話のあらすじ 一家四人殺しの下手人お蝶は死罪を申し渡され入牢していた。しかし、罪の意識も恐れも抱いてはいない彼女の様子を不審に思った薬売りは、自ら入牢しお蝶に探りを入れる。そこへ能に使う狐面を付けたモノノ怪が現れた。しかし、その狐面の男が形では無かった。真実はお蝶にあると感じた薬売りは、お蝶の一生を再現する。

(正体)

(何が起こったか)

(気持ち)

(結果)
のっぺら坊。顔無し。自分の顔を持たない存在。自分=心が無い人=自我を持たない=持つべき顔が無い人 一家惨殺。だが、何度も殺戮をくり返しているかも知れない。家族を包丁で刺し殺す他に、樹に吊るしたり、磔にしたりのイメージはそれを示唆していると思われる。 すべてを忘れくり返し続ける事こそ、まさに永遠と言う牢獄。どこに居ても結局この人にとっては牢獄以外のなにものでもなかったのである。しかし、それは自分の心を押し殺し感情を封じ込めたせいである。 親の言う通りに動く人形の様に生きて来たので、自主性に乏しく感情の起伏も無い。心とは自分なので、心を殺して自分が無いのは顔無しも同じである。よって、のっぺら坊とはお蝶の事だったのである。繰り返しから逃れたいと願い、薬売りに斬られた。
面・めん、はおもてとも読む。表面に出ている顔の事。表面的なものなど大したものでもない。それも自分の中のほんの一コマ。認識すればいくつもの自分がその表に現れ自分の面となるのだ。お蝶と面との関係は? 母親に気に入られたいばかりに、良い子の仮面を被り演じ続け母親の見栄・自己満足の犠牲になった。母親の悲願のお家再興の為に、武家の後妻になるものの、馬鹿にされ、いびられ続けて我慢の限界を越えてしまい、義母・旦那・義弟・義妹を刺し殺した。 薬売りによって母親のエゴを見せつけられ、幼い頃の良い子にしなくてはならなかった気持ちを思い出し、そして母親は決して自分を見ようとしていなかった事に気付き、悲しさと怒りを覚え感情を爆発させる。 お蝶は今迄人の言いなりで自分がのっぺら坊=自分を持たずに生きて来た者、である事に気付いた。
感想 難解の様だがそうでも無いと思う。薬売りが今迄言って来た言葉や、彼の行動を見ると何が起こっていたかが判る。薬売りの最初に言っていた事は本当だと思う。彼はとぼけてはいるが。お蝶のした事はまず自分の家族の惨殺。その殺し方にバリエーションがあるのは(樹に吊るすだの磔だの)、それらも事実だから。あれらの殺しもやっていると思う。感情が昂ると見境なく人に襲い掛かるのだろう。だから薬売りは斬りに来たのだ。お蝶がただ、自分の内面だけで完結している世界の住人だったら、モノノ怪と言えど薬売りは現れないだろう。とすると、本当に狐面の男はお蝶を抑制していたのかも知れない。家族を失う事でますます自分を見失ったお蝶は、顔を求めて他人を襲う。その他人はお蝶の中では自分と同義になるのだ。取り憑いては嫌な自分を殺す。お蝶は悪霊化=モノノ怪化していた。それを止める為に辛く見える過去の場所、自分の本性=感情を爆発させた結果家族を惨殺した場所へ引き戻す必要があった。その場をリピートさせる事で、落ち着かせるのだ。だが、それもいつも成功していたとは限らない。失敗した時は他の家族を襲って惨殺していたのかも知れない。だが、そもそもお蝶本体は牢にすらいたかどうか怪しい。もうとっくに罪人として処刑されていたのでは無いか?(お蝶の一生を再現、するのも既に死んでるから。生きてたら半生って言うし)そして最期になって自分の為の人生を生きたかった思いだけが、のっぺら坊として残ったのでは無いか?また自我を保たせる為に、男の(狐面の)のっぺら坊も必要とした。人並みに恋もしたかったお蝶の心が、面に取り憑いて狐面の男=切り離された自分、になった。残された良心と共に狐面に思いを込めたのだろう。しかし、それではお蝶は救われない。事実という重い荷物を狐面の男に肩代わりさせ、やはりお蝶自身は他人任せだからである。だからこそ嫌な事実を叩き付けるように見せられる事で、お蝶は業・繰り返しの輪廻から脱却できたのである。事実を見るのは苦痛だから、知らない振りをすれば=自分の中から出たく無いと望めば、引きこもる場所は城になる。しかし自分を甘やかしたい欲望の心を閉ざし、全てを知ろうと思えば事実が暴かれ、そこは罪を償う牢となるのだ。薬売りの言葉だが、意味合いは最後には真逆となった。

モドル