★時代劇イロイロ
 『江戸の激斗』が今ファミリー劇場でやってるらしい。見たい。内容は京都の新撰組みたいな江戸の遊撃隊と言う組織が金で仕事人するというもの。ただ、人間関係が濃いよ。しかも、これ当時台詞に「そんなのデマだ!」って言うのがあって新聞投書とかに「時代劇なのに何だ!けしからん」って非難囂々だったエピソードがある。新感覚時代劇?でも、もっと見たいのが萬屋錦之介の《破れ奉行》。『破れ傘刀船 悪人狩り』はDVDあるけど、これは無い! 何で?一番イッちゃってて面白いのに。オープニングからファンファーレ、一体何が始まるのかと思うよ。破れ奉行の出陣の様も凄い。御用船?捕鯨船?で突っ走る、突っ走る。たまにそのままの勢いで壁をぶち破り敵の本拠出で立ちもありえなす、鎖で出来た頭巾を被り、かるさん=和風のズボンみたいなもの穿いてて捕鯨に使う銛を 携えている。これを投げつけて悪人を成敗する事もある。で、顔を見せて正体を晒した後=その正体は江戸の深川奉行(=実際には架空の役職)に任命された速 水右近で、将軍拝領の無礼打ち御免の刀を見せてべらんめえ口調で罵倒した後ぶった斬る、とにかく斬りまくる。そして最後に懐紙で刀(の血)を拭い紙吹雪の 様に舞わせる。豪快そのもの。痛快時代劇ってこの作品の為にあると思う。まるで『理屈じゃな いんだよ!』とか言いそうな松岡修造ばりな暑さと勢いのある作品である。そしてこの主人公の独特な姿を見ていると、『白獅子仮面』を思い出す。高速エス パーな三ツ木清隆が主役。大岡越前の隠し同心【剣兵馬】が白獅子の仮面を被って獅子吼(ししく)変化し白獅子仮面となり悪の妖怪軍団(着ぐるみ達)と戦う のだ。この普段の格好がね、他の出演者が普通の時代劇の格好なのに、地内に侵入する事もある。(だから破れ奉行なのか?)一人だけベスト着たり武具の二丁十手ホルスター付けてたり、かるさん穿いてたりして気分はもうすっかり西部劇!浮いてる、浮いてるよ、高すぎるよ。でも、 それよりも特筆すべきはやはり敵が着ぐるみって所かな。他の所が本格派時代劇彷彿とさせるだけに、ギャップが凄まじ過ぎて笑える。肝心な戦いがしょぼかっ たからヒットしなかった気がする。ちびっ子には地味なのだな。最終回愛馬(勿論白馬)が死地に赴く白獅子仮面の言い付け=気絶した奉行を安全な場所に運べ と言う、のに別れたく無くてなかなか従わなかったのが泣かせた。意外に地味だけど面白かったんだが…。似た様なのに、敵がしょぼいのは魔人ハンターミツル ギがある。それまでは格好良く悪党退治していたのに=ドラマパート、魔人に変身=戦闘パート、するといきなりカクカクの模型動画になるのは何故?普通に戦 隊もの仕様でいいのにと思ったものだった。しかも敵が実は宇宙からの侵略者だったりするし。だが、オープニングがちょっと快傑ズバットっぽいので好き だ。ってズバットの方が後だけどね。
 忍者ものの最高峰はやはり【仮面の忍者赤影】だ。白獅子仮面はむしろ赤影に近いかも知れない。が、どうだろう?時代劇で好きなのは素浪人花山大吉!だ。焼津の半次サイコー。
★ちょっとした訂正
 訂正ね。必殺仕置屋稼業で主水が同門対決する回の話をしたんだが、その時に子連れ狼を引き合いに出したんだけど、原作とごっちゃになってたよスマソ。勿論 子連れ狼は原作もちゃんと読んでるぜ、なんだけど、テレビの方はうろ覚えだった。テレビは聖人を斬る話ではなくて、慈悲深い医者で生き仏と呼ばれる程に人 々から敬愛されている人の話だった様だ。流石に坊主殺せば七代祟ると言う事で、テレビ制作ではこの設定を遠慮したのかも知れない。しかし、テレビ版は凄い ね。放送コードギリギリどころか振り切っちゃった上に無いものとされている話すらある(左枠)それとそこで紹介した言葉鬼に会っては鬼を斬り、仏に会って は仏を斬る、もあやふやです。これはテレビ版の柳生一族の陰謀シリーズのオープニングに柳生新陰流の奥義っぽい言葉が=『神に会っては神を斬り、仏に会っ ては仏を斬る』流れていてそれが元ネタとなっているからでしょう。拝一刀も裏柳生と戦っている訳だし。で、考えた。……、仏なんて斬れる訳ないだろう!そ もそも剣は人を斬るもので、それで人を生かす事なんて=活人剣と言うらしいが、本来の(剣)道に反している事だ。スポーツじゃないんだから。それでも生死 をかけなきゃならないから、相当精神的に来る事は確かだよね、理由はどうあれ。人は斬れるよ。テレビでは神と仏ってなってるけど、元本は祖と仏らしい。祖 とは文字通り祖先の事。祖先も仏も彼岸にいる存在だね。そして、仏も祖先も突き詰めると自分の中に息づいている存在だよね。祖があるから自分は存在してい る。血を引くって事だ。そして、仏の心があるから、殺伐とした世の中であっても人は生きて行けるんじゃないか?仏の心とは慈悲。それも親から学ぶものでそ れすら自分の中に根付かねばならないものの事ではないか?とすると、祖や仏=自分なんだよね。つまり剣を持って人を殺めるとは、すなわち自分を殺す事と同じ事だ、という戒めの様な気がしてならない。仮に本当の仏とか鬼を斬るとしたら、自分もそれと近い関係にならなければならないだろう。鬼は 化け物の方を意味していると思うので、主水が対決した人間離れした凄腕の剣豪で良いかも知れないが(その代わりに生き地獄)、神仏だとどうだろう?神仏に 近い存在になるってまず無理だし、なれたとしても斬れないっていうか、神仏というもの自体、神仏を斬ったりしないから益々無理。つまり無理っていうのが答 えか。こんにゃく問答だなwよく無の境地とか物事には正も悪も無い、ただ事象が存在するだけ、と嘯く輩が居るが、それじゃ慈悲って何?って思うよ。何事も 達観して平静になるのは良いかも知れないけど、生きるってもっと感情豊かな事だと思う。それを斬って捨てるってのが一番無理だと思うけどね。
 萬屋版子連れ狼・欠番【第一シリーズ2話の乞胸お雪という話だ。乞胸は乞うで変換する時に辞書機能の所にこの熟語があるよ!吃驚だ。乞胸(ごうむね)とは大道芸をして生活している町人だけど、実際は非人に近い身分の人々で乞胸=差別用語とされている。】
★映画・柳生一族の陰謀
 
去年テレ朝で2時間スペシャルドラマ時代劇で上川 隆也(かみかわ たかや)が柳生十兵衛役だったが結構良かったので、今回萬屋版?(主役はなぜか萬屋錦之介)柳生一族の陰謀を借りて見た、DVD。確かに、豪華な配役、衣 装も絢爛だし、テレビスペシャル版の様に物語り自体は洗練されていないが、荒削りな宣伝通りの骨太で見応えある作りだった。12年の沈黙は(←予告編の キャッチコピー)伊達ではなかったね。この2つは制作費が桁違いだと思うんで、その辺りも考慮してみた。映画では争いの元凶とも言うべき徳川家光に松方弘 樹のキャスティングだったのが、テレビスペシャル版では何と柳生但馬守だった。時の流れにぃ〜……、まあ後述します。この話は各階級の男達のそれぞれの思 惑が入り乱れて、戦いと惨劇が引き起こされる男のドラマだが、テレビ版では春日局が家光の実母と言う設定だった為に、(映画では親子の相克に絡めて「親に会っては親を斬り、仏に会っては仏を斬る。不退転の決意!」ってやってたのがそうでは無くなってた よ)異母兄弟の弟ってのは、やっぱり半分自分とは違う血が入っているので、感覚が違って来てしまうのかも知れない。普段から仲が良ければそうでもないだろ うが、これは愚兄の物語だから優れた弟に親の愛情一身に集まって憎し、な部分も元々あったろう。それが母親と血の繋がりが無いと聞かされて、疎まれていた 理由をただ血の繋がりにすれば良いから本人的にも憎しの部分がかなり楽になる、肉親殺しの正統な理由って奴だ。な訳で、この兄弟に対しては我が子の擁立対 決で母同士の戦いにもなってたから大分趣が違っていた。骨太ではないが深みはあると思う。人間らしいドラマだ。ただ、やっぱりそれ意外の部分、映画の JAC組&実の兄弟(JAC-柳生十兵衛=千葉真一・柳生茜=志穂美悦子・根来のハヤテ=真田広之=若くてスマートできれいな顔だ。実の兄弟-千葉真一& 千葉治郎※矢吹二朗=滝さんはあと兄貴よりもカッコ良いぜ!)の受け持ちは違うね。元々チーム組んでる人達で仲が良いから、役の上でも仲良しの雰囲気が湧き出てるんだよね。これは 一朝一夕には出せないと思う。テレビ版は比べてしまうとどうしても、その辺がとって付けた感じが拭えないのが惜しい。十兵衛と柳生の庄にある根来忍者の住 む黒谷の人達との関わりが、テレビではイマイチ伝わって来ない。所詮支配者側と使役人の違いなのか?上川十兵衛が一歩引いた所で皆を見ているのが何と も…。千葉十兵衛は根来の人達に踊りに誘われ、真ん中で浮かれ踊っていたが。(上川は脚本が良く練り直されていて、物語的に納得のいく流れだったので、人 間臭い弱さが随所に見られて好きなんだけどね。寡黙で大人しい十兵衛。あ〜でも、ちと地味か?柳生十兵衛は花形だからな。反して千葉十兵衛は暑いぜ!熱血十兵衛) もう映画は三船だの丹波だの、この時点でもまだまだピンで主役張れる人々で脇固めてて凄い。出番少ないのに三船敏郎はインパクト強過ぎ。これが名優大御所 の所以か。工藤ちゃんと言わない成田三樹夫のマロ姿も素敵だ。梅津栄のマロが哀れ過ぎるんだが、何故か爆笑してしまった。それと女優陣。大原麗子の神懸り な美しさ、どう見ても出雲の阿国だ。この頃は絶頂期だったんだなあ。それと志穂美悦子の溌剌とした若々しさが女武者にハマり過ぎ。でも、特筆すべきはやは り筆頭に名前が挙がっている萬屋錦之介だろう。子連れ狼とは全然違う。無表情でともすれば平坦だが朗々とした台詞まわしで不気味ですらある。あくまで裏方 の汚れ役に徹する如く、覚悟を決めているのか娘・息子が死んでも少しも動じない。が、この何考えているのか判らん鉄面皮が、最後の最後でぶちかましてくれ る。それが、その一点に向かっての収束する物語こそが!、この映画の見どこ ろ。最後に全部持ってってしまったよ…。流石だよ錦之介さん。その最後の場面(見栄切って〆だが)だけの為にそれまでの演技控えめだったんじゃないの?っ て位だ。これを松方弘樹がやったんだが、みてらんないwラッパーか?おまいは?な演出。これはないわー、先に錦之介さんの方を見ていたら爆泣請け負っちゃうよ。

柳生十兵衛「だが、あなたは私の大切なものをぶち壊した。それも、無惨に。だから俺も、あなたの、父上の、大切な夢を、ぶち壊した」ゴーロゴロ。
但馬守「おのれ〜!」以下略、から何回もリピートしてしまうよ。これだけでお腹一杯w
 争うもの達にはそれぞれ言い分がある。何が悪か善かなど誰が決められよう。と死期を待ちつつ達観した弟君。(遅いよ。もっと前に話し合いで決めろ。と思ってしまった)実父・実弟を死に追いやっても、何とも思わない兄を哀れに思いつつ自刃。(やっと思いやりの心が…)
★夢占
 夢占いの実例として依頼された夢合わせの依頼メールでの問答です。
その1
依頼人「お願いです。だだっ広い屋敷にいる。上下左右部屋は沢山ある。出口が無い。出たいが出られない。良く見るし、シチュエーションは違えど出られない事に変わり無いの」
鑑定者「胎児の時の記憶かも知れん。部屋は母親の臓器。白い室内ならまず間違い無い。だから、時期が来るまでは出られない。しばらく行動は起こすなと言う暗示」
依頼人「古い屋敷だけどそうかも。現状維持に努めるよ。あと、新宿だと思ってる繁華街を彷徨うのも頼む。イヤな夢なんだ。よく見るの」
鑑定者「それも彷徨っているなら動くなって意味。2つの夢で尚更強調されているメッセージは動かず我慢て事だ。変化は望ましく無い」
依頼人「ありがとう。現状維持に(ry」
検証・依頼人はSOHOみたいな仕事をしてます。会社から請け負った仕事を自宅でして期限までに提出してます。契約なので少し不安なので転職をたまに考えている様です。それが夢に出た模様。
その2
依頼人「家の中に蟻とゴキブリがいっぱい。なぜか姉と義理兄がいて、退治する所か笑いながらゴキブリを突き付けて来るのだ。殺虫剤で殺してるんだけどきりが無くて、旦那も役に立たなくて仕舞に叫んだら本当に叫んで起きた。なんか心配で、頼むよ〜」
鑑定者「2つの事を暗示。一つは仕事が順調に行く事。それともう一つは生活の乱れ。特にダイエットが必要。奴らはその必要が無いから笑っていられる」
検証・彼女は自宅仕事なので出社しなくて良い為、仕事が入れば入る程、運動不足になりがち。
その3
「電車で家に帰りたいんだけど、知らない電車に乗ったり、間違えたりするの。お猿の電車だったり、ジェットコースターみたいだったり、変な電車だし。夢の中では知っている土地だけど、現実では知らないところなの。結局帰れないし。良く見るんだけど、なんだろ?」
鑑定者「これは娯楽とリラックスの必要性の暗示。どっちも遊園地みたいな遊ぶ所にある乗り物だ。たまにはパーッと遊ばないとストレス発散出来ないと言う暗示」
検証・するまでもなく、家に閉じこもって仕事しているので外に出て発散する必要性を暗示している。
まあ、大抵の夢なんてこんなもんですよ。たまに、特殊な夢が入るけどね。生まれる前のとっくの昔に死んで顔も知らない祖母と母親=存命中が出て来て話す夢見たら、その日に母親が入院したとかお告げっぽいのがありました。依頼人もそういうの最近見て相談受けて、親の入院に対しての思いだったんだけど、それは金銭的なものと面倒見たく無いと言うちょっと身勝手な内容だったので(正直に返答やりませんでした。ので)こっちが鬱になりましたと言う事情なので詳しくは書きまへん。
 以上、夢占の実例。ライトなもので差し障り無いモノ。これ位なら簡単に数分で出来ます。
★魔界転生
 
ツタヤが半額キャンペーンを行っていたので、色々借りた。と言っても一週間レンタルなんでそんなに沢山ではないが。で柳生一族の陰謀の新旧比べをしたので、今回は魔界転生を両方借りてみた。結果、ダントツで旧作の勝ち。これは比べ物にならない。話題にもならなかった理由が判ったよ。つまんねーw、の一言。これさ、圧倒的な差を言うと、俳優の声=台詞まわし、にあるね。これが俳優の力量の差と言い切れないが、大事だと思うよ。声だけで引きつけるじゃん、昔の俳優。確かに物語の内容としては、新作が筋立てがスッキリとはしている。だが、それだけだ。旧作の良い所は、まず敵役一人一人の登場を描く。背景も含めてなぜ魔界に堕ちたのかの『無念=未練』の部分を簡潔に判り易く描いている。そして、悪役である所の敵役がそろい踏みした所で主役の柳生十兵衛が登場するのだが、敵の事情を知っている観客からすれば、柳生十兵衛危うし、な訳で嫌が上にも十兵衛の苦難が想像出来 る。いかに十兵衛が魔界の者達に立ち向かうか!これは敵を丹念に描く事で主役に思い入れが深くなるので決して無駄な描写ではない。これが新作だと天草四郎 と柳生十兵衛に重きを置くあまりにすっ飛ばして描かれている為に、観客は敵が強い凄いと言われても説得力皆無なのである。もっと突っ込んで言えば、ジュリーは仲間を増やして行くって感じなのに対して、窪塚の方は手駒を増やしているに過ぎないとしか思えない。確かに人物設定的には天草四郎というのがそもそも若者のはずなんで当時のジュリーがやっても確かにおっさんおっさんしている。だが、魔界の者の妖しさや禍々しさが存分に出ている。窪塚の天草は悲しみとかドライな無常感は出ているかも知れないが、大人しすぎるんだよ。もっと、怒り憎しみに彩られた怨念をドロドロと背負った人間を 期待してるとがっかり。ジュリーはそれ見事に演じていたからゼンゼン物足りない。柳生十兵衛はもうこの頃は千葉真一のハマり役なんで、比べるのが可 哀想な佐藤浩市である。この人顔の表情が豊では無いんだよね。なんとなくのっぺりした感じの人に思える。一皮剥けて欲しいものである(父親の方はすんごい 顔で表現する人なのにね。父子だから顔が似てると思ったんだが、このまま年老いて行くと全然似なくなりそうだ)全体的に見ても、旧作は荒々しい=監督深作の本領発揮だと思う骨太なドラマ。が新作は綺麗でお上品だし、判り易い事は判り易いかも知れないが、それだけ。大人しくて綺麗で上品なのは時代劇にそぐわない。時代劇好きが見たいのはダイナミックで熱く男臭い時代劇ドラマなんだよ! こ ういうのは反って安っぽい。判り易いが良いとは限らないって事だ。たまにあまりにご都合主義(制作者にとっての)な時代劇もあったりするし。大事なモノは 確かに判り易い。だが、それは正しい見方を知っていればこそだ。見方が判らない者は実はあまりにも単純な物の為に見方が判らずに反って事態を難しくする。 見誤れば難解なものになる。厄介だが、映画も人の心もそんなモノなのかも知れない。ググって知ったが旧作、最後の炎上する江戸城での対決シーン本当に燃やしてる中での撮影だったのか!!どうりでね。なるほどこりゃ完敗ですなwww
 魔界転生のツボ
1、千葉十兵衛はこの物語りでも全滅した忍者の里を見る。
2、なぜか
仕事人なジュリーを見る事ができる。
映画データ
1981年 東映・角川映画 監督・深作欣二 122分
2003年 東映・角川・日テレ 監督・平山秀幸 105分

★座頭市
 上記の魔界転生と同じく座頭市を借りた。とりあえず、原点は押さえておきたいので不知火検校にしようかとも思ったが、一週間内に全部見る自信なかったので、延滞金が発生でもしたら洒落にならんと思って止めた。で、結果、基本の座頭市物語=モノクロ新座頭市物語=モノクロと面白そうな座頭市二段斬り=カラーを借りた。座頭市は子母澤寛原作で(若い頃新撰組関係の本集めてた中にこの人の著作があったので懐かし〜)作者が実在の人物にヒントを得て書いた作品らしい。その人物が飯岡の助五郎の手下ときちゃあ、笹川の重蔵が出ない事には話は始まらない。その通り基本の座頭市物語天保水滸伝モチーフなのだった。今のじじばば世代が100%の割合で知っている平手造酒=ひらてみき(三波春夫が平手造酒を謡った「大利根無情」が大ヒットしている為お馴染みなのである)ちなみに平手造酒が酒に溺れて追放された千葉道場と言えば、思い出すのが剣を取っては日本一の少年、赤銅鈴之助竜巻雷之進さんであるw。天保水滸伝のあらすじは平たく言えばやくざ同士の出入りの話だ。千葉県の飯岡という所の侠客助五郎一家と、笹岡という所の侠客重蔵一家の縄張り争いである。飯岡の助五郎は十手持ちでもあったので、重蔵一家の無体な暴力を取り締まると言う名目があった。しかし、同じ立場の者が一方を取り締まるのは職権乱用なのでは?という疑問から庶民達からは飯岡の助五郎の立場は悪く書かれている。事実、笹岡の 重蔵にこの大利根河原の決闘でぼろ負けしている為、後に重蔵を闇討ちにして殺害しているので余計そう思うのだろう。で、このやくざの出入りに酒の飲み過ぎ で江戸の千葉道場を破門になった平手造酒が笹川に流れ着き、重蔵の助っ人として病身の身でありながら参加して死んだのである。酒の飲み過ぎで病気・労咳=結核とも言われているが、酒飲みならむしろアル中で肝臓で もやられたのではないかと思う。ここでは飯岡の助五郎と旅先で知り合い、声を掛けてもらったので訪ねて行った座頭市が、飯岡の親分の客分となり出入りの 助っ人となっている。が、助五郎に居合い抜きの腕は買われているものの、思い通りにならないと見るや「どめくら」などと散々馬鹿にされたりしている。また 初っ端から実在のモデル座頭市伝説のエピソード通りに、壺振りの音で丁半博打の半・丁を言い当てる妙技を披露している。この際も「めくら」なのを馬鹿にさ れているのだが、それも計算の上で逆手を取ってカモにしている。座頭市が強かでトリッキーな人間であるのが判る。そう、視聴者はハンデのある座頭市が馬鹿にされたままでは無く正々堂々と、血の滲むような努力の末に開発した己の能力で返り討ちにする姿を痛快に思うのだろう。やくざ達にも正 論で向かう市の姿勢はヒーローそのものである。この話では笹川の助っ人平手造酒と、飯岡の助っ人に出た座頭市との二人の、ある意味敵同士でありながらも育 まれた男同士の友情物語になっている。(平手造酒は天地茂。非常のライセンスとゆうか明智君w)そして見所は、勝って(史実と違うが)喜ぶ助五郎に対して 市が「お前の為に無駄死にした者達が、まだ弔われずに死体を曝したままなのに、お前は勝ったと喜んで酒なんか飲んでやがる、大馬鹿だ」と言って祝いの酒樽 を真っ二つに叩き切る場面である。新座頭市物語は前作の時間から1年後の市の姿を描いたものだが、実の兄若山富三郎と共演している。(この人は馬の強精剤 注射して舞台努めていると聞いた時点で、凄まじい芸への執念だが長生きしそうに無いと思った)これは市の過去編やりたいのか何だか、前作と比較すると ちょっと消化不良ぎみだった。二段切りは座頭市の師匠が殺された真相を暴いてその恩師の娘を救うのが主体で、最後が二段切りなのか?題名にしては判りづらいが三木のり平(初代、桃屋の"(新)ごはんですよ"="(旧)江戸むらさき"の声の人)の演技が昔の演技演技してて良かった。今映画ではここまで臭い芝居真面目にやら無いから味があって良いね。(のり平、晩年の「のりぴー」との舞台共演はちょっともにょったけどね)それと悪役浪人で出ていた加藤武(石坂版金田一で警部役の「よし、分かった!」の人)が、意外に逞しく粗野な雰囲気なのが格好良かった。
 座頭市は実は15〜6年程前にビデオ版を借りて何本か見た。ツタヤで。ただ、その時はシリーズ全部揃ってなかったんで、とりあえずそこに置いてあるのを借 りた。今となっては内容はうろ覚えだが、予告で紹介されている置いていない話を借りてみたい!と思ったので、そこそこ面白かったのだと思う。だが、その前 にテレビでも勝新の座頭市がやってた。一番思い出に残るのは、その日丁度伯母(故人)がアメリカのロスから帰国して家に来てた時に(滅多に里帰りしないの で、それが見た最後の姿だった)やってて、いしだあゆみがゲストで出てた話。で、それ見た伯母が「あら、私この人のファンよ」と言ったのを覚えている。 (というエピソードがあった為である)ああ、ブルーライト横浜…。
 ★からの北野版座頭市
 これはこれでかなり面白いけど、好きなのは綾瀬はるか版ichiの方。北野版は中途半端感ってゆーか違和感がある。変に色気出したんだろうね。外人受けす る様な全体的にリズミカルな(音楽も含めて)感じだ。ソレ意識してるのを隠そうとしてないんだけど、これ彼の毒の部分、つまり『おまいら外人はこういうの が判り易いんだろう?』とか、ちょっと皮肉まじりで作られているんならオオウケだけど、『判り易く作りましたんで見てやって下さい』見たいな作りだから な〜。なんで、北野の市がニヒルで今までの北野映画の主人公ばりに頑張っても、違和感がある。北野映画が受けたのって徹底的に排他な部分があった為だと思 うんだけど、この座頭市には一切無いからそれまでの『受けていた北野らしさ』は無いと思う。物語りに関しても、これも完璧な勧善懲悪モノに仕立て上げられ ているので、単純な話だ。う〜ん、するとこれはまるで仕事人みたいなんだよね、内容が。で、市の内面が深く描かれても居ないし、場面も淡々としてるんで訴 えて来るものが無い。ただ、映像的にも血飛沫上がりまくりだし、(功罪はとまれ)北野座頭市は徹底的にカッコ良く描かれてるし、綺麗にまとまった作品だし、そう言う点ではエンターテイメントな作品だと思う。
★ちょっと前の食玩
 実家の荷物整理をしていたら出て来た食玩「疾風!アイアンリーガー」のダッシュリーガーである。背中に差し込みがあってバネを弾いて前進する仕掛けであ る。実物は無着色だったので自分で塗った。素体の色は青緑っぽいのと朱色の2種類か?目の部分の色がそうである。ここだけは塗っていない。描こうとしたま ま忘れて放置していた為である。他に「超時空要塞マクロス」他のよい子のぬり絵があったはずだが、今度見つけたらうPする。かも。
これも出て来た100えんガチャポンのセーラームーン・マグネット全種類コンプリである。大してダブりが出なかったのは販売方法が良心的だったのか?気が向いた時にちょこちょこ買っていたせいか?とすると大人買いの方がダブるのだろうか?謎だ。

★映画ケルベロス地獄の番犬
 警告「犬大嫌い」な人間が書いてます。それで良ければ、後は自己責任なんたら…。
初めてケルベロスを知ったのは(ケルベロス自体はメガテンだが、犬狼は→)『雷火』の藤原カムイが漫画化したものだった。化け物の様な男=圧倒的な武力を 持つ、の組織からの離反とそれに対しての組織側の多勢による粛正の物語だった様に思うが少しうろ覚え(雷火と違って地味だったので立ち読みしかしてない w)
で、映画の『ケルベロス地獄の番犬』だが、この作品の時系列としては、前作の『紅い眼鏡』の中間?って言ったらいいのだろうか?『紅い眼鏡』作 中で、主人公の都々目紅一(どどめこういち)が冒頭で一旦日本を離れて、また戻って来て終わるまでのその空白の3年の間に起こった出来事でFA?と思うん でそのつもりで解説。舞台説明としては、今の日本ではなくて第二次世界大戦の結果が違っていた世界での日本だったと思う(←なんかの本で読んだ。間違って たらスマソ)そこでは同盟国ドイツの影響を受けていて、特殊警察の様な警察の中の組織の特殊部隊・通称『ケルベロス』が組織され、主人公都々目紅一はそこに所属していた。が、武力の強大化を危惧した市民達の不安を制する為に組織は解体の憂き目に遭う。しかし、これを良しとしな い都々目紅一を初めとする三人のリーダーを筆頭に内部で反乱が起こった。それは鎮圧されたが、首謀者である都々目紅一はただ一人ヘリで国外逃亡を果たすの だった。の部分からの続編。主人公は乾(いぬい。名前は無い)ケルベロス反乱後、(反逆罪で?)収監されていた乾だったが、初犯で模範囚だと言う事で3年 後に仮保釈される。だが乾はその足で国外に出、都々目紅一を探す。台湾で林(はやし)という男から紅一の行方を聞き、乾がそこを訪ねると異国の少女が一人 で暮らしていた。「紅一は出て行った」乾は少女に頼まれて一緒に紅一を探す旅に出た。ど田舎に紅一はいた。「俺はどうしたらいい?」問いかける乾に紅一は 少女と三人で暮らそうと提案する。三人の共同生活が始まった。のんびりとした暮らしの中に浸かる程、馴染む程、乾の心には何かが積もり始めた。そんな時、 林が現れて日本から追っ手が来たと告げる。林は2人の後をずっと付け回し、全てが当局に筒抜けだったのだ。つまり最初から乾は紅一を探し出す猟犬に過ぎなかったのだ。紅一 を投降させれば乾と少女は見逃すと言う林。紅一を待つ追っ手のいるホテルへと単身向かう乾。プロテクト・ギアを身に纏い、死闘を繰り広げる。蜂の巣にされ ながらも敵を迎え撃ち殲滅するも、自身も深手を負いついには倒れてしまう。そして、都々目紅一は日本に帰国した…。で、以下が紅い眼鏡の本編に繋がって行 くと言う訳である。ああ、あらすじ解説が長いな。本当は紅い眼鏡からやれれば良いんだけど、一回見ただけで良く覚えていないし、Macだからネット配信み れないし、中古も売ってないんで詳しい事忘れてるんだよね。ただ、紅い眼鏡はまるで、なりそこないの日活青春映画みたいなノリもあるし、昭和臭プンプンのゲバゲバみたいなナンセンスコントみたいな作品、もしくは舞台芝居臭い(=どこかオーバーな=わざとらしい)演技満載作品だった様に思う。
で、感想。この作品はバトルものではない。導入とラスト、クライマックスはそうだが、全編にそれを期待してたらガッカリする。まず、場面場面が冗長すぎて叶わない。写すのは小綺麗とは言いがたい貧民街みたいなアンダーグラウンドばっかだ し。都々目紅一の出現までは真に間延びしている。場面に緊張感がない。日常とは退屈で淡々としているもんだ。喰う、寝る、働く、ただそれだけ。が、それを 映画で見せられても困るよ。イライラする。共同生活の描写「エビばっか喰ってんじゃねぇ!」と突っ込んでしまった程に見せ場が無い。所詮はたかが犬畜 生…。犬っていうのは哀れな生き物で、人間の与えるモノが無いと生きて行けない。良いも悪いも無い。受け取りそしてその代償に何かをさせられる。そうして 初めて生きて行けるのだ。何のこたぁない、結局どうカッコ付けても【犬なんて飼い馴らされた獣】でしかない。 だからもしはぐれて一匹だけになってしまったら、野良犬でのたれ死にという惨めな末路しか無い。それか保健所逝きだな。人間に置き換えると飼い犬野郎は飼い主=体制側 の手を噛んではイケナイし、自分でモノ考えちゃならないって事だ。この映画はシリーズものだけれども、全編を通してそれをいやと言う程描いている作品、な んじゃないか?今の世の中見ると何処も彼処も小さくて可愛い=飼い易い愛玩犬ばっかだよ。つまり、犬の性格云々を変える前に、犬の種類を変えてしまったの だ。そういう犬がもてはやされる風潮だ。所詮犬が狼になろうとしても無理。犬と狼は似てるけど別の生きもんだし。犬はただ媚を売って生きてるって物だ。そ れがそもそもの犬の正しい姿なんだから。そういう風に人間に作られた生き物なんだから。犬が野生なんて見せたら、飼い主は絶対にイヤって程その犬の事を叩きのめすだろう。躾と称して野生のプライドを奪い、絶対服従する生き物に作り変えるんだろう?人間に従順でなけれ ば馬鹿犬とか言って価値無しで保健所に始ま…略)だから馴らすのすら面倒になった人間は、歯向かっても容易く扱える様に、力では絶対に勝ち目は無い矮小な 犬ばかり飼う様になってしまったんだろう。って勝手な理論で飼ってる訳だから、犬も犬好きもどっちもどっちだね。まあ、死にたく無ければ飼い主に捨てられ たら、また新しい飼い主媚び売って探せやwだけど、そして都々目紅一も乾も探そうとしたけれど、人間のくせに気持ちまで飼い馴らされて、そう思い込まされ たらこんな只の犬にしかなれないとは。浅ましいって言うか結局、感情を現実で処理出来ない者が役割を振られてしまえば、そこに従いハマってさえいれば余計 な事考えなくていいから楽じゃね?まさに犬ってか、それむしろ洗脳とも言うのかな?何か昔は良かった、とか言ってうだうだ懐古にハマって一つ所から動けない老人思考みたいで鬱。暴力的で能動的に動いては見えるものの本質はあまりにも受け身過ぎな者達だ。なまじ腕力があるば かりに自分の弱さが見えない男は哀れである。しかし、考えると犬になるかならないかの分かれ目は、何かを失ったら代わりになる何かを見つけて行けるかどう か、に懸っている。命令を待たなくなったのに犬として生きようとすると、乾の様に駆逐される。変わり身が悪いとか、変わらないのが悪いとかそういう問題で もない。自分自身でこれだけは変わっちゃ行けないものを持ってて、信じて生きて行けるかだ。それを他人に委ねて生きて来た者が犬だ。他人が居ようが居まい が、本当は関係無いのが狼なんだろう。従って犬狼伝説って何の事ぁ無い負け犬もしくは野良犬映画だったのである。
あと、もう一つ都々目紅一=千葉繁 は細マッチョだがチビだ。反対に主演の乾=藤木義勝 は、でかいが千原ジュニアと桑田真澄を足して2で割った感じだ。少女も絶対少女って年では無い様に見えるし。少女ってもしかして27位までOKなんか?そ れ−10才以下だとばかり思ってたよ・・・wwwもう何も言うまい。
 作品データ 『ケルベロス・地獄の番犬』(1991年) 押井守監督 1時間39分
ビデオケルベロス(三途の川=神話では五つの川らしい、の先にある冥界 にいる三つ首の番犬。死んで冥界にやって来た死者達がビビって逃げるのを捕まえ、噛み砕いて動けなくし逃げられるのを防ぐ。犬は鼻が弱点らしいから襲われ て噛まれたら鼻をこれでもかと言うくらいに殴りつければ良いのかな?喉の奥にそのまま腕押し込んで窒息させちゃうとかも聞くよね。でも首が3つもあるん じゃ無理かw)このケルベロスはボトムズっぽいね、映像的に。あれはガスマスクだろうが、絶対にOP「炎のさだめ」でキリコのマスクのゴーグルに地獄の様 相が映ってる辺りやスコープドッグの照準器?が動く事でATの起動開始の合図になっているのとか、独特とか言われている映像、もろに影響受けていると思うんだぜ。
  良く聞くけど、落とし穴みたいなの掘って犬落として、閉じ込めて餌与える時だけ自分の姿見せて、他人の存在を一切見せない知らせない様にして育てると、自 分だけの忠犬=自分にだけ愛想振りまき言う事を聞く、が出来上がる。凄いね。真の犬好きならトライ!だ。(←勿論自己責任でw)自分だけに変わらぬ忠誠を 誓ってくれる犬が出来上がる事間違い無し。

だが(ここからは推察)都々目紅一の服装が追っ手と同じなのは、紅一がまだそこに所 属しているのを意味している。やはり元々の反乱も主人からの命令で紅一が動いたものだろう。いかにケルベロスが危険な存在か、人々の不安が杞憂ではないと するためである。なので、紅一の反乱のさなかの途中放棄も主人からの命令。ただ、逃亡中に紅一が心変わりしたのかも知れない。で、もう一つなんかどっかで見た気がしたが、これはしょぼい版のブルークリスマス見たいな気がする。ブルークリスマスについてはダイアリー1をドゾ
★ご利益の受け方
 まあ、御利益があったにはあったけど結果が思った通りでは無く微妙という話。高校生の頃、同じクラスにかなり気の合う人達がいて、友達になった。思うとそ れが生涯で一番良い人間関係を築けた時期だった。で、次の年(2年)のクラス替えに向けて、神頼みしようと思った。通学路に木のうっそうと茂った妖しい雰 囲気の祠があるのに気付いていた。そこで、通学仲間の友達(同じクラスでは無い・中学からの友達、チャリ通仲間)とも一緒に同じクラスになれる様に願っ た。結果は5人グループだったのだが1人とだけ一緒だった。しかし、その次のラストの3年では3人(チャリ通仲間含む)同じで1人(2年で同じクラスに なった人)は隣のクラス。残る1人は残念ながら進学科目が理数科クラスだったので、同じになりようがない、と言う結果だった。8クラスあったから(あと2 クラスは理数系で、1クラス44人位×10クラス=学年人数)この状況の確率は偶然以上のものに思えた。願いの結果、望んだ人達とはもう一回は在学中に同じクラスになれた事になる。これはあの神社に願った内容が、見事にかなった訳で ある。ただ、得意な分野外=専門の御利益外の願い事だったので叶えるのに時間が掛かってしまったんだろうか?それとも「よかれ」と思って計らってもらった 結果なのだろうか?ここは詣でる人が年に数人いるかいないかなので、確かに倍率高かったんだろうと思う。昔はもてはやされてたらしいから、そこそこ力のあ る神様だろうし。だから、まあちょっと変な願い事で悪い事をしたのかなって思う。ただ、確率とか理屈とか全然考えずに一緒に居たいという願いしかなかった あの頃の方が願いがかない易かったのかも知れない。一念が通じたと思う。神様ありがとう。ただ、やっぱり神様には御利益外の願い事は止めてちゃんと調べて から神頼みした方か良い、という話だ。ここは弁財天なのだが即物的な金銭ではなく、豊穣関係の御利益で微妙に違ったし。下調べは大切である。例えば鎌倉の 銭洗い弁天とか伊勢の片参りはダメらしい。
 そして、私が頼んだここは弁財天らしい造りだった。わざと壕みたいなの掘って水溜めて石橋作って祠に渡らせてたから。しかし、本来の御利益が発揮されるのは『男のもっこりw』言い 伝えによると、この神社の木を倒した事がある(為政者が社を退かそうと思ったとか、何かそんな感じの理由)だが次の日、木は元通りに立ち上がっていた。←もっこりの由来wwそこから男性機能不全=インポテンツ=ED、の為の霊験あらたかな場所として知られていた。らしい。今は造成されちゃって壕の深さまで削られ平地になり、普通の小さい神社みたいになっちゃってる。が木は(例の御神木か?)ちゃんと残っている。ソレ気味の人は「男には男の武器がある!」で有名な【アルギンZ】と併用してドゾ〜w
★押井アニメ
 紅い眼鏡がレンタルされてないか探しに行ったら「押井守」特集の組まれた棚があった。が、ほぼスカイクロレラとパトレイバーと立ち喰い師だった…。まる で、紅い眼鏡狂想曲だよママン。気がついたら探してるのと別の映画ばっかり見続けてて、辿り着けないよ、辿り着けないよ……。
『御先祖様万々歳!』
スタジオぴえろの10周年記念作品らしい。1989年〜1990年の期間に発売された押井守のOVA作品。全6話。昔の東映アニメ映画か、名作劇場のピー ターパンみたいな感じの絵柄が好き嫌い分かれそうだ。もしかしてこれ本当は人形劇のアニメ?だったりして。各話のあらすじは『御先祖様万々歳!スタジオぴ えろ』でググってスタジオぴえろのサイト様に飛んで下さい。
物語(スタジオぴえろのサイト様より拝借引用)
 主 人公四方田犬丸(よもたいぬまる)、高校二年生。都市近郊のマンションにサラリーマンの父、専業主婦の母と三人暮らし。典型的な現代の核家族家庭の一人息 子であった。とある日曜日の昼下がり、ひとりの美少女が四方田家を訪れるところからこの物語は始まる。少女の名は四方田麿子(よもたまろこ)。タイムマシ ンを買って(駆って、だと思うんだが原文は買って)、憧れのご先祖に会いに来た、犬丸直径の孫である。こうして、父・母・息子・ひ孫の奇妙な「中ヌキ四世 代同居家族」がスタートするのだがノ。突如出現する自称タイムパトロールマン室戸文明、何の役にも立たない興信所員多々羅伴内等成りゆきで集まってきた変 な人物を巻きこんで、先祖・子孫入り乱れる四方田家は大パニック! 極限の状況の中で、家族を支えていたルールがことごとく無意味なものになってしまう。核家族化から家庭崩壊へ、この倫理のドラスティックな転換期を迎えた 20世紀末、四方田家にはどんな明日が待っているのだろうか?
感想
 麿子は明らかに家庭に闖入して来たウィルスである。のみならず、当然の如く自分の居場所を要求したのだ。この時に大事態を正確に把握していたのは、母親 だけだろう。実質、家庭に女は二人いらないのだ。良く、娘が何も出来ない、母親が料理一つ教えない、と言うが仕方ないのだ。台所に女が二人立つと実の母娘 でも戦争が始まるからである。ハッキリ言って邪魔! なのでわざと教えないのだ。この気持ちは大概の男には判らないだろう。動物の雄なら判るかも知れない。己のテリトリー争いだから。なので、得体の知れない 女が入り込んで来て黙っている主婦はまずいない。相手が居座るつもりなら、こちらは追い出すか出て行くまでだ。(この辺が姑嫁問題の本質なのである)だか らそれを己の夢の投影やら欲望ですんなり受け入れた男達の代償は大きい。この物語は一説によると『裏うる星やつら』と言われているらしい。麿子の正体は詐 欺師。これも頷ける。詐欺師とは相手がちゃんと報酬を与えているのに、希望したものを提供しない者の事を意味する。この家族は麿子の言いなりに家買ったり 食事事情も変えたのに、家族の誰一人に対して願うものを提供出来なかった。その意味で立派に詐欺師なのである。父親は団らん。息子は愛欲。母親は家庭の奪還を。 しかし娘は忽然と姿を消し家庭は壊れ、離散してしまった。これはこの家族の望みではない。うる星やつらならラムはあたるの嫁になり、そのまま刺激はあるが 家庭の基本は変わらない生活が続くだろうが、この家庭は真逆の結果になった。これが正しい裏うる星やつらなのだ。ってゆーか、入り込んだ女が何者であろう とも家庭のデストロイヤーに変わりはない、現実問題にすると然るべき結果なのだ。しかし、それからの崩壊の様がまるで「血まみれギャングママ」なのは笑う 所だろうか?タイムパトロールの室戸文明の正体が犬丸と麿子の息子で、同時に麿子の実の父親である、って何じゃソレ。まあ、家族って一緒にずっと暮らして て隠し事が無い関係なんで、兄妹でもほとんど恋愛の情は起きないとされているから、いきなり同じ年の孫と言う異性に会ったら欲情するのは仕方ないか。が、それで麿子の父犬麿(名前がヒントやっ たんやね、犬丸の犬と麿子の麿で犬麿か)が我が身を儚んでピストル自殺って、卵と鶏の事態になって反って収拾が着かないんだが、いいのか?(あと近親相姦 は死をもってしても阻むべき悪行って事らしいねw。まあ、何事もやってる本人達は良いけど、巻き込まれた人間が良い迷惑って事だね。つまりせめて避妊位し ろ。犬麿の苦悩はそうやって産まれて来た子の苦悩だろうから。だって、近親相姦で産まれた人と結婚したい人、そうそう居ないと思うし。どうやっても隠し通 せないし。嘘吐いてもいつかバレるし。バレたら修羅場で関係崩壊するし。第一これって家庭のモラルという最期の砦に抵触する行為だからね、色んな意味で血は濃いって事実でもあるし、つまりそういうモラルの境界線を軽々と越えてしまえる人間達から生まれた人間はナカナカ他人から信用されな いだろう、後ろ指指されるし。自分のせいじゃないのにwそりゃあ死にたくもなるかも。悪魔が来たりて笛を吹く、かよww)それが崩壊の止め、家庭をどうい う方向で決着するかを示しちゃったんだろうね。それと、犬丸の最期の夢「立ち喰い師」って「一杯のかけそば」みたいだな。=その話を広めた男の胡散臭さが そっくりって意味。その立ち喰いの仕事=お代の代わりの話の内容、で犬丸は麿子に対して自分が彼女を受け入れるなら、良い祖父でないといけないので彼女には手が出せない=エッチ出来ない。受け入れないなら孫娘話を鼻で笑って追い出すしかない、と言っている。が、どうだろう?犬丸が麿子にここ まで執着するのは、犬麿の危惧した通りもう一人の男が伴侶の女として見ているからだろう。だから、父よりも母よりも麿子をひたすら求め歩くのだ。今までの 古い家庭はいらない=巣立ってる証拠=つまりエッチ済みの男の行動。人間弱ると視覚で認知し易いのは緑黄色系らしいが、太陽が黄色く見えるのも、犬丸が最 後に黄色い蝶らしきモノを見るのもそのせいなのだろうか?って、多分黄色は幸せや彼にとって憧れの象徴色だからだろう(実際は降り掛かる不幸の前触れで あったが)蝶は自分に遭いに来た死者の姿とも言うしね。なんでこれは多分麿子の魂の化身なんだろう。だって冬に蝶なんてまずいないし。感想としては、確か に裏うる星やつら=現実版うる星やつら、だったね。認めるよ。ただ、ストーリーはあんまり面白く無い。室戸文明とか立ち喰い師とか後に独立した設定がある んで、これが押井守の原点なのかな?そういう意味では興味深い。あと山寺氏が異様に歌が上手すぐるw
★映画パプリカ
 
これは現実の脳みその見せる夢についての話、らしいが内容は勿論、思い描く方の夢物語の夢の話。まあ、作り事だからしょうが無いけど。ただ、映像やストー リー云々の前に夢に対する認識がズレまくっている、のが気になる。所々ソレらしい事言って観客がコレ真に受けてたらどうしよう?とちょっとイラっとする。 まず、夢には色はないのが基本。じゃあ何で色が付いてるかってぇと、脳みそが勝手に着色するからだ。ただし、意味がある場合だけ。基本夢って皆がちゃんと 毎日見てる訳だけど、見てないって言う人も実はちゃんと見てる。ただ、覚えていないだけ。これが大事。何で覚えていないか?と言うと覚えている必要がない から。意味のない夢だから。夢を覚えているってのは意味がある。大概、夢主に何かを知らせているから。吉凶入り交じりで。何か事が起こる場合や問題を抱え ている場合、現実だけでは処理出来ないんだよね。我々の精神は繊細過ぎて。寝ている間に脳が勝手に抱え過ぎた感情を夢を見る事で処理してくれてたりする。 だから、寝る前随分悩んでたけど、寝たらだいぶスッキリしたって言うと思うが、それ。だけど、ここで問題。じゃあ、脳みそいじれば抱えている問題は解決す るか?って全然違う。現実で問題抱えてるから夢見る訳だから、現実問題を処理すれば夢は見なくなる。それ判ってるんだか判ってないんだか、判らないよこの パプリカ。確かに自分の抱えている問題が過去に何かがあって、普段は表層意識まで上って来ない時に夢を見る事で気付かせようとする事はある。他人が出来る のはその問題を気付かせてあげる事、それしか出来ないよ。後は、問題に対しての一般的な人生相談になる。ただ、夢に解決のキーワードが隠されていたりする から、夢合わせして見てもらうとハッキリする。それから夢はいくら理路整然に見えても、混沌の化け物が渦巻いている。それを四角四面の杓子定規をモットー とする科学が太刀打ち出来るか?無理〜サファリパークだ。人の夢に入るなんてあまりに無謀って事だ。単に夢合わせするだけでも、黒い染みみたいなのが心に べっとり付く感覚なのに。魂夢なんて合わせた日には、憔悴しきってこっちがしばらく爆睡しないと死にそうになるよ。だから本当に危険。ただね、人の夢って 色んなキーワードがあり過ぎて、隠された性癖とか生活習慣とか判っちゃう場合が多いんだよね。だからそう言う覗き見趣味的なモノにハマると、まるで自分が 他人を把握出来るちょっと超人的な優越感に浸れて思い上がった挙げ句に、危機回避感覚が麻痺して尻に火が付いてるのに抜けられなくなる。やっぱ危ないわw
 パプリカ 「俺の血は他人の血」ハードボイルドだどお。(本だけでなく映画も見た、火野正平主演)原作の筒井康隆著のアニメ映画化作品 2006年 90分 今敏監督
★戦闘メカザブングル ロボットアニメって題名の前に何か副題っぽいのが付くよね。ガンダムなら機動戦士だし、ボトムズは装甲騎兵、ダンバインは聖戦士、伝説巨神は文字通り伝説アニメ破壊力巨神並みのストーリーだ。
 うん、伝説巨神と似た臭いキャラ(って作り手が同じ訳なんだけれども)で主人公なのに異質のキャラ、なのに 衝撃を受けたね。今見るとそうでも無いが、当時はイケメンではない主人公は受けなかったと思う。ハッキリ言って丸顔のデブ、お世辞にも見てくれは良く無 い。ただ、イデオンのラストを見た時の強烈に打ちのめされた感覚…それは打ち切り以上の、まるで放送事故を見てしまった様な途方に暮れた思いをさせられた (=イデオンは最後未知の力イデの暴走でキャラも全てが無に帰して終 わってしまった視聴者置いてけぼりな番組になってしまったのだが、それも見る者に対して決してある種のカタルシスを感じさせまいとする終わり方としては、 後のエヴァがソレっぽいなと思う。どっちも作り手がトチ狂って変なジロン方向に逃げちゃったんでねーの?としか思えん)ので、今回の話は大丈夫なんか?と思って たら、アニメって言っちゃアニメでしかないが(=アニメでアニメ宣言するって)やはりどこか人の思惑通りに行ってたまあるか、な感じがあってちょっと萎え である。もっともこれは真面目にやってたらイデオン以上に悲惨さ爆発だったろうし。『ガンダーラ』って外国アニメ見たんだが、その作品の様に遺伝子いじくって人種改良した結果、失敗作とされ る人々が誕生していて始末されずに残ってたら、どーなってたのか?それ位ディープな設定だと思う。だがこのザブングルは西部劇調で軽快さ?をアピールして いて、主人公もめげない根性の男なんで雰囲気は明るい。しかしこーゆーヘビーな設定の物語りは真面目にやるとボトムズのキリコばりの主人公で無いと合わな いな。なんで、所詮はアニメだから、と主人公に言わせて話を投げちゃったのか…。企画の段階から失ぱ(略? しかし、どこがピンポイントで良かったのか? と言うと、串田アキラである。『疾風ザブングル』は名曲だ。兄貴こと水木一郎は神の領域に達してしまったが、串田アキラはアイドルの地位を占めている。

★時かけアニメ
 絵柄が好き嫌いあって観る気がなかったが、夏休み子供向け映画三日間連続放映なんで見て見た。子供向けなら、良作間違いないと思ったからである。ダメだっ た。まず、このドリカム状態が有り得ない。草食系男子とは言いながら、それは自分が傷つきたく無いから強引な事?はしたくない自己性処理能力の高い男の事 であって、それは他人に接する態度が様変わりしたのみであって、性的欲望は今も昔もほとんどの男は高校生時代がMAXのはず。草食系が流行 りでも、こんなベタベタした関係で拒否られる可能性が低そうな場合は別で、早々に手出しするはず。それにこれは同性の女から観ても男を弄ぶ魔性の女っぽく てヤダ。いくら僕系みたいにさっぱりした気性とか言っても所詮は女、と言うのを一般的に女は熟知しているからである。あの友達が納得したのはそのせい。ま あ、つまり「こんなベタベタしておいてその気がありません?だ、おまいはカマトトか」と言う事だ。小学校の低学年だよ、こんな関係が通るのは…。これはこ の主人公の女子高生のせいじゃないんだよね、実は。男がありえねーっつーの。こんな女子高生は存在してるかも知れない。だけど、こんなに匂いの無い男達ってありえんの?もっとつまんない事大真面目にやったり、 ドスケベだし、暗い何かを隠し持ってて、それはカッコ悪かったりするんだけど、女の理解出来ない男の世界、があるから女は男を気にするんじゃないか。それ をこやつ等が持ってる様に描かれてない。お人形さんだな。だから、主人公の女子高生が張り切らざるを得ないのか?、そればっか観てても飽きるってーの。恋 愛関係にもつれ込むのかと思ったらそれもない。SFの観点から見ても訳わかめだし。結局人間関係を描くのも、SF設定も中途半端、この映画は中途半端で成 り立っているのだな。ドリカム状態は暗喩で、そのままに決着が付かないあやふやな状況でも、上っ面描いて爽やかな雰囲気で終わらせちゃえば、安心する人もいるのかも知れない。 深く突っ込んで傷ついたり真面目になるのは怖いから、だ。このアニメの男達はただいるだけで結局このパッパラパーな女子高生に何の影響も与えてない、女子 高生も全編通して成長してない、ってか成長が描かれていない。タイムリープで過去に戻って自分の人生を書き換えてる訳だけど、この主人公嫌な出来事は他人 にみんな押し付けて逃げてるよね。特に大事な事。これじゃ意味ないよ。自分で失敗しない様に慎重になって何度も同じ事やり直すんならなんとなく理解できる けどさ。好きな物食べたかったら数日前に戻らずに当日早く帰って家事手伝うとか、他人に関わる上での自分の実になる事は一切してないし、最後までしてない。おばさんが自分が時間戻したら困る人が出るんじゃないの?ってヒント出して、実 際にその様を見ても反省してないし、それをやり直そうともしてない。(あれ?おばさんの言葉ってその伏線じゃなかったの?)自分の身さえ無事なら自分だけ 良ければそれで良いんだね。時間戻せば他人に押し付けたのもご破算に出来るから良いって事?反省からの成長も無いのにどこが子供向け?この子が感情爆発さ せるのは全部自分の為、他人に対しても思いやりなく感情垂れ流し。最初はそうでも成長して最後には他人を思い遣れる性格になりました、でもないんだよね。 やりたい放題やっても、全部辻褄が合いさえすれば結果オーライの物語?そんなのアニメで表現しないでくれる?結局これがウケたのは苦悩一切なしでも楽して ウマーでもいいじゃん?って考えが固定されちゃったからだろう。現実はそう甘く無いからご都合主義にやってのける主人公に拍手喝采!なのかw。大事な事は昔も今も変わらない。このアニメ今風を描くのにこだわる余りそういう大事な事忘れてる気がする。もしくは描ききれて無い。子供向けのジブリは何のかんの言っても、そこきっちり押さえているから老若男女に人気あるし、ストーリー的にも優れているんだよね。残念っ!
 チャリ通してた者から一言。普段からあんなにぶっ飛ばしたら(すんげえ坂道だし加速半端無い、通行人にぶつかったら病院送りで傷害事件だよ=実話)学校に 苦情が行きます(=実話)。あれは暴走族と変わりまへん。ヘルメット被れとは言わないけど(チャリ通中学生は必須義務=実話)せめて違反は二人乗り位にし ときましょうよ。携帯までやっちゃまずいよ。やっぱり倫理的にも子供には見せられないかもwフジテレビのゲゲゲ二夜連続の方が子供向けで良かったよ。フジ さん、マジに『水の旅人 侍KIDS』の放映を激しくキボンヌ。
★夢占(世界の逸話)
 宇治拾遺物語一巻の四 伴大納言善男 訳=昔々の物語。伴大納言善男・おおとものだいなごん よしお、は元々は佐渡の国の郡司(地方の役人)の家来であった。その善男がまだ佐渡にいた頃に夢を見た。奈良の都にある西大寺と東大寺を跨いでいる夢で あった。それを妻に話したのだったが、妻は「あんたの股が裂けるって意味なんじゃん?」と解釈したため、善男はビビリ「あ〜、しくった、余計な事言わな きゃ良かったぜ」といや〜な気持ちになりながら主人の家に仕事をしに行った。その主人と言うのが名うての人相見だが、いつもはそんな事しないのにこの日に 限って善男は手厚く出迎えられ、座の中に引き入れられて主人の向かいに座らせられた。ので、善男はビビリまくり『ちょ、wこんな風にもてなして人をいい気 にさせて、油断した俺の股を裂こうと言う計略でFA?』と内心アセっていると、郡司は「おまえにゃすんごく出世する夢を見たという顔相が出てんだけんど も、それをしょーもない奴に話しちまったろう。だからよ、出世はするだろうけどよ、なんかの事件に巻き込まれて濡れ衣着せられっぞw」と言った。しかる後 の事、善男は縁があって上京し大納言にまで出世する事が出来た、が犯罪(応天文の変)の罪を被ってしまった。郡司の言った事はガチだった様だw
 聖書 創世記 第37章 にあるヨセフの話。ヨセフは十二人兄弟の十一番目の子だった。だが 兄弟中で一番父親から溺愛され、食べ物着る物全て王子様待遇だったんで高慢チキチキ野郎に育ってしまった。親に告げ口上等、兄弟見下して「夢見たw、父 ちゃん母ちゃん兄ちゃん達が俺の前に土下座してたw」と言ったんで兄ちゃん達も遂に堪忍袋の緒がブチキレた。殺そうとして荒野に連れ出した。しかし、やっ ぱ肉親殺しは出来ん。通りがかった商人に売り払ってしまい、父親にはヨセフの服に動物の血を付け獣に襲われて喰われたと言い訳した。ヨセフはカナンの地か らエジプトに連れて行かれ、ファラオの家来に買われた。そこで主人の妻の誘惑を拒んで逆恨みされ、ある事無い事言われて牢にブチ込まれた。そこで王の夢解 きをして解放されるのだが、その夢とは、ファラオがナイル川の側に立っていると川の中から突然七頭の肥えた牛が現れて草を食み始めた。すると今度は七頭の 痩せた牛が現れ、肥えた牛を食べ尽くした。次に一本の茎に七つの実を付けた穂があった。が、その後痩せた七つの穂がその実を呑みこんだ。ファラオはこれは 国に関わる夢だと思い、解かせようとしたがエジプト中の魔術師も賢者も誰も解く事が出来なかった。そこでヨセフが引き出されたのだった。ヨセフはその夢は 「七年の豊作が続いた後、七年の不作により飢饉が起こる。それは国の衰退をもたらす」と見事に解いた。なので七年の豊作の時に続く飢饉に対して備える事が 出来たのである。ちなみにヨセフはエジプトで出世して、兄弟達は彼の前に跪いたそうだw
★PLUTOの感想
同サイト内『手塚リメイク作品の感想』よりそのまま抜粋。
 (連載中の感想)手塚治虫の鉄腕アトムの中の長篇漫画「地上最大のロボット」のリメイク作品。原作では勿論アトムが主人公だが、浦沢作品ではプルートの破壊すべき標的ロ ボットの七体の内の一体である、ドイツのロボット【ゲジヒト】である。このリメイクは失敗ではない。むしろ人間とロボットの自我と殺人の密接な関係をスリ リングに描いていてサスペンス調だし、戦争と言うモノの闇部を肉体を持つ人間ではなくロボットに肩代わりさせている辺りは、危険な宇宙での任務をレプリカ ントに押し付けているブレードランナーを彷佛とさせるし、独特の世界を作るのに成功していると思う。でも、でもである。どうも手塚先生の影を無理矢理出そ うとするあまり、その世界が壊れそうになっているのだ。もう、名前だけで(キャラ的にはアトム自体があんなに容姿が違っているのだから)全キャラ完璧に浦 沢キャラにすればヨカッタのだ。実際、初めに出て来るモンブランを見て(なんじゃコレ!ギャグか?と思った)瞬間的に読むのを止めようかと思った。(マジ です。だが、気を取り直し読み続け浦沢氏の仕掛けた謎に惹かれて読み続けている)とすれば、この作品は「ああ、手塚作品の方は確かにこんな筋だったね」っ て感じで物語のおおまかな筋だけ取り入れてもう後は好きにすればかなり違和感なかったのでは無いだろうか?ハッキリ言って、ロボット的過ぎるキャラ=モン ブラン、ロボットを意識するキャラ=人間の真似してロボットの家族を持つブランド、に描く時読んでる方は萎える。手塚的にする為にジレンマは感じないのだ ろうか?と余計なお世話まで感じてしまう。浦沢氏は実力家であると思っている。読んでいて一番好きなのはベタだと言われるかも知れないが、【ノース2号】 の回である。これは強く浦沢氏の本領が発揮されていると思うのは間違いだろうか?だからこそ違和感の下りに来ると、こんな描き方はふさわしくない、と感じ てしまい腹が立つのだ。しかし、リメイクの欠点もこの作品に無い訳では無い。ウランの性格がアトムを熟知している読者にとっては、違和感ありまくりだ。そういう見方からするとこの作品がいかに優れていても、原作に忠実である事と外れる事の微妙なバランスの取り方は非常に難しいと 言える。まだ途中なのでどうなるか判らないが、MONSTERの二重人格オチが出て来る辺りから急速につまらなくなったMONSTER=ヨハンが弱小化 (別作品の様だ)二の舞いだけは止めてもらいたいと思う。
(連載終了後の感想) PLUTO終わったな。文字通り完結を迎えた訳だが、これは原作通りだったな。と言う感想の作品。前にドイツロボットのゲジヒトが事件の謎を追うサスペン スタッチの漫画だと紹介した(上記)が、ゲジヒトは途中までで退場してしまった。話の筋立てとしてはそもそも原作通りにやろうとしていたとしたら、それは それで良いと思う。が、やはり描き込むべき場所を間違えている様だ。これは最初からゲジヒトの中途退場が決定していたのなら、もっとアトム&殺人ロボッ ト・ブラウ1589かプルート・サハドのエピソードをもっと平行して描くべきだった。そうすればゲジヒトが居なくなった時点で、もっとアトムかプルートの 方に意識が向いて緊張感も持続しただろう。てか、浦沢版PLUTOを謳ってんならさ、最後までゲジヒトにやらせるべきだろう。ある意味アトムにゲジヒトの 真相究明の解説をさせたり、ゲジヒトの記憶が与える影響が鍵になり最後までゲジヒトの存在感だけはしっかりと消えないくせに、顛末の尻拭いをアトム(手塚 治虫氏)にさせた感は否めない。尤もゲジヒトに決着も着けさせるとしたら、アトムは「アトム最後の日」で描かれたアトムの様に、事の傍観者であり、ただそうプログラミングされているから戦う、の様にもっとロボット色を出す存在で居続けさせた方が良い。むしろ心に近い物を手に入れたのがゲジヒト、と言 う事でアトムの善悪に基づいての優しさと対比させつつ共闘させれば面白かったのではないかとも思う。そして、その戦いの最後にゲジヒトが改心したプルート と共に、ボラーを食い止める犠牲となり退場する方が、もっと評価の高い作品になった気がしてならない。なので、この作品は佳作ではあるが、傑作ではない。 惜敗の敗因は単に『ゲジヒトが活躍し過ぎた上に、最後まで物語の面倒を見なかった事』にある。読者の求めている事と大幅に違い過ぎると、しかも難点だらけ で結末に向かうと読者はそれまでの大き過ぎる『期待を裏切られた』と感じ、納得せずに離れて行ってしまわないか、というのが気になる漫画家だ。(あー、で も本当はPLUTOは地上最大のロボットの中の単なるリメイクでも構わず、単にゲジヒトの下りさえ描ければ後は辻褄合えばどうでも良いのがミエミエなので萎えだ)そして今度同じ意味で軽くモンスターの解析やってみようかなwと思った今日この頃である。案外あれは作者の意図しなかった謎もありそうな気がするし。
データ
 原作 手塚治虫・漫画 浦沢直樹小学館ビッグコミックス 全8巻読んでて気になったのが天馬博士。エヴァのゲンドウに激似〜w。そういえばエヴァで一番気持ち悪い=無気味、と思ったのがシンジがミサトと初めて出会った後電話ボックス前で会った事も無い綾波の姿を幻視した場面。あれが一番気持ち悪い。


★黄泉竈食ひ 死者の國の食べ物を食べる事。そうする事によって、その社会に属する事をも意味する。そもそも日本では死者とは穢れを意味する。夢でもしかり。死者が夢枕に立つ=死者の夢を見る、と言うのは余 程特殊な事態を暗示し警告の為に現れる事なのであるが、それ自体はありふれている。夢合わせをする者はこの死者の夢を特に嫌う。穢れているからだ。死者が 何かを伝えに来るのは吉凶どちらにせよ、夢見た本人以外は(時には本人すらも)あまり気持ちの良いモノではないし穢れの影響も受け易い。だから、死者の夢 などは特に見ないのだが、盲点があった。うっかり聞かされたのである。職場で。昼休みの食事時に。その前の職場で、夏に死んだら遺体が痛みやすいと言う会 話を平気で食べながらするばあさんもいたので、ああいう人種は死に近くなるので、食事中に死体に使うドライアイスなんかの話をしても違和感がなく平気で普 通の会話の様に続けられるのだろうと思って我慢したが、その時も唐突にやられた。やはり食事中なので逃げられなかった。それは夢の話なのであるが…その内 容とは。以下ばあさん(60代)の言。注、『』の中は心の突っ込みの声です。親戚が集まっているの。よく見ると、死んだ人達がずらっと並んでいるのね。法事みたいにずらっと座ってるの。すると、その前に1人づつ大皿に盛られた料理が運ばれて来たじゃない。サラダとか奇麗な盛りつけで凄く美味しそうなのよ。でも、私の前だけには来ないのよ。『そりゃそうだよ、あんた生きてんだから、死人とおんなじもん喰ったらヤバいだろ』で、どうしても食べたい食べたいってやっていると息子の前の嫁が出て来て、「お母さん、分かった?家の子達の事は構ってくれないからよ」息子が再婚して出来た孫が病気で係っきりだからか?ってか前の嫁と上手く行ってなかったらしいから(今の嫁もだけど、息子は気が強い女が好きみたいだからね、母親に似た女)以前に何か子供絡みであって後ろめたいんだろう』それで悪かったわ、って言ったら私の前にも大皿が運ばれて来て『げえっ、』食べたの。それがすっごく美味しくてね。『……。夢で黄泉竈食ひするなんてあるのか、と言うか夢に見たって事は!? 近々その食事した人達のお仲間に…ギャアァァァ !』残念ながらその後の結果は知らない。出る前に辞めたから。霊園がね、会社の近くにあってさ、どうもそちらとの方 角が良く無かったみたいで、なんかやって来ると思う方向が斎場と霊園の方角。うちの社内にはお稲荷さんがあるんだけど、でもほとんどそのお稲荷さん放置状 態だったから御利益が期待出来ない。つまりそれらのマガツモノ達を防ぎ切れてなくてね、それでもかろうじて稲荷に隣接する主人である社長室のみ安全地帯 だった様なんだ。でも、ほんの数ヶ月の間に凶事が続出! 働いてる爺さんが仕事中梯子から落ちて何ヶ月も入院する程の大けがするし、その夢の婆さんの孫も原因不明の難病に罹るし、責任者の母親が倒れて入院(責任 者自体も脳腫瘍があって視野が狭くなりつつある)とか同僚の義理の兄が脳卒中で死にかけるとか矢継ぎ早に起こって(とどめは社長の奥さんがノロウイルスに罹って倒れた、呪うの かよ、冗談じゃねえっ)で、怖くなって辞めた。こじつけなのにバカみたいだって?まあ、正直こちらも無償ではなかったんだよね。家族が自爆事故起こして救 急車の世話になりました。しかし、夢でこんなにストレートに見るもんなんだな。夢見たばあさんはなんか御馳走を喜んでたけど。勿論、本人に夢の意味なんて 言える訳ナイナイ。話は変わるけど、通夜振る舞いっ てあるよね。葬式に来てくれた人達に食事を振る舞う事なんだけど、あれ異様に美味い。こんなに美味しいもの食べられて嬉しい幸せ〜はあとって位。で、もり もり食べちゃうんだけど、やっぱりハシタナイってかミットモナイかなあ?泣いて食べられない人もいるし、って思って母親に聞いたら「あれは死んだ人の供養になるから食べた方が良いんだよ。死んだ人も一緒に最後の食事が出来て喜ぶんだから」って。あー、そうか。そー言う訳! 喰わされてたって事なのねw 美味しい食事本当にありがとう、ごちそう様でした、迷わず成仏してね。

《黄泉戸喫の代表例》
 日本の神話の日本国の国産みの神、伊耶那岐命イザナギノミコトと伊邪那美命イザナミノミコトの黄 泉の国の話。死んだ妻伊邪那美命を追い掛けて死者の住む黄泉の国まで行った伊耶那岐命だったが、妻は黄泉の国の食べ物を食べた後だったので、死者の国の住 人となっており、夜に現した本性の身体は既に腐敗していた。ので、ビックリして伊耶那岐命は逃げ出した。それに怒った伊邪那美命は後を追い掛け、壮絶な夫 婦バトル、人間達を殺すと妻が言えばその倍人間を産ませてやると夫が言って二人は絶縁した。

 ギリシャ神話の大地の女神デメーテルが娘を冥界に攫われた悲しみの余りに大地に実りをもたらさなくなったので、神々が協議して娘を冥界の王ハデスの元から 連れ戻す事にした。娘も悲しみの余り飲まず喰わずだったのですんなり行くはずが、ハデスは一計を案じ娘に最後のお願いでザクロを食べるように仕向けたの で、3粒ザクロを食べた娘は1年のうち3ヶ月は冥界で暮らさなければならなくなった。その3ヶ月はデメーテルが悲しむので地上に実りが無くなる=冬、とい う話。