★このページから先はKDPで販売している柳田國男の作品(半数は口語訳などに読み下した書き直したもの)の一部紹介や、それに関連して私が考察したものを載せております。
【このページは石神問答についてです】 「遠野物語」「日本の伝説」「山人考、他」これは最初の遠野物語が文語調で書かれておりますので現代の平成人からすると非常に判りづらいのですね。なるべく原文の美しい調子を損なわないように気を付けて翻訳(本当に古語訳位に面倒な作業でした)してみました。 しかしっそれを上回る難解さ、なのは石神問答です。その内容は、柳田國男が、当時の知識階級と交わした書簡。その書簡で各自の意見を言い合いその中から謎の神、石神の正体に迫ってゆくというものです。昔の人が『書簡』というメールとは違って、消去やなりすましが簡単でもなかった時代の、気取った書き方なものですんで、それはそれは文語調バリバリなものです。下巻の口語調に書き直す前の一部をご紹介、します。 | ||
十九 山中氏より柳田へ
寒明けの寒さ別段に候處御替りも無御座候哉奉伺候 此頃僧殊意癡の白河燕談と題する随筆(亨保十五年刊)を讀み候中に左の箇條有之候 異説と存じ候間記し置候 賽神祭 客間 賽神祭漢土有耶 答曰 事文前集四十八曰 京師百司胥吏至秋醵錢 爲賽神會 往々因劇飲終日 蘇子美進奏院會正座此會 嘗間其何神 曰蒼王 蓋以蒼頡造字故 胥吏祖之 固可笑矣云々 蒼頡を賽の神と祀りし俗信も有之し事を知り申候 又大日本地名辭書續編琉球之部に(那覇區) 才神 久茂地の南部一圓の小字とす 久米聖廟の北隣に 近き頃迄才の神の祠と稱するものありきと云ふ 才神は假借也 賽は道祖神也 琉球神道記に天妃天巽道祖神と列記するもの 天妃は天妃 天巽は天尊にして 道祖神は所謂才神是なり 天文中日秀上人の建立なるべし ○舊記云 財神嶽在久米邑東 又稱道祖神 以上は御承知事のとは存じ候へ共寒氣御尋ね旁申上候 頓首 一月三十一日 山 中 笑 柳 田 國 男 様 机下 | ||
対訳 書簡十九 山中氏より柳田へ
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こんなのが延々と続きます。これは中でも追伸みたいな手紙なので、非常に短いです。柳田先生自分の書簡は10ページ以上割きますから。多分ですが、これは青空文庫では出ても、漢字が旧だし忠実にやろうとすると、おそらく無い文字もあるので、相当な時間が掛かるものと思われます。(ってか、出てもこのまま読みたいと思うんだろうか?)私はこれを上記の様に注釈付きで訳しております。原文ではなく、訳文だけですが。それなら私の本は対象年令が中学生ぐらいからなんで、高校生以上だったら読めると思います。大人なら、ラクショーでしょ?
箋註:石神問答・上巻 (歴史 民俗学 考古学) 箋註:石神問答・下巻 発売中!!。よろしくね | ||
これから少しづつ後狩詞記か、日本の伝説みたいなのを、柳田先生はお書きになっておられますんで、それはこのサイトでやっていこうと思っております。と思いましたが、ページ数が一冊の本にする程でも無いので、後狩詞記は遠野物語に併録した改訂版として出しました。なので
翻訳遠野物語・他 も発売してます。どうぞよろしく!! 次ページに民話への考察が続きます。 | ||
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