せます。
わかりづらいと思うので、ゼヒ、買って読んでみてね!

平氏が世の栄華を極めていた頃の話。
木こりの弁太は、都へと薪と猪の皮を売りに行くが、都は花祭りでひょんな行き違いから、武士とケンカになってしまう。
それを治めてくれたのが有名な僧の 明雲(みょううん)だった。
弁太はその後、貴族のものらしい櫛を拾って家に持って帰り、妹のおぶうに与える。喜ぶおぶうだったが、櫛を見て京都の華やかさに憧れ、弁太に転職を勧めるが弁太は木こりを辞める気はなかった。
弁太の母とおぶうの父の連れ子同士で義兄妹のふたりは、幼なじみでもあり、愛し合う仲でもあった。
おぶうの父は病気で、高価な薬が必要なため、おぶうは薬屋にあの櫛と交換に高価な薬をもらう。
しかし、それは藤原成親のもので謀反の証拠なのだった。
薬屋がその櫛を売ろうとしたために、役人に捕まり弁太の父母は斬り殺され家に火が放たれる。家が燃えているのを見て家に駆けつけ、蛮行に及んだ侍たちを叩きのめした弁太だったが、おぶうは取り調べで都に連れて行かれていた。弁太はおぶうたちを追いかけるが途中で川に転落し流されてしまい、おぶうとは別れ別れになる。
おぶうは連れて行かれた先(平宗盛の家=清盛の三男)で美貌に目を付けられ、作法を教育されて出仕させられることになる。
弁太は広い都のどこを探して良いのかわからず、五条の橋の上で侍と見たら声をかけ(因縁をつけ)、おぶうの居場所を聞き出そうとしていた。が見つからず、橋の上の盗賊として評判になり、刀を置いて逃げれば助かる、という噂に変化していた。
おぶうは清盛の元に連れて行かれる。清盛は、宋(中国)から輸入した絵に描かれた鳥を見ながら話し出す。宋では鳳凰と呼ばれるそれは別名を「火焔鳥」といい日本にもいるという。そして、その血を飲めば死なないのだと説明する。
おぶうは結局美しさを買われて清盛の側に仕えることとなる。
弁太は相変わらず橋の上に陣取っていたが、いつしか浮浪児たちと仲良くなりその集団のリーダー格のヒョウタンカブリにスカウトされる。本部があるという鞍馬山に連れて行かれるが、そこにいたのは白い長い髪とヒゲで両手のない老人=我王だった。弁太はそこで我王に牛若という少年と引き合わされる。牛若は弁太を挑発してその腕を見る。そしておぶうを助ける代わりに家来になれと言われる。それを受け入れる弁太。
我王は二人に見せたいものがあるという。それは白兵衛、赤兵衛と石に掘られた二つの野墓だった。
その墓の主、赤兵衛と言う名の猿と白兵衛と言う名の犬の話を語って聞かせる。
四十年前のこと。山奥に黒坊主と赤兵衛という猿がいて、ボスの座を巡る争い(メスの取り合い)が起こった。ボス猿だった赤兵衛は負けて傷付き我王に助けられた。ある日、我王が一匹の白い犬を拾ってきて白兵衛と名付けて飼い始めた。赤兵衛と白兵衛は最初仲が悪かったが、次第に兄弟のように仲が良くなった。赤兵衛は白兵衛の力を借りて黒坊主を倒してボスの座に返り咲く。しばらくは二匹ともお互い行き来して仲良かったが、結局一年後に噛み合って死んでしまった。

●わたしがやはり知りたいと思うのは、COM版での猿と犬の話の続きである。
現行版では、我王だけが犬と猿の友情と決裂を知っているわけであるが、COM版では『まきじ』が直接ソレに関わっているのだから、生まれ変わって 因縁うんぬんは存在しないはず(犬=生まれ変わって義経、猿=生まれ変わって清盛、はあり得ない。COMでは犬も猿も義経も清盛も同時期を生きているから である)だからである。
とすると、むしろ見立て、という話になるのではないか?という気がする。
犬と猿が決裂するそのストーリーだけが、源氏と平家にそっくり当てはまり、この二つが同時進行して行くみたいな?
安元二年の正月、清盛の元に一族が寿詞に集まる。清盛は現在の一族の思い上がりを嘆き、帝の妃にしたのに子供が生まれないのを叱咤する。そして酒を飲んで悪夢(おそらく初夢)を見る。それは度々見ている夢で、夢を解釈してもらったところ、もうすぐ一族が滅亡すると言う内容だった。自分が死んだら一族は終わるので死にたくないとおぶうに泣きつく清盛。そこで急に「火焔鳥の血を飲めばいい」と閃く。そのために遷都を宣言する清盛。
その時におぶうの元にヒョウタンカブリがやって来る。最初は自分は吹子(ふきこ)でおぶうではない、と認めなかったが弁太が探していると言うと態度が変わる。そして二日後の夜に弁太と会う約束をする。
弁太はおぶうが見つかったと聞いて、すぐにおぶうの元に向かおうとするが止められる。そして牛若の作戦で体に墨を塗った弁太は、火を点けた牛車を清盛邸に突っ込ませたどさくさに紛れることにする。おぶうと弁太は無事に再会するが、このまま勤めたいと言って一緒に逃げるのを拒否するおぶう。無理に連れて行こうとするのを見つかり処刑されそうになる。身を以ておぶうが弁太をかばう姿を見て嫉妬し、おぶうが元々は平民であることを知る清盛。おぶうと弁太が別れることで弁太は一命をとりとめる。島流しの刑にあう弁太は逃げようとして矢を射られ斬られる寸前で牛若に救われる。そしてそのまま騙されて牛若とともに奥州(岩手南部)の平泉に連れて行かれる弁太。
おぶうはその後、清盛と共に遷都した福原に行き、そこで宋から火焔鳥が届く。おびえる火焔鳥をなだめるおぶうは火焔鳥が普通の鳥だと覚る。そして、すぐに血を飲もうとする清盛に改めて日時を占うように勧める。
その夜清盛は夢を見る。五百年後ーーー自分と同じ顔をした人々があふれかえっている。自分の子孫なのだという。千年後ーーー記憶が脳にたまりすぎて発狂=激痛のため、装置で五分ごとに記憶を消去して生き永らえる清盛。そしてーーー自分以外がすべて溶けてなくなるこの世の終わり。地球がなくなっても、宇宙が終わるまで死なない世界で殺してくれと叫びながら起きる清盛。
一方で世の中は平氏に対してのクーデターが起きようとしていた。その決行日は、奇しくも火焔鳥の血を飲む日四月十三日だった。

手塚先生は、火の鳥は元々は歴史漫画として描きたかった?描いた?みたいな発言をどこかで見かけたことがありまして、だから手塚風の源平物語を描きたかったのかな?とも思いますが、歴史・・・複雑だよ。歴史苦手な人は何のこっちゃわけわかめだよー、と言うくらいこの辺は今流行りの言葉で権力の移り変わりの分水嶺なので、そうとうごちゃごちゃしてると思います。
そこで、この火の鳥・乱世編のその人間関係と歴史的事件とを簡単に解説
まず、清盛があれほどまでに自分が死んだら一族終わりだー、と騒いでいたわけ
それは、まずこの時の世の中の最高権力者は後白河法皇(上皇)でした。院政と言って実質的な政治を行なっていたのは天皇を譲って出家した天皇の父である法皇です。
しかし、この後白河法皇は実子の二条天皇・清盛・木曽義仲と何度も対立して、幽閉されたり権力を停止されたりするのですが、その度に何度も復権を果たすという、まるで不死鳥のように権力の座に返り咲いて蘇った人です。って考えると、アレか、この後白河法皇が火の鳥の比喩なのか?ほうおうだけに!だから火の鳥は出てこないのかっ!!とちょっと発見したわー。
まあ、冗談ですけど。この後白河法皇の奥さん(と言っても女御。これは正室・側室・女御の順なので三番目ね)というのが平家の女、清盛の妻である時子の腹違いの妹の平滋子です。そして、この後白河天皇(第77代天皇)とその滋子の子供であるのが高倉天皇(第80代天皇)で、この高倉天皇の奥さんも清盛と時子の娘である徳子(高倉天皇から見てイトコの関係)と結婚して安徳天皇(第81代天皇)が生まれてます。
清盛は安徳天皇の祖父なわけです。これだけ権力と結びついていたら、清盛たち平氏は我が世の春でしょう。
最初は後白河法皇は莫大な権力を持ってましたし、清盛とも関係は悪くなかったのですが、後白河と平家との架け橋でもある、後白河の奥さんの滋子がある日死んじゃいました。それからすぐに頼りになる味方だった後白河の妹や孫などが次々に亡くなり、そして事件は起きたのでした。
後白河法皇も清盛と蜜月のうちは良かったのですが、やっぱり心のどこかではいつか清盛に乗っ取られる、と心配していたんでしょう。後白河法皇が清盛と架け橋になる人がいなくなり、後ろ盾も減るとみるや関係は悪化の一途をたどります。
まず白山事件が起こります。これは後白河法皇の最側近である藤原西光の子供、師高と師経のコンビが、白山の僧侶と荘園の所有を巡って対立し、寺を焼いたことに始まります。
その寺を焼いた事を比叡山の延暦寺が抗議して後白河の勢力と対立します。まずいと思った後白河法皇は、事件の犯人である師経を岡山に流刑にしようとすることで治めようとしますが、僧侶たちは納得せず神輿を担いで皇居に乱入します。
これを鎮圧するために矢が射られて死人が出ます。そして事態は悪化。師高も愛知に流刑し、矢を射た者を罰する事でようやくケリをつけます。
が、第二の事件が起こります。安元の大火、という大火事が起こり皇居の本殿と多くの公卿の邸宅が消失。これを白山焼き討ちの報復だと思ったのか(偶然か報復かは不明)、僧侶たちを扇動したのが延暦寺の総監督である座主の明雲だという証拠を西光が提出したため(息子たちが処分された腹いせ?)、後白河は明雲を逮捕して伊豆に島流しの刑を命じます。
その明雲を島流しのために都を出たところ=滋賀あたり、で僧侶たちに奪還(この頃は僧侶は武装していたし、が大学のような役割も果たしていたので、インテリゲンチャの集う場所だった。つまり文武両道兼ね備えた場所)され、比叡山に逃げ込まれてしまいます。
それに激怒した後白河は清盛になだめられるが止まらず、延暦寺を攻め滅ぼそうとします。
それにあわてた清盛は・・・
ここで鹿ケ谷の陰謀が多田行綱により密告されます。平氏打倒の密談があったとされ、最側近の西光は拷問の末に殺され、息子たちも平家により惨殺。加担者=あの国語の教科書でおなじみの「乗せてゆけ、具してゆけ」の俊寛たちも鹿児島沖の島に流刑。およよ。
明雲は助かり清盛に感謝!という。
うーん、陰謀があまりにも捏造くさいぞ。符号が合いすぎる。
↑これらを踏まえて乱世編を読むとわかりやすいかも。
火の鳥では、4月13日にクーデターを起こそうと後白河側が画策している一方で、比叡山の僧侶たちが六波羅(平氏を中心にした政治と軍事の拠点である寺)に神輿を担いで乱入する(史実では高倉天皇へ直訴なので皇居であり、六波羅=京都の東区で鴨川東岸一帯。中心が六波羅蜜寺なので六波羅と呼ばれた、ではない)実質クーデターを潰された後白河たちは、神輿事件の首謀者として比叡山の大僧正である明雲を逮捕し、島流しの刑を言い渡す。罪人として都から引き出された所で、明雲を僧侶たちが奪還する。
その頃、都で火事が発生。逃げようとした清盛たちだったが、火焔鳥を逃してしまいおぶうが追いかける。なんとか屋根の上にいた火焔鳥を捕まえるが、家が崩壊しおぶうが巻き込まれる。火事場泥棒を働いていたヒョウタンカブリの一団が傷ついたおぶうと鳥を見つけて助ける。
おぶうが居なくなり火焔鳥も失った清盛は失意の中にいたが、そこに多田行綱が後白河の謀反を密告にやってくる。後は史実通りに粛清処分される。
奥羽の藤原氏の元へ行った牛若と弁太主従。弁太は牛若から部下を与えられる。そんな弁太の元へ都の火事とおぶうが死んだという知らせが届く。意気消沈する弁太を牛若は気分転換に村祭りへと誘う。百姓たちに混じって楽しく踊る弁太。この祭りは男女の出会いも目的としており、弁太もヒノエという女と出会う。おぶうが忘れられない弁太は最初ヒノエを拒むが、来年の祭りに相手を見つける前に売られると言って泣くので、仕方なく結婚する。弁太はヒノエを家に連れて帰るが翌日、家のものを盗んで逃げられる。当然見つかりヒノエは村人から袋叩きにされる。それを許して家に連れ帰るが、またもや盗んで逃げるヒノエ。今度は牛若に捕まり、弁太にヒノエを殺せと命じるが、弁太は「都で侍の刀を盗んでいたオイラから盗むとは大ものだ」と笑う。呆れて勝手にしろと去っていく牛若。ヒノエに餞別をやり寺で小さな仏像をもらい家でおぶうの冥福を祈る弁太。そこへヒノエが来て一緒に拝ませて欲しいという。ヒノエは性的興奮を覚えると盗癖を抑えられないのだという。二人は寄り添い夫婦になった。
東国では頼朝が源氏の再興を誓い、都では清盛の長男の重盛が急死し、そして清盛は絶望した。後白河を軟禁にし、奈良を焼き払う、福原に遷都したかと思ったら五ヶ月後には元に戻す、といったデタラメぶりを発揮!
また日本国内、各地では反乱の兆しを見せはじめていた。
そんな中、清盛は熱病にかかり急死してしまうのだった
(上巻・了。そして下巻は気が向いたら)
清盛は重盛を頼りにしてました。よくいる便利屋のように使える家族として使えるやつじゃん、とは思っていたかも知れません。しかし、後継者としても頼りにしていたかは微妙ですよ。なぜなら、この重盛は長男で最初の奥さんの子です。つまりその時点では清盛はまだ権力を持つ前だったということです。だから、奥さんの(実家の)地位もそんなに高くありません。何よりその母親と死別しているので、頼りになる母のいない重盛は他の高い地位の実家を持つ母親から生まれた兄弟たちからは低く見られていたとしてもおかしくありません。
それに後白河と清盛どっちも引退してもおかしくない年なのに、自分が実権を持って後継をないがしろにしてるという合わせ鏡のような二人がいましたから。

●火の鳥はこの後白河と清盛を題材にした方が面白かったんじゃないか?と思うんだけど。なまじ源平・猿犬・紅白・義経弁慶などという魅力的なキーワードを持つ符号が揃っているため、そっちに行くのも仕方ないっちゃそうなんですけど。特に犬猿の裏切りは後白河と清盛でも当てはまるんじゃないか?とそう考えると、何か惜しい気がしてならないのよはっ!禁裏を題材に描くのはタブー(手塚先生の中で)なのか?先生は戦中戦後の人だしなあ。不敬罪とか?

 この重盛という人は家族内での自分の立場が良く分かっていたので、後継とされるのは自分だけれども清盛が生きている間は、実権が回ってくることはないなと思ったでしょうし、人間関係も複雑で奥さんの兄が後白河の側近なのもあり(清盛と後白河との仲がこじれてからは、兄弟達から文句を言われてたかも知れません。いや、きっと言われていたに違いない、気がする)この人も自然と清盛と後白河の間を調整する係になってしまったようです。気遣いの人、縁の下の力持ち、面倒な部分だけ押し付けられるという役割ですね。こういう人ってなぜか軽く見られるのが不思議。いなくなってから重要性がわかったりね。
 なので、重盛さんは二大権力の板挟み、当然ストレス!ストレス!ストレスからの胃炎からの胃潰瘍が死因とされていますが、からの胃がん位になっていたかも知れませんね。
「後継者と言われるのに、妻の実の兄の一人も救うこともできない俺って何?そんな力もないんだー。その癖、やりっぱなしの後始末ばっかりさせられる、それが当然という顔して、良いとこ取りだけして責任も取らない兄弟たち。なんで俺ばっかり貧乏くじ引かされるの?後継なんてもうどうでも良い。あーもうやだやだやだこんな生活。早く死にたい」みたいなこと(意訳)言ってたらしいですね。
ああ、ストレス怖い。そう考えると、似たような立場だった後白河の奥さんだった平滋子も、死因はストレスに関係があるかも知れませんね。実際に、この滋子と重盛が死んでしまったため、平家は没落の一途をたどる羽目になったと思われます。
 この二人は後白河と平家の一族から、お便利に良いように使われていたような気もします。後白河側と清盛側のストレートなお互いの物言いとかを、うまくこの二人が処理していたのではないでしょうか?
大変な役割にしては低待遇で、ついにやってられるか!ってストレスが嵩じて体調がおかしくなった、って考えたらかわいそう。まるで中間管理職、いやブラック会社の社畜のようだなあ。
特にこれは、ワンマン社長の意向をなるべく叶えるように調整していた重役が死んで、細かい人間関係や作業方法がガラリと(死んだ人を貶める目的で、合理化の元に悪い方に)変えられて没落していく会社のようです。
平家(大会社)の権力独占に虐げられた人々(中小企業)が結束して立ち向かっていく、ドラマだなあ。

考えると、人間って大なり小なり家庭だの職場だのでお便利に使われて(功績を横取りされたり無視されたりと)不満を持つ人って多いと思います。実際は側から見るとどうなのかは分かりませんが、人って自分大事ですからそう思いがちでも仕方ないでしょう。だから、ざまぁ小説が流行るんでしょうね。不遇のうちに追放された人が、別の境遇で一旗揚げる。追い出した人々は段々没落していく。みたいな話。今こそ、重盛じゃね?w

〜火の鳥の中で火の鳥と人間との関係〜
火の鳥、は火の鳥を中心にして、時代時代の人間が欲望と権力の醜いドラマをくり広げて行く、という物語ですが、火の鳥はある時は、生き血を狙われたために、仕方なく関わったり、また積極的に関わったり、無関係を決め込んだりします。
この乱世編は、先生自ら仰る通り、まっったく火の鳥は出て来ません。
火の鳥の名前だけが一人歩きしている状態、パチモン(まがいもの)=孔雀、が出て来るだけです。
なぜなんでしょう?
これはやはり、乱世、つまり鎌倉幕府樹立の時のどさくさ、世の中の乱れ、が原因なのでしょう。
世の中の秩序が乱れた怪しい時代に跋扈するのは、決まってバケモノだからです。
そして、そう言う時には、必ずとんでもないデマが飛び交うものです。
それに踊らされる人々も出て来ます。結局そういうことを描きたかったのでしょう。
水面に移る鳥を獲ろうと、水に網を打っても、鳥ははるか頭上を悠々と飛んでいる、というようなことですね。
真相は、まったく見当違いの別の場所に隠されています。
しかし、物語にまったく出ていない、というのはどうでしょう? これもそういうメタファに彩られた物語だとでも言うのでしょうか?
清盛が不死になった後の悲惨な状態を夢に見る、というのは火の鳥の出した警告に見えないこともありません。
執拗なまでに自分のことを求めるので夢で答えてやった、とも考えられますが、ただ夢という意識態の中に火の鳥が入った可能性があるだけで、それは読者からは見えても清盛からは見えない、知ることのできないことです。
これではこれ以前に火の鳥と接触したキャラたち、と火の鳥との関係から見ると乱世編では、登場していないも同然です。
明らかに接触があったのは死後の世界に行ってから、なので物語の進行にはまっったく関わっていません。
確かに先生が前書きでおっしゃる通り、火の鳥が出ている、とは言いがたい出方ですね。
そもそも火の鳥が登場する、ということは二つの意味を持っています。
一つは、火の鳥そのものが確かに存在する、と人間が確認すること。
そう考えると、同じように夢で干渉した、というのは鳳凰編の茜丸も同じですが、意味合いが天地ほどにちがいます。
もう一つは、火の鳥が不可思議な力で、人間に直接的に干渉して来る、ということです。
この手のものは、不思議な姿形をしているだけでは、人間は納得しません。
何らかの効験がなければ、それが特別なモノであるとは、認めないということです。
乱世編では、クジャクがそれと確認されているのですが、それには当然、効験などありません。
手に入れた者自体が不死にならなかった、のを体験&証明しています。
そこで、もう『これは火の鳥である』という認識も否認されました。
そして、この物語の現実の中では、不可思議な事象も一切ありません
(火の鳥が出なくても、火の鳥の一連の物語の中には、かならず人智を超えた現象が起こって来ました。 そう言う意味でも、この乱世編は火の鳥の中でも特異な物語、と言えるでしょう。 二つの意味の火の鳥のどちらも無いのに、成立している物語だからです。)
よって、この物語での火の鳥の完全なる不在が、証明されました。
それに、狂ったように火の鳥のことを「火の鳥火の鳥火の鳥と自分のための、もう丸っきりの我欲だけで、なりふり構わず求めていた卑弥呼様や、彫刻のモデルにしたいとキチガイのように追い求めて、国中駆け巡ったストーカーな茜丸(これも結局は彫りたいという自分の欲求のため)の前では、一族ガー、妻と一族ガーと、観念的なものに縛られてソレのために、いわゆる道具としての火の鳥が欲しいという人間たちなど、まったく太刀打ちできないでしょう。
あの強烈な卑弥呼様や茜丸を見た後では、この物語に火の鳥が出て来ないのも何となく納得できます。
良くも悪くも、火の鳥は自分のために自分を求める者には、何らかの反応をするからですね。
「ホホホホ、私が欲しいのなら、その命がけの精一杯をお見せなさい。もっと、もっと、もっと激しく私を求めるのですよ!さあ」
とか、ものすごいナルシストっぽいこと言うイメージの火の鳥w
でも、もっと積極的に関わるような、とにかく気に入った人間には、押し付けるように勝手に不死にしてしまったり、一番人間からしたら理不尽な論理で動いているのが火の鳥、なんじゃないでしょうか。
(もっとも、少女クラブ版、の火の鳥を読めば、火の鳥がだんだんとヤサグレた感じになって行くので、ああなってしまう気持ちの変遷がつかめるかも。純真な少女が悪女になっていく過程を見せられているような・・・)

義経と清盛が死後になって、火の鳥に出会うという場面ですが、これもちょっとこじつけっぽく見えてしまいます。なぜなら……
主人公は誰か?
この物語は、最初から最期まで出ている弁太が、主人公のように見えますが、良く考えると弁太と同じベクトルを持つ人物がいます。
それは平清盛です。
それを証明しているのが、おぶうです。
よく、おぶうは派手な生活を望んでいたから清盛の世話になって心変わりした、と思われるかも知れませんが、何てことはない実は似たような男を好きになっていただけだったのです。
弁太はでかい図体で馬鹿力の持ち主なのに、内面はまるっきり子供のようです。(良く言えば一途で純粋)
清盛も尊大な権力者で良い年したおじさんなのに、悪夢におびえて死ぬのが怖いと、ふるえて泣いて女の胸にすがるような面を持っています。
二人とも、見かけや言動にそぐわない心を持つ、おまけにたいへんに世話の焼ける男たち、なのです。
つまりおぶうはたんに、ダメ男の世話を焼くのが好きな女、というわけです。
おぶうは、清盛の中に弁太の強力版を見たので、放っておけなくなったのでしょう。
弁太が一途におぶうを求める姿も、異常といえば異常といえる執着ぶりです。(これが同母の兄妹だったら、よけい異常に見えたことでしょう)
なぜか弁太のことが、遠くに捨てられたペットが飼い主をひたすら探し求めている姿、に見えてしかたがありません。
清盛もまったく同じです。
とすると、これは弁太と清盛のダブルキャストなのか?
はたまた源平合戦という史実、つまり清盛と義経が、あくまで主題なのか?
読んでいて、そこのところが理解に苦しみます。

おまけに天狗に剣術を習った牛若丸、その剣術の師匠である天狗に鳳凰編の我王を持ってくるとは、符号というか設定的には面白いんですがそのためにわざわざ→(普通の人間が四百年も生きるかよ、またやらかしてるじゃん・・・火の鳥ェ)これは我王でなくともデカ鼻キャラで良かったんでは?と思うのですが。ある意味スターシステムっちゅうか、読者サービス?でチラ見せで出しただけ、って感じですね。その四百年間の間に何したってことも語られてないし。思わせぶりな割には出てきてすぐ死んでるしw。この四百年間の他の火の鳥の話に我王は出て来てたかな?出て来て何かやらかしてたら、ある意味すごいよね。

しかし、ここで違和感を感じさせるのが、実際にストーリー上で友情を裏切ったのは、義経と弁太&ヒョウタンかぶり、という関係です。
そもそも、生まれ育ちが、決定的に武士階級と平民(当時は木こりや浮浪児はそれ以下)という身分違いから来る、考え方の違いは最初から存在していたものの、その考えに見合う行動力がない子供同士だったから、何とか付き合えていた、という程度の関係だったのでしょう。
異質のモノたちの幼い友情という関係ですね。(ますます犬と猿の友情のテーマっぽい)
しかし、因果がくり返されることと、源平を引っかけているならば、そしてそれを主題にしたいなら、より読者に強烈なインパクトを与える、義経が弁太とヒョウタンかぶりを裏切る、という件はむしろイラナイ=ジャマ、んじゃないでしょうか?
それがあるために、やはり猿と犬が清盛と義経だとは思えないんですよ。(義経殺してるのも、弁太だし)確かに 猿と犬の友情と決裂、というテーマは魅力的であり、それを生かすために赤兵衛と白兵衛という名前を、平家と源氏にひっかけています。 ここまでうまく当てはめられたら、切り捨てるのには非常に惜しい設定でしょう。
もしも犬と猿がテーマなら、清盛と義経が物語の主役でないと変だし、この二人を主役と言いきれるか?ということになりますが、さあどうでしょう?
清盛と義経は、史実でもそうとう根深い恨み(平家物語では、義経の母が清盛の愛人にされた。子供も生んでいる。史実ではちがうらしいが、実のところは不明)があるはずなのですが、そういう恨み節が今ひとつなんですね。
弁太に力を入れ過ぎたのか、源平の宿縁だとか憎悪が、ぜんぜん伝わって来ません。
憎い憎いと義経は言いつつも、なぜ憎いのか?の理由は直接的にまったく描かれてません。
(この物語で描かれる武士の横暴さ、虐げられる平民の悲しさ、は十分わかりますが、もしかしてそれが主題でしょうか?)

弁太と義経の物語とするのなら、今度は清盛がイラネ、なんですが、途中で清盛が退場(上巻で死去)してからは、ちょっと話の魅力が半減してます。
それは、前半部分の主体の清盛が心の葛藤しまくりなのを描いているのに対して、後半主体とする義経(確かに後半は彼を中心に物語は進むのだが)の方には、一切それが見られないからでしょう。
だから義経が何考えているのか?得体の知れない人に見えて、キャラに思い入れできません。
つまり、清盛という魅力的な人間を描いているのに対して、義経は単なる物語を動かす駒にしか見えません、ということです。そして、直接の清盛と義経の絡みもない状態で猿と犬の関係を持ってこられても・・・。はっ、これもフェイクなのかっ!実際の猿と犬の関係は別にあるのでは?
それらを考えさせられてしまうのが義経が主役であると言い切れない部分であり、 のみならずもう一人、火の鳥に目をつけ手に入れようと奔走する男、木曾義仲までが物語に現われて絡んだら(しかもコイツ自分のためじゃなくて「一族のために火の鳥を」とか鸚鵡のように抜かしてるし)そりゃ義経の陰はますます薄くなるに決まってます。
弁太は弁太で、おぶうを取り返すため、とはいえ存在が訳わかめな義経に振り回され過ぎで、どーしよーもないヤツ(やはりダメンズ)、に終始している感があります。
おぶうが死んだと思ったので、新しい妻=ヒノエとくっ付くのですが、これってデジャビュがっっ。
もしかして茜丸(常識人)とブチ(問題のある女で、勝手にくっ付いて来る)ですか?=そう考えると、百鬼丸とどろろとも、関係性が酷似。
弁太は、おぶうが死んだと思ってはいても、おぶうつながり=おぶうを忘れられない=忘れたくないから?、と言う関係性だけで、義経にくっ付いていたような感じも否めません。
まさに幻の女を追いかけている男じゃないですか。
自分の目の前でおぶうが死んで、ようやく吹っ切れたみたいで、ヒノエが哀れすぎる。
もっと早くヒノエの言うように、二人で逃げることもできたんだろうから。最期はきっと立ち往生でしょうね。
白の源氏で白丸=犬、だけに、結局みんな犬死にってことですか?

 つくづく考えたら、この物語のテーマは実はパチモン(フェイク)かも知れません。
あるいは物語すらも。そう考えると火の鳥が出ないのも納得!)
おぶうも元々はいわゆる下賎な生まれ、下々の卑しい出の娘です。
火焔鳥も羽が豪華で珍しいけれど、結局は普通の鳥です。
おぶうも火焔鳥も、ただ美しいだけ、の存在です。
 おぶうと火焔鳥は、勝手に付加価値をつけられて、どちらもニセモノが本物のように扱われ、 ますが自身は権力によって翻弄されただけの、何の力も持たない存在、ということです。
どちらも美しさゆえに勝手に誤解され、自分が望んでいた生き方ができないのです。
弁太も清盛も思い込みや幻に執着して振り回され、他編の火の鳥の物語とおなじでように、自分も周りも見失っています。 そして、どちらも並外れて権力や腕力を持ちながらも、目的と手段を取り違えているように、考えと行動がちぐはぐです。
それなのに、周りに流されたり観念に縛られすぎたために、結局は失意のうちに死にます。
不幸で不本意な最期を送るのですが、すべてがこの思い込み、思い違いが原因です。
おぶう、という人の移り変わり=生きざま、を見れば、それは明らかです。
おぶうは山出し娘が、いろいろあった末に、最期には高貴な平氏の女になって終わったので、これもある意味、kiraりっぱに成り上がってkira主役級に近い働きをしています。
おぶうは現実的であり、現状を正しく見抜き、自分が何をなすべきか?を正しく知っていた人でした。
そして、その通りに生きたのです。
つまり、この物語で、一番たくましく男らしく生きたのが、おぶう(笑)でFA?
パチモノ(ニセモノ)でも、正しい心意気があれば、最後は本物になれる、ってことですね。 ど根性!

おぶう

 この話は史実を追うのに懸命になるきらいがあるため、読者が各自の好きなキャラに思い入れて主役に据えても良い状態に近くなってます。
(上下巻にしたんだから、清盛側と義経側の双方から見た歴史を描けば良かったのでは?という気もしなくはないのですが、思うに火の鳥の話の面白さは、火の鳥が出てきて関わった人間には一時期の栄華は与えても、結局はほとんどが最後には没落し不幸に陥る、そして巻き込まれた無関係な人々が、何にも頼らず自力でなんとか立ち直ろうとする、そのたくましさや葛藤を描いていた、という歴史では無名のモブありきの火の鳥だったから面白かったのでは?という気がします。しかし逆に火の鳥が出てこなくて肩入れする人間がいないから、中途半端な物語になったと見るべきなんでしょうね。やはり中心となる一点がないと歴史の吸引力?インパクトには欠け、物語の焦点がぼやけます。だから今回の乱世編は、歴史の裏側ではちょっとこういうこともあったんですよ、というフェイクが入った源平物語として見たら、つまらなくはないんですがこれを火の鳥でやる必要があったの?という疑問は残ります。やはりカットされた最初の物語の構想が気になります)

まあ、それで最終的には乱世編の主人公は誰だったの?
の結論なのですが、やはり読者自身の思い入れができたキャラが、読む人それぞれに思う主人公、としか言いようがありません。
まちがっても火の鳥ではないな、パチモノのクジャクの方がまだ活躍している…。
とはいえ、物語的に話を動かす意味では火の鳥は、どんなに人間側から理不尽に見えても欠かせない存在です。(私が主役なら火の鳥は放置しますね、死亡フラグしか見えないし。などと思っている小市民な私は主役にはなれないんでしょうね。モブで結構です。でも火の鳥というキャラは好きですよ。なぜなら)ルパン三世が何で不二子ちゃん不二子ちゃんと、あの女に入れ込むのか?若い頃はわかりませんでしたが、本質的にルパンがどうしようもない男で、割れ鍋に綴じ蓋だったからでした。あの男は普通の暮らし、一般人の人生なんて到底送れませんから。尽くしてくれるような優しくて可愛い女じゃ無理!最初は良くても最後は絶対に満足しないで破綻する、というのがミエミエ。要するに、ルパンにとっては不二子ちゃんが自分を裏切るのにも殺意があっても無くてもそんなの関係なくて、ただ綺麗で刺激的であればそれで良かったんですよ。 まあ、火の鳥の存在(魅力)も多分そんな感じじゃないかwと思うんですよね。

で、わたしとしては、乱世編で主役に近いのは(思い入れができたのは)清盛だと思います。
単純に、いなかった後の話がおもしろくないから、です。
●清盛と同じようなベクトルを持つはずの弁太が特に後編はパッとしなくなったのは、ひとえに史実の義経と弁慶の主従関係に捕らわれなければならない関係だからです。主人よりも目立つ従者はマズイですからね。だから弁太はあんまり活躍できないというね。(そのくせその主人を惨殺しているのはいかがなものか?これは私にはメチャクチャなカタストロフィーにしか見えん)
それと、我王が出てきた時点で理解するべきでしたが、鳳凰編でも我王と茜丸の夢の中にしか出てきませんでしたね。でもって、茜丸には来迎=死期に迎えに来ること、がありましたが、この乱世編で我王の時にも雲の姿で来迎してますが、変な意味で二人は平等だったんだなあと。(我王よ、四百年の間に火の鳥とどんな取り引きをしたのか?その間にどんな物語があったのか?私が忘れてるだけで他の火の鳥の物語にも出てるのか?)そして、ダブルキャストで夢の中で火の鳥に会ったのなら、乱世編で夢で火の鳥に会ったのは清盛、ならやっぱ主役じゃね?と思うのでした。
(まあ、あとは腐るほどよくある話で、わたしの先祖が平家の落人だったとか、どうとかいう言い伝えも関係してます。田舎の地名も、京都の地名から取った名前=そこの植民地のようなものだったw、ので確実に京都と関係はあるらしいけどねー、どうだか。)


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