2017年の冬季アジア札幌大会もアイヌ舞踊を開会式でパフォーマンスしていた。BSで見たけど幻想的で良かった。すばらしかった。これが地上波ではドリカムのライブの報道ばっかりだった。
それはそれで良いと思うが、わたしはアイヌ舞踊の方がずっと(わたしは音楽自体興味ないwんですが、それでもやっぱり)見た方が感動するんじゃないかと思った。
なぜやらない!
文様

『アイヌの妖怪説話』
 迷信はかならずしも未開人特有のものではない。理知がはるかに進歩した文明社会でも、絶対にそれは無くならないものなのである。わが国のようなものは、大和民族の文明を中心として円を描く内の南北には、なおいぜんとして原始の状態を保っている、アイヌやら臺灣の生蕃人などが、入り交じっている。文明の中にも、迷信が存在する限り、これらの同胞たちの間には、より顕著なものがあるだろうというのは、疑問に思うまでもない事である。わたしはここにアイヌに存在する、幾多の迷信の中でも代表的なものの中で、できる限り妖怪説話についてその梗概(あらまし)を紹介したいと思うのです。
 明治四十四年、三月のことだった。胆振国虻田舊土人学校尋常科第一學年の女児の一人が、普段は真面目であるのにも関わらず、どうしたものか二、三日欠席した。するとその兄でこれも六學年の者が、その理由を申し出た。「彼女は學校からの帰路、午後三時虻田市街地イヌイベ翁の家の後方の、道路の小橋を通り掛かると、おそろしい妖怪を見て、吃驚し家に帰ったまま、寝込んでいるのです」と。わたしは何か理由があるのだろうと、彼女の家を訪れた。なるほど、彼女は母や見舞人たちに取り囲まれて、病人になっていた。母はわたしに語った。「この子はこの間、學校の帰りに橋へ通りかかった時に、そこの小堀の流れの岸の枯れ柳の陰に、色の青い散髪の幽霊が口を開いて、自分を食おうとしているのを見て、吃驚して叫び声を上げて走って戻ったきり、熱が出て床についていたので、わたしもひじょうに心配でならず、聞けばそこはむかしから幽霊が出て、一度ならず度々日中おどろかされた者があると言っていますが、きっとわたしの家に何か遺恨でもあっての事かと、急いで隣の老爺に頼んでこの通り削り懸(ヤナギやニワトコなど色の白い木の肌を薄く細長く削り垂らしたもの。紙が普及する以前は御幣として用いられた。イナホのこと)を作って、神に平安を祈ったのです。夜中になると、この子がヌッと起き上がって、『あれー、怪物がー』と叫びます。それを押さえても、まったく夢中に救いを求めるので、ただ事ではないとご飯もろくに食べずに付き添っているのです。」と。わたしはいろいろと慰めてから帰った。四、五日経って、彼女は兄に付き添われて出席した。わたしは十分な注意を払って、彼女に当時の模様を質しながら聞く事ができた。まったく母親の言った事と一致していた。いかな子どもでもまったくのでたらめを言うとも思えない。ましてや、この子はいたって正直な性格で、ウソをつくなどと言う事は考えられないような、優等生である。
 以上が、妖怪というものの力が、彼らの思想の世界において、ひじょうに大きな働きをしているというあらましを述べたが、その妖怪とは何であろうか?先に、このアイヌ自身が知っている範囲の、その概念を窺う事とする。もっともこれは多種多様で、一言で言い尽くす事などできないので、ここでは手間を惜しまずに、細々と解説することにする。まずは、わたしが蒐集したアイヌの童話や伝説の二百余則の中から、妖怪にちなんだ話や、妖怪の要素を含んだ説話の一部分の項目だけを挙げて見る。

(一)むかし分不相応な欲望を遂げようとした悪魔が、神の手に捕えられ、肉を切り刻まれて、下界に捨てられたが、六色のきれいな草花になり、その霊は非を悔いて庭の神となり、今のように優待されるようになった話。
(二)桂の精霊を崇拝した勇者が、山の中で猛悪な六キムンアイヌと格闘の末、キムンアイヌを殺害した時に、キムンアイヌが勇者の夢に現われて、その武勇はクマの征伐以上のお手柄であると賞賛した話。
(三)猟人が、山の中のほら穴で三頭の怪物に逢い、それをだまして戦わせている間に、それらが天界からぬすんで隠しておいた、ほら穴の宝物を奪い取って金持ちになった話。
(四)年寄りネコが、酋長の妻を食い殺して、その妻に化けていたが、発見されて殺された話。
(五)ニショシッチウのニシネカムイ(骨許の妖魔という)が、オキクルミの妹を掠奪し去ったのをオキクルミが奪い返した話。
(六)チチケウニッネヒ、巨大グマと共に人に化けて、勇者イクレシェを殺そうとした時に、山鳥に難を救われた話。
(七)六人の人食い魔女の害に遭いそうになった少年が、難を避けて天界に逃げて楽しんだ話。
(八)美しい犬の魂魄が幸福になった話。
(九)好奇心からほら穴に入って、ネズミの怪を見た話。
(十)会所の跡で、十呂盤の霊に魅入られて夫にさせられた男の話。
(十一)勇敢な少年が、人に化けたキツネの魔力を借りて、成功した話。
(十二)榛の木の林を見守るように、天から下されたカッパが、ある村民の家に泊まって、他国からの襲来の軍を防止して、わざわいを断ち、村民の崇拝を受けた話。
(十三)勇者コロコトエが、山の中で石狩の山神の娘と名乗ったクマが、後志の羊蹄山神に嫁いで、懐妊したので里帰りする途中で、悪いクマに殺されたが、その霊のお告げで悪クマを討って仇をとったところ、娘クマが現われて感謝をした話。
(十四)老オオカミがイクレシエの妻を殺し、妻に化けていたのをイクレシエに見破られて、討たれたその夜の夢にオオカミが現われて、イクレシエを賞賛したという話。
(十五)勇敢な少年が、山の中で猛禽フリの災難に逢おうとした時に、神が少年の身代わりにチチケウニッネヒ、その他の鳥類にフリと戦わせて死んだことを、夢の中でチチケウから聞いて知った少年が、神に大いなる感謝を捧げた話。
(十六)ヌプキペツ(日高沙流郡貫気別)アイヌが夢に見たのは、女が抜刀して人を斬る姿で、翌日山に入ってその通りのものを見て、おどろいて逃げながら振り返ってみると、それは赤裸で耳と尾に毛が生えている、チチケウニッネヒだったという話。
(十七)亡き妻の幽霊が、夫の無情をうらんで夫を殺すと、夫の友人に予言した話。
(十八)石狩川口海中のほら穴の海に、天から女神がここを守るために兄と共に降ろされた、ということを男を誘い連れて来た見せた話。
(十九)年老いたアイヌが、日高沙流川の上流オマンルウパロ(ほら穴)にキツネを探して、地獄の様子を見た話。
(二十)日高沙流太の海岸で、亡き妻の幽霊を追跡して、ほら穴の中に、地獄の様子を見た話。
(二十一)三匹のキツネの兄弟に魅入られた、ウラヤスペツ酋長の妻を、キツネの妹が不憫に思って、妻をかばって三匹の兄キツネをいさめた話。
(二十二)クマ狩りの兄弟が、年寄りクマを退治したが、その天塩の山の中の笹原は、不可解な場所だと言われる話。
(二十三)十勝ウエンシリ、カムイロキに猛禽フリが棲んだ話。
(二十四)十勝オコツコウンピラの巨鳥を退治した話。
(二十五)老犬を盗人と見まちがえた老爺の話。
(二十六)勇敢な女性が、山の中に妖魔の出現を予言して、実の子の災難から救い、妖魔と格闘して死んだ話。
(二十七)石狩川上流で鬼が流れをせき止め、サマイクルに討たれた話。
(二十八)オタスツゥの勇者が木菟のバケモノを退治した話。
(二十九)人取り柏に捕われた子どもの話。
(三十)金線魚を夫にして、人に化けた鳥の話。
(三十一)コシンブク三兄弟。ウラヤスペッ酋長の妻を魅入ろうとして、発見され殺された話。
(三十二)鳥を愛した少年が、海の上で鬼に追われ、鳥に救われた話。
(三十三)赤ヘビが猟人に化けて、ある男の娘を人知れず妻にした事が、夢の神のお告げでバレてヘビが殺された話。
(三十四)キツネがうまく美女に化けて、ある娘の嫁入り先に行き、それが発覚して殺された話。
(三十五)クモが、松の木に化けて神々をその陰に誘い込んで、泊まらせて食おうとしたが、風の神には逃げられた話。
(三十六)石狩酋長が磯鳥のために、レプウンエカシに呑み込まれるのを免れた話。
(三十七)ウラヤスペッ酋長が、人食いの神の串を拾い、妻がこれに魅入られて、自分の子どもを焼いて食べる話。
(三十八)海の中の六魔神に魅入られて、悲惨な最期を遂げた妻が幽霊になり、死んだ理由と死後の生活を物語る話。
(三十九)コシンプックの六兄弟の末の弟に、言い寄られた火の神がコンシンプクを討ち果たす話。
 以上のものを一瞥してみると、厳密には強いて妖怪とするには、当たらないというものもあるが、ほんの項目に過ぎないので、内容はわたしの「アイヌ童話」に譲るとして、ここでは省く事にする。しかし、妖怪を中心としたの迷信の、おおよそを探求すると言う資料としては十分である。

アイヌは、天の変異と地の妖異のすべてを、怪物のせいにしてしまうのである。そして日・月食とは、悪魔が呑み込むために起きるのである。地震は、地下にいるモシリコロエッケチエプという大魚が動くからである。噴火は悪魔のいたずらである。台風は悪魔の働きである。雷は、キラウシカムイという存在のためである。むかし、海嘯(津波)はカスンテという妖霊のしわざだった。病気が流行するのは、悪魔の跋扈によるものと考えられている。その他のすべての現象で、彼らの理解を超えているものは、すべてこれを悪魔や妖魔のしわざであると考えたのである。そこで、さまざまな前兆などについては、それぞれ観察や経験するなど、まったくの原始の状態であった。
 幽霊や霊魂に対する概念を見ると、これも同様である。人、または動物は死んでも、霊魂は存在しており、依然としてさまざまな不思議を起こすものと考え、特に妖魔の多くは、悪者の悪霊や怨者の霊魂から発生し、悪行をするものと考えられている。チチケウ、シンライナマツ、トイヘクンラは幽霊で、オヤラマツは霊魂または幻、悪魔はアンニッネカムイ、アラクンツカプ、ニシムカムイ、ニツネカムイニツネプ、オヤピ、ウエンオヤシ、ツゥムンチ(ユウカラカムイ、ツウムンチエカシ(男神)ツゥムンチフッチ(女神)共に一種の神魔)悪魔としては、モシリシンナイサムなどひじょうに名称が多い。
 だいたい、妖魔の説話を通してほとんど荒唐無稽で、おどろくべきものは、動物や妖魔が変身や化身が自在にできることである。それは多くの場合、求婚説話に現われるのであるが、人間以外の求婚者については、多くはそういうやり方として人の姿を装うのである。つまり前項を参照すると、人と獣ではネコが、人妻を殺して妻に化けたり、キツネが人に化けて嫁入りしようとして失敗した、またウラヤスペツ酋長の妻に恋して人に化けたようなもの。人と魔では、コシンプックのウラヤスペツ酋長の妻に恋をする。海の魔人が人の世界に妻を求めて、人妻の命を奪い去ったなど、非常に多い。ようするに、クマ、ネコ、イヌ、キツネ、オオカミ、ネズミ、ミミズク、鳥、ヘビ、などは年老いて巨大なものほど、変幻自在なのである。
 クモは大椵松に化けて諸神を、その下にだまして泊まらせて、一撃でやっつけて食べようとしたが、風の神だけは逃してしまっただけで、普通なら人間でも容易に捕まえて食うことができるのに、風の神に邪魔されて残念だ、と言っている事。ニシネカムイ、レプウンエカシ、チチケウニッネヒ、ミンツゥチ(倭人の言うミズチ)コシンプク、人捕婆、三頭の魔人鬼、人食神も、それぞれ特有の化身、いたずらにたけていると言っている。動物でもこれらの妖魔でも、その霊魂の作用はまたさらに、変幻自在で限りがない。イモシタクルの霊が人間に化け、妖者の死霊が庭の神に、チチケウの男が女性に、ミンツゥチが人に、そして人間なのに変化するものとしては、子どもは鳥に、少女は玖瑰(バラ科ハマナス)やその花に、生霊が身体から抜け出して化けたものは、男の子の霊魂はクモやハチや小ネズミに化けて、再び身体に戻って生き返ったものや、浜の長者の生霊が魚になり、魚類を救ったのもあれば、また死霊が生き返ったり、化身となるものについては、その犠牲としてクマと一緒に殺された妻が、生き返ってその死体が友だちに訴えたものや、娘の死霊がイヌになり、さらに生まれ変わって恋人と結婚したものや、妻の亡霊がもとの姿で家を訪れる時には、白雲に化けたというものもある。他には、動物の死霊でもイヌが主を求めてひれ伏す、というものがあり、動物が生きたまま変身した例としては、キツネが椵松に、年取った木莵が黒い小人に、オオカミの年老いたものがまた妻に、セミが老人に、ネコが人妻を殺して成り代わったものや、ムジナ、フウレトノ(鳥)が神に、クマ、オオカミが神に、キツネが馬や妻に化けて嫁入りしようとしたものや、海魚が老人に化けたものなど、枚挙に暇がないほどである。
ある動物が人間に憑いて、災難や不思議なことを起こす事については、獣が憑く事をイツシテクと総称し、ネコのものをメコパラチ、イヌのものをセタパラゴアツ、馬のをウムマライゲバラゴアツという。また、郭公などの鳴き声を真似すると、その仕返しに鳥がさまざまな人間に取り憑くのを、パサモクという。ヘビのものをトツコニパラチ、鬼のものをニツネカムイシカッカレ、ウエンイッレンコロなどと言って、ひじょうにおそれている。こういうものに憑かれた現象を、一般にパウチカルベと言って、今もある。おととしの冬の日高、ヌプキペツコタンの女K・Tがキツネのたたり、とある老人の呪詛とによって、狂態を演じ、雪の中をはだかで走ったり、踊ったり跳ねたりと狂い回って、手がつけられないほど乱暴になり、それが鎮静状態でいるときとは別人のようであり、本人もどうしてそんな事をしたのか、と失神当時の狂態を恥じて悔やんでいた。この手の者が一人でも現われると、あちこちに伝染してついには村全体に及び、むかしの石狩のアイヌのある村では、そのために滅んだとさえ言われ、今もおそれられている。ヌプキペツアイヌは、当時しきりに神に祈祷をしては、鎮静を乞い波及しないように願っていた。この当時、ドイツに現われた人狼現象(心理研研第三巻第十三号に)対照してみると、ヒステリーや神経衰弱症の虚弱者の多いアイヌの間に、この精神状態を引き起こされやすい群衆暗示が、たまたま生み出した結果であると見る事ができる。かのアイヌの妖怪の観念および現象の多くは、いつもこの種の範囲を出ていない。
 ここに蛇神に憑かれて通力を得たと自称している日高ニオイ(荷負)の預言者K・K、彼女が気安くわたしに語ったものはこうである。
 「おれは十五の頃に、ある晩きれいな小さい蛇が、自分の前に寝ている夢を見た。あの時、蛇の神がついたのだろう。その蛇がりっぱに人に化けて見えた。その頃から、何でも次の日にあることや、遠く離れている所のできごとがかならず夢に見える。すると、次の日にそれが当たる。自分でもどうして当たるのかわからなかったが、蛇の神が教えてくれるのだろう。二十七の時から、親類の中に死人が出る前には、胸がとても苦しくてたまらない。そして、人が来てその病人が治るか死ぬかと言う事を聞かれると、いつの間にかあの蛇が教えてくれるのだろう。それは知らず知らずに目が閉じて、いくら開けようと思っても開かない。一時間くらい目をつぶっていると、口からひとりでにひょいひょい、するする、と言葉が出て来て、それがみな良く当たって、今でもその通りに人が来て聞かなければ、目を閉じたくはならない。人に聞かれると、いつも目がひとりでに閉じて、自分で考えてもいない事がするすると口から出るのだ。目が覚めてから、自分のしゃべった事は覚えているが、わからないところがあり、自分でなぜそんな事をしゃべったのかと思うくらいだ。」
 わたしは、彼女の求めによって、家人の立ち会いの上で、催眠術を施して実験してみた事があるが、これはいわゆるりっぱな自己催眠の結果とは知らず、精神力を集中させたその中心に例の蛇神が憑いているためであると、考えているのだ。
 このように、さまざまなものが憑くという迷信からして、老人達が子どもに注意する諺にも「山道などで後方や、路傍で人に呼ばれてもすぐに返事をしてはならない。三度呼ばれてはじめてあいさつするのだ。これは万一、魔物に憑かれるおそれがあるためである」「ご飯をたべながら、ひょいと外にいる人に呼びかけるものではない。それは魔がさして呼びたくなっているからだ」「夜にかぶりものをかぶらないで歩くと、夜鷹に頭の巻目を引かれる。毛を抜かれれば、死ぬ。夜歩きには、かぶり物と杖を用意して行かなければならない」「夜、戸口から下を向きながら出ると怪物を見る。上を向いて出れば見ない」などと言っている。良く内容を調べると、決して無意味なものではない。


『続・アイヌの妖怪説話』
 アイヌは地獄というものの存在を認めているが、これに直接関係を持っているのは、ほら穴説話である。勇敢な少年が、ほら穴に入って悪者を倒して宝物を得る、オタスツ長者がほら穴に死者を訪ねて、貸したものを返してもらおうとしたり、ある者が好奇心からほら穴に入ってネズミにおどかされたり、老人がキツネの跡を付けてほら穴に入って怪物を見たり、また老人が真冬にほら穴で青い草を手に入れたり、妻に先立たれた男が妻を追いかけてほら穴で不思議な体験をしたり、またオタスツの勇者が岩の穴でネズミを退治した、などという説話はみなこれに含まれるものだろう。海宮説話とも言うべきものは、石狩川口の海中の石穴に若い男が、そこに棲む女と出会ったというのが良い例である。ほら穴や石穴の説話は、いくぶんか妖怪の要素を含んでいないものは、まれであると言える。

 (一)日高国沙流川上流ムセウの少し下の方に、オマンルウパロという穴がある。ある時に、一疋のキツネがこの穴に入ったのを老アイヌが見て、一つ捕まえてやろうと入り口で待っていたが、出て来ない。そこで穴の中を探した。穴の口はわずかに光が入るくらいのせまさで、中は真っ暗である。だんだんと行くと明るい国に出た。おおぜいの小さい怪物がいる。しかし、老アイヌは彼らには見えないものらしい。平気で歩いている。そして、老アイヌの足の指につまづいたり、ヒザに触れたりすると、コロリコロリと倒れて死んでしまうのであった。老アイヌは、気分が悪くなって急いで穴から出たという。
 (二)むかし、日高沙流太に一人の男がいた。長年つれそった妻に先立たれて、さびしく暮らしていた。ある時、海辺に行くと、亡き妻と少しも変わらない女が一人、みなれたアツシを着て昆布を採っていた。夫の顔を見て、いかにも恥ずかしそうにしているように見えた。そして、男が近づこうとすると、女は急いで逃げ去った。小さな穴に入ったので、男はその中を追いかけて行った。しばらくは真っ暗な所を通り過ぎると、明るい村に出た。女の父母と思われる二人が無言で座っていた。今その妻に母が指を触れた、と思ったら妻の姿がパッと消えた。間もなく、近隣の人々がみな弔問に訪れた。一同は、イチヤルパの品を懐から出して、葬儀を済ませた。男は我を忘れて見ていたが、ふと、長居するのは良く無いと気付き、急いで帰ろうとすると、いつのまにかイチヤルパの品が懐にいっぱい入っていた。その品々を持ち帰って、これこれこうだった、と語り伝えた。一説によると、この穴が例のオマンルウパロらしい。
以上が、ほら穴説話の二例である。
 (三)沙流の山奥のヌプキペツという所に、クマ狩りの名人がいた。一人の女が刀を抜いて、「ヌプキペツの男が現われたら、こんな風に斬り捨ててやる」と虎杖(いたどりの茎)をなぎ払っている夢を見た。夢というものは、目覚めた時には心に残っているが、起きてしまうと忘れるものである。この男も何も気付かずに、その日山に行った所、一人の女が刀をにぎって血眼になり、「早く来い、ヌプキペツの男め、斬ってやるぞ」とものすごい様子が目にとまった。そして今朝の夢を思い出した。急いで逃げ出したが、追いつかれそうである。やっとの事で逃げおおせて、谷一つへだてて振り返ると、女と見えたのは間違いで、耳と尾に少し毛が生えた裸の、チチケウニッネヒというバケモノだった。ので、矢を放って帰った。
(四)日高沙流太に一人の男がいた。自分の友だちが、同国の浦河にいたので、久しぶりに訪ねて行った。途中で、友の妻が死んだという噂を聞いた。ある家に泊まった。すると夜半に変な物音がして、自分の枕元に来る者がいる。そっと起き上がり、息を殺して見つめていると、キナ菰に巻かれたそのままの死人がいる。びっくりして縮こまっていると、死人が近づいて「どうぞ、頼みます。わたしには元夫がいました。わたしが死んだら後妻をむかえない、と言っていたのに、私が死んだらすぐに新妻をむかえました。その後妻は邪悪で、美貌に似合わぬおそろしい女です。ああ、悪魔め、今に見ろ」と言って消えた。彼が翌日友の家に入ると、夜中に亡霊が告げた通りに、後妻のためにその友は殺されていた、という騒ぎで、夢のお告げを不思議に思った。
 覚醒中の記憶が睡眠中に、残って夢として現われるように、また、睡眠中の夢の記憶がたまたま覚醒中に現われて、(三)のようなチチケウニッネヒの幻覚や錯覚を見たもの、と解釈できるが、(四)の説話は、心霊現象として十分に研究しなければならない材料である、と思われる。かりに単なるたとえ話であるとしてもである。
 妖怪の存在は、最初から精神世界に存在しており、現実世界にその実態を求めるべきではない。しかも、アイヌの思想界に介在する妖怪という観念を持って、これを他の世界に投影すると、彼らの思想世界の範囲が至るところに見られるのである。(一)天上界、(二)地上界、(三)地下界、の三世界に共通にそんざいするもの、その一、または二に共通に存在するものなど、さまざまなものがある。
【イ】月中の怪物。沙流アイヌの田舎のことわざに、「月をあまり長く見ていると、月の中から怪物が降りて来る。それが月の中に帰るのを見れば良いが、もし戻る姿を見なければ悪い事が起こる」
【ロ】日月を呑む悪魔。十勝アイヌの童話に「日食や、月食というものがあるわけは、天に鬼がいて日や月を呑んで、この世界をつぶそうとする。すると、たくさんの鳥は、日月を救おうとして、鬼の口の中に躍り込む。鬼はたまらず日月を吐き出す。天地はそのために二度明るくなるのである」
【ハ】キラウシカムイ。角有神。大むかしにこの世界ができた時、天神が国土の民に幸福を授けるために、木幣をたくさん持たせてキラウシカムイを、使者にして下界に使わした。しかし、キラウシカムイは、強欲でこれをひとりじめして使い、成功して偉くなろうという野心を抱いたため、天神にこらしめられて地下世界に蹴り落とされて死んだ。その落ち口が有珠岳の噴火口になった。
【ニ】雷神。かならずしも妖怪視はされていないが、なおそれに近いものとされている。むかし、石狩のあるアイヌが、初夏に山に登った。そして落雷した。彼は弓を雷神に引っかけると、ちょうどその角に引っかかり、一本抜け落ちた。それから人々は、彼をエオオクテアイヌと呼んだ。そのキラウは今、十勝サオロ、ケネにあるということで、それを出すといつでも雨が降り、雷が鳴ると言い伝えられている。また、川の貝は雷神が落ちた時に、落とした爪が生まれ変わったものである。だからクマでさえも食べないのだ。
 以上は主として天上界に属するものである。

 地上界は陸と水とに分かれているが、妖怪のあるものは、そのいずれにも住んでいるものと、どちらか一方だけに住んでいるものとして語られているものがある。そして、水と言っても、もちろん沼や湖、川、海などそれぞれに特有のものがあるようである。
【ホ】山鳩。鳴き声から来た名前である。むかし和人で山の労働者が山の中で迷い、姥百合だけを食べて餓死した。彼の髷が変化して山鳩になった。髪はすべて神なので、ただ腐ってしまうものではない。それで山鳩になったのだ。また、アイヌの英雄神オキクルミが、窓からその山の労働者の死屍をながめていると、たちまちおそろしい怪物になり、その魂魄が鳥に化けたのだと言う。
【ヘ】ホチコク。カケスほどの大きさのきれいな鳥である。鳴き声から来た名前で、ワウのように不吉とされている。
【ト】エロクロキ、エロクロキと夜鳴くように聞こえるため、この名が付いた。これも嫌われる鳥である。
【チ】オケプ。カラスくらいの鳥で、夜間良く山から里に出て来て鳴く。これも鳴き声が嫌われている。
【リ】ペッカヨチリ。ニタッカヨチリ。ペッカヨチリは川、ニタッカヨチリは谷地に棲む、ニワトリくらいの鳥である。これを見たり、鳴き声を聞くと不吉とされている。荷負の故ヌカンロクテの父シカタが、日高シクシペツに猟に行った時、ちょうどシカがユツユツとほえるような声が聞こえたので、居合わせたマセの父がそれを追って行こうとしたら、シカタは「行くな、行くな」と連呼したが、聞き入れないで追跡したが、いくら行っても陰も形もなく、空しく帰った。シカタは、「あれは例のペッカヨチリ、ニタッカヨチリで、むかしからの戒めにもこの声さえ忌まわしく思うのに、その後を追いかけるのは、不吉しごくだ」と言った。その通り、マセの父は不幸続きの末に死んでしまった。
【ヌ】ニタッタクッペ。谷地にいるバケモノ。
【ル】ケナシウナルベ。谷地にいるバケモノ。
【ヲ】アラサルシ。山の崖の穴に棲む、姿はクマに似ていて、猛悪な動物であるという。変幻自在で、人を捕まえて食う。
【ワ】イワエツゥンナイ。山に棲むバケモノ。石でも木でもどんなものでも突き抜けて、または穴をあけて飛ぶ一つ目のバケモノであるという。
【カ】イワポソエンガラ。山に棲むバケモノ。シカやクマも捕る。
【ヨ】ペポソエンガラ。川に棲むバケモノ。一本足で、空中を飛び、どんな障害物でも突き抜けて突進する。
【タ】コシンプ。コシンプウ、コシンプイ、とも言う。ルルコシンプウ、イワコシンプウとあり、ルルとは川海など、すべての水に棲み、イワは山に棲む。姿は人間に似ていて、書物を書く。善悪の二者があり、悪者は人間に取り憑いてさまざまな悪事をする。
【レ】イワレクツゥシチロンヌップ。六色の鳴き声を持つキツネ。アイヌは、狐狸などの化身として、人をたぶらかすものを、イシンネレップと言う。沙流アイヌのむかしばなしで、今の荷負村チノミシリ(神酒などを捧げられる神の居所という意味)で、キツネにばかされた老人が、鉈でキツネの正体を斬ろうとして、できなかったという。虻田アイヌの話によれば、今の虻田村字トコタン道路の、一本の李の木の所は、むかしから不思議なことがあり、旅人が夜道でよく迷う場所であると言われている。ある者は、道路から外れて有珠岳のふもとまで迷って行ったとも言われ、宇治拾遺物語にある俊宣が迷い神に出会った、というのを思い出させる。(管理人註:十三巻第三話。【俊宣が、迷わせ神に遭った事むかしのことである。三条院(引退した天皇様)が岩清水八幡へとお出かけになられた時に、左京職で、邦の俊宣という者がそのお供をした。長岡にある寺戸という所を通りかかった時に、まわりの人たちが「このあたりには、迷わせ神というものがいるらしい」と言いながら通り過ぎて「わたし(俊宣)もそれは聞いた事がある」と言って、行こうとした。が、通りすぎないうちに、日がだんだん暮れて行き、本当なら今頃は山崎のあたりには行き着くはずなのに、不可解にも同じ長岡のあたりを通り過ぎて、乙訓川の橋を通り過ぎたと思ったら、また寺戸の岸を上っている。寺戸を過ぎて、また行って行って、乙訓川のそばに来て橋を渡ったかと思えば、また少し行くと桂川に来る。だんだんと日が暮れる。前後を見れば、人っ子一人見えない。長い行列を作っていた人の姿も見えない。夜が更けたので、寺戸の西の方にあるあばら屋の軒下で、夜を明かして、真剣に考えた。『わたしは左京職の役人だぞ。九条で泊まるはずだったのに、こんな所まで来てしまった。まったく訳がわからん。同じ所を、一晩中ぐるぐると歩き回ったのはきっと、九条のあたりから迷わせ神が憑いて、連れて来てるのを知らないで、こうなったのだろう』と思って、夜が明けたら、西京の家に帰って来た。俊宣が実際にそう語った事である。)キツネや魔物に憑かれたと思った時には、犢鼻褌(たふさぎ=ふんどしの古語)をひきずり、自分の尿を手に受け、咒文を唱えながら左右の肩越しに、尿を振り散らすと良いとされている。鳥によっては、鳴き声を嫌うように、キツネの鳴き声も、時と所によっては忌み嫌われる。虻田アイヌは同地のカムイポンミンダラのあたりで、キツネが鳴くと悪い事が起こる前ぶれとして、むかしから警戒して、沙流アイヌは「分娩の夜、その家の東北でキツネが鳴くとよくない」と言われている。
【ソ】キムンアイヌ。山住人の意味。邦俗で称する山男山姥という種類に当たるらしい。北見常呂川の支流、ムカの山奥に分け入ったアイヌが、流れに木のきれはしが流れ下るのを発見して、人がいるのかと思って探した所、全身が毛深いクマのような、そして顔面もひじょうに毛深い裸体の人間を見た。これこそキムンアイヌというものだった。この話は、実際に見た妻から聞いたという男の話を、ポロサルのパレシナ(人名)が直接話してくれたものである。また、ある時に石狩の山奥に、二人の老人が分け入った。すると殺されたアイヌの死体があったので、何者のしわざだろう?と探ってみたら、例のキムンアイヌであることがわかった。彼は、あるほら穴に隠れた。二人は逃がすものか、とほら穴に突進すると、中から箙(矢を入れて背に負う道具)の小さいものを一つ入り口に投げ出した。二人は、考えた。アイヌの習慣として、これは謝罪の印としての代償であろう、と解釈したのである。そこで、しいて殺したのでは、かえってわざわいがあるに違いないとして、その箙を収めて帰ったという。その箙は今も伝わっている、とこれもパレシナから直接に聞いた。なお、キムンアイヌの容貌や、人を殺害した事などは、他にも童話でしばしば聞く。
【ツ】モシリシンナイサム。最強の悪魔。アイヌが人をののしる時に、妖怪、河童、悪蛇、悪霊、モシリシンナイサムとくり返すのである。沙流アイヌ、コハワッテから聞いた話では、
「糠平川の奥(荷負から約64キロ)のクチャコルシナイに明治三十五年七月に、おおぜいのアイヌが鱒漁に上った。わたしは、一行から少し遅れて行くと、途中で川の砂地の所を一行の太市が、見つめて立ち止まっている。追いついて、『何を見ているのか?』と尋ねたら、『ここに馬の足跡があるが、新冠の牧場からでも放たれて来たものだろうか?』と言った。ちょうど、四号缶を押し付けたような形で、その距離は馬に近く、イヌにしては遠い。わたしは『ここに馬など来るはずが無い。これこそモシリシンナイサムというものの足跡にちがいない』と言った。川の下に向かってその足跡はついていた。どうもそれを見たためか、その年はさんざんな年だった。だいたいモシリシンナイサムを見ると、長生きできないとか、年を取るにつれて貧乏になって死ぬのだ、と伝説でも言われている」
 この伝説が自己暗示となって、彼に働きかけその年はすべて、不運の連続だったのではあるまいか?また、ポロサルのアンラメタは、十勝に行ってモシリシンナイサムを見て、追いかけて討ち捕ろうとして、仕留めたと思ったら今まで馬位に見えたその姿形はどこにも無かったという。彼はそのタタリなのか、五人兄弟一人残らず死に絶えてしまった。と、これもコハワッテから直に聞いた話である。アンラメタは、予期不安からこのような幻覚を見たに過ぎないのだろう。だいたいアイヌは、前にも言ったように、たやすく錯覚、幻覚を起こしやすい傾向が見られる。したがって、彼らの病人の多くは、自己暗示から抜けられずに、さまざまな病気は、みなこれらの妖魔、悪霊のせいであると恐怖している。これらの実例にいくつか遭遇した。ある老婆は、神経の病気を川蟹のタタリによるものと迷信し、ある女性は眼病が、蜂にいたずらをした報いだろうと言った。わたしは頼まれて、ためしに催眠術を施してみた。それぞれに除去する暗示を使ったのが奏功して、かれらは忘却すると共に全快したのだった。また、十三才の娘がその母親に連れて来られたが、この娘は胸病でいくら薬を飲んでも、またどんな事をしても治らない。昨年の春下平取のコレア(四十才位の巫女)にツウスをやってもらったら、娘が七才の時にある山の坂でモシリシンナイサムを見た、それが原因であると言われた、と言う。それで頼まれて催眠を行ない、病根を絶つような暗示をした。数日も立たないうちに軽快し、シンゲプナイにモシリシンナイサムの幻を見る事もなくなり、心身ともに気持ち良く眠れるようになった、とよろこんでいた。実に、アイヌの病人の多くはこのようなものなのである。去年の夏、わたしは瘧(おこり=マラリア)を病んだ。当時アイヌの多くは言った。「あなたはアイヌの墓標を調査すると言って、あの荷負の墓地を草分けたので、妖霊に取り憑かれたのだ」と。
 このような迷信が一般的にアイヌツカツブと言われている。いわば、死者の魂が墓地にいた時に、幽霊の姿を現わして、悪事をすものである。
【ネ】サキソマエップ。ポロシリ(山)の沼などにいるという。また、チロロ付近(沙流)の山にもむかしから棲んでいるという。「姿はハッキリと見えないが、ひじょうに匂いのきついバケモノだ。わたしの兄さんのコレアシがある夏、チロロに猟に行って、サキソマエップの匂いに障って、全身が腫れて自由を失い、連れ帰ったがとても同居できない。別に家を建ててそこに住まわせ、神様に頼んでやっと治った」とパレシナから聞いた。また、ポロサルの酋長、故ペケンノトクもチロロで例のサキソマエップの毒気に当たって全身が腫れ、あぶなかったのをこれも祈祷によって全快した。
 一説によると、ポロシリの山の中の沼の主は、サキソマエッブという、蛇の年老いたもので、古い英雄ポンヤウンベの説話の中に、ルオライカムイと言うのが、つまりサキソマエッブの別名であるという。
【ナ】オヤウ。サキソマエッブの一族であるという。ラプウシオヤウは羽のあるもので、荷負のイトンビヤは、雪の上でそれを追って行ったら、川の氷の上からサッと崖に上ったので、見ると雪の上に羽の跡が二枚ちゃんと押してあったという。
 むかしポンヤウンベがその一族と共に湖山に来た。今の洞爺に蛇神が迎えに出て来て苦しめられ困った。瀧神の所に身を寄せた。瀧神はポンヤウンベをいたわり、衣食の面倒を見てくれた。蛇神はひじょうにねたみ、憤って瀧神もろとも皆殺しにしようと、有羽蛇神六十、蛇神六十を放って激しく攻め立てた。さすがのポンヤウンベもたまらない。身も焼けただれ、一番えらい蛇神にようやく許してもらったが、瀧神は殺された。ポンヤウンベはエシカラ、トミサンベツ、コンカニヤマ、カニチセに脱走した、という一段の謡曲がある。一説には、洞爺湖のオヤウカムイは体亀のようなものであるそうだ。もちろん羽は生えている。イケエウセグルは有珠岳の山霊で、この両者はむかしから霊異なものとして、老人達の流行病などの時には、神酒をささげて平癒を祈ったものである。かつては匂いの強いものが、悪疫や妖魔を駆除する作用がある、と考えられていた。
 むかし後志川から漁をした鮭を積んで、洞爺湖を舟で通ると、天気が良い日でアイヌが冗談で「鯨でも出れば良いのに」などと言っていると、現われたのは例のオヤウカムイだった。吃驚仰天して、漕ぎ戻った、と言う事も語り伝えられている。
 そもそもアイヌの山、川、湖、沼、海に関する言い伝えの中には、その山や川を司る一種の偉大な主がいるものとして、常に説明されており特に湖沼では、サキソマエップやオヤウカムイがいる。この一般的な説話の主として有名なものは次のようなものである。
湖名          主名
(一)ポロシリトウ    サキソマエップ
(二)カリンバトウ    オヤウ
(三)ネツヌサトウ    オヤウ
(四)トウヤ       オヤウ
(五)サツナイトウ    チライ
洞爺には、鯇鱒(アメマス)または、金線魚(イトヨリダイ)の巨大な主がいるとも言われている。この鯇鱒がむかしは船をも呑んだと言われた。そこで洞爺の船はかならず、黒く燻したもので作られた。空をいく雲に似せて、呑まれるのを避けるためだったという。
 山についての怪を伝えるものについては、ポロシリが代表説話と見る事ができる。むかし日高のアツペツの老人がポロシリに登山した。山の上には大きな沼があった。水際には、白熊などの動くものが見えた。ふと、見るとあやしい者が現われて、「お前はどこから来た?」と言う。それに答えると、「若しお前がここの場所の事を、口外したならば、命は無いと思え」と言うので、老人は決して言わない事を誓って帰った。家に帰ると、止せばいいのにとうとう家の者に話してしまった。その後、老人は出かけたまま戻る事は無かった。そこで誰言うともなく、ポロシリには不思議な沼があり、海に住んでいるものがみんないる、とさえ伝えられた噂は、この老人によってますます不思議さを増すばかりだった。
【ラ】ミンツゥチ(本邦でいうミズチ)。水が多い川に棲む河童。(折口信夫のカッパの話その他・上巻にも関連話がありますぜひご一読を!)
十勝伏古別アイヌは、フンヅゥチという。
荷負のイトンビヤは、アブシという所で、氷の上に河童の足跡を目撃した時、鎌のようなものだったという。
河童の頭をミンツゥチトノと言って、弓矢を持ち、人が困っているのを見たら助けたり、人に弓矢を与えて急を救うのである。
こうして人を助ければ、その人の夢に現われて、自分に神酒を捧げろ、神幣を捧げろといろいろと命令して来る。
そして、その通りにしなければならない。しかし、他の神にささげる木幣と同じものを手向けるのは、はばかられるので、ちょっとした木幣の印として、削り懸け(イナホ)を供える。
 むかしある酋長に妻と妾が一人いた。
猟に出る前は、いつも酋長が自分で薪をたくさん引き割って、二人に与えていた。
ある時、榛の林で薪を切って運ぼうとして、荷縄を額に当てて、起き上がろうとすると、荷が重くて起きれない。
酋長はいつか聞いた事があった河童が、こんな時に来てくれたら、とふと思い「おう、河童よ、出て来て手を引いて起こしてくれ」と言った。
 すると不思議、こつぜんと異形の者が現われた。
酋長は苦もなく起き上がれた。
酋長は「さあ、わたしの家に来て休め」と誘った。
河童が酋長について行くと、妻は苫(むしろ)を敷いた。
主と客が向かい合い、妻がもてなす。
妻は異形の珍客が、どのようにして物を食べるのだろう?と興味深く見る。
 夜になった。酋長夫婦が、タバコを吸っていると、いつとはなしに眠気におそわれて、寝入ってしまった。
河童は声を張り上げて、「早く、早く、この村の人々をここの家に呼び集めろ」と起こした。
夢におそわれたような気持ちがして、酋長はさっそくその命令を伝えた。
村中、取るものもとりあえず、みな酋長の家に集まった。
来る者、来る者がこの珍客を見て、眠りに誘われた。
村中残らず酋長の家に入った、と思った頃に、酋長が戸を閉めようとすると、雷のような音が、遠くからひびいて地震のように揺れた。
窓の外で、子どもや女や老人の悲鳴が聞こえた。
雷も地震も止んだ。あれほどすさまじかった泣き声もひっそりと止んだ。
一同は夢に誘われ、起きられずスヤスヤと寝入ったが、申し合わせたかのように、みな同じ夢を見た。
 あの異形の珍客が座ったまま
「おれは元、この村の榛の林を見守るめに、天から使わされた河童神である。今夜、他の村からこの村に夜襲して、お前達を皆殺しにしようとしているので、それを知っていながら黙っているのに忍びない。そこで苦心のあげく、酋長の家に入りこみ、思いどおりに村人を集めて難を避けさせた。これで一安心。しかし、この上どのような異変があるかもしれないので、魔除けの守りを残しておこう」
と自分で吸っていた金のタバコ入れを示して
「これを持ち歩けば、どこに行っても安全である」と言って、そこに置いたように見えた。
一同がパッと目をさました。珍客の姿はどこにも無かった。
 ただ、今のタバコ入れは置いてあった。酋長はうやうやしく納めて、さて外に出てみると、なるほど老人や子ども、女など集まって来なかった者たちだけが、他の村の襲来軍に殺されて、目も当てられぬ様子だった。
それから金のタバコ入れを大切にした所、酋長とその村は安全だった
(沙流)
【ム】痘瘡神、オリバカムイ、バコロカムイともいう。
今日のアイヌの減少した原因はさまざまあるが、(死に関するアイヌの観念と風習参照のこと)痘瘡(天然痘)のために倒れた者は、決して少なくない。
それゆえに痘瘡神は、最悪神としておそれられ、したがってさまざまな説話が伝えられている。
 カスンテは、神と人の間にいてパコロカムイの子であり、神が人間の胎内を借りて、人として生まれた一例で、彼が歩く所は闇夜も水上に浮かんだ月のように、光り輝いていた。
イクレシエ。カスンテに代わってイクレシエ族のある者が酋長の座を得ようとした。
彼は殺されたが、その一族がカスンテを殺した。
カスンテの霊は何度も生まれ変わったので、最後に彼の上下の顎の上顎を木のまたの枝に立てて結び、下顎は石をくくりつけて海底にしずめた。
その後は、生まれて来なかったが、悪霊のタタリで釧路厚岸のアイヌは痘瘡に罹って死に失せ、残った者はなお海嘯(津波)のために殺された。アイヌの大都会であったアツケシは、そうして全滅した。
 痘瘡神の跋扈はただ厚岸だけではなく、至るところで聞く。
今の虻田土人学校と皇恩寺との道路に沿って、流れている冷水の上にカムイミンダレがあって、アツケプナイ、ここにも痘瘡が流行った時に、川の流れに痘瘡神が上がったということだ。
そして、痘瘡神の跋扈に困った天神は、暁明星の美貌に眩惑させて、弥縫策(一時しのぎ)を講じたという話がある。

【ウ】アツゥイナ、アッコロカムイとも、大章魚、海木幣という意味か?
噴火湾、つまり内浦の海の主と言っている。
アイヌの大げさな話に、アゥウイナの畑一町もあるかと思われる主が、弁財船(和船。大型木造帆船)をも呑むと恐怖されている。
ブリなどの群れのいる所に、漁師が船で行くと、それが時々現われては漁船をひっくり返すのだった。
むかしのアイヌは大鎌を用意して、それに備えていた。
それが棲んでいる場所は、赤い体色が空まで輝くので、遠くからこれを見て避けたという。
虻田郡礼文華のエコリ岬の付近で、イタクネップという者が、アツコロカムイに出会った事があり、鯨をも呑む、二十間(約36メートル)四方もあるかと見える大きなやつで、潮がそのあたりに泡立っていた、と彼の妻が語った。
【ヰ】アツゥイコロエカシ。海主。アツゥイナとは別物である。
船を呑むという巨大な怪物。
 たまたま見た、というアイヌがいる。虻田オナエムガラの女性の話で、
「自分が三才くらいの時に、人に背負われていた時に、今の室蘭の近海、輪西から大黒島の方に、アツゥイコロエカシが出て行ったのを見た。老人達が恐れているものだ。体は赤く、口を開くとその口が手に届くという怪物で、室蘭近海の主である」という。
この女性の三才当時の記憶は、どうやら夢か幻のような話である。
【ノ】アツゥイカクラ大海鼠、アツゥイコロカムイのように巨大な噴火湾内(北海道南西部内浦湾)に棲むもの。
口に流木などを吸い付け、海上に浮かび、不意に近づいた漁船などをひっくり返す事がある。
アツゥイナは山のプイが化けたもので、アツゥイカクラは襯衣(シャツ)が川から流れて化けたものであるという。
【オ】レプン。ネカシ。大海の主。
噴火湾の海にむかし二人の老人が漁船を操っていた。
レプンネカシに舟ごと呑まれた。
その腹の中で、燧石を鑚って、それを悩ませふたたび吐き出させる事が出来た。
しかし、老人達はそのせいで毛髪が抜けて、病気になった。
オサマンベのユウカラに、石狩酋長レプンエカシに呑まれそうになり、危機一髪で磯鳥(ウミガラス)に救われ、錨が船主のためにレプンエカシを討って仇を取った事が伝えられている。
鯨を八疋呑むやつと、六疋呑むやつがいる。
巨大な妖怪だと沙流アイヌも言っている。
アツゥイコロエカシと、あるいは別名の同じものか?
【ク】アイヌソッキ。上半身は人間で腰から下は魚の怪物。やはり噴火湾内に棲むという。
この肉を食べれば、長寿を保てる。
それを獲ると、「放してくれ」と懇願するが、良い獲物なので決して放さないと言う。
【ヤ】クンツゥカプ。悪魔の一種。
近ごろの事、沙流太の海で石川という番屋の親方が漁をして、ちょうどカスベ(エイ)のような妙な魚を捕った。
老人に鑑定させたら、「千歳のイサンゲレ(人名)がクンツゥカップというのはこれだ。こんな不吉なものを獲った上は、さっそく祈祷して送ると良い」と言った。
雇い人の一人に送らせた。
しかし、タカルシコというアイヌは災難にあって不幸な死に方をして、石川親方も破産した。
アラクンツゥカップというものもある。
【マ】ニシネカムイ。最悪魔神。
クンネコタン、つまりニシヨシッチウという空と地がもっとも近い場所に棲むという。
ポンヤウンベは、ここで戦いを挑んだ。
サンダーやカラブトの大将の頼みで、ニシネが出てポンヤウンベと戦い、ポンヤウンベが苦戦し、骨になるまでかじられ、肉も落ちてほぼ半死になる。
そこに妹が来て、何度も生き返らせた。最悪魔をアンニツネカムイと言う。
【ケ】ウレペッシュキ。足の指の先に目がある怪物。鯱
【フ】クウケェシュキ。肩の上に目がある怪物。
ウレペッシュキと共に、ポンヤウンベが征服した北方怪人国のものを言う。
【コ】クウケエパロ。肩の上に口がある怪物。
クウケエシュキと共に、サンダーやカラブトにいて土嚢の陰に穴を掘りポンヤウンベを苦しめた。
【エ】クンネチカプ。黒鳥。ポンヤウンベが征服した、北方黒川の怪鳥。
【テ】フウレチカプ。赤鳥。ポンヤウンベが征服した、北方赤林の怪鳥。
【ア】エヌイライクル。人の声がするとパッと消え失せる人物。
ポンヤウンベの兄であるという。
【サ】クロランウエンカムイ。クロラン国の悪神。
むかしのアイヌが、クロラン国に渡って、ウエンカムイを討ったという話がある。
 以上、他にもまだあるが、主な物だけにしておく事にする。

前へ
トップへ
次へ