話のあらすじ、江戸へと向かう船に乗り合わせた薬売りを首とするかなり濃い人達が登場。この面々があやかしの海に誘い込まれ怪異に遭遇するのだった。そのあやかしの海にいる怪異を操るモノノ怪の正体とは?…。この船内もギヤマン・バテレンの世界ですな。今回も深夜放送と言えど、性的なボカシ表現満載の回。僧侶の男色や、近親相か んやら…。それと、罪に直結した恐れを持つ佐々木だけが物語の最後で、エンディングテーマ後(おまけの様にある場面)であやかしに魅入られている描写がある。薬売りの微妙な動きにも着目。

(正体)

(何が起こったか)

(気持ち)

(結果)
あやかしの海「魔の三角」(バミューダ・トライアングル=魔の三角水域の事だろう)に巣食うあやかしを操るモノノ怪。 何者かによって江戸へと向かう船『そらりす号』の羅針盤に細工がなされ、あやかしの海へと船を向かわせるように細工された。あやかしの海が見せるあやかし=化け物共によって、襲われた一同は海のあやかしの仲間入りになる危機に陥る。源慧の告白から妹が生きたまま船の中に塗り込められて海に流されたと言う事実発覚。妹の乗る空ろ船が突如として現れる。 あやかしの海座頭により、乗り組員の気持ちの内で恐れだけを引き出している。船主の三國屋は財産を失う事が怖く、辻切り侍佐々木は亡者の復讐が怖く、女中の加世は女の幸せを経験出来ないかも知れない事が怖く、呪術師の幻殃斉は自分の力が虚仮威しであるのがばれるのが怖く、薬売りは自分の存在か?人がいる限りモノノ怪は無くならないしね。 船の中は何も残っていなかった。妹はモノノ怪にはならなかったのである。妹ではなく、妹が死ぬ時に切り離した源慧の醜い心が切り離されながらも、いつも自分の所行(お庸の乗る空ろ船)を見つめ続ける目として己の半身=邪だった忘れたい心がモノノ怪となり、あやかしを引き寄せ操る力となっていたのだった。そして源慧が捨てたのは、心だけでは無く美しい容姿。美しさも虚栄心の元だったのだろう。
高名な僧『源慧=げんけい』の妹お庸=おようが、兄に代わってあやかしの海を鎮める為の人柱となり海に流された。その魂がモノノ怪となったのか?と疑われたが…。 妹のお庸は兄を人知れず愛し、決して結ばれぬ仲ならば、と兄の身替わりとなって人柱としてうつろ舟に閉じ込められ、海に流されて死んで行った。兄の源慧は村びとの願いを受け入れて人柱になると決めたが、いざ船が出来ると怖くなり、妹の申し出を受け入れた。 お庸は兄を本当に慕い、喜んで身替わりになった。対して源慧は助かった事を喜んだ。僧になったのも出世したい為である。最初は身替わりとなり死んでゆくお庸の気持ちが判らず馬鹿にすらしていた。が、妹の純粋な気持ちを知ると己の心との差に恥ずかしくなった。 源慧は妹が自分を恨んで死んで行ったのでは無いか?と不安になった。なぜなら自分の立身出世の世俗にまみれた欲望の為に妹を犠牲にしたという自覚があったからである。そしてもし妹がこれを知ったら(気付いたら)?と言う気持ちが妹の乗る空ろ船の漂う海を、モノノ怪となり見守らせたのであろう。
感想 う〜んそらりすかあ…そらりすとは映画の『惑星ソラリス』の事だろう。あの映画はソラリスが地球の様に海の惑星で、その海が意志を持っていて調査する人類の心に接触して来る、という話なので、あやかしの海は映画そのままなんだね。あれは海が人間の願いとか欲望、それも後悔みたいな強い感情(負の感情)に直結しているものを具現化して見せてくれるものだから、遭遇した者は恐れ戦いてしまうのだった。それもかなりしつこいし。人間の事を知りたい欲求から来ているのだが、その方法は人間側からするとかなりガクブルものであるのも、モノノ怪同様と言えなくも無い。倫理観がまるで違うから。確かスタートレックでも似た様な話があった。そっちは単純に考えている通りに(好意で)してくれるんだけど、皆は最初訳わかんなくて、話があまりにもうまく行きすぎるから段々怖くなって何も考えない様にしようという結論に達したら異星人が現れて、無害だと知らされて楽しんだ、という話だった。999でも人間を見たい欲求の星が出て来ていた。でも見られる恥ずかしさを知って自爆した話。死んだ人間の蘇りに喜ぶか?恐怖するか?ならジャンプのアウターゾーンにもあった話である。モノノ怪では海座頭というモノの形で人の心の恐れを出させている。しかし、この恐れは願いの真逆だ。金を得たい気持ちが失う恐れに。人を試し切りにして殺したい気持ちが、罰を受けるのでは無いかと言う恐れに。と言う具合にである。そして虚ろ船。これは外国の高貴な淑女が不義=不倫をした為に、父親の王が怒ってお釜の様な船に乗せて入り口を塗り込めて出られなくして、海に流した、と言うものである。水上勉にもうつろ船の話があったなあ。諸星大二郎の怪奇ハンター=稗田礼次郎シリーズにもあった。元々は虚ろ船は寄り来るモノであるが、この話では流すモノである。寄り来るモノとしては恵比須信仰に繋がるが、流すとすれば蛭子(ひるこ)となる。同一視されているが、それはどうも都合が良すぎる。そもそも都合が良く無いものだから=穢れ 流される訳なのである。寄り来るモノは思いもよらぬ幸の訪れの暗示だ(恵比須=土左衛門でもある。異形な者としては同じ意味だが、それも…キモ)。だが、源慧にとって都合の悪い事態と共に妹を流したが=蛭子、戻って来た船によって結果的には救われたのであるから=恵比須、あながち間違いとは言えないかも知れない。だが…、「最期に一つだけお願いが」、の妹の言葉の内容は描かれて無い=言葉そのものも省略されている、のはやはり近親そうkゴホゴホ…。とすると源慧の改心の理由って、愛情も無いのに謹慎創刊してまで助かりたい獣にも劣る己の心根に(致した後で)気付いたから、って事なのかなぁ。にしても…源慧の主従に絡めた衆道の表現が生々しくて(こっちは堂々とカモフラージュしきれないアノ声入り、ゾワッとチキンスキン。キモ━━(≧ロ≦|||)━━!!!)キモさ爆発!!BL=ボーイズ・ラブはあと、とか言うのがいるけど、おッさんどうしの絡みを見てから言えや!である。ホントウニ勘弁Y(>_<、)Y ヒェェ!

モドル