てゆーか今読むと「え?何言ってんの。わけわかめ」な書評

『幻獣の話』池内 紀 講談社現代新書
 私は幻獣とか色々その手のものが好きである。(実際の動物は意志の疎通が、どうもうまくいかないので苦手。意志の疎通が出来て、なおかつ安全な生き物なら、幻獣の方がいい位だ)この本は幻獣がモチーフであるが、想像の産物ゆえに人の意識下のイメージから導き出される投射としてのイメージを文学で再構成し、描写されたものの解析もなされている。ボードレール例)の散文詩にみられる"時(クロノス)が人の命(わが子)を喰らう"の中に潜む隠された引用が解き明かされるのは、気付かなければそのまま額面通り、だが読めばなる程と頷かせるものがある。しかし反面、幻獣(想像の産物としての)を精神学から捕らえると、なにゆえカフカになるのかはわからないが、妄想の所産と捕らえた場合の話からの展開だとすると、むしろメタモルフォーゼとの関連であろう。<カフカといえば、私は一時期ハマって、高校の読書感想文に選び、書いた記憶がある。…病的ではあるが、どこか一歩醒めた視点で描かれている、手法としての外から内へのアプローチ-略)内包する世界が無意識界に通じているならば、夢もまたしかり。なぜなら、この世界は、ただならぬ矛盾に満ち満ちている。ゆえに現実と夢、意識との境界の不鮮明さのままに-略)だが装っているのだとしても、内に崩壊寸前の自我を抱えた変人であるのに変わりはない…など(憶測で)書いている。もっとも、今より未熟な頃に書いたものは改めて読むと、非常にこっぱずかしい物である>この中で紹介されている、"幻獣紳士目録"でも目新しい(私にとって)部分はさしてないが、お勧めしたい部分は鼻行類についての紹介である。(水爆?)の実験で、誤って消滅してしまった(させられた?)謎の島に住む、"生物の進化"にとって画期的な疑問、もしくは成果をもたらす(?)はずの文字どおり逆立ちして鼻で"歩く"(移動手段としての役割を担っているの意)生き物"ナベゾーム"について書かれた文献の紹介をしている。神をも恐れぬ生き物の存在し、何らかの秘密を有しているこの島は、誤って消滅したとされているが、研究結果が発表される前に誰かが何らかの手を打った様な気がしてならない。確証がないだけに、幻の生物"幻獣"としての地位を得ているのみである。そして、日本の建築物の中に見られる幻獣として日光の東照宮を挙げている。私も、小学校の修学旅行で訪れたのを初めに何度も行ったが、やはり壮麗で美しい。その動物たちにも、そこにいる意味付けがなされているのだが、それよりも100%のモノには魔が付く(完全なる物は人の技以上のモノが入って出来た為に魔物を呼び寄せる・もしくは奢り高ぶらない様に戒めたのかも知れないが)ので、わざと逆柱の様に間違いを作る。という事の方にとても興味がある。

『悪魔の話』池内 紀 講談社現代新書
 悪魔の話とはいえ、"幻獣"がそうであったように、悪魔を紹介した本ではない。〈悪魔の種類、その属性やシジル(悪魔を呼び出すための魔法陣、シンボルでもある)の詳しい事が書いてある類いの本は、危険なので紹介しない〉これも、悪魔から連想される単に悪の持つイメージやカラーについて、そしてやはり文学的にどのように影響を与えているか、その中で扱われている悪魔の位置付けについてや、悪魔の手下(魔女)の事、と附随する堕天使の系譜、魔術や歴史上の異能なる人々の話が載っている。全体的な感想としては、裏道に隠された怪しいものや謎を見てみたいが、それを安易に縁日の見せ物小屋やサーカス(今はイリュージョンマジックショーの類い)を安全な見物客の立場で見て満足するのに似ている。悪魔に捧げる抜粋集(アンソロジー)という所か。悪魔についての私の所見としては、貴族の位を持ち文字どおりあくまで紳士的だが、ギャンブルを好み(特に)カードの勝負を拒否する事が出来ない。よってもしあなたが生死の境で彼に会ったならば、一か八か(釈迦十か)「生き返るのを条件に」勝負を挑まれるのも悪くないかも。似た様なものに妖精は(=悪魔よりは善良だが、天国へ入れる程ではなく、"最後の審判"の時に下される神の判決まで待っているらしい。自分の代わりに神に祈ってもらいたがる。もしくは、祈りの言葉を考えてもらう事もあるらしい。人の言葉を繰り返すので)どんなに自分に不利益なものでも、持ち物の交換を申し込まれると、これを拒否出来ない。この性質を利用し妖精の宝を手に入れる事もできる。そして、脅かせば宝の場所まで連れて行ってくれる。ただし、決して妖精から目をそらさない事。しかし、所詮は人外の者の宝。そんなものは手に入れても碌な結末を迎えないのも事実である。ちょっと面白い符合。この本で知ったのだが、悪魔の祝典「ワルプルギスの夜」(ワイルドファンにはお馴染み〜)の聖女ワルプルガの記念日が5月1日この本の紹介No4.の更新日にあたる。(関係ねー笑)

『魔法入門』W.E.バトラー 角川文庫   
  専門書である。この書は2部構成で、前半は魔法の本質、目的などをレクチャしている。後半部分では一般人が秘儀へ参入する為の訓練方法などが述べられている。が、難解すぎて理解できるかどうかは保証しかねる。なぜなら、出てくるオカルトにつきものの用語をどれ位理解した上で臨むかによるからだ。注釈はほとんどなし。決して、入門書の類いではない。著者はイギリス人で、秘密結社「薔薇十字団」の流れを汲む「黄金の夜明け団」(ゴールデンドーン)の領袖たちから最も正統な魔法を学んでいる上に、インドのヒンズーの秘儀をも身に付けている、本物の魔術師である。そのせいかインドの密教の影響も端々に見られ、なお難解なものになっているのは否めないだろう。とはいえ、カバラ(ヘブライの神秘主義、西洋魔法の中心的教義でもある)について知りたい人はかなり勉強できるに違いない。例)カバラの目的とは、人類をアダムカドモン(最初の人間、罪によって楽園を追放される前の人間の意)の状態に戻す事。錬金術の目的は非金属を金に変える、の例えで人類を不変なものへと変える、つまり不老不死こそが本当の目的であるなど…。
『ユングとオカルト』秋山さと子 講談社現代新書
  ユングと言うと、言わずと知れた精神科医です。彼はフロイトに師事していました。そう、フロイトと言えば、夢判断です。それも、リピド−からの解釈を試みようとする。それで、すべて割り切れるなら、世話は無かった訳ですが彼、ユングはもう一歩進んだ観点からの解釈の必要性を痛感していました。分裂した自我の統合されるアクエリアス(水瓶座)の時代を信じていた彼は、心の中の無意識界に潜むモノ、それがキリスト教と相入れぬ部分に着目し、それを二元的なものつまり、善と悪、光と闇、意識と無意識のバランスをとるものとして捕らえた結果、キリスト以前の原始的な意識の流れに人間の癒しを求めたわけです。それが、今グノーシスと呼ばれるものでした。ここでは、グノーシスの教義を各派解説しています。これは、読むとわかりますが、多分あの"エヴァンゲリオン"がこの教義を基にしていると思われます。ワイルドファンに懐かしい、"ジョン・ディー"(実在してます。数学者&錬金術師、有名人ですよ)の事も、ちょっぴりですが載ってます。

『オカルト』坂下昇 講談社現代新書
 上記の"ユングとオカルト"の副読本として読まれる事をお勧めする。より理解出来るに違いないからである。こちらは、観念的な部分は薄れカバルと呼ばれるもののゲマトリア(数秘術、簡単なものは誕生日や名前を数字に置き換えて占うものが、巷に氾濫している)による解釈などを行っているが、本質的な所での理解は、この本の読み易さと見事に反比例している。前述のグノーシスの教え、なども書かれているが、やはり上記をある程度理解した上でなければ本書の自己の解釈は覚束ないだろう。それは、この本自体の難易度が高いのではなく"オカルト"というものが、それ程までに難解である、という意味である。

『おまけの話』恐怖実話

  長いので、別のページをご用意いたしました。