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これがアイヌの日用品の話によく出て来るマキリですね。
解説文
男女ともに常に携帯する利器。調理の際の包丁や、彫刻刀などとして用いられるほか、生活全ての場で使われている。古くはアイヌ自製の鋼であったが、日本との交易が盛んになると、日本製の刃物に変わった。拵えは(註:鞘とか束のこと)美しい彫刻を施すが、これは男の手仕事である。
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アイヌの耳輪、ニンカリ。アイヌの耳環は耳たぶに穴を開けて装着するピアスタイプのものを用いている。銀製のものや、錫、鉛などの金属を主として、下辺部にガラス玉や金属、絹片などの装飾をつける。金属部分は日本製のものが多い。
これもねー、バチェラーの本によるとこの交易がくせもので、だいぶというかものすごい日本の商人に搾取されてたようですよ。アイヌは元々はマンチユリヤ=満州、とかと交易してたんですが、日本の商人と交易するようになりました。耳飾りの玉も100均のようなものを一万円で売る様な暴利を貪ってました、って書かれてます。
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漁の様子
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アイヌの酋長が松前藩の役人に拝謁している図 |
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トウキ・イクバスイ。
アイヌの祭具のうち、酒に関わるものは漆器が多い。特に漆器(トゥキ註:陶器と漆器がごっちゃになってこう呼ばれたのだと思う)を天目台に載せて使う方式はアイヌ独特のものである。儀礼の時にはトウキに酒を注ぎ、その口縁に横たえた酒へら(イクバスイ)を手に取り、その先端を酒に浸して、神に酒を捧げる。
アイヌ人は酒が大好きで(ロシア人のウォッカ好きとかぶる。それと女性へのDV気質も。中学校の時に推薦図書みたいなのを読んだら、戦前の日本の女の子の話で隣にロシア人夫妻が住んでいて、奥さんはおいしいお菓子を作って食べさせてくれたり優しいのに、夫はその奥さんに暴力をふるっており、たまには殴らないとダメだ。それが愛だ、と言ってるのを聞いてマジキチ?と思った、って書いてあった。アイヌ人も男尊女卑なのはそっち系の人種だからなのか?と思ったり)結局はジョン・バチェラーも、アイヌ人は酒に溺れるから人生を踏み外すんだ(日本人から高過ぎる酒を買うから身ぐるみ剥がされて貧乏なままなんだ)禁酒しろ!みたいな主張をぶちかましたために、最終的にはアイヌ人たちからは憎まれるまでになったらしいです。酒は貧者の手軽な娯楽ですから、禁止されたら生きてる甲斐もない、し大きなお世話だと思ったんでしょうね。
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これ→はマタギ、いわゆる猟師の服装です。マタギとはアイヌ語でマタ=冬 キ=するということで冬に男がする仕事のことです。夏に何をするとか(上図)、じゃあ女は何をするの?というのもバチェラーの〜以下略です。
他にも、アツシ(アイヌの衣装)とか各酋長のパネル(↓パンフ図参照)とか、囲炉裏やラッコの毛皮なんかもありましたが、さすがにその辺は写真がNGなので、撮れませんでしたが、ラッコなんて虎の毛皮みたいな形になってて、なめされてる姿が2メートル以上あって、もうでかいでかい。ホントビックリだよ。ラッコってかわいいイメージがあるから、小動物だと思われてるけど、成体は小学生の中学年ほどのガタイしてるからね。銀河鉄道の夜でジョバンニがラッコの毛皮のチョッキとかなんとか言われてバカにされてましたけど、子供用なら二人分位作れそうです。
それと実はラッコってアイヌ語だったんですね。ベコも。何で牛がベコなのか?それはベコがアイヌ語で牛という意味の言葉だったからです。ああ、たまげた君。
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で、前提としてはできればジョン・バチェラーの本を読んで欲しいわけです。というのも、読んだ方が昇華されること請け合いだからです。私が請け合いますよ。ぶっちゃけ、上に書いた商人の悪逆非道ぶり(これが詳しく本に載ってます)に耐えかねたアイヌ人が日本の商人たちを片っ端からヌッコロいやぶっ殺したのが発端で、戦争が起こりそうになったのですね。一触即発状態で、戦争になったら、アイヌ人たちは全滅、根絶やしにされるだろうということで、戦おうとするアイヌの人々を抑えて恭順させるのに力を尽くした各アイヌ部族の酋長が、後に正装(かなり)して日本の役人と交渉した時の事をスケッチした図がこれら→です。
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つまり原因がバチェラーの本に書いてあり、その顛末がこの展示会な訳なのです。一連の流れをよく理解できるので本を読んでね、と言いたいのです。これって歴史の醍醐味ってことですよ。ゲームのように本体である自分は毛一筋のキズも付かずに、バーチャル(そっちの世界に入りこむ)で疑似体験、苦難や絶望や再生の物語を味わう、といった点ではゲームも読書も受け取る精神的な影響はあんまり変わらないですね。ジョン・バチェラーの本はパブリックドメイン(著作権切れ)なのでネットで探せば、誰でも自由に読めますよ(私は親切)暇と知力を持て余している方はレッツトライさん!ですミャハ☆ 『蝦夷今昔物語』←面倒な人はスラスラとこっちを読んでね!
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上記のツキノエに関する書を見つけましたので、載せときます。
『豪侠、月の彜(い)』
東部国後(くなしり)の総酋長であり、身長は180センチ以上の眉目秀麗、膂力は人より優れ豪気で名声が四方に知れ渡っていました。
寛政元年夏五月に国後騒乱が起こった時に、その子孫や親類などが多く反乱者に身を投じた時に、月彝(ツキノイ)は年がすでに七十才であり、遠い諸島に漁業に出ており家にはおらず、帰ってからこれを聞いて勇敢な者を使者として送り、反乱者を説得させるのにこう言わせました。
「人間が生きる上で礼儀より重いものはない。あちらにもこちらにも、それぞれ尊卑がある。松前の奴隷でも正しくない理由でこのようなことになったのなら、向こうの長に告げて是非を正してもらう。それを告げないままに乱に加わって害を与えると、罪を免れることはできない。我らは、松前太守には恩がある。毎年米や酒、衣服などの日用品など皆にも支給されている。これで私たちの子孫にまで安心して衣食住を確保して飢えや寒さから免れて、快適に暮らせる。これは誰のおかげなのか。それなのに我が子は私にも天にも背いて、反乱者になってしまった。これが私の子だと言えるのか。たとえ単身で敵を討ち骨を砂上に晒しても、汚名が子孫に伝わるのは本望ではないだろう。けれどももし反乱者たちが罪を悔いて帰順するなら、私がすぐに松前の将帥に請い、どうして戦端を開くことになったのかを訴えようと思う。」
これで反乱者が罪を悔いて山を降り、月彝のいう通りにしたので、納沙布(のさっぷ)の陣にいる松前のその親玉は成敗され、月彝の偉功を賞して第一等になりました。
(第一等国民のこと、純日本人と同じ扱いがされる。第三等まであった。普通のアイヌ人は第二等国民。第二等は他に琉球人と朝鮮人。第三等は台湾人)
○藤本秀賢編「アイヌ」より
とか、書いてありますが、明治の書物を読んでいつも違和感を感じる部分があるんですよね。引っかかる、というか。
引っかかることは追求せよ、と私が好きなドラマや本でもいつも主人公たちが言っておりますので、顰に倣い考えました。
違和感の正体は、現代の私との教育の差によるものでした。この書物を書ける人たちと言うのは、当時はいわゆる自分の名前以上が書ける人でありエリートなはずですが、アイヌ人に限らず琉球人、朝鮮人、台湾人を低く見て当たり前の価値観、つまりそう言う常識を持っていたのです。
だとすると一般人も、知ったかぶりが大勢いますので、深く考えずに国の偉い人にそう言われたからそうなのだろうと信じたのでしょうね。わかります。
だからこの報告とも言える月彝に関する記述も、純日本人と同じになれると言う権利、ご褒美がもらえて良かったね、という観点でしか見ていません。
そんなもんいるか!代わりに反乱者の罪一等を減じるぐらいしてもいいんじゃないのか?自首したのにそれがされないのは、この人たちを低く見ていたからだろう。
それを期待して信じて説得したアイヌの酋長たちが浮かばれまい、(結局37人のアイヌ人たちが処刑されてしまい、酋長たちの中にはその中に息子がいたり、アイヌたちから裏切り者とされ、暗殺を恐れた人もいたと言います)と私は人間として悲しく、情けない思いがするわ。
多分、今詰め込みだのゆとりだのって、教育なんたらと言われているのでしょうけれど、字を教えてもらって学習して自分で善悪やら判断できるまでにしていただけたことは感謝の念に堪えません。
こう言う間違ってたことに対して、スルーするから今も日本人はそう考えているのだろうと、他の国の人たちに思われて揉めるんだと思う。
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こういう滅びつつある文化に接するときのわたしたちの態度というものは過剰に入れ込むか、他方では異文化に対するエキゾチックだけでお手軽に良いとこ取りするだけで終わるかでしょう。まあ、何を言わんとするかわかると思うけど、どっちも半分だけ正しいってことです。つまり異文化を理解するにはどっちも必要なんですね。過剰に入れ込むってのは、もう済んだ事なので今さら現在進行中でも無い事のために、負の感情(罪悪感だとか嫌悪感だとか諸々の)を抱くのも間違ってます。反対に臭いものに蓋とばかりに、上っ面だけで騒いでもどこか空しさを感じます。『ただ、正しく理解する事が必要。正しい認識を得てすばらしい文化を理解する』なんじゃないでしょうかね?歴史に対するそれがわたしたちの責任だと思うんですが?その上で、楽しめるものは楽しんじゃえば良いでしょう。やっぱり自分たちの文化が認められるというのはうれしい事なんじゃないでしょうか?ってのが、この展示会を見た感想です。
おまけ(藁)【多苦処(たくしょ)人を縄で縛ったり、杖で打ったり、断崖絶壁から突き落としたり、子供を恐れさせたり、拷問で人々に大きな苦痛を与えた者が落ちる。その名の通り多い苦しみ、十千億種類の苦しみが用意されており、生前の悪行に応じた形で苦しめる。】らしいですよ。
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