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CAST 早太郎伝説とは?
うめ

うめ

▶︎日本に伝わる人身御供伝説
●わたくし四貴井裄も「まんが日本むかしばなし」で放送された『猿神退治』で早太郎伝説の話は知っておりました。
日本全国各地に存在している、この人身御供伝説とは、元々は人間をお供え物として神に捧げて願いを叶えてもらうというものです。願いの内容も人間にはどうすることもできない、自然の摂理をどうにかして欲しい=ほぼ天候に関する願い。になっています。
そ してこの神になりすました化け物を退治する話では、願いを叶えてもらうと言うよりも、神を騙って人々に害をなす化け物が要求するイケニエを差し出す(つまり賄賂を渡して目こぼしをもらう、今でいうと乱暴な人種893とかに金を渡して黙らせる、というようなものです)それを解決してくれるのが、動物ではなく 人間だった場合はこの話は英雄譚というものになるというわけです。
この早太郎伝説の話が特に有名になったのは、主人公の山犬にきちんとした『早太郎』という人間のような名前がついていることによって親しみが生まれるため、だと思われます。
そして、自分の命を引き替えにして人間を救った、というのも身近な動物である犬の習性とそして悲劇性も無関係ではないでしょう。似たような話に『猫と鼠の墓』という話があります。
▶︎早太郎伝説と類似した民話
昔々、今の静岡県に西林院(さいりんいん)というお寺がありました。このお寺に猫とネズミの石碑があります。
この石碑の由来のお話です。
このお寺のある場所は岬になっていて、灯台もあります。ある年のこと、風が激しく吹いたため船の敷(し)き板に子猫が載(の)って波にゆられて流されていくのを、このお寺の住職が見つけました。
 かわいそうに思い、急いで人を雇(やと)って小舟で子猫をすくい上げてもらい、お寺で飼うことにしました。
その恩をわかっているのか、この猫は住職に懐(なつ)き、言う事もよく聞いて、ずっと住職のそばを離れませんでした。
住職も「こんな山寺で、いい話し相手ができた」と喜んで猫を可愛がり、あっという間に十年が経ちました。
 ある時、寺の手伝いをしている男が、縁側(えんがわ)の隅(すみ)でうたた寝をしました。
あの猫も側にいて庭を眺めていましたが、その時隣の寺の飼い猫がやって来て、寺の猫に向かって「天気も良いし、伊勢にお参りに行かないか?」と言うとこの 寺の猫は「私も行きたいけど、近頃和尚(おしょう)さんの身の上に危険なことがあるので、出かけられないんだ」と言うのを聞いて、隣の猫はこの寺の猫に近 づいて何かボソボソと話して別れたようでしたが、聞いていた寺の男はそれが夢なのか本当のことなのかわかりませんでした。
ただ、不思議な気がしただけでした。
その夜のこと、本堂の天井裏で恐ろしい雷(かみなり)の響(ひび)くような物音がしました。
その時、寺の中には住職と寺の手伝いの男、そして四、五日前から泊まっている旅のお坊さまが一人だけいましたが、この騒ぎにも旅のお坊さまは姿を見せず、ただ住職と寺の男だけでオロオロしていましたが、夜中だし天井はとても高いので夜が明けるまで待ちました。
夜が明けると、本堂の天井から血が垂(た)れています。これは放ってはおけないと、近所の人に頼んで寺の男と共に天井の上を見てもらいました。
するとあの飼い猫が血まみれで死んでおり、またその側には隣の猫も倒れて今にも死にそうな有様です。
そしてそこから一メートルほど離れた所に、六十センチほどの大きさの、まるで針を植えたような毛並みの古ネズミがこれも血まみれで倒れていました。
まだ、息があったようなので棒で叩(たた)き殺し、下に降ろして猫を色々と手当てしてみましたが、二匹とも助からず死んでしまいました。
 古ネズミは、旅のお坊さまが着ていた着物を着ていたことから考えると、古ネズミが旅のお坊さまに化けて住職を食おうとしたのを、飼い猫が命を捨てて住職に恩返ししたのだろう、と言って皆感心しました。
やがて住職は二匹の猫のために、墓を建ててお経(きょう)を上げました。
また、ネズミもこんな恐ろしい化け物は放っておくと祟(たた)るかもしれない、と猫と同じように塚を建てて供養しました。
▶︎なぜ、早太郎の伝説が人々から愛されるのか?
この話も、猫が恩を受けた和尚の危機を身をもって救う話ですが、早太郎ほどには有名ではありません。それは、猫自身の恩返しになっているためであることと、猫の妖しい性質から怪異に立ち向える妖力があるから成立する話だからでしょう。
早太郎はあくまで力強いけれども霊力を持たない、そういう意味では普通の山犬です。
そして、対抗できる力があるため(一説によると、その猿の化け物が早太郎を恐れるのは、元々早太郎が地元で悪さをしていたその猿を追い出したから、と言われています)請われて長野から旅立ち、化け物退治に行くのです。
そしてこの話に見られる犬の持つ人への絶対の信頼と愛情の深さと服従の性質と健気さ、が人間の心を打つのでしょう。
▶︎人身御供にされるのが若い娘である理由とは
ここで一つ疑問が浮かびます。
神か化け物か、怪異なものは、必ず若い娘を要求するのです。これはなぜか?を考えてみたいと思います。
食べごたえなら若い男の方が、肉も締まっていてうまいと思いませんか? 実際、人身御供として有名な一年神主というものは男なので、男ではダメだというわけではないでしょう。
ここに人間の都合のようなものが見えるような気がします。昔の日本は労働力(農業や村で力仕事と呼ばれる共同作業など)を確保することが重要でした。
働き盛りの男は、いなくなって欲しくはない、わけです。だからもし食料危機という切羽詰まった状況になれば足手まといの子供から神隠し(でいなくなったりする)なのでしょうし、もっとあからさまだと間引きや老人の姥捨などが行われたわけです。
子供の数は調整しながらも、それ以上減ったら将来の労働力に困るので一定数は必要となり残されますが、とすれば男に次ぐけれど取られても労働力としては軽い女の方をみんなで選んだ、とも考えられます。

他に女が選ばれる理由を考えるとしたら、狒々がよく女をさらって行く、という一面がヒントになると思われます。
なぜ女をさらうのか?それは子供を産ませるためだとも言われますが、もっと簡単に考えると自分の配偶者にするため、でしょう。
それなら話はかなり意味合いが変わってきます。
この話の題名からも猿『神』なので、神に対する生贄なわけです。今では混同されていますが、贄というものはそもそも料理されたものをお供えすることです。素材のまま捧げるのではありません。
それを生の生きたままお供えするのは、もちろん食べるためではないでしょう。食べるためなら料理しなければなりませんから。
私は八岐のオロチというのは複数の男たちが、それぞれに谷を治めていたのではないか?と考えています。
年頃になった娘を毎年嫁に取る、ということだったのかも知れません。
その生贄の娘クシナダヒメの親のテナヅチ、アシナヅチの神が主祭神として祀られているのが長野である、というのもひじょうに意味深だと思います。