手塚治虫のどろろがリメイク、という情報が2018年の春先に飛び込んで来ました。そして、秋には続々と情報が更新されて放送日も決定しました。

どうしても白黒のどろろと対比されてしまうのは仕方のないことでしょう。
私も、このNEWどろろを時に他のメディアのどろろとも対比させつつ、追いかけて見たいと思います。

応援してます。みんなも応援しようね!
2019年1月7日より、東京MXにて毎週月曜22:00から放送。BS11にて毎週月曜24:30から放送。1月11日より 時代劇専門チャンネルにて 毎週金曜26:00から放送
ちなみに私は、アマゾンプライム会員で、6日に先行配信されてますので、そちらで視聴します。
(あくまで一話目のみ先行配信です。2話目からは独占見逃し配信ですので、お間違えなく。各話先行配信とか書いてるブログさんもあるみたいなので、ご注意ください。私はアマゾンファイアタブレットも持っているので、アマゾンプライムビデオからwifiでダウンロードできるので、好きな時にお便利に見られるので重宝してます。)


正直、最初の3月にYouTubeにアップされていた画像を見て、ちょっと不安=一般受けに対して、でしたが、9月にアップされたプロモーションを見て絵柄が今流行りの絵だったので、ホッとするというか型破りでないことが残念の様な、複雑な心境です。

SNSの流行りで、もう個人向けのリンク用バナー これ→
は存在してない様です。リンク貼れねえ…。文字でいいかw


 ▼ TVアニメ「どろろ」公式サイト
 ←こちらです。

主役の百鬼丸の声優さんが舞台でも百鬼丸役をなさるそうです。
 ▼ 舞台「どろろ」公式サイト  ←こちらです。

さらに、人形劇にもなるそうです。
 ▼人形劇団ひとみ座「どろろ」公式サイト
 ←こちらです。



 【第一話「醍醐の巻」の感想
どろろという物語には、たくさんのテーマが隠されています。
原作漫画を読むと、それがわかります。
白黒版は、百鬼丸の年齢を引き上げることで、社会性のあるテーマを背負わされ、まっったく笑顔の一つもない根暗な、陰と死の臭いを纏った主人公(百鬼丸)と、それに劣らない人の世の血と涙の混沌とした地獄の乱世という世相と、それゆえに妖怪は蔓延り、結果として陰が闇を切るかの如し、というアニメになったのでした。(「どろろと百鬼丸」編は暗すぎて見ている子供ドン引きのため妖怪退治に主眼を置いたのでしょう。)
そして、どろろという存在が無ければ、鬱々としすぎて目も当てられないほど、陰にこもった物語になっていました。
だいたい手が取れたり、足が取れたりする漫画ですから、まず子供が怖がらないはずありません。(怖がった人より)
重厚で凄惨、がそのテーマには含まれていたと思われます。
リメイクどろろは、初回を見ただけでは、テーマが良くわかりません。
略式のスタイリッシュさを目指しているようにも思えます。
まあ、あまりリアルは考えていないかもですね。
私は百鬼丸を見ると、どうも丹下左善を思い出すのですよ。(私の百鬼丸に抱くイメージね)
アニメの初回で皮膚を取り戻したらしい百鬼丸ですが、ps2ゲームの百鬼丸がボイスを取り戻した時のニュアンス?を感じました。
出産シーンは妖魔に魅入られた子供を産むのは、異常分娩だと思うのでもっと壮絶な方が良いですね。母親の最初は噛んでいた布切れも、口から外れて絶叫、にかぶせてお経を読む声がどこからか聞こえる(プロモーションで流れてたやつ、これは景光の最後の良心の声で半信半疑だったけど、生まれた百鬼丸を見て残っていた良心を捨てた)とか。
天井から垂れた紐を握るのが強すぎて(昔のお産のスタイル)紐がぶち切れるとか、百鬼丸が生まれるというインパクトはもう少し大きくても良かったと思う。
琵琶法師は良い感じに格好良かったのと、もう出ている多宝丸が無事に外道に育って、百鬼丸を思いっきり罵倒してくれるだろうか?という点が期待大です。
こういう各回の感想を一つ一つ挙げていくというのは、リアルタイムなので新鮮さが強みではありますが、全体像がつかみにくいのが難点です。
おまけにリメイク作品というのは、どうしても前作との比較が免れられませんから、感想を書く方も難しいんですよね。
感想とか言いつつ、アニメの画像をベタベタ貼り付けて、ネタばらしするだけといううらやましいブログの方が人気ありますしね。
・・・。気を取り直して続けます。
第二話「万代の巻」の感想
このニューどろろ、まず大きい変革は48魔神を12魔神にしたこと。これは書き忘れたけど前回の第一話で明らかにされてました。
これは放送回数の事情で毎回倒してきれいに納めようという考えでFA?だと思ったので、何となく書き逃しました。
それはそれで楽しみだからまあいいかな、スケール的には縮小しちゃうかもだけどね、その分話は凝縮できるはずだから、失敗したら目も当てられなくなる、と言うのが懸念。
そして、この第二話ではっきりした事実は、まさしく百鬼丸が木偶だったこと。
話すこともできないから、琵琶法師を出してアレコレ説明させてるほど。
物語が序盤だから、謎が多すぎてアレコレ言っても後で的はずれになりかねないんだけどね、百鬼丸アンタどうやって行き長らえてきたの?
ってゆーか、どろろと出会った時の泥鬼が、百鬼丸の倒した最初の魔神じゃないよね?
そうなら殺伐とした中で、こんな世間知らずなのに良く今まで生きてこられたなあ、と感心しちゃう。
どろろに手を引かれてる姿は何て言えば良いんだろう。
どろろも何で百鬼丸にくっついているのか?なんだけど、今回は既視感があったので、よく考えたら礼金目当てで妖怪退治を売り込んで自分は何もしないって、そりゃゲゲゲにくっついているビビビのネズっちじゃん?
流石、泥棒の上前をはねるどろろさん、阿漕だねえ(笑)
その通りこれからもっとうまく立ち回って、こすっからいところをドンドン見せつけてくれれば、それはそれで見所にはなると思うんだけどな。リメイクならそれ位は欲しいなあ。
今回はやはりスケールの縮小、コンパクトさを感じた。村人たちもほぼ出ない、うーむ。モブは賑やかしだと思うんで、華やかさに欠ける=暗い、っていうイメージが付くかも。
暗い話が悪いんじゃなくて、百鬼丸と同じくあんまり話に覇気が感じられないんだよね。
白黒版の金小僧登場場面はチビるほど怖かったのですが、ゲゲゲさんのリメイク大海獣のようなパワーダウンでした。
そもそも万代の巻の話のはずが、万代様を利用した村長の話って感じだったし、万代様自体が弱えぇ・・・。
もしかして、このどろろに出てくる妖怪って、人間と持ちつ持たれつな関係の悪を多くするつもりだったりして?
何か色々詰め込みすぎてて、ザッピング見てるような落ち着かなさはある。やはり序盤だから?
そして映画の寿海が、戦場から子供の死体を漁って百鬼丸の体を作った罪滅ぼしに、アニメでは戦死者の体に死化粧よろしく羲体を着けてやってるのだろうか?
これって意味のある行為なんだろうか?
映画では戦いで手足を失った人のための研究という、立派な目的があったけど、死んだ人に施すほどの大きな謂れって何なのだろうか?
第三話は、寿海の話らしいからそこが明らかになるかも、楽しみだぁ。
またまた書こうと思いつつ、書きそびれていましたが、どろろの歌(ほげたらの歌)を歌っていた藤田淑子さんが(と言うより某CMのおかげで一休さんの声の人って言った方がわかりやすいか)つい最近お亡くなりになってましたね。ご冥福をお祈りいたします。
【第三話「寿海の巻」の感想】
いいねいいね、三話で妖怪を殺しまくっている百鬼丸さん、足も取り戻しててビックリだよー。
今回は、寿海の巻だけに、彼がどうやってこの技術を身につけたのか?について描かれていますね。この設定説明はなかなかうまいことやったな、って感想です。
しかし、寿海も正常ではいられない人だったんだな。
人を殺めて殺めて、断末魔の悲鳴も命乞いも何のそので殺しまくって、ついに心を病んでしまった人。
だいたい、人を殺すって言う行為は実は自分の大切な何か(主に魂と呼ぶ)をも殺す行為だ、と言うのに気付かなさ過ぎる。
一時の激情に駆られて、みたいなのならまだ同情も理解もできるけど、ただ敵だからと言われて見も知らない人を殺すのも、なおさら後からジワジワ来ると思うよ。
つまり寿海は義体を人に施して、人を癒すと言う行為によって、自分も癒されようとしたわけでした。
それが息子のようにも思っていただろう少年に否定され、途方に暮れていた時に赤子の百鬼丸に出会ったのでした。
生きたい、という本能で反射的な反応を見せる百鬼丸さんを、新たな生きがいのように感じたのでしょう。
そして、百鬼丸を育てるのにこんなにふさわしい男はいませんでした。
百鬼丸が魔に魅入られているのに気付いた寿海は、主に剣の技を伝授します。昔取った杵柄ですね。
しかしそこでまた葛藤ですね、降りかかる火の粉を払う百鬼丸さんですが、寿海の目には殺戮していた頃の自分にダブって見えたのでしょう。
しかも、意思疎通ができない百鬼丸さんとの間で、細かないわゆる機微を教えると言うのは困難なことでした。
殺戮マシーンを、新たな火種を自分は育ててしまったのでは?と寿海は危惧したのでした。
ところがすっとこどっこいしょ。そこはそれ、魔神に魅入られた子供、百鬼丸さんです。
百鬼丸さんは魔人を倒し、足を取り戻してしまったのです。
生えてきた足を見て、寿海は悟ります。百鬼丸には自分はだんだんいらなくなる。
人の役に立つ、人を癒すとはつまり寿海にとっては許しを乞う行為に他ならないことだったのです。
いつか許される日が来るのを願っていた寿海、それが来ないんだと引導を渡す百鬼丸さん。
だからこそ寿海は生者ではなくて、死者に死化粧のように義体を付けまくっていたのでした。
こんな狂気な男だからこそ、百鬼丸を育てるのにふさわしかったのです
って、うわーこの物語って、どいつもこいつも罪びとだったのですね。
自分が許されるために償う、まあそれを偽善とか欺瞞とか呼ぶ者もいるわけですが、そう言える偉そうな人は、キリストの罪人ではない人だけが石を投げろ、と言うあのセリフを送りたいものです。
私は自分が善人ではないくせに、善人のふりをして(決して善いことを進んではやらない)、人の尻馬に乗っかって他人を非難だけしかしないで、正義ヅラするような奴こそ、偽善者め!と私は思っています。
そういうのもこれから描いてくれると面白いですね。
そして---------。
寿海に厳しい剣の手ほどきを受けている百鬼丸と対照的に、弟の多宝丸が家来にヨイショされて剣の稽古をして、それを見た景光が親バカになってる描写をされているのも、非常に香ばしいです。
これからなのね・・・。これから百鬼丸が疫病神のように家族の眼の前に現れて、リア充を満喫している多宝丸をまずドン底に突き落とすのね。
もう私、魔物目線よ。ヌクヌクと幸せに肥え太らせておいて、突然奈落の底に突き落とし、真実の姿とも言える地獄を見せて魂を刈り取る、それこそが魔神の好物。
しかも、ある意味、魔神の申し子と言える百鬼丸を使って。
それがいつかは見られるかと思うと、もうたまんねえええー、です。ハアハア。

次回は妖刀の巻、似蛭の田之介が出るのね。でも、百鬼丸まだ喋れないから、妹のお須志がキレイだとか言うセリフもないんだろうな。忘れてたけど百鬼丸は、いつ喋るんだろうか?主役なのにwかわいそうすぐる…。
さすがにマズイんじゃないか?と、ヒヤヒヤする今日この頃でした。
【第四話「妖刀似蛭の巻」】
見て絶賛してる人は、私とは感性が合わないと思うので、読むの止めてね。不快になると思うんで。

コレはダメ。ダメだダメだと頑固親父のように理不尽に言う訳じゃないけど、宜しくはないですねえ。不安はありましたが、まさか的中するとわ。
まず、私は田之介の最期の「血が欲しいか、どうやら奴(百鬼丸)のはムリらしい、俺のを吸え、吸え」と、自分に突き立てる壮絶なアレを外すのは間違ってると思う。
百歩譲っても、直接的物理的に、妖刀に血を吸われて死んでくれよん!
取り憑かれた狂った男は、妖刀の虜、下僕、奴隷に成り下がってるので、妖刀のためなら命も惜しげもなく差し出すのですよ。
そういう狂気なくしてどうすんの?
それと、原作を改変しまくるなら、何でそもそも田之介の狂気の原因を変えないの?
つまり、前回の寿海で、すでに見てるんだよね。
上からの命令で殺戮した末におかしくなる設定かぶりまくり
しかも、串刺し張り付けのあのインパクトある寿海を見た後じゃ、田之介なんか大したことないと思っちゃうよ。
まさか、おんなじような境遇なだけに、絶望した寿海が実は妖怪化していて、死人使いになっていて、後に義体を付けた武者達の死体が百鬼丸を襲う!位の話の伏線だったらゾクゾクするけどね。
薄々感じてたけど、どうやらこのどろろって、リメイクのオリジナルな部分には異常に力を入れてて、元々のオリジナルな部分がお座なりになってるとしか思えないのよ。
遠慮してるのかもだけど。
そう思わせるほど、描き方に差がありすぎる。
しかも、ええと、よく時代劇なんかでも渡来人なんかの技術を、他の藩に知られないようにと、職人たちを軟禁してその家族一族まで囲いこんで、その藩主のために物を作らせるの。それで、藩の領土内から出たら殺されるってそういう話。
それ考えたら、城だか砦だか作った職人を、戦乱時代には囲うよりも殺した方が手軽に口封じ出来る訳だし、そう考えると残忍とか無慈悲と一概に責められる状況かは疑問が残る。職人たちの方でも覚悟してたんじゃないかなあ。家族の安全と引き換えとか約束されてさ。だから、命乞いもしてないし、暴れたり喚いたりもしていない
諦めているって言えばそれまでだけど、人間ってそんなにあっさりしてないと思う。
だからある種の覚悟済み、だったんじゃないかと推測される。
まあ、大概そういう約束はされてもおしまいには反故にされるんだけどねw。
だから、そういう当然な事をしなくてはならない田之介なんだけど、元々武士に向いてない人な訳で、職人風情が大人しくしてるのに、侍なのにオタオタしちゃってるし
それでも、家族の生活のためにも頑張って人斬りまくったためにおかしくなっちゃった。
それを妖刀のせいだと言ってるんですが、それも田之介が望んだことでしょう。妖刀のせいにして逃げる弱さを、更に妖刀に漬け込まれたんですね。
そこまでの狂気に追い込むなら、田之介は上役は斬っちゃダメですよ。
なぜならその時点で、カタルシスを得ているから。闇落ちするなら、それからしばらく経ってからでしょ?戦争の帰還兵見たくトラウマになっておかしくなり刀のいいなりになる、とかいう設定でないと。
田之介はムチャクチャやらされても、地べた這いつくばっても、権力にはへいこらして卑屈になるほど媚びなくちゃ、ダメじゃん
元々そういう意気地の無い、弱々しく優し気な見るからに線が細い容貌してるし。
田之介のような若造は、どうあがいても所詮は虫けらの境遇。
生きるため家族のためなら、自分一人が犠牲になったって、という理不尽さとか絶望感とかが、ぜんっぜん足らないこれじゃ狂えんだろうが!
どろろ、おまえも何で百鬼丸にくっついてんの?
ちゃんと百鬼に妖怪倒させて上前はねろよ、コノヤロー。
でないと、だめんずにくっついて、余計な世話まで焼いてさんざん甘やかしながら「あたいが面倒見ないと、この人ダメだからぁ」とかぬかす「おめえが男をダメにしてんだろうがよ!」と言いたいバカ女に見えて仕方がないです。
耳を取り戻した百鬼丸さんには、お須志に「兄さん殺さないでって頼んだのに。あんなにお願いしたのに、この人でなし。体だけじゃなくあんたは心の中まで人でなしよー、」とか旧アニメのように、それはもう口汚く罵倒されても良いと思うし。
(何か、辻真先先生=尊敬している、のお書きになられた小説のどろろで、百鬼丸が初めて見たのが恋人が切られて死んで行く姿、そして窮地に立たされた百鬼丸の耳に届く声「勝つわ…百鬼丸」のあの件を思い出した。あれは最高だよ!!と比較してしまった)
百鬼丸もしゃべらないんだからさ、痛いぐらい同情される設定(それこそあたいが何とかしてあげたい、と女に思わせるような悲惨さ)をもっと作っとかないと、妖怪倒してるだけじゃすでに空気化しつつあるよ、主役なのに。チビッコの言いなりに世話もされてて、こんなの百鬼丸じゃない!…。
(どろろも空気のおまけ化しそうだし)
あれね、百鬼丸はもう、しゃべる見込みが無さそうなんで、最後の妖怪と化した親父を倒した時に「親父ぃ!」と叫んでくれれば、もういいや。(バイオのスティーブ君!ファザーーーーッて思い出すよ。あれ位だったら女性ファン目白押しだよね。私もコードベロニカは結構好きだった)ダメっすか?w

と言ってる側から【第五話「守り小唄の巻・上」】ですが、予告にみおとマイマイオンバらしきものがっ!
ごめん、何か不安しか感じないけど、大丈夫かな?琵琶法師が出てるから、この回はまだ百鬼しゃべらないな。
でも、少しは動きがあるかも、一応は悲恋だからグッと来る何かがあるはずっ、と信じたい。
もしかして恋人のみおが死ぬ時に、初めて声を取り戻して名を呼ぶとか?(本のパク…)それも良いけど、よほど恋愛バージョンは盛り上げてもらわないと、と期待しています。

まあ、色々言っちゃいましたが個人的な一つの意見です。こういう見方もあるんだな、ということです。
【第五話「守り子唄の巻・上」】
予告を見てマイマイオンバが出るかと勘違いしてました。
すまなんだ
私は孤児つながりで、寺に捨て子された子供たちの話であるマイマイオンバと、戦争孤児の面倒を見るミオを絡めた物語でも見せてくれるのかも?と勝手に期待してました。
自分の子供に人間の子を喰わせる鬼子母神のようなマイマイオンバと、無償の愛を孤児たちに注ぐミオとの対比、もしくは女の持つ母性が時に恐ろしく暴走するのを知るなら、そこに含まれる狂気も理解できると思うので、母なる狂気という点から見ると両者は酷似しているかも知れません。
その辺を描いてくれるかなーと思っていたら、もう展開がムチャクチャな方に転がってて、何とも言えねえ。

そもそも守り子唄(守り小唄だと思ってた)ってどういう意味?
どういうつもりで国営の「みんなの歌」のを持ってきたんだろう?

それから、グロな描写はギリギリだとしてもエロな描写があるなら、R指定表示付けるべき。
これ(売春)はアウトでは?いたしてる描写あるしね。深夜放送なら良いのかよっ?
私はエログロっていうのはある意味必要悪であり、それが低俗から脱して許されるには、まず顔を背けたくなる狂気な強烈な感情や、激烈悪な状況があってそこで愛憎劇が生まれることで初めて高尚に昇華され、そうやってこそ成立させるのが望ましいと思っていたので、こんなお手軽な援交(売春)を見せつけられてる気分にさせられものを見るとは、思わなかったよ。
何か今の価値観で見て哀れんでる物語だけど、悲壮感でくるんで美しく見せたいのか?私はそれが逆に小汚なく見えて仕方ありません。
暗い話が人の心を打つとは限らないですね、何かもう鬱陶しいわ。
それは、生きててごめんなさい、生きて行くためとはいえ浅ましくてごめんなさい、でも私一人が犠牲になれば皆が幸せになれるの、とでも言いたげな勘違い女が常に恥じてオドオドしているからでしょう。(R指定付けなかった後ろめたさの代弁とか勘繰っちゃうよ)

よく考えてみますと戦乱時の状況下でよほど切羽詰まっているんなら、女だったら体でもなんでも売りまくるのも当然アリでしょう。生きてくためだし。(戦後の赤線とかの例もあるでしょ)それ以前にさあ、泥棒だろうとかっぱらいだろうと、乞食だろうと、生きてくためには恥も外聞もかなぐり捨てて、孤児の皆にもやらせたでしょう、リアルなら。
でないとどんなに頑張ろうと、たった一人のそんな微々たる稼ぎじゃ、みんな飢えて死んじゃうよー、ジャン・バルジャンだよー。
面倒を見るなら、一人でも生きていけるようにと、仕込む責任が発生しますということでもあるね。
まあ、そういうある種の逞しさ=これも実は母性(育て上げる=自立させることだから)、がこの物語には足りませんよね。
ミオの他に一人の子だけがめちゃめちゃ働いてる描写がされてますが、後はのほほんとお気楽に暮らしてるんだとしたら、ミオがいなくなった後で、生きる術を持たないその子らが野垂れ死んでも、仕方ないか、ってこと?からも薄々わかりますし、百鬼丸の母も弱々しい母性しか持ててないために、夫に強く抗えもせず、新しく子供を持った負い目から、多宝丸の気持ちもあんまり考えずに、ネチネチと嫌みを垂れるだけ。景光言い返せてないしwそんな両親の不和な姿を側で見て育つのもお前の子供なんだが?だいたい夫に従ってる時点で同罪。
百鬼丸母さあ、生まれてきたのがアレな姿を見てすぐにいとおしい発言するって時点で、狂気持ちなのはわかるんだけど、母の狂気かどうかというと、夫への当てつけがましさからも、女(牝)としての狂気じゃないかって思うよ。そうすると全部が、ただの偽善的なポーズで今流行りの夫へのマウンティングに見えて仕方ないのよね。
猫でさえ、生まれた直後の子供を人間に見られたら、取り上げられると思って食ってしまうでしょ、母の狂気ってつまりはそういう類のもんだと思うよ。
こんなんじゃ百鬼丸も浮かばれまい(死んでないけど)

私は、手塚漫画の方は、怪奇を扱いつつも設定はやはりご都合主義のマンガだと思っているし、旅も途中志半ばで終わっているので、評価的には娯楽マンガであるのに物足りなさとマンガ設定ゆえの限界も感じています。つまりどこまでも半端なマンガだなと。
それを、白黒アニメと辻版小説とゲームがうまく補完しているんですね。
補完されるというのは、手塚マンガがこのように中途半端に終わったからです。
そうやって補完される様は、ビーナス像の手が欠けているために、想像力が働く、ゆえに名作になった、というあれに似ています。
未完で在るがゆえに読者を惹き付ける作品になれた、ということです。
これは悩ましい問題でもありますね。
見えない先はどうにでもなり得るからです。正解の無い謎と言え、答えを推測するしかありません。
ぶっちゃけ、このアニメはどうかというと、変なところでリアル追及してるのに、肝心な生きる、という観点から見るとアレレの連続、半端にリアルもどきなのよね。不気味の谷?みたい。だから気持ち悪くて萎える。
主題が、生きる、じゃなくて「出来るなら遠くに逃げたい」だもんね。
これは、何でもかんでも認めずに、逃げている者達で作り上げる物語、のような気がしてならない。
なよなよしい。

題名のどろろも、何か素直で弱い子=ただの良い子、にしか見えない。
生き抜く図々しい逞しさがぜんぜん足りてないと思う、こんな性格な子だとすぐに死にそう。
死なないからマンガ=アニメ?
百鬼丸は恐らく美少年なんだろうね。人形のよう、というのは佐七親分のようにもともと面の綺麗な、という意味だしね。だから、どろろもミオも気に入られたくて必死になってる、としか思えません、萌え?なのか?

あー、でももし次回ミオが子供たちを守って養いたい一心で、売春して孕んだ子供がマイマイオンバになって生まれて出て来たら、いや、絶望の果てにミオがマイマイオンバになって、魔物を生んで百鬼丸に倒されたら見直すかもwありえねー

それと、くどいようだけど「赤い花白い花」は好きな曲なのに、ミオが売春の時に歌うから、歌のイメージが汚されました。これは男女の相手を思う優しく切ない歌という、私には初々しい純愛のイメージがあったのね。
それは意外に歌には思い出が付随するものだからです。流行歌を聞くとその時代の自分やら、あの時にこの曲が流れていたとかそういう思い出ってあるでしょ?
つまり私も周りもまだ無垢で初々しかった頃の楽しい思い出やら密かなる初恋やらとかさ、そういうピュアな思いがこの歌に付随していたみたいで、それを同時に汚された訳。嫌すぎるでしょ。
だから当然この歌を知らない人は、思い入れも何もないから何とも思わないだろうけど、この視聴者って歌を知ってる世代もたくさん見てると思うし、作り手も知ってるから使うんだよね?・・・。
私同様の違和感は感じる人もいると思うよ。あーあ、イメージ狂った。よく使用許可したなあ。
お金やら時間やら事情もおありでしょうが、安易に持ってこないで欲しかったわあ。
もしかしてこの歌を使う理由として、体は汚れてるけど心は純真だから、とかラリってる不倫女みたいなふざけたことは言わないよね?
どんな事情があるにせよ、売春してる時点で心も無理だから。

琵琶法師が剣呑と言ったのが、古臭いというかオッサンだなぁと面白い。昔の時代小説なんかを読んでるとよく出てきた言葉なんで。

それと、まだちっちぇ領地にこだわってんのか、醍醐のおっさん。下克上して領主殺して、近隣に攻め込んで領地をバンバン増やしてる頃かと思ってたよ。そんでもって偉そうに
「北陸は支配したぞ、今度は奥羽地方に攻め込むのだ。それが済んだらすぐに京に攻め込んでくれよう。ようやく天下を手に入れられるぞ、うわはははは、」←これが聞きてえんだよ。そんなんで歴史に名を残せるのか?
今の石川県のそれもごく一部地方を豊かにするために犠牲になったってのか百鬼丸、浮かばれないな(死んでry)

次回は、第六話「守り子唄・下巻」っすね、視聴脱落しませんように、私。
【第六話「守り子唄の巻・下」】
今回一番びっくりしたのは、寿海もトラウマ持ちだからって、百鬼丸の情操教育がなおざりにされ過ぎていたことが判明!親父ィ、しっかり育てろよー、としか。

あんな女の細腕で自己犠牲精神をこじらせて、他人を甘やかすだけのミオにどろろと百鬼丸までもがぶら下がって、しょーもないと思ってました、正直。
どろろ、おめえはホントに何にもしねえのな、かっぱらいはお手のものじゃなかったんかよ!
売春も泥棒も平安な世の中だから犯罪なんであって、福祉も何もないこんな世の中で自力ではもう飢え死ぬと思ったらやるでしょう、かっぱらい。百鬼に会う前まではそうやって生きてきたくせに。
母親との思い出なんか、話されてもなんの足しにもならんし。
孤児のガキどもも働かないで、刀集めなんてやって自慢してんじゃないよ。
百姓やるならそんなもん必要なかんべ、売りに行けし!その金でミオ姉ちゃんに楽させるとか考えろよ。
だから、あーあ、ミオが金欲しさに見境なしにやりまくって、スパイだと思われちゃってあげくに皆殺しだよ。
もしかして、そういう因果物語?うわーひどーい。ニートに見せたーい。
この前後編の難点は、あんまり一生懸命生きてなさそうな人間たちが殺されても、感慨は今一つだなあということだな。
いっそ、ミオに本当に売春しながら内情を探るスパイをやらせた方が、面白かったんじゃないか?と思ったり。
それとミオの声がたまにおばちゃんくさい、と思って中の人見たら水樹奈々(っていくつ?と思ってググったら)・・・。
ビッグネームでなくでも良いから、若い子の声の方が良かったと思う。
その点では、どろろの声の子はキャラとも実年齢が近いから私は悪くないと思う。過剰な演技でなく自然だし。少なくともあの絵には合ってるよ。
どろろの声がどうのという評価をちらほら見るけど、キャラがブレてるのと、(百鬼のやつが主役1のくせにずっとだんまりだし)その分の評価も背負わされてるんじゃないの?かわいそう!

まあそう言いつつも、今回は見所もありましたね。
自分の領地、領民のために我が子を犠牲にする景光。
そんなの関係ねー誰にどんな迷惑が掛かっても、気にしないー、鬼神倒すのが俺の生きる目的だからあ、邪魔するヤツ気に入らないヤツ(ミオが殺されたことはお気に入りの玩具でも壊されたような怒り)はバッサリよ?というエゴ丸出しな百鬼丸さんの姿見直したよ。人間に見えないよ、ってゆーか、木偶なのは心もだったか。
もっとも、鬼神に体を奪われた時点で固い絆が生じていて、鬼神の強い影響を承けてるだろうし、育ての親もアレレだし、で色んな面が鬼神と相通じる所があったとしても不思議ではない。
(百鬼丸はまさに鬼である。執念の鬼である。体を取り戻すことは彼にとってはおまけのような二次的なものなのかも知れない。
では最大の目的、この場合最早悲願のようにも見受けられるが、ぶっちゃけ復讐だろう。
自分を最悪な境遇に貶めた者たちへの。
だから、取り戻した体が傷ついても戦いを止はしないのだろう。
感覚は感情を伴わせるものだ。
快感には笑みが、苦痛には涙が、それらによって喜び悲しみ、苦痛恐れ等を抱く。
弱くなるとは、恐れと言う臆病心によって、行動を制限されることだ。
だから、百鬼丸は不馴れな肉体から受ける感覚に戸惑っていただけで、弱くなったように見えただけなのである。
だから、感覚に慣れればもとに戻る類いのものであり、普通は不調と言われる状態なだけである。
そして、そんな状況ですら戦いを止めない百鬼丸を、弱くなったと言い切れるだろうか?
少なくとも心は決して折れていない、ブレがないのである。
そういう人間を弱いとは言わないだろう、と私は思う。)
景光がせせこましく神経すり減らして守ってきただろうものを、これからことごとく派手にぶち壊して行くんですね!ああ素敵。
やはり主役だし惨めで悲惨な境遇なので、一番の狂気を獲得しやすかったわけですね。盲点でした。
このまま景光とは正反対な道を歩んで欲しいものです。
どこまでも弱腰のくせに、名を残したいとかどの口が言うか!の父ですが、それよりも死んだ子(百鬼丸死んでないけど)を美化するあまりに、そばにいる子に常によそよそしい態度しか取れないダメ母が、鬼神顔負けの百鬼丸を見た時にまだ、いとおしいとか寝ぼけた発言をかませるのか、興味津々です。
これで、目が覚めた、やっぱり私には多宝丸が一番!とか言い出したら、それはそれでw。
(この変な情念を撒き散らして頑張ってる母親が、最後の妖怪だったら神!)
多宝丸もある意味不憫だけど、基本的にはなに不自由ない幸福家族だし、所詮はボンボンだからな、百鬼丸登場でどんな風に打ちのめされるのか?荒れ狂うのか!楽しみー。
余談ですが、
最近では、手塚作品モチーフにしたオマージュ版リメイクが盛んなようです。
私もヤングな黒男せんせーやらプロトタイプなアトムやらの物語なども、追いかけてみましたが、途中から「何かコレじゃない」感がだんだんと強くなり、その独自の匂いが香ばし過ぎて付いていけねえぇ、な状態に陥りつつあります。
そんな中で、手塚魂を踏襲していて面白く変に気負って望まない方向へ向かったりしない「Dr.キリコ〜白い死神〜 1 (ヤングチャンピオン・コミックス)」は思った以上に面白くてサイコー。
これぞブラック・ジャック(主人公はキリコだけど)。おすすめしちゃうよ。
応援してます、みんなも良かったら読んでみてね!

この新アニメの百鬼丸が人を認識する方法は、魂の形を心の目?みたいなので見るらしい。でもまんま、人間の形のが幽霊みたくぼやーっとしたものを認識してる訳ね。それに色が付いててその色で、敵味方の判別すると言うもの。
何かそれに覚えがあったんで、考えたら筒井康隆の超能力お手伝いさん、というまるで和田慎治の漫画の「超少女明日香」な設定の七瀬が出て来る「家族八景」という小説の中に、他人を抽象図形と色で認識する男の話があったのを思い出しました。
私が筒井康隆を読んだのは、私の友達が筒井康隆の小説には宇宙に向けた暗号だか電波だかが発信されているのが、数式になって?込められている高度な読み物だ、みたいなことを物凄い興奮して私をバカにするように主張したからでした。(どうやら、ラジオから仕込んだネタらしい。どこのどいつだ!迷惑なっ)
正直それ聞いて、はあ?だったんですが、頭に来たので、検証のため本屋で何冊か買って読んでみましたよ、筒井康隆。
しかし、火野正平主演映画の「俺の血は他人の血」とか、「ジーザス・クライスト・トリックスター」までは何とか、しかし「熊の木本線」を読んだらもうダメ、ゲラゲラゲラ。
やっぱりかっ!騙されたぁあ!あいつめえぇ!(でも、類友だったりw)何がアルファ線がーだ、もう大笑いだよー。(私がバカだから、数式みたいな暗号とか見つけられないのか?とちょっとだけ悩んだのはナイショなんだぜ)
まあそれで、その頃はなかった言葉、中二病、文字通りの電波、の走りだったようだ!という香ばしい結果に終わった過去を思い出しました。
(私も暗号だの電波が隠された筒井康隆読みたかったーwしかし、これが広まって筒井康隆の断筆宣言に繋がったのである!わきゃないだろw)
まあ、単なる人の思い込みの黒歴史(数年後に、そう言えばさあ、と水を向けてみたら「まあまあまあ」とかよくわからないことを言ってはぐらかされた思い出があったわw)に巻き込まれました私の青春、てやつ?の思い出だあねw
【第七話「絡新婦の巻」】
掲示板で励まされたので、何とかモチベは続いております。
少なくとも私は点数とか、閲覧数のためにこれを書いているのではないな…。(カウンター見ても笑えるんでw)
ただ、書いたら最後、残るものだから全力投球。
数年したら発掘しないと出てこないようなものにゃしたくないし。だから私は面倒くせえけどサイトを作ってるんですね。
そうやって考えると、毎回感想を書くというのは私にはハードルが高いんですよ。かなり真剣に考察してますが、続くか不安。

今回はトーンダウンと言わざるを得ません。腑抜けた百鬼丸を鼻で笑いたい気分です。
と言うか、ショッキングな描写で話題をさらうという、顰に倣う炎上商法のような真似がこの作品のためにならないのは、今回の感想数の激減を見ても火を見るよりも明らかです。
映画の小説どろろでミオはすでに売春婦描写されてたので、ああそっち方向にいくのね?と思ってたらこの体たらく。
あんなハードなの見せられた後で、こんなええ話風の見せられてどうしろと?物語性に一貫性を持たせようよ

そもそもどの民話でも異種婚は悲劇に終わってます。
アレは、人間世界での関係の薄い習慣の異なる地域の者同士での婚姻がうまくいかず別れた、というのが土台になっていると思われますが、真実は自殺したりいびり殺されたりしたのを、里に帰ったと誤魔化してるのも多いと思う。
つまり、異種婚の話も相手が怖くなったり嫌になったりして殺したか、殺戮の血の飢えに耐えられなくなって逆に殺されてるんじゃないかと。
おまけに異種間で生まれた子供はもっと悲惨で、異種の血が強くなり、殺戮の本能を消せないので殺す前に殺してくれと頼む、というものです。
これは後妻が先妻の血が濃い継子を殺す口実として使ったのかもと思うとさもありなんで怖いです。
異種婚はこのように実に血なまぐさかったりするんですよ。だから私はこの話が良い話とは思えません。
(また、鯖目のマイマイオンバに被せてきた話だな、としか。)
それを見逃すとは百鬼丸、言語道断!
(それともそういう恐ろしい種子を撒いておいて、大きく実らせてから刈り取るつもりなのかっ!だったらそれはそれで鬼神の百鬼丸見参!でしょうw)
私はこの妖怪と男がお互いを思いやりつつ、逃げるのに落ち合う約束をして、一時離れ離れになっている間に、そんな事情は露も知らない鬼神の百鬼丸さんがクモ女を、侍たちが男を殺す設定の悲劇にした方がその後も安全だし、視聴者にも受けたと思う。こういうのは、べたかも知れないが王道なのが無難。ぬる過ぎる物語で、中途半端なのよりはよっぽどいいと思う。
逃がし屋に逃げられた侍たちは、残された者達を絶対に見せしめ拷問するでしょう。「知ってたのに黙ってやがったなあ!」とか難癖付けて鬱憤ばらしのために乱暴狼藉をするのは目に見えてるじゃん。それはここではズルくも描かれてないけだけで、恋にラリって周りが見えなくなった一人と一匹がやらかしたことの後始末を、残った者たちがさせられるんですね。
斬らなかった百鬼丸、罪な男だよ。

これやる位なら、万代様の巻がもう少しどうにかなったんじゃないか?と残念でなりません。
というのも、特にどろろって異色作だし、昭和の時代って悲惨なアニメ多かったですから。
可愛いらしい絵柄のハッチもモックすらも、目も当てられないほど悲惨な物語ゴロゴロ。
それを見ている子供って、社会の底だの裏だのの人間社会への暗喩が込められているな、と無自覚ながら認めている場合が多かったのよね。
大人は子供の感性を軽視しがちで、すぐ悪いものの影響を受けるからとバカにして禁止したがるけど、そんなことするのは本当に性悪で、それ(テレビとかメディア)に責任を押し付けてるだけの故意犯罪だと思う。
子供ってよく見てて、意外なことを学んでたり知ってたりするものです。
そういう子供時代を経てきた人の視聴も、当然想定済みのはず。
だったらあるよね、作品を正しく生み出す責任。
まあ、そこまでレベルを上げて作るか、表面的な物語に流されて素直に見てくれるようなマンセーたちだけを相手にして楽をするか。
少なくとも、今さらこんなヘビーな内容を企画して新規だけ取り込もうとしたとは考えにくいんよ。ネームバリューに期待もしたはず
それなのに、時代考証やリアルとの擦り合わせ、設定の辻褄合わせがイマイチなのよね。
私は前回の白黒アニメ化の時も暗すぎる内容に、何をトチ狂ったんだか、ギャグにしようとしたとか、笑えない話もあるようですけど、結局はそうならなかった心意気を思うとね、変にええ話風に持っていかずに、ハードな時代劇風な路線で頑張って欲しいと願うばかりです。

次回も不安なオリジナル「第八話・さるの巻」
また急にケツまくるような話に(二重の意味でw)変わったらどうしよう?
【第八話「さるの巻」】
えっとお、何なんですかい?これは?私は一体、何を見せられてるんだろう…と悩む。
二週続いてヌルヌルな話を見せられた後で、また次回は「無残帳なんて題名からしてハードさ確定の鬱話を持ってくる訳でしょ?
見ている方はもう完璧に訳ワカメだと思う。視聴者を混乱させてどうする!
結論としては、やっぱりリメイクのオリジナルはイマイチ、手塚治虫ってストーリーテラーとしても一流だった!という証明がされたわけなんだが…。
しかし、何でムリクリにええ話に持ってこうとするかね?
ゆとり世代以降って結末がハッピーエンドじゃなきゃ暴れるんですかい?だからええ話に持ってかないと、ってことにでもなってるの?私が知らないだけでお約束として決まりでもあるのだろうか?
それともまさか、悲惨な話が続くから箸休め的な意味合いで、ええ話を挿入してるとか?
(話に緩急をつけるどころか、支離滅裂にならないことを願うばかりです)
言っときますが、わたしは別に悲惨な話が好きなわけではないです。
あの話の展開でこうはならないだろう、と思う方にばっか持ってってるからイライラするだけです。
見てる人の意表を突きたいわけでもないよね?外人視聴者向けを意識してその要素を強くしたからとか?
(大体私は猿神退治の早太郎ファンで、snsのフォローもしてる位なんだぜ)

とゆーことで唐突ですが、前回今回も民話神話からモチーフを得ているんで、ちょっくらその辺を考察してみますよ、と。
女郎蜘蛛これがじょろうぐも、ですね。すると表題の絡新婦は本来はじょろうぐもなんて読めないはずですが、中国に日本と同じでこんな化け物がいます、それがこの字だったんでそう読むようになったのでした。
で、この化け物の話ですが日本各地にあり、大概有名なのは水中にいて男に糸を掛けて引きずり込もうとする化け物のことです。(中国ではを噴く子蜘蛛たちを操る親蜘蛛なのが面白い)
「男が水辺で切り株に腰を下ろして休んでいると、足に糸が引っかけられているのに気づく。そこで何となく糸を切り株に掛けると、ものすごい勢いで引っ張られて根こそぎ抜けて水中に沈んでしまった。それを見てゾッとした」という形で語られています。
では、なぜ水中に蜘蛛がいるのか?というのが疑問ですね。
これは、祭りのとき処女が水辺の専用小屋で神のために機を織った、という習俗が日本にあったからです。(七夕の織姫がそう)だから機織りのアラクネ=蜘蛛なんです。
なので、水の中から機を織る音が聞こえる、という民話があるのもそのせい。
このどろろの化け物は糸を吐くだけで、火も水も属性がない化け物でした。
生態的にも生物としての女郎蜘蛛の補食に準じて描写されていますね。なら表題に偽りあり?w
京極夏彦氏の影響ってやっぱすごいわぁ!ってことかな。

今回の「さるの巻」のモチーフは信州信濃にある光前寺(善光寺とまちがえやすいw)の早太郎伝説の、猿神(狒々=ひひ)退治と、俵藤太の伝説とどちらが先か?の日光の大蛇と赤城山の百足との戦いの神話ですね。(ちなみにその神戦のあった場所が戦場ヶ原ね)
表題の蜈蚣はごこうで漢方薬の名前ね、原材料がコレだからムカデとも読むけど、大抵はムカデの漢字は百足ね。
二週続けてムシムシ特集ですか。私は虫がだいっきらいなんですよトホホ(;つД`)でつ。
考えたらリメイクオリジナルの妖怪って(蟻地獄とか)虫ばっかじゃん!虫フェチの人が制作?
今回の話は、日光の山の神の化身である大蛇に、弓矢の名人である猿麿が加勢して赤城山の神の化身である百足を退ける、という神話がベースになっているんだろうけど(だからさるは弓矢で攻撃していた)なぜかもう一つ面白くないです。
いわばツギハギだらけの話で、まとまりがないからかも知れません。
一つ一つの物語は面白いのに、それをうまくミックスさせて描けてない、ぶっちゃけ描ききれてません、いかにも中途半端です(これはどろろという作品の全体的にそう!)と思えてしまうんですね。
(百鬼丸とミオのラブストーリー=悲恋、にすらなってないんでは?も、二話も使っておいて、お互いの思いを確かめ合う描写が皆無!つまり強いつながり、絆みたいなものですが、コレ見て二人が恋愛関係にあるカップルと思える人がいたら偉いわ。これでカップルってんなら現代の、毎朝挨拶しあうだけで付き合ってる認定しちゃうハアト同じメンタルの臭いがするし、キショ〜。だから百鬼とキスの一つでもさせておけば…それは娼婦だからダメなのか?だったらひどいなwミオ浮かばれないな)
さるは猿麿一族の生き残りで、あの黒雲を監視する一族で父も母も、果敢に百足と戦い命を落としたのだった。
そして今、慕っていた村娘が生け贄にされるのを知り、黒雲の妖怪もかつて無かったほどの暴走を始めたので、一族の掟によりさるは戦いに赴かねばならないのだが、自力では倒せないのは明らかで、死を前に躊躇していた。
そんな彼の前に、旅の二人連れどろろと百鬼丸が現れて…みたいにした方がまだ良かったんじゃ?
今のままでも十分に百鬼丸霞んでるからw。さるをもっと主役寄りに持ってった方が話が生きたかも。
言葉って大事なんだな、と百鬼丸見ててつくづく思う。声も取り戻してるはずなのに、アニメだからこそ喋らないと何やっても存在感うっすいとしか認識されないものなんだね。主役なのにマジで哀れに思えてきた
そろそろ喋らせてあげないと、設定だけじゃこの無口ぶりも大概限界でしょう、主役なんだよ?
百鬼丸の声の人のファンがよく黙ってるなあ、と感心するわ。
普通に「まんが日本昔話」の猿神退治の話の方が、ずっと怖くて面白いですぅ。
もう、私にはどろろと百鬼丸との、ほのぼのの馴れ合いを楽しむぐらいしか見所がないよー。
あと、よく分からないのが、今回の百足は百鬼丸の鼻を奪っていたんだよね?奪っていたその見返りは何だったの?そこが大事でしょう。
蜘蛛女を見逃した時も思ったんだけど、見逃したら百鬼丸の体、取り戻せないじゃん!何やってんだコラー!だよー。(こういうのを矛盾というのでは?モヤモヤするわー)
そもそも、取り戻せる妖怪とそうでない妖怪がいるとか?設定もこうなるとあやふやで考えるのもめんどくせえんですけどw。見る人に親切じゃないなあ。
唯一、手塚のオリジナルを越えられる要素がコレだろうと思うのに、こんなに杜撰でいインカ帝国?w
リメイクって難しいけど、ある意味安全パイだからなー、ってこと?ですか。だとしたら、うん、ガッカリ。
(それと余談だけど、黒雲の描写を見て、中国の西遊記モチーフの映画「ストームブレイカーズ妖魔大戦」を思い出しました。アマゾンのプライムで見たけど、ギャグあり活劇あり、ラブストーリーありで面白っ!、サイコー!)

今回は、先日買い物に行った先の有線で、どろろのエンディング曲を聞いたので、初めてまともにオープニングとエンディング見てみたよ。(今まですっ飛ばしてました。私はゲームでも音消しでやるタイプなんで)
完成度高いな!ビックリしたわ。絵と歌がマッチしてて良いセンスしてると思う。歌単体で聞いても良い歌だと思う。こういう若い感性って大事だと思う。多分この歌を全力でがむしゃらにやってるんだろうな、という部分が透けているのがまずイイネ!
そしてあのどちらかの絵で本編も描いてくれていたら、と思うと返す返すも残念
どろろと百鬼丸は全話に出てくるから見慣れましたが、一回きりのキャラは地味すぎて(さるは良かった)印象に残らないです。絵は上手いのかも知んないけど、やっぱり地味!話同様にのっぺりあっさりしています。良い意味でもっと癖のある絵であって欲しかったですぅ。
ハッキリ言って全体的に色も絵も地味目。だから、今回の青空の絵などは急に色が明るいし、クリア感が強くてビックリする。色か絵どっちか一つ明るい感じにしないと、話が暗いんだから。
それからファンの人ホントごめんね!今回も生け贄のお姉さんの声がおばちゃんだった。(ねーちゃんじゃなくって、かーちゃんだんべ!と思わずツッコミ入れたわ)
何とかならないですかね?何かのバーターなんですか?
(なぜって私は若いねーちゃんキャラが好きなんだよ、麦人さんも好きだけど←オイ)
話が暗いからって、若くて可愛い声はダメってことないでしょうよ。

来週は第九話「無残帳の巻」。
また、あんな重い話をさらっと一話にまとめるとか、大丈夫だろうか?ヒヤヒヤw
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