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CAST 人身御供伝説考

 ▶早太郎伝説とは


●長野県にある天台宗の寺院『光前寺』に伝わる伝説が、この早太郎伝説です。
  以下光前寺様のサイトから引用
▶︎霊犬早太郎伝説とは
今よりおよそ700年程も昔、光前寺に早太郎というたいへん強い山犬が飼われておりました。
その頃、遠州府中(静岡県磐田市)見付天神社では田畑が荒らされないようにと、毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、生け贄として神様に捧げる人身御供という悲しい習わしがありました。
あ る年、村を通りかかった旅の僧である一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)は、神様がそんな悪いことをするはずがないと、その正体をみとどけることにしまし た。祭りの夜にようすをうかがっていると、大きな怪物が現れ『今宵、この場に居るまいな。早太郎は居るまいな。信州信濃の早太郎。早太郎には知られるな』 などと言いながら、娘をさらっていきました。
弁存はすぐさま信州へ向かい、ようやく光前寺の早太郎をさがし当てると、早太郎をかり受けるて急ぎ見付村へと帰りました。
次の祭りの日には、早太郎が娘の代わりとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治しました。 早太郎は化け物との戦いで傷を負いましたが、光前寺までなんとか帰り着くと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとってしまい ました。
現在、光前寺の本堂の横に、早太郎のお墓がまつられています。

●映画『霊犬戦士ハヤタロー』撮影場所の伊那市について。
撮影は長野県の南部に位置している伊那市で行われました。伊那市の名所の一つは高遠城のあった跡が公園になってまして『高遠城跡公園』になっており、春の桜と秋の紅葉がとても綺麗な名所です。
また、伊那は信州そばの発祥地とされています。
福島の大内宿に行った時にネギそばを食べまして、確かそれが高遠そばと呼ばれていたような。
もちろんりんごも盛んに栽培されています。「そういえば信州旅行のお土産としてよくりんごのキーホルダーやりんご飴を、もらった記憶があるわー」という人も多いはず。


おおかみ

●私の感覚では、長野の地は非常に荒ぶる神のイメージが強いです。『諏訪大社『甲賀三郎の伝説があるためです。諏訪大社はこの神(祭神『建御名方神』)が、天津神が出雲国の国津神に国を譲れと申し入れた時に承諾せずに、長野に来て国を作ったということで、元々は出雲の大国主の系譜に繋がる神であり、甲賀三郎の話もよくよく構図をみると大国主と同じで(兄たちの嫉妬で殺されそうになったり、最終的には兄たちを押しのけて高い地位に就くというのも一緒です)末子相続の英雄譚になっております。
このような神話的伝説の残る地域だからこそ、早太郎のような話が生まれ人々に愛されるのも、不思議なことではないのかも知れません。
甲賀三郎について
諏 訪大社は「長野といえば!」というほどにメジャーな存在ですが、あまり聞いたことがないであろう甲賀三郎をググってみた結果、江戸川乱歩の好敵手である『作家センセの甲賀三郎』が大量にヒットしたり、セットで検索される語彙に『マダラ』とあったりするので、若い人にはなんのこっちゃ?となるかも知れません、というかきっとそうでしょう。
『作家センセ』のはただのペンネームです。ちな江戸川だとコナン君の方を思い浮かべる人が多そうですが、この江戸川乱歩もアメリカの作家エドガー・アラン・ポーのもじりですから。(江戸川コナンも江戸川乱歩とコナン・ドイルを取ってくっつけた名前ですよね)
『マダラ』は手塚治虫作品のどろろの設定インスパイア漫画、とされる魍魎戦記MADARAのことです。(私ファミコンカセットも持ってます)この物語は何部かに分かれていて第二部に甲賀三郎というキャラが出てくる、ので検索に引っかかるというわけです。(しかし、この魍魎戦記MADARAも進撃の巨人やスターウォーズ同様、私には付いていけねえ…な広がりすぎて収拾のつかない世界になり果ててしまいました。だから私は無印サイコー!主義です)
とりま、どちらも神話、伝説と言える甲賀三郎とは微塵も関係ないわけですが、このサイトの特徴である親切設計でググる手間を省くために(もっとも、元々短い話だけど)甲賀三郎伝説をお送りいたします。
そして、この伝説を人形芝居の浄瑠璃本に作ったものがありますが、荒唐無稽なラノベと言った感のあるものです。元々あった土着の神話と合体したのか、甲賀三郎は落とされた深い穴を探検し、見つけた地底世界で暮らしていましたが、地上に戻ったら体が蛇身になっていたという、異界を訪問した果てに別の姿になる浦島太郎的な要素もあったりします。元の体に戻るということからもしかすると、もう一段すすめて小栗外伝(餓鬼阿弥蘇生譚)と同一テーマのような気がします。
『甲賀三郎窟物語』という題名ですので、興味があったら一読あれ。

▶︎甲賀三郎伝説とは
醍醐天皇の御代に、今の長野県、信濃国の望月の住人に源頼重という人がいました。朝廷に仕えていて非常に勇敢なことで有名でした。そして、この人には一郎、二郎、三郎という三人の男の子がありました。
その頃、今の福井県、若狭国の高懸山(こうかかやま)に鬼輪王(きりんおう)という悪人が住んでいて、世間を騒がせていました。
それが都にまで聞こえてきたので、さっそく朝廷からこの三兄弟に賊退治の詔が下りました。
そこで三人は若狭国(わかさのくに)に向かい、中でも三男の三郎が兄よりも優れていたので、鬼輪王を討ち取ってしまいました。
すると兄たちは手柄を弟の三郎一人に取られると思い、これを妬んで二人で相談して三郎を誘い出し、深い龍の穴と言われるところに突き落としてしまいました。
そして知らぬ顔をして国に帰り、手柄を横取りして威張っていました。
 一方、三郎が落とされたのはひじょうに深い穴だったので、そのまま気絶してしまいましたが、幸いなことにまもなく息を吹き返すことができ、しばらくたってから帰国しました。
それを知った兄たちは、驚いて逃げてしまったので、兄たちの領分ももらって三郎の評判は非常に高くなりました。
三郎はその後、承平の乱の時に東国で活躍したので、近江国の半分を賜り甲賀郡に移り住み、甲賀近江守になりました。