このページは明治時代にご活躍なされた『吉田巌(よしだいわお)』先生のご研究を集めたものです。
ナカナカ興味深いと思いますので、ご紹介いたします。

まず、アイヌ人とは?
日本の先住民族です。どの位前か?はくわしくはわかっていませんが、日本書紀や各地の風土記に書かれている敵の蔑称土蜘蛛(または他の名称)などと呼ばれていた可能性が高いので、奈良時代以前はすでにいたようです。
どの辺にいたのか?というと九州にもいましたし、日本全国に分布していました。九州の薩摩も平たい半島というアイヌ語だし、北陸の能登もアゴと言う意味のアイヌ語であるし、語源を辿ればアイヌ語 に行き着く地名は日本国内にたくさんあります。
その事実からしても日本全国にくまなく居たと考えられます。
では、どこからか日本にやって来たのか、と疑問に思いますが、別れのあいさつの(ポッケノオカイヤン)が暖かくして行きなさい、という意味であることから北方からやって来たと推測されています。
★くわしくは、明治時代に書かれた日本に来たイギリス人宣教師『ジョンバチェラー』の 【蝦夷今昔物語】を 読んでみて下さいね。
それから明治時代にアイヌ人の日本人への同化を法律で制定したので、ほぼ風習も教育も日本的になってはいますが、アイヌの風習を守ろうとするアイヌ人は今もいます。
新刊発売!!子供から読める内容です【むかしのアイヌの話】もよろしくお願いします。
鮭
ライン

『死に関するアイヌの観念と風習』

死の原因
 人間がなぜ死んでしまうのか?という大問題に対してのアイヌの考えはこうである。
(一)もろい命を、神から与えられたから、たやすく死ぬ。
 昔、神が人間を造るべく、天から使命を受けて国土に降りた。さて、いよいよ造るとなってアイヌとシャモ(倭人)と、どのような命を与えたら良いものかを考えたが、結局は天の意向で決めようと、カワウソにその使者を命じた。カワウソは帰途で遊びに心を奪われて、それを忘れてしまい結果、不都合な事にあべこべに伝えた。つまりアイヌは木のような命を与えよ。シャモには石のような命を与えよ、である。それで倭人は病気に罹っても石のように長持ちするが、アイヌは木が倒れるようにメリメリと死ぬように定められたのである、と沙流に住むアイヌの言い伝えである。

(二)神を信頼しないから死ぬ。
「だいたいわれわれは、このごろむやみに死んでしまうが、これというもの結局は、近ごろの若者どもが一向に神に頼まないで、病気になってもこう(この時に爐であるイナホを指しながら、これは新調したものでアベカムイ=火神、に捧げたイナホである)イナホをカムイにあげないから神様が、誰が病気であると知る事ができないから、助けようがない。そこでずんずん死んでしまうのだ。昔は、病気になるとおおぜいが集まって、神様に頼んで祈ったものだったが、このごろはちっともそうしないから、われわれみんな死んでしまうのである」とは、数年前に病気で寝ていた十勝音更のアイヌ人シトムクルという老人を訪ねた時に、彼が言った言葉である。
 去年の事だった。平取でトリカブトを飲んで死んだ女がいた。その後にまた同じく、トリカブトで自殺した女がいた。当日に隣の家の女がわたしに言った。「スルグ=トリカブトで死んだ者がいれば、ロルンベという作法をやって、スルグカムイ(毒を司る神)に謝罪するのが昔からの決まりだったのに、こんな変事が起こったのは、前にロルンベをやらなかったから、続けざまに二度も一つの村に凶事が湧いた。だいたい、ちかごろのわれわれアイヌが体を粗末にするのを、神が戒めているのでしょうね」と。また昨年幌去(平取の北約十キロ)で、石狩の定山渓で溺死した男がいた。その隣の家の男も天塩の山奥で同様に溺死した。前者の死に対してはロルンベはやらなかった。そこで神を粗末にした戒めで、第二の溺死を招いたのだと、みんなが噂して後者に対しては、壮麗なロルンベの式を上げた。なお、後者は幌去のオッテナ(後には倭人が選んだリーダーとなる。元々のアイヌ人が選ぶリーダーは、優れた人物でコタンコロクルと呼ばれていたが、次第に倭人に都合の良いリーダーを選ぶようになる)の家系に当たっている。

(三)モノの思い、で死ぬ
 (1)神の思い、で死ぬ。
「わたしの百才ばかりになるバッコ(祖母)のむかしばなしで、これまで秘密でしたが、わたしの家の二、三代前に悪い神がわたしの家に泊まって、その神が人を捕りたがるもので、家の者が見込まれてしまったそうです。その思いによって、わたしの家の男は、いい年になるとみんな死んでしまい、長生きができないのだ、と聞かせられたものです」とシトムクルと同じ村のある人が話してくれました。「十勝のアイヌ人は、エトロップ(択捉)島のほとりに行くと死ぬ、と言われています。むかし十勝に夫婦の神がいました。どうしたわけか、喧嘩をしたあげくに、妻の神がエトロップ島に去った。その怨念が長く十勝にとどまり、そのためにその島に行くと命を取られるのです」と、これも音更のソバウシ(人名)長老や、イタクラ(アイヌ語のイタク=語る、から語り部の事か?)などの話である。
 (2)コロボックルの思い、で死ぬ。
 大むかしにアイヌ人がコロボックルを虐待したために、彼らが一族で十勝川に舟を浮かべて、どこへともなく去った。その時に「この国のアイヌよ、若死にせよ。長生きするな。若くてもヒゲや髪は白くなれ。早く老いろ。そして、鮭の皮が火で焼かれるように、みな死に尽くせ」とくり返した。トカプチ(十勝)というのは、鮭の皮が火に焼ける、という意味でこんな縁起の悪い地名を持っている所からも、われわれアイヌは若死にしたり続々と死んで行くのである。
 (3)怨霊・妖魔のために死ぬ。
 これにはいろいろある。人または他の動物の悪霊のたたり、などにより故意に死に導かれるもの、という考えはむかしからひじょうに多く例証が見られる。日高のヌップキペッアイヌ(日高のヌップク=流れる、ペッ=川、に住んでいるアイヌ人)、トゥンナレの話では、ヌイコロベが死後に悪魔のアトテレケになり、有珠山を噴火させて付近のたくさんのアイヌ人たちの命を奪った、と言う事や、またポロサル(幌去)のテコンナの話では、カスンテという死霊が祟って津波を起こし、アッケシ(厚岸)のアイヌ人を死滅させた。(トゥンナレが言うには、疱瘡=天然痘も流行させたらしい)などというのは、この種に属する話である。それから、ルルコシンプイと言う海中の一種の悪魔に見入られて、魂が地獄に連れて行かれたというむかし話は、渡島のアイヌ人によって伝えられている。
 (4)罰によって死ぬ。
 因果応報の天の規則によって、死ぬものだと考えられている。これは恐らく、仏教化した結果だということだけでは判断できない。やはり大むかしからの観念だろう。たとえば、人を呪詛したアイヌが間もなく兄弟二人まで、前後して毒を仰いで死んだ。これは近ごろのできごとであり、死人に口なしだが、みなが異口同音に言うには、これはカムイイルシカ(即神の怒り、天罰という意味)だと言っている。また、むかしの沙流のアイヌが、ケカチ(毛=穀物、欠ち。であるとも)と言うひじょうな飢饉に遭い、シコツ(今の千歳、大きなくぼ地)のアイヌ村落に行って、助けを乞った。シコツアイヌは元々ケチだったので、少しも助けてくれなかった。ところが、後年シコツアイヌがひじょうなケカチに遭って、過半数の者が餓死した。これもカムイイルシカと呼び、深くおそれた結果、当時のできごとをウポポと呼ばれる俗謡にして、今も沙流のアイヌ達の間で伝えられている。

(四)方位がわるいために死ぬ。
 山だとか、高台だとかがちょうど一方と一方から来た地脈の面が、一つに合わさって鼻(岬)を作ったところをオチリシと言って、アイヌではひじょうにきらわれている。それは、あらゆるカムイがそこから降りる場所であるという事から、あまりに良すぎて逆に悪いとされるのである。元々はこのオチリシの下にコタン(部落)があってチセ(家)が少々あったのだが、みんな死んだり色々あってなくなってしまった。だいたい方角が悪いのでアイヌが育たないのである。早く死ぬのである、と音更のアイヌ、イタクラがわたしが同地を離れて、他のアイヌ部落に転任しようとした時に、彼がオベロベロプ(今の帯広)まで見送りの道すがら、十勝川支流沿岸のオチリシについて、目の前にしながら語ってくれたものである。わたしの現在の住所、ホピポイ(平成現在の沙流郡にも残っている地名)の西に数町の岩角も、やはりオチリシと呼ばれるが、沙流アイヌでも同じような説明を聞いた。爐縁の角についてもひじょうに嫌がることは、わたしが『夢の説話』などにも書いた通りであり、これによって人を呪詛して死に導く、というこわいものであると考えられている。

(五)恐怖のために死ぬ。
 イタクラの話に、「本来は、シャモよりもアイヌの方が、長生きする者が多い。それなのに、このごろはむやみに亡くなって本当に困ったことです。それはアイヌの老人はこのように世の中が開けて来たので、ひじょうに心配し、河に行って魚を獲ったら叱られないか、獣を獲ったら罪にならないか、などとすべてがすべてを心配してしまうのが原因で、ほろりほろりと命の緒を切ってしまうのでしょう」というと、聞く人の中には『バカを言うな!』と気にも留めない人もいるだろう。がしかし、『北海道旧土人保護法』という堂々とした法令を施かれた今日で、なおこのような事を聞くのを余儀なくされるというのは、その原因はどこにあるのだろうか?わたしは身分を問わず、すべての同胞(倭人)の同情に訴えたいものである。確かに彼らとは親しく寝食を共にしない限り、理解は難しいものなのは確かである。ああ、素朴天真、宇宙の広さを自分の家としている可憐な種族である彼らは、むかしの夢が覚めやらず、なぜ自分の家の中で猟をして、生きて行く自由を奪われるのか、所有地はなぜ強奪詐取されるのか?とただ戦々恐々としているのは、哀憐の極みと言わねばならないだろう。

(六)食物が変わったために死ぬ。
 アイヌ種族の一大革命である『北海道旧土人保護法』という大鉈は、容赦なく彼ら全種族の頭上に落とされ、自然淘汰されてしまうという運命になった今、彼ら自身でもっとも痛切な問題は、何だったのだろうか?言うまでもなく、食物の問題である。彼らの体の変化は、すでに食物問題によってはやくから自覚されていたのである。老人のある者は、特にハッキリと自覚し告白している。それは「このごろは、われわれの体には慣れない、米などの入った強い酒をやたらと飲むから、ころりころりと死んでしまう。それから若い者などは、うまいものを買って食っているくせに、言うに言われぬ苦痛に責められているために、日増しに命を縮めて死んでしまうのである。もっとも、むかしも穀類は食べたが、肉類ばかり腹一杯食べていたわれわれが、鹿や熊の臭いもだんだんと忘れるまでになったので、したがって体力も衰えて来て、こんなにアイヌ人が減ってしまったのである」と言う。言うに言われぬ苦痛、については(五)に揚げた内容を一部含んでいるので、われわれが大いに反省するべきであると思う。以上、ようするに死の原因とは、彼ら自身が告白しているように、先天的な迷信と敬神力の衰退により、必然的に死んでしまうのである。その他は故意に死を求めるようなことという見解を示している。
 前の四項は確かにアイヌ固有の観念として、一般種族の死と個人の死とを解釈させる後の二項は、割合に新しい思想で、いわゆる時代の追求から湧き出た普通の見解である、と見る事ができよう。以上の他に二、三の死にちなんだ迷信的な言い伝えを述べよう。
 (a)病気が治りきらぬうちは、爪や髪を切るな。これを犯せば死ぬ。
 (b)エロキロク(ヨタカ)に頭髪をむしり取られたら、魂が抜ける。また、カンキタイ(頭髪の中心、俗に言うつむじ)をひかれると死ぬ。それゆえ、夜はかぶりものをかぶって歩かねばならない。
 (c)蛇が何かを呑み込むのを見るのは、自分の魂を呑まれているのである。だから、早くその何かを逃がさなければならない。あるいは蛇を殺さなければならない。
 (d)遺言にあいさつするのは悪い
 (e)むかし、あるアイヌが死者の腹を割いて、病気の元を探そうとした。すると腹の中から汚物がはねて、そのアイヌに付いた。彼は六日目に続いて死んでしまった。
 (f)山に行って呼び主がわからない、あやしい者の声を聞いたら死ぬ。
 (g)墓地をまたぐか、踏むと足を死者に引かれる。
 (h)木の倒れた夢を見るのは、死ぬ前兆である。(死の原因(一)を参照)
 少しの価値もなさそうであるが、やはり何らかの意味を持っていて、わたしに研究の余地を示しつつある、と判れば無くせないものなのではないだろうか?



『夢に関するアイヌの説話』

 わたしが、明治三十九年の夏に北海道に渡った当時、線路で釧路から十勝に入ろうとした時に、白糠のアイヌコタン(アイヌ集落)に行くため下車していた、無邪気なアイヌの児童たちと、さまざまなおもしろい会話をした。その時の手記の一節に、
 ・八月八日晴れ(中略)「夜と昼とどっちがおそろしいか?」と聞くと「夜は魂が飛ぶからおそろしい」と言う。「魂を見た事があるか?」「あの、ゆうべここで青い玉が飛んだ」という。この時わたしはメガネをはずして、「これは何だ?」と言うと「メガネ」と言う。「何をするものか?」とまた聞くと、ただ「見るものだ」と答えた。そこでちょっと考えて、「なぞなぞを出すから、当てたらえらいぞ」とほめて「あのな、夜になると人がこう目をつぶると、何かが見えるだろう?目を開いていたら、少しも見る事ができないものがある。それは何だ?」というと、これは少しも考え付かなかったと見えて、しばらくモジモジしている。そこでわたしはメガネを手渡すと、彼らは互いに透かし合って見ている。「見えるか」「見える、船が見えるよ」と得意気である。ああ、これは悪かったなと、わたしはなぞなぞを撤回して、単刀直入に「あの夢というものを知っているか?」とあらためて聞いた。「知っている」と食いついた。「夢はどんなものだ?」と突っ込んで聞くと、「あれは、やっぱり頭で見る」と頭をさしながら、「眠ってから、頭で考えて、魂が遊ぶんだ」と言った。
 と書いてある。これがわたしの、アイヌに対しての夢と言うものの初問答で、なお後にたくさんのアイヌと接するたびに、この種の興味ある調査をさせることになる、そのキッカケを作ったのであった。そして、当時のそのお相手は、七才と八才の二人の男の子だった。
 その後、明治四十三年の六月、わたしが仕事をしていた胆振国虻田アイヌ学園で十二才以上、十八才以下の子弟について調査した結果を、学園報でかんたんに紹介した、その全文を再録してみよう。

 青少年に対して、夢などというものは、あまりにも子どもじみている、と思うかも知れないが、その研究の価値は、むしろ真面目にされるべきであると信じている。夢はどうやってみるものなのか?この問いに対して、七、八才前後の子どもが「魂が遊んで歩くから、そのために見る」とか「神様が見せるものだ」などと言う。この無邪気な答え以上の答えは、おそらくないだろう。ほとんど答えがあっても、ないのも同然だったからだ。ためしに、そのアンケートの答えを見てみると「眠っている間の考えは、夢である」「夢は何かの知らせだと思う」「想像が夜間に、脳に残ったものを見せて、後でそれを夢と思うのだろう」という憶測そのままだった。その夢を構成しているものは、ある者は兵士について、ある者は心配な事、または興味のある事、思いもよらぬ事を見る事が多い、という。次に、夢はだいたいがおそろしいものである、という観念が大きい様だ。地震のような夢を見たのはその一例である、おもしろいものという考えは割合に少ない。夢と事実が、符号した実例を探したら、次のような結果がでた。
 ▲わたしの母の知り合いの人が、子どもが死んだ夢を見たら、翌日にその子が死んでしまった。
 ▲昨年三月の雪解けの大水で、溺死者が出た前の夜に、故郷にある橋がわたしの胸の上に落ちる夢を見たら、翌日その橋が落ちて、溺死者が出た。
 ▲わたしの先生(吉田)が旅行なさるという知らせがありましたが、出発の前の夜に、中止する夢を見たら、翌日、それが事実になりました。
 ▲わたしが、ホッキ貝の漁をしようとする前の夜に、舞茸を採る夢を見ると翌日は大漁まちがいなし、これはたびたび見ます。
 附「逆夢」「おそろしい夢を見るとおそろしいことがある」「よろこび事を夢に見ればよろこび事がある」などの俗説に該当する実例もあったが、ここでは略す。
 児童並みに、青年の夢に対する観念と言うものはこの通りである。その内容は、だいぶ世の中の進歩に伴い、日本化しているように思われるが、なお頑迷な家庭で育ったかれらは、どうしてもその父兄からの、改められない固有の思想に支配されているので、一概に日本化しているという速断はできない。よって、以下に少し、アイヌの古老が語っている、その考え方を述べなければならない。
「わたしどもアイヌの方では、夢を見るのはなぜかと言うと、寝てから自分たちの魂が遊んで歩いている間、山だったら山、苦しい所に行けば、苦しい所をそのまま見ているので、目が覚めるというのは、その魂が帰って来る時に、目覚めるとされています。」
 老人もやはり、霊魂の働きを信じているらしく、この答えをするのが多い。それで、少年も青年も共に共通の観念として、これに集約されているように思われる。わたしが、八、九年前の小学児童百六十名ばかりに、アンケートを取った当時の結果も、不思議とこう言う結果が最多数を占めていた。しかも、それはすべて倭人だった。
 霊魂の働きと考えているのは、人間の普遍的な思想なのだろうが、また、しばしばこのような答えもあった。

「われわれは、肉でも何でも食べ物を手に入れた場合、かならずその一部分を引き裂いて、小片を火にくべて神に捧げて拝むのである。これは、固く守らなければならないことで、もし、これを怠ると、火神のタタリで夢見が悪いか、胸の辺りを絞められる。」
 このように神から与えられて見るものである、との考えは、品こそ変われど、前の百六十人の倭人の児童から答えてもらった、夢見の第二の原因と重なっている。
 『爐縁の角は、悪神の通り道だから、頭を付けたり、または離れていても、向き合って寝ると夢見が悪い。』などと言っている。特にこれらの迷信ないしは、信仰は男子よりも女子に強い。チセコロカムイの神座として、家の戸口から入って、正面の左隅の方に足を向けて寝る事を、ひじょうに嫌がる。これも悪夢におそわれる、などの考えから出たものである。

次に、夢に対する吉凶の考えであるが、
(一)年齢によって、同じ夢でも吉と凶と違う判断をする。
(二)住んでいる部落によって、同じ夢でも吉と凶と判断が違う
という事実を発見した。
「若い二十四、五才の血気な人たちが、こわいおそろしい夢を見る事は、ひじょうに良い事とされ、これをシクッタカラ(シクッは血の気の多い者、タカラは夢)と言っています。これに反して、老人がこわい夢を見る事は、悪い事とされています。もし、人が死んだとか、馬から落ちたとかいうような不吉な夢を見る事があれば、老人はひじょうに悲しい事として、神に祈ってわざわいが起きないように頼みます。」
 この(一)を説明したのはアイヌの証言だが、(二)に対する説明は次の文章で証明したい。
 吉凶の考えは、一種の神秘的な夢占いによって、判断される夢そのものが、判断する人にもされる人にも、結果が当てはめられるのである。それゆえに夢占いは、アイヌの卜筮(うらない)の唯一の優れた特徴となっている。
「わたしどもは、むかしはすべての事を夢で吉凶判断したものです。ちょうど今なら、八卦というものと同様で、夢占いがあり、やはり老婆などはどこまでも夢で、吉凶を判断していました。たとえば、火事の夢を見た次の日には何が起こる、馬から落ちた夢を見た時には、何があると一々暗記しております。特に、猟をする時には、夢占いで方角を決めて出かける、という案配で、鳥でも獣でも魚でも、一々夢と相談して『それじゃ反対の方角に変えようのどうの』と決めるのです」こうアイヌ自身が言っています。

 元来アイヌには、ト゜スクル(トゥスクル)というものがあり、いわば巫女に神が取り憑いてさまざまな予言をして、また祈祷と禁厭などによって、病人を治すようなことをする。また、先天的な霊能を持っていて、いわゆる今の透視能力を持った女が、仙術をやるというようなことも、古来にはあったらしく、何度か例のユウカラでわたしはこれを聞いた。とにかく、これらをト゜スクルと呼び、その仙術はト゜スと呼ばれるものである。このト゜スクルのト゜スの一部として、吉凶判断をする一つの方法が夢占いである。夢占いは、ト゜スクルの行うト゜スの一方法だが、またしばしば普通の男女も、自分の経験から夢を吉凶の判断材料にすることがある。わたしは、あるアイヌの男が夜な夜な見ている夢を、毎朝に予言するとその通りになる、という者を知っている。

 それから、去年わたしはあるアイヌが熊の子を三頭獲ったので、すぐにその家に行き、留守番をしていた老爺に何か夢のお告げのようなものは無かったか?とそれとなく探ってみた。老爺は静かに言った。彼は生魚を餌食に熊にやりながら
「この熊がとれる前の知らせに、昨夜こういう夢を見た。シロガニイムシポ(白金鞘の短刀)を人から買ったら、おらは年取ってこんなものを買ってどうするんだ?しょうもないことだな、と思って見たら、目が覚めた。それからうちのハンポ(捕り手イヌイベカの妻)もやはり夢を見ていて、カムイサンゲロー(熊が獲れてくださるだろう)と話したのだった。おとといの晩には、こういうウエンダラプ(夢)を見た。自分が、熊の穴から熊の子を二匹見つけて、一匹捕まえたら、それはたいそうおらに慣れて、懐に抱いた。これはメス熊だった。それから、もう一匹押さえたが、これはナカナカ荒くて、おらの手にかみついた。これはオス熊だった。オヤヂ(イヌイベカ)が脛を熊にかまれたと言ったが、それが夢に見えていたのだ」
と、思うに彼の物語った夢を分解してみると、彼の夢が二つとイヌイベカの妻が一つで、妻の夢がどんなものだったのかはわからないが、とにかく、これは正夢と見なす事ができる。その白金鞘の短刀を手に入れた事と、かまれた事がそれである。前者は吉兆として、後者はそのまま事実として、夢が当たったという実例を示したものである。
夢が当たるという実例として、白老の童話に
 一人の猟師が、熊を狩る時に、大熊が穴から出て、山に入ると良いが、もしも浜に下るとひじょうに悪い事が起きる、という夢を見た。次の日、その熊が浜を下って、猟師の家に入り、彼の妻を食い殺した。こうしてこの夢は、まるでおみくじのようになってしまった。
 沙流(さる)アイヌの言い伝えに、
 木が倒れる夢を見るのは、人の死を聞く前兆。
とたびたび耳にした、この話を清書しようとした前夜、荷負コタンのウサンレウツクという男が死んだが、一里(4キロ)隔てたアイヌ族のウテキと言う女が、「木が倒れた夢を見た」と言って気にしている所に、知らせが来た、とウテキの家の男の子が来て、わたしに教えてくれた。
同じく、沙流の言い伝えに、
 シントコ(行器=ひな祭りの貝桶みたいな形だが用途は弁当箱)、パッチ(ふた付きの鉢)のようなものを手に入れたら、熊の猟または、よろこび事がある。
と、これはシロガニイムシポ(白金鞘の短刀)の夢と符合している。
 便所の夢、墓場の夢、葬式の夢は、みな狩りで良い獲物がある前兆。これもまた、沙流の言い伝え。
ならば、渡島アイヌの言い伝えは、というと、
「あなたね、わたしゆうべひじょうに良い夢を見ましたから、お知らせ申しましょう。山に行く人が、山に行ってからこういう夢を見ると、この上もない良い夢としています。わたしがハンポの所に行きました、ところが一人のおじいさんが、座敷の窓の所におって、一人の子どもをわたしにくれました。その子どもはわたしの前で尿をしました、と見ました。明日はきっと良い便りを聞きますから、良く聞いて下さい。このような夢は、山にいる人がかならず熊を捕る前ぶれである、と言ってアイヌは特別に珍しがり大切にするものです。」
「ああ、昨晩おれの見た夢は、本当にあったわい。大雪の中を掘ってイモを見つけた。それをモツクで背負ったのをみたが、今朝は漁の小屋で鰻を背負ったわい。」
すべて、大雪の中を漕ぎ歩くのを夢見れば、大漁の前兆である。それから、大川または水を漕ぐのを夢に見れば、大酒宴の前兆である。
 虻田アイヌの言い伝えで言われているのは、
 人と勝負事に負けたとか、争い事に負けたとか、殺されたり、傷つけられたなどという夢は吉兆である。

 その外にもさまざまな言い伝えがある。
歯が抜けた夢はわるい(十勝)
よろこび事を夢に見ると悪い(飲食に飽きたとか、おおぜいが集まって歌ったり踊ったりするのは悪い)(十勝)
熊の猟師が女の夢を見たら、熊が一匹も捕れない。(白老)
馬の夢を見るのは悪い(虻田)
シロガニなどの器物、銭貨すべて、光るものを持ち、また手に入れるのをみれば、病気がある、または心配がある(沙流)
風の夢は、夏に見たら山が焼け、冬に見たら家が焼ける、という前兆。(沙流)
雪の夢は大水の前兆(沙流)
米・塩などの夢は、雪がふる前兆(沙流)
もので土を掘るのを夢見ると、死の知らせを聞く前兆(沙流)

手足などに油脂が付く夢を見たら、猟で傷つくか、人のケガを見聞きする前兆(沙流)
貂の猟をする時に、子どもの夢を見たら、獲物がある前兆。(沙流)
すべての汚いものを夢に見れば、良いことがある前兆(沙流)
猟の間に女に接する夢を見ると、ケガその他の良く無い事がある(沙流)
女性、特に女の子が性器を露出する夢を見たら、傷つくか、他人のケガを見聞きする(沙流)

 最後の言い伝えは、きわめて露骨だが、この原稿を書き写している時に、やって来たエカシタというアイヌ人が、昨夜これに該当する夢を見て、たしかに先ほど女の子が転んで手にケガをした、というのを目撃したが、夢占いは不思議に的中するものだ、と語った、ので載せたのである。
 夢とは、ある意味においてしばしばある人が、他の人にあることがらを伝える一種の媒介者である、と考えられる。たとえば、カムイユカラで言われている、むかしアイヌの英雄神オキクルミは、常に神を尊崇していたが、ある時に銛を失ってしまった。すると、神はオキクルミの敬神の心が厚いために、好意を持ちその銛を探して来て、オキクルミの家の窓の下に置いた。こうして、その顛末を夢でオキクルミに知らせた、とある。また、むかしの日高ペナコリのはずれに、一人のアイヌがいた。シシリムカ(沙流川のむかしの名)の山の奥で、鹿一頭を猟した彼は、たいそうよろこびさっそく神に供えて感謝の意を表わし、かつ良い調子になり、ユウカラを語った。その晩に神が夢に現われて、「お前は良くユウカラを語って聞かせた。わたしはお前のその心を愛する。よって、さらに良いユウカラを授けよう。これを語り習ったなら、さらに良い多くの山の幸があるだろう」と言って、一條のユウカラを教わった。夢からさめて、彼はそれを語り真似た。それ以後は確かに多くの猟にありついた。
 それから、そのユウカラも今に伝誦されている、いわゆるヌイコロベが悪魔となってウスヌプリ(有珠岳)を噴火させ、ポンヤウンベが来て救ったという、顛末のむかしばなしである。この神は、夢を媒介として、感応を伝え知らせるという信仰は、なお多く聞かれるものである。それから、神がわざわいを知らせた一例としては、むかし、あるアイヌの家に猟師が来た。いつしか彼の娘を人知れず妻にしていたが、そのアイヌは知らなかった。ある夜、神は彼の枕元に現れ、『あの猟師は、赤いヘビの化身である。お前の娘と関係を持っているので、わたしが言う通りに殺せ。何々をしろ』と告げた。アイヌは夢の通りに、翌日彼を崖の上に連れて行き、そこからだまして落として殺すと、たしかに赤いヘビだった、と以上がその例だが、伝える側がすべて神であった場合だが、伝える者がいつも神であるとは限らない。ある時は人だったり、熊だったり、鳥や植物などさまざまである。また、ある時は、伝える者がおらず、ただ自覚的に夢を見た場合が多い。しかし、たとえば前に記した大熊が浜に下った夢のような場合で、それを知らせたのは夢そのものである。それ以外に伝えた者はなく、ひじょうに曖昧であるその夢と言う物を、見た者がすでにこれは神秘的なものだ、と理解できたならば、伝え手の有無など関係ないだろう。

これはもう奈良の三輪山の神の神話そのものですね。蛇身の神が人間に化けて夜な夜な女の元に通って来る。まんまですね。ただ、死ぬのが逆ですが。

 アイヌの説話中、いかなる種類のものでも、主客の別はなく、ほとんど共通的に見られるものは熊である。そこで、夢にちなんだこの種のものも、なお決して少なくない。その多くの場合は、熊の死霊が夢の伝え手となり、あることがらをある人に伝える形式を、取っているのが普通である。これには二つある。自分を殺した者に、感謝の気持ちを表わすものと、逆に遺恨の気持ちを表すものである。むかし、石狩の猟師が父親のいましめを聞かずに、夜にそっと猟に出て大熊を殺した。その死骸が川を下り、海口に流れ出て波に打ち上げられた、と聞いてそれを持って帰り、一家の者みんなに食べさせた。その夜の夢に殺した熊が現われて、「おれは自分がカムイと言われて、おれほど偉いものはない、と思っていた所、そのおれを殺したあなたこそ、まことに見上げた勇者で、感嘆する他ない」と言った。また、オタスト゜に住む兄弟が、熊の肉を食った夜の夢に熊が現われて、特に弟の豪勇を賛嘆した、とある。これらは共に前者の例である。
 また、虻田の快男児サカナが、裏庭の山で他人の殺した熊の、いわゆる熊送の儀式がされていなかったのを、その霊がサカナの夢に現われて、遺恨を告白したので、さっそく型通りの式をやって霊を慰め、その上、霊のお告げによってシコツのオッテナが熊、娘の災難を救った、という奇談があり、近くは天塩アイヌのニシバクとエドカツの兄弟二人が、熊を捕った時にその大きさを計った。計り終わってから、その熊がメスだった事に気が付き、ひじょうに後悔した。だいたいアイヌでは、むかしからメス熊の大きさは計るものではない、という迷信があり、それゆえに後悔したのだった。そこにさらに大熊が現われて、二人とも激しくおそわれ、半死半生の中に、老人が現われて「おれの娘をお前の手にかけて殺させたのは、かえすがえすも残念だ」と怨み事を言ったと思ったら、目が覚めて、これはメス熊を殺した仕返しに、こんなこわい目にあったのだ、と急いで家に帰った、という話もある。この二つはいずれも後者である。
植物としての説話は、ヲタスト゜の山奥に人食いの柏があった。ヲタスト゜の子どもを盗んで来ては、そっと樹の中で呑み込んでいた。ヲタスト゜の人はそれを聞いて、樹を切り開いて取り返したかった。ある夜に柏が夢に現われて、「おれはお前ら人間ほど好きなものはないから、こうして長くお前の子どもを呑んだ。だから、酒と肉を供えてくれ」と頼む夢を見た。それで今でも柏には神酒などを捧げるのだ、と言っている。(元々、柏は神木として、アイヌの植物崇拝の内容を示している。むしろ、開闢の神話として生まれたものではないか、とわたしは考えている)

当サイトで使用のアイヌ素材は『アイヌ文様フリー素材・モレウ』様より