まさか、の乱世編!わたしも復活編と鳳凰編に続いてが、これの解説になるとは思いも寄らなかったわ。
まず、この乱世編、二つあるようですね。
COMという雑誌に描いた乱世編が雑誌の廃刊に伴い未完になった、ということで、それとは構想を新たにして乱世編を描いた(現在普及している版)といういきさつのようです。
そっちの内容、ちゅうかCOM版のあらすじ、ページ数にして63ページ(連載二回分)、セリフと場面をできるだけくわしく掲載。
(うわっ、また長くなりそう…)
……長いです。なので

〜手塚治虫の漫画で、良く描かれるテーマ『近親相姦』について〜
この元々の乱世編は、連載二回で終わってしまったので、どのような展開になるはずだったのか?は知る由もありません。
しかし、ここで描かれたものは、兄と妹で恋愛という関係になっています。
描き直しの方も両親が再婚の連れ子、ということで義理ではありますが、これも兄妹になってます。
が、物語中では幼なじみ、と言明しあってるので、兄妹という感情はきわめて希薄なのだろうと思われます。
で元々の話の方の兄妹間の近親相姦?なのですが、これはまちがった近親相姦なので、考え直して削除なのだろうか、と思いました。
いや、むしろ必然性がなかった、と言い直した方が良いのかも知れません。
(完ぺきな母子近親の相姦関係、なのはご存知の通り、望郷編なのですが、こちらも一癖も二癖もあり、紆余曲折もあった、といういわくつきの物語です。そちらは、そちらで改めてやりますが、望郷編は必然性に関しては、明らかに近親相姦がテーマのようにもなってますんで、有り、でしょう。)
まあ、正しいもまちがいも、へったくれもありゃしないのが、この手の関係なのでしょうが、むかしの常識を今の常識では量れません。
実際、近親での婚姻関係は、歴史からの教訓や体験でも証明している通り、劣性遺伝出まくりで身体障害児の出現率が、やはり高いようで、それゆえにタブーになったものであると考えられます。(後述)
ふと、外国の神話を見て思ったんですが、元々は近親結婚のことを人間では無い者との結婚に、なぞらえている節があるんじゃないか?と。
その場合できた子供が、人間らしくない獣じみている容姿であるというのも、一般人との違いが明らかなんですが、逆に資質がずば抜けて優れた神のような子供(同じ兄弟なのに)が生まれたりするのも、親の遺伝子が近いことを示唆しているようで、何とも。
(この生まれるのが優と劣のどちらか、イチかバチかみたいな感じも、普通じゃないようで、うすら寒いです。それからイトコ同士は法律上オッケーですが、なるべく避けた方が良いんでは?とむかしご近所に住んでた人の実例見てるんで言っときます。でなければ、一応それ系の検査はした方が後々のことを考えると良いと思います。よけいなお世話ですが)
話がちょっと逸れましたが、古代の万葉のころの日本でも、良く言っていたのが、妻のことを妹と呼んでいることです。(背は兄のこと)
これは、イザナギの妻、イザナミがイザナギの妹であることに起因しているのは、まちがいないでしょう。
ちなみに、アイヌの神話のオキクルミという男神の妻であるトレシマジも、トレシは妹で、マジは妻という意味です。
世界の神話では、妹を妻にしているものは少なくないと思われます。
つまり、神が『妹を妻にしても不都合はない』と言っちゃってるわけです。
じゃあ、近親婚はめずらしくないのか、というと一つだけ条件があった様ですね。
近親婚でも、すごく責められる=国津罪という犯罪を犯した者とされる(木梨軽皇子はその罰として廃太子にされた)、のは同じ母親から生まれて来た子供たちの場合です。
つまり、母親違いなら、父親が同じでもまったくオッケー!、だったようです。
むかしは夫婦でも別居、通い婚であり子供は母親の元で育つので、父親が同じでも母親が違えば、他人も同然って感覚があったのかも知れません。
(大むかしはもちろん遺伝子検査もないしね、外国でも誰=母親、の子か?っていうのが重要だったりすると言いますし。)
身元を証明するのは、あやふやな父よりも、いつでも確実に生んだといえる母親なんでしょう。
それに遺伝的にも『伴性劣性遺伝の場合』父親が正常、母親が患者だった場合、生まれる男は発病で、女はキャリア。
父が患者で母親が正常だったら、男は正常で、女はキャリア。
どっちの組み合わせがリスクが低いか?(父親が違う病気の母を持つ子供たちどうしで子供を作ると=患者とキャリア、母親が違う病気の父を持つ子供たちどうしで子供を作ると=正常とキャリアの組み合わせになる)わかるでしょ?
 だから、イザナギとイザナミも父親は同じでも、母親は違ったのかも知れません。
きっとそうでしょう。万葉の人々がそのように解釈して、真似していたのなら。
で、このまきじの場合は同母ですね。なので、これはマズイでしょう。
しかも物語を再構築する上で、同母の兄妹にする必然性も、なくなってしまったから止めたのではないか?と思えるのです。
(COM版の物語を読むと、先生の他作品、空気の底に収録の『暗い窓の女』みたいだなあ、と思った。
それと同じく収録されている『わが谷は未知なりき』は、同じ近親相姦でも必然性が見られるから、ちょっと違う)
だとすると、最初はどのような物語が描きたかったのでしょうか?
現在の乱世編のように、史実とリンクした壮大なものになるかならないかにしろ、近親相姦の忌まわしく血の中に潜む因縁、そして閉塞感とジメジメして鬱屈したものがありそうな閉鎖社会の、世界観を描こうとしていたのか?
(はたまた、五条霊戦記のようなブッ飛んだ内容になっていたのか?そっちの方が面白そう。)
とすると、もっと淫靡で先生のアダルト作品に分類される『奇子(あやこ)』(近親相姦ありまくり)に近い作品になっていた、かも知れませんね。
良くも悪しくも、同種同類同族で固まるというのは、守りに他ならず、火の鳥に振り回されるのも、結局は血脈の守りのためです。
その究極の形が近親相姦と言える(のでしょうが、やっぱり一般的には嫌悪感が出ますね)
長くなりましたので、現在普及版の乱世編の解説は、次ページに続きます。


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