萩原朔太郎 散文詩風な小説 「猫町」

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蠅を叩きつぶしたところで、
蠅という種族《もの》は死なない。
単なる一匹の、蠅と名の付いたモノをつぶした
だけである。
    アルトゥル・ショーペンハウアー

 1
 旅心が、次第に私の中からロマンと言うものを消し去って行った。
昔はただそれだけの行動、汽車や、汽船や、見知らぬ他国の町々を、イメージするだけでも心が躍った。
だが過去の経験は、旅が単なる「世界の同じ次元空間の中で、人がいる場所を移すだけの行為」に過ぎないのを教えてくれた。どこへ行って見ても、同じ様な人間ばかりが住んでおり、同じ様な村や町があり、同じ様な単調な生活を繰り返している。
田舎のどんな小さな町でも、商人は店先でソロバンを弾きながら、日がな一日白っぽい往来を見て暮らしているし、役人は役所の中でタバコを吸い、昼飯のおかずの事などを考えながら、来る日も来る日も同じ様に、味気ない単調な一日を送りながら、次第に年老いて行く人生を眺めている。
旅心は、私の疲労した心の影に、とある空地に生えた青桐みたいな、無限に退屈した風景を想像させ、どこでも同じ事ばかり繰り返している、人間生活への味気なさと嫌悪を感じさせるだけになった。私はもはや、どんな旅にも興味とロマンをなくしてしまった。

 だいぶ前から、私は私自身の独特な方法による、不思議な旅行ばかりを続けていた。
その私の旅行というのは、人が時空と因果の外に飛び出す事が出来る唯一の瞬間、すなわちあの夢とうつつとの境界線を巧みに利用し、主観の構成する自由な夢の世界に遊ぶ事である。と言ってしまえば、もはやこれ以上私の秘密について多くを語る必要はないだろう。
ただ私の場合は、用具や設備に面倒な手間がかかり、かつ日本で入手の困難なアヘンの代りに、簡単な注射や服用ですむモルヒネ、コカイン類を多く使っていたという事だけを記しておこう。
そうした薬によるトリップによって、私が旅行した国々の事については、ここに詳しく述べる余裕がない。
だがたいていの場合、私は蛙どもが群がってる沼沢地方や、極地に近いペンギンがいる沿海地方などをうろつき回った。
それらの夢の景色の中では、すべての色彩が鮮やかな原色をしており、海も、空も、ガラスの様に透明で真っ青だった。薬が醒めた後にも、私はその幻影を記憶しており、しばしば現実の世界の中で、幻覚を起こしたりした。

 薬物によるこうした旅行は、しかし私の健康をひどく害したのだった。
私は日増しにやせ衰え、顔色が悪くなり、皮膚も老いた様にくすんでしまった。私は自分の治療に専念し始めた。
そして運動のための散歩の途中で、ある日偶然、私の風変りな旅行癖を満足させられる、一つの新しい方法を発見した。
私は医者の指示に従い、毎日家から3〜5キロ(三十分から一時間位)の近所を散歩していた。その日もやはりいつも通りに、普段の散歩区域を歩いていた。私の通る経路は、いつも同じ様に決まっていた。
だがその日に限って、ふと知らない横丁を通り抜けてみた。そしてすっかり道を間違え、方角が分からなくなってしまった。元来私は、方向音痴なのである。そのため道の覚えが悪く、少し慣れない土地へ行くと、すぐ迷子になってしまう。その上私には、道を歩きながら妄想に耽る癖があった。途中で知り合いにあいさつをされてもちっとも気が付かず、私は時々自分の家のすぐ近所で迷子になり、人に道をきいて笑われたりもするのだ。
前に私は、長く住んでいた家の周りを、塀に添って何十回もグルグルと回って歩いた事があった。方向感覚のズレっぷりは半端無く、すぐ目の前にある門の入口が、どうしても見つからなかったのである。
家族は私が、まさに狐に化かされたのだろう、と言った。狐に化かされるという状態は、つまり心理学者のいう三半規管、の疾病の事なのか?なぜなら学者の説によれば、方角を知覚するという特殊な機能は、耳の中にある三半規管の作用によると言う事だからである。
 余談はともかく、私は道に迷って困惑しながら、当てずっぽに見当をつけ、家の方へ帰ろうとして道を急いだ。そして樹木の多い郊外の屋敷町を、幾度かグルグルと廻った後で、ふとある賑やかな往来へ出た。
それは全く、私の知らないどこかの美しい町だった。街路は清潔に掃除され、歩道の敷石はしっとりと露に濡れていた。どの商店も小綺麗にさっぱりとして、磨かれたガラスの飾り窓には、様々な珍しい商品が並んでいた。
珈琲店の軒には花樹が茂り、町に落ち着いた情緒を与えていた。十字路の赤いポストも美しく、タバコ屋の店にいる娘さえも、杏の様に明るくて可憐だった。
かつて私は、こんな情趣の深い町を見た事がなかった。一体こんな町が、東京のどこにあったのだろう?私は地理を忘れてしまった。
しかし時間の計算から、それが私の家の近所である事、徒歩で半時間位しか離れていないいつもの私の散歩区域、もしくはそのすぐ近い範囲にある事だけは、確実に疑いなく分っていた。しかしそんなに近い所に、今まで誰にも知られていないこんな町があったのだろうか?
 私は夢を見ている様な気がした。それが現実の町ではなく、幻燈の幕に映った、影絵の町の様に思われた。
だがその瞬間に、私の記憶と常識が回復した。気が付いて見れば、それは私の良く知っている、近所の詰らない、ありふれた郊外の町なのである。いつもの様に、十字路にポストが立って、タバコ屋には胃病の娘が座っている。そして店々の飾り窓には、いつもの流行おくれの商品が、埃っぽくだらしなく並んでいるし、珈琲店の軒には、田舎らしい造花のアーチが飾られている。
何もかも、すべて私が知っている通りの、いつもの退屈な町に過ぎない。
一瞬のうちに、すっかり印象が変ってしまった。そしてこの魔法の様な不思議な変化は、単に私が道に迷って、方角を錯覚した事にのみ起因している。いつも町の南のはずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側にある街路の町家が、逆に右側の方へ移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだった。
 その時私は、未知の錯覚した町の中で、ある商店の看板を眺めていた。その全く同じ看板の絵を、かつてどこかで見た事があるぞと思った。それによって記憶が回復された一瞬時に、すべての方角が逆転したのだ。
直前まで、左側にあった往来は右側になり、北に向って歩いた自分が、南に向って歩いている事を発見した。その瞬間、磁石の針がくるりと回って、東西南北の空間位地が、すっかり逆に変ってしまった。同時に、すべての宇宙が変化し、存在する町の情景が、全く別の物になってしまった。つまり前に見た不思議な町は、磁石を反対に裏返した、宇宙がねじれた真逆の空間に実在したのであった。
 この偶然の発見から、私はわざと方位を錯覚させ、しばしばこのミステリーな空間を旅して回った。
特にまたこの旅行は、前に述べた様な欠陥によって、私の目的には都合が良かった。だが正常な方角感覚を持っている人でも、時にはやはり私と同じく、こうした特殊な空間を、経験によって見る事だろう。
例えば、あなたは夜遅く家に帰る汽車に乗っている。始め停車場を出発した時、汽車はレールを真っ直ぐに、東から西へ向って走っている。だがしばらくするうちにあなたはうたた寝し、夢から醒める。そして汽車の進行する方角が、いつの間にか反対になり、西から東へと、逆に走っている事に気が付く。あなたの理性は、決してそんなはずはないと思う。だが知覚的には、汽車は確かに反対に、あなたの目的地から遠ざかって行く。そういった時に、試しに窓から外を眺めて見ると良い。いつもの見慣れた途中の駅や風景が、全くありえない位に変ってしまって、記憶の断片さえも浮ばない程、全く別の違った世界に見える事だろう。そして最後に、いつものプラットホームに降りてみて始めてあなたは夢から醒め、現実の正しい方向を認識する。そして一度それが分かれば、始めに見た異常な景色や事物は、何でもない平常通りの、見慣れた詰らない物に変ってしまう。
つまり一つの同じ景色を、始めにあなたは裏側から見、その後にいつも通りに再度正面から見たのである。
この様に一つの物が、視点を換える事で、二つの別の面を持っている事。つまり同じ一つの現象が、その隠された「秘密の裏の顔」を持っているという事ほど、メタフィジックス(形而上学)の神秘を包んだ問題はない。私は昔子供だった時に、壁に掛けた額の絵を見て、いつも熱心に考え続けたものである。いったいこの額の景色の裏側には、どんな秘密の世界が隠されているのだろうか?と。私は何度か額を外し、油絵の裏側を覗いたりしたのだった。そしてこの子供の頃の疑問は、大人になった今日でも、長らく私の解けない謎となっている。
 次に語る一つの話も、こうした私の謎に対して、ある意味答えを暗示する鍵となっている。
読者に対しても、私の不思議な物語から、事物と存在の背後に隠れているある第四次元世界----景色の裏側の実在性----を想像出来るならば、この物語の一切は真実=リアルである。だがあなたが、もしそれを想像出来ないのならば、私の現実に経験した次の事実も、所詮はモルヒネ中毒に神経中枢を冒された一詩人の、取りとめのない退廃的な幻覚に過ぎないと思うだろう。
とにかく私は、勇気を奮って書いて見よう。ただ小説家ではない私は、脚色や趣向を凝らして、読者をおもしろがらせる術を知らない。私に出来る事は、ただ自分の経験した事実のみを、報告書の様に書く事だけである。

 2
 その頃私は、北越地方のKという温泉に滞留していた。九月も末に近く、彼岸を過ぎた山の中では、もうすっかり季節は秋になっていた。都会から避暑に来た客は、既に皆帰ってしまって、後には少しばかりの湯治客が、静かに病を癒しているのであった。
秋の日影は次第に深く、旅館の侘しい中庭には、木々の落ち葉が散らばっていた。私はネルの着物を着て、ひとりで裏山などを散歩しながら、所在のない日々の日課をすごしていた。
 私のいる温泉地から、少しばかり離れた所に、三つの小さな町があった、いずれも町というよりは、村というほどの小さな部落であったけれども、その中の一つは相当に小ぢんまりした田舎町で、一通りの日常品も売っているし、都会風の飲食店なども少しはあった。
温泉地からそれらの町へは、いずれも直通の道路があって、毎日定期の乗合馬車が往復していた。特にその繁華なU町へは、小さな軽便鉄道が敷かれていた。
私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした。だが私の本当の楽しみは、軽便鉄道に乗っている途中にあった。その玩具の様な可愛い汽車は、落葉樹の林や、谷間の見える山峡などを、うねうねと曲りながら走って行った。
 ある日私は、軽便鉄道を途中で下車し、徒歩でU町の方へ歩いて行った。それは見晴しの良い峠の山道を、一人でゆっくり歩きたかったからだった。道はレールに沿いに、林の中の不規則な小径を通っていた。
所々に秋草の花が咲き、赤土の肌が光り、伐採された樹木が横たわっていた。
私は空に浮んだ雲を見ながら、この地方の山奥の伝説になっている、古い言い伝えの事を考えていた。だいたいが文化の程度が低く、原始的なタブーと迷信に包まれているこの地方では、実際色々な伝説や古くからの言い伝えがあり、今でもなお多数の人々は、真面目に信じているのである、現に私の宿の女中や、近所の村から湯治に来ている人たちは、一種の恐怖と嫌悪の感情とで、私に様々の事を話してくれた。
彼らの語るところによれば、ある部落の住民は犬神に憑かれており、ある部落の住民は猫神に憑かれている。犬神に憑かれた者は肉だけを食べ、猫神に憑かれた者は魚だけを食べて生活している。そうした特異な部落を称して、この辺の人々は「憑き村」と呼び、一切の交際を避けて忌み嫌った。
「憑き村」の人々は、年に一度、新月の闇夜を選んで祭礼をする。その祭りの様子は、彼ら以外の普通の人には全く見えないらしい。まれに祭りを見て来た人があっても、なぜか口をつぐんで話さない。彼らは特殊な妖力を持ち、出所の分らない莫大な財産を隠している〜等々。
 こうした話を聞かせた後で、人々はなお付け足して言った。
現にこの種の部落の一つは、つい最近まで、この温泉場の付近にあった。今ではさすがに解体して、住民はどこかへ散ってしまったけれども、恐らくやはり、どこか別の場所で秘密の集団生活を続けているに違いない。
その疑いのない証拠として、現に彼らのオクラ(魔神の正体)を見たという人がいると。こうした人々の談話の中には、農民一流の偏狭さがにじみ出ていた。
否が応でも、彼らは自分達の迷信的な恐怖と実在性とを、私に強制しようとするのだった。
だが私は、別の違った興味から、人々の話を面白く傾聴していた。
日本の諸国にあるこの種の部落的タブーは、恐らく風俗習慣の異なる外国の移住民や帰化人などを、先祖の氏神にもつ者の子孫だろう。あるいは多分、もっと確実な推測として、隠れキリシタンの集合的部落だったのだろう。
しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレイショが言う様に、理性や知恵は何を知っていると言うのだろうか。理性や知恵はすべてを常識で解き明かし、神話に一般論的な解釈を与える。しかし宇宙の隠された意味は、常に一般論以上である。
だからすべての哲学者は、彼らの定理・法則の果てに、いつも詩人の前に降参の白旗を上げているではないか。詩人の直感する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックスな実在なのだ。
 こうした考えに没頭しながら、私はひとり秋の山道を歩いていた。その細い山道は、経路に沿って林の奥へ消えて行った。目的地への道標として、私が唯一の頼りにしていた汽車のレールは、もはやどこにも見えなくなった。私は道を失ったのだ。
「迷い子!」
 妄想から醒めた時に、私の心に浮んだのは、この心細い言葉であった。
私は急に不安になり、道を探そうとして慌て出した。私は後へ引返して、今来た道へと戻ろうとした。そして余計に方向を見失い、いくつにも別れた迷路の中へ、抜き差しならずハマってしまった。
山は次第に深くなり、小径はいばらの中に消えて行った。空しい時間が経過したが、その間木こりの一人にさえ出会わなかった。私は段々と不安になり、犬の様に焦りながら、道を嗅ぎ出そうと歩き回った。
そして最後に、ようやく人馬の足跡のハッキリ付いた、一本の細い山道を発見した。私はその足跡に注意しながら、次第に麓の方へ下って行った。どっちの麓に降りようと、人家のある所へ着きさえすれば、とにかく安心が出来る。
 何時間かの後、私は麓へ到着した。そして全く、思いがけない意外な人間世界を発見した。そこには貧しい農家の代りに、繁華な美しい町があった。かつて私のある知人が、シベリヤ鉄道の旅行について話した事には、あの一面荒涼とした無人の荒野を、汽車で何日も何日も走った後、しばらく停車した沿線の一小駅が、世にも賑やかで繁華な都会に見えたという事だった。
私のこの場合の印象もまた、恐らくはそれに似た驚きのせいだったのだろう。麓の低い平地へかけて、無数の建築の家屋が並び、塔や高楼が日に輝やいていた。こんな辺鄙な山の中に、こんな立派な都会が存在しようとは、容易に信じられない位だった。
 私は幻燈を見る様な思いで、次第に町の方へ吸い寄せられて行った。
そしてとうとう、自分でその幻燈の中へ進入して行った。私は町のある狭い横丁から、胎内めぐりの様な狭く暗い道を通って、繁華街の大通り中央へと出た。そこで目にした市街の印象は、非常に特殊で珍しいものだった。
すべての軒並の商店や建築物は、美術的に変った装飾で趣向が凝らされ、かつ町全体としての集合美を構成していた。しかもそれは意識的にしたものではなく、偶然の結果から、経年の劣化によって味が出ているのだった。それは古典美があってつつましやかで、町の古い過去の歴史と、住民の長い記憶を物語っていた。
町幅は概して狭く、大通でさえも、ようやく4〜5メートル位であった。その他の小路は、軒と軒との間にはさまれていて、狭く入り組んだ路地になっていた。それは迷路の様に曲折しながら、石畳のある坂を下に降りたり、二階の張り出した出窓の影で、暗くトンネルになった路をくぐったりしていた。
南国の町の様に、所々に茂った花樹が生え、その付近には井戸があった。至る所に日影が深く、町全体が青樹の陰の様にしっとりとしていた。娼家=売春宿、らしい家が並んで、中庭のある奥の方からは、何とも優雅な音楽の音が聞こえて来た。
 大通りの街路の方には、ガラス窓のある洋風の家が多かった。理容店の軒先には、紅白の丸い棒が突き出し、ペンキで看板に Barbershop と書いてあった。ホテルもあるし、クリーニング店もあった。町の十字路には写真館があり、その気象台の様なガラスの家屋に、秋の日の青空が侘し気に映っていた。時計店の店先には、眼鏡をかけた主人が座って、黙って熱心に仕事をしていた。
 街は人だかりで賑やかに混み合っていた。そのくせ少しも物音がなく、何とも優雅にひっそりと静まり返り、深い眠りの様な影を引いてた。それは歩行する人以外に、物音のする車馬などの類が、一つも通行していないせいであった。
だがそればかりではなく、群集そのものがまた静かだった。男も女も、皆上品で慎み深く、洗練されておっとりとした様子をしていた。特に女性は美しく、おしとやかな上に妙な色気があった。店で買物をしている人達も、往来で立ち話をしている人達も、みんな礼儀正しく、音程のとれた低い静かな声で話をしていた。それらの話や会話は、耳の聴覚で聞くと言うよりも、何かある柔らかい触覚で、手触りで意味を探るという様な感じだった。とりわけ女性の声には、どこか皮膚の表面を撫でる様な、甘美でうっとりとした魅力があった。すべての物象と人物とが、影の様に往来していた。
 私が始めて気付いた事は、こうした町全体の造りが、非常に繊細な注意によって、人為的に構成されている事だった。
単に建物ばかりでなく、町の雰囲気を構成する為の全神経が、ある重要な美学的工夫をする事にのみ一点集中されていた。空気のいささかな動揺にも、対比、均整、調和、平衡等の美的法則を破らない様な、注意が隅々にまで行き渡っていた。しかもその美的法則の構成には、非常に複雑な微分数的計算を要するので、あらゆる町の神経が、非常に緊張しておののいていた。
 例えばちょっとした調子外れの高い言葉も、調和を破るからと禁じられる。道を歩く時にも、手を一つ動かす時にも、物を飲食する時にも、考えごとをする時にも、着物の柄を選ぶ時にも、常に町の空気と調和し、周囲との対比や均斉を失わないよう、微細な注意を払わねばならない。
まるで町全体が一つの薄いガラスで構成されている、危険な壊れやすい建物の様であった。ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊し粉々に砕けてしまう。その安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、それの対比と均斉とで、辛うじて支えられているのである。
しかも恐ろしい事には、それがこの町を構成している、真の現実的な事実だった。一つの不注意な失敗も、彼らの崩壊と死滅を意味する。町全体の神経は、その事への心配と恐怖で張り詰めていた。美学的に見えた町の工夫は、単なる趣味のための工夫でなく、もっと恐ろしい切実な問題を隠していたのだ。
 始めてこの事に気が付いてから、私は急に不安になり、周囲から圧迫された様な空気の中で、神経がピリピリとし苦痛を感じた。町の特殊な美しさも、静かな夢の様な閑寂さも、かえってひっそりとして不気味に感じられ、何かの恐ろしい秘密の中で、暗号が交されている様に感じられた。
何か分からない、ある漠然とした一つの予感が、青ざめた恐怖の色で、忙がしく私の心の中を馳け巡った。
すべての感覚が解き放たれ、物の微細な色、匂い、音、味、意味までが、すっかり確実に知覚された。あたりの空気には、死骸の様な臭気が充満して、気圧が刻々に高まって行った。ここに存在しているモノは、確かに何かの凶兆である。確かに今、何かの非常事態が起こる! 起きるに違いない!
 町には何の変化もなかった。往来は相変らず混雑して、静かに音もなく、上品で慎み深い人々が歩いていた。どこか遠くで、胡弓《こきゅう》を弾く様な低い音が、悲しく連続して聴こえていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこかで一人で、不思議と不審とを感じながらも見ている様な、恐ろしい不安をはらんだ予感であった。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。すると構成された調和が破れ、町全体が混乱のるつぼに陥ってしまうという様な。
 私は悪夢の中で夢を意識し、目覚めようとして努力しながら、必死にもがいている人の様に、恐ろしい予感の中で焦った。空は透明に青く澄んで、充満した空気の密度は、いよいよ刻々と高まって来た。建物は不安に歪んで、病気の様にやせ細って来た。所々に塔の様な物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、やせた鶏の脚みたいに、変に骨ばって畸形に見えた。
「今だ!」
 と恐怖に胸をドキドキさせながら、思わず私が叫んだ時、ある小さな、黒い、鼠の様な動物が、街の真中を走って行った。私の眼には、それが実に良くハッキリと映し出された。何かしら、そこにはある異常な、唐突な、全体の調和を破る様な感覚が感じられた。
 瞬間。森羅万象、急に静止し底知れない沈黙が横たわった。何が起こったのか分からなかった。だが次の瞬間には、誰にも想像出来ない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が起こった。見れば町の街路に増殖した、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、額縁の中の絵の様に、大きく浮き出して現れていた。
 戦慄から、私はほとんど息が止まり、まさに気絶するところだった。これは人間の住む世界ではなくて、猫だけが住んでる町ではないのか。一体どうしたと言うのだろう。こんな現象が信じられるものか。確かに今、私の頭はどうかしている。自分は幻影を見ているのだ。さもなくば狂ったのだ。私自身の宇宙が、意識のバランスを失って崩壊したのだ。
 私は自分が怖くなった。ある恐ろしい最後の破滅が、すぐ近い所まで、自分に迫って来るのを強く感じた。戦慄が闇を走った。だが次の瞬間、私は意識を回復した。静かに心を落ち着けながら、私は今一度目を開いて、事実の真相を眺め直した。
その時もはや、あの不可解な猫の姿は、私の視野から消えてしまっていた。
町には何の異常もなく、窓はガランとして口を開けていた。往来には何事もなく、退屈な道路が白っ茶けていた。猫の様なモノの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっかり情景が一変していた。町には平凡な店舗が並び、どこの田舎でも見かける様な、疲れた埃っぽい人達が、白昼の乾いた街を歩いていた。あの魅力的な不思議な町はいずこへとすっかり消えてしまい、カルタを裏に返した様に、全く別の世界が現れた。
ここに実在している物は、普通の平凡な田舎町。しかも私の良く知っている、いつものU町の姿ではないか。そこにはいつもの散髪屋が、客の来ない椅子を並べて、白昼の往来を眺めているし、さびれた町の左側には、売れない時計屋があくびをし、いつもの様に戸を閉めている。すべては私が知ってる通りの、いつもの通りに変化のない、田舎の単調な町だったのである。
 意識がここまでハッキリした時、私は一切の事を了解した。愚かにも私は、また例の知覚の疾病「三半規管の喪失」に陥ったのである。
山で道に迷った時から、私はもはや方向感覚を失っていた。私は反対の方へ降りたつもりで、逆にまたU町へ戻って来たのだ。しかもいつも下車する停車場とは、全く違った方角から、町の中心へ迷い込んだ。そこで私はすべての印象を反対に、磁石の逆の位地から眺め、上下四方前後左右の逆転した、第四次元の別の宇宙(景色の裏側)を見たのであった。つまり一般常識で解説すれば、私はいわゆる「狐に化かされた」状態なのだった。

 3
 私の物語はこれで終る。
だが私の不可解な疑問は、ここから新たに始まる。
中国の哲人、荘子は、かつて夢の中で胡蝶になり、夢から醒め不思議に思って言った。夢の胡蝶が自分なのか、今の自分が自分なのかと。この一つの古い謎は、古今に渡り誰にも解けないだろう。
錯覚された宇宙は、狐に化かされた人が見るのか。理性や知恵などの常識としての目が見るのか。そもそも形而上の実在世界は、景色の裏側にあるのか表にあるのか。誰もまた、恐らくこの謎を解明できまい。
だがしかし、今もなお私の記憶に残っているものは、あの不可思議な人外の町。窓にも、軒にも、往来にも、猫の姿がありありと映像として残る、あの奇怪な猫町の光景である。私の生きた知覚は、既に十数年を経た今日でさえも、なおその恐ろしい映像を再現して、まざまざとすぐ眼の前に、ハッキリと見る事が出来るのである。
 人は私の物語をあざ笑い、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う。
だが私は、確かに猫だけが住んでる町、猫が人間の姿をして、街路にたむろしている町を見たのである。
理屈や議論はどうであれ、宇宙のあるどこかで、私がそれを「見た」という事ほど、私にとって絶対に間違いの無い事実はない。あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑の前に立たされても、私は今もなお固く心に信じている。
あの裏日本の伝説が古くから言い伝えられている特殊な部落、猫の精霊だけが住んでる町が、確かに宇宙のあるどこかに、必らず実在しているに違いないという事を!

とゆーかアレだね。これは述べたい事は本当に形而上学的に、在るという証明について語るフリしてホラーってゆーか、オカルト?まあ、学問的なオカルトは隠されたモノへの探究って意味だから、学問的なんだろう。けど、やっぱり私的にはホラーについて語ってるとしか思えん。百歩譲っても神話学に名を借りてるホラーwだし。ぶっちゃけラヴクラフトのインスマウスの村の記述っすか?としか思えない。あの時代は本当に邪神が降臨して作家達に何か書かせているんじゃ無いか?(手塚先生のドオベルマン藁)としか思えない。東西で似たような事を書いてるし。(まあウエルズ先生の影響なのか?どうかは判りませんが)しかし、私がこの物語を読んで改めて思った事は、クトゥルフをこの錯覚で見ると正しくタイタン族とオリンポスの神々の争いでしかないんだな、と言う事。猫町はそういう錯覚としての物の見方、を教えてくれて大変興味深いものでした。余談ですが、手塚治虫の短編SFドオベルマンも考えると、宇宙人=外宇宙に放逐された邪神=バクアイモンスターが、地球のコンタクティーに降臨して描かせている話だし(これ最近読み返してみて、クライヴ・バーカー思い出した、ナツカシス)、火の鳥の望郷編はデミウルゴス神話が下敷だったりする訳だけども、錯覚で見ると別の物語がまた見えて来そうだなあ。なにげに手塚先生も十分にクトゥルフの語り手になってるよ。


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