2014年6月15日〜17日まで岩手に旅行に行きました。関東の住まいです。目的地までは車で500キロ以上600キロ以内の距離でした。目的は宮沢賢治関連施設を訪ねる事と、遠野物語の地をこの目で見る事でした。これはいわば個人的な旅行記です。
岩手県遠野市は、左右に花巻と釜石に位置する中間地点にあります。柳田先生の遠野物語でお馴染みのモノノケが蠢く地のようなイメージがありますが、この私と一緒に行ったこの人は↓物の怪が絡むと必ずある事が起こります。天狗だとか、精霊みたいなモノを強く信仰している地では、必ずどしゃどしゃ降りに。どんなに晴れていても必ず降られます。なのでやはり今回もイヤな予感はしたのですが…。

もう岩手旅行出発前の家にいる時から欲しがってウザイほどに騒いでいた河童のぬいぐるみゲット。(色違いのピンクもあったので買っておけば良かったと帰ってから思った)ここ『道の駅・遠野風の丘』に来るまでは、車で花巻から約一時間。山道を来たのですが、途中で急に土砂降りですよ。千葉家の『曲がり屋』があったけど、車を降りられませんでした。で、これ買ってる間にここもまた土砂降り。雨が追い掛けて来ている!

遠野の伝承園という所に着きました。まだ青空出てます。ここは大丈夫か?と思ったらとんでもはっぷん歩いてじゅうごふん、な結果に。

お賽銭箱にもカッパが、河童のクゥとか言う映画の顔を出せる看板もありました。

入園料は大人320円。子ども220円です。駐車場は園の右側にあります。無料。

佐々木喜善(ささききぜん)翻訳遠野物語・他で著者柳田国男に物語を語った作中で佐々木鏡石君と書かれている人物です。鏡石はペンネームです。

記念館入り口の版画のポスター。左から柳田国男、水野葉舟、佐々木喜善。水野葉舟が柳田に佐々木を紹介して遠野物語が誕生したということらしい。中には佐々木喜善の年表や交友関係の資料等がありました。

伝承園にも曲り屋(菊地家)があったので入ってみました。千葉家の方はここよりもっと大きかったです。ここは囲炉裏の間ですね。人形のばあちゃんがおしら様の話を語り続けていました。

蚕を飼ってました。6−7月のみらしいです。ラッキー☆ってゆーか虫嫌いなのでホントはどうでもいいです。それに小学生の時に、友達が蚕飼ってましたんで(普通のリーマン家庭でした)、蚕については色々知ってるので目新しくもないです。

おしら様の部屋。四方の壁一面こんなカンジで圧巻でした。暗いしちょっと怖い。

←うん、記念に今二者択一で悩んでいる事があるんで、正しい方向に行けるように正しい方を選べるようにと頼んで来ました。しかし、このおしら様の話って、どこか妙だよね。人間の女と馬が結婚と言うのはあんまり考えられない。とすると、なんかメタフィクション臭いんだよね。つまり馬=男、身分の低い家畜並みに扱われる男。と娘が出来てしまった。そりゃ怒るかも。で、男は馬に対する知識に長けていて特別な技術を持つ者だった=養蚕技術、そして顔を白く塗る=色の白い人、って言えばもうだいたい男の身分は判るでしょう。そして、男を殺したので娘は悲しんで後追い自殺した=二人とも天にのぼった。それで供養するためにおしら様を作った。とか。もっと悲惨なのを考えると、両成敗。二人とも見せしめのために殺された。その後に災厄か何かがあってこれは二人の祟りかも知れないと考えて、二人を祭ったのがおしら様、とか。そんなふうに考えるとなんか怖い。
今ちょっと考えると、スサノオが馬の皮をはいで天井から機織の娘のいる部屋に投げ入れたら、娘が死んでしまって天の岩戸に続く話になってるんですが、このオシラサマも男女の双神で男の神も古いものは烏帽子をかぶった男(これは馬の頭に似ている、と言うか馬というのをカモフラージュするのに烏帽子にしたのでは?とも考えられる。隠す必要があるとすれば、それは禁教にされたからでは?とか考えてしまう)一番古い形が馬。オシラサマに布を捧げるのも機織の姫が関係していることだろう。布を織って着物を作るのは、神聖な乙女の役目であり、巫女である、うーん謎が深い。
この機織娘の死というのがモモソヒメに似ているのが問題視されてますが、かなり飛躍させると明らかに堕胎の失敗で死んでるんじゃん?としか思えない。許されぬ恋の末に孕んだ子をって、なんかそう考えると「オシラサマを遊ばす(遊びとは歌舞のこと)」というのも父母の人形が懺悔して歌や踊りで見えない我が子の魂を慰め謝罪しているのではないか?とも思える。


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