2023年6月北海道旅行(墓参り&観光旅行)レポ
  北海道に行きました。本当は2020年に行くはずでしたが、コロナで飛行機が飛ばず断念した墓参りにです。初めて行きました。観光もしようと思い、トラベルガイドも何冊か買って計画を立てましたが、考え違いをしていた部分が、あまりにも大きく、おおまかな予定は何とかこなしましたが、スムーズとは行きませんでした。

 この考え違い、の部分ですが正直に言ってガイドブックには記載されていないのではなく、こちら【本州】の常と違うのをこちらが正確に理解していなかっただけなので、やりきれなさしか残りませんでした。

●うん、なぜか北海道の墓なのにモアイだのバビロニアの怪物のレリーフだの大仏の頭だのストーンヘンジと見せられて、まるでテークパークにでも迷い込んだような感覚になりました。真駒内の滝野霊園にて
めっちゃ墓!w ドーム何個分だ?札幌ドーム32個分だってさ!

まだまだ墓地を増設中だった。モアイの前面に鹿のブロンズ像も設置中だった。観光客も多かった。山の中にあるから、冬は雪で道路が通行止になる。
 霊園の食堂で食べたモアイカレー。
 帰りの日に撮ったモアイ・左。ストーンヘンジ・右。


ここが違うよ!北海道
 
 ぶっちゃけ、何が違うかというと距離です。こちらの地図のつもりでナメて見てると、確実に痛い目に会います。縮尺率に注意!だいたい4倍ね。しかも、公共交通機関ではなくレンタカーで移動を考えていたら、高速はメッチャ高いよ!広い=距離がある。ので料金は半端ないです。

 もし、下道で行こうと考えてたら、これも考えが甘いです。下道は、ほぼ山の中を通らされます。北海道って山だらけだからね。人が住んでない部分って山なんじゃね?って思うくらい。多分事実だと思うけど。だから道も山の中や裾野を迂回したりーの、で目的地までの距離は高速の直線の倍以上かかります。地元民なら抜け道知ってるかも、だけど観光客はナビが頼り。カーナビの示す通りに行くしかない!

 北海道の都市部の観光スポットなら、距離も近いから普段の観光と違和感ないけど、離れた場所なら1日1ヶ所しか回れない。と考えてね。
本当に広いんだから、北海道は。で、そのせいで車のスピードも半端ないから。周りのスピードに合わせたら、普通の道でも80キロ出てるべ!と驚いて叫ぶほど速いから。
こっちの体感40キロが向こうでの体感60キロだからね、マジです。怖い、怖い怖い。
そりゃ事故ったら死ぬわ。行く前も行った後もそういう事故のニュース聞いて「ああー、やっぱり!」という感想しかないです。

 移動の時間ってやっぱり面倒だし、時間がもったいない気がするよね。冬はその移動すら困難になるし、動けるときに動きたいってのもあるのかも知れません。北海道の人って本当に良い人が多いけど、そういう理由からか、みんなせっかちなんだわ。それがまんま運転に出るんでしょう。
というマイナス面は、ガイドブックには事実としてしか載らないから(距離何キロとかね)実際の移動の困難さ、は体験しないとわからない。

北海道は、マジに食べ物は何食べても、どこで食べても美味いです。関東以北の人たちならたまらない味付けだと思う。濃い味だけど、それは塩辛いという意味ではなく、味に深みがあるという意味です。私は少食なんだけれども、胃袋がもう一つ欲しいくらいご飯は美味しかったです。難を言うなら、評判の海鮮丼。
マグロ丼食べたんですけど、新鮮すぎてマグロっぽさがなかったのよ。魚って新鮮すぎると独特の臭みに通じる味が希薄なんだわ。同行者が生魚があまりダメな人だったんだけど、喜んで食べてたから。そういう生はちょっとなあ、な人でもたぶん大丈夫な海鮮丼!ってことです。私は味が新鮮すぎて、逆に物足りなかったです。食べたのが中途半端な時間だったので、食欲がなくてマグロ丼にしましたが、マグロ以外ならどうだったんだろう?食の為に住みたいな、と思いましたが私は寒さがダメ(体が動かなくなる)ので北海道に住むのは無理ですね。残念。
(白老町のウポポイの近くにある、『スーパーくまがい』に併設されているフードコートにて)
 それとよくニュースで住宅地に動物が(関西方面ではイノシシやシカなど関東ではサルなど)出るってありますが、北海道は本当にそういう感じで住宅地にクマが出ます。(本当に住宅地にクマが出没して、報道陣をやたらと見かけた)
 理由は行ってわかりましたよ。山道を抜けると普通はポツポツと宅地が現れて、中心地に向かって住宅が密集していくと思いきや、北海道は山道を下ってすぐに住宅地が普通にあるからね。

 自然と近っ!近すぎるわ!と思った。だから脇道から鹿が二頭も、道路に飛び出てきそうになったし。(鹿と目が会ったので思いっきり睨んで叫んだら、引き返して行った)そういう向こうの地元のリアルを知らないと、大変な目に会うと思います。
私はこちらの初夏(6月中旬)に行ったんですが、北海道ではなんと春扱いでした。ポプラの綿毛が舞う舞う舞う。竹宏治だよwもう北海道の冬は、私には考えられません。昔の北海道なら、想像も絶します。

北海道のアイヌによる展示施設ウポポイ、に行く途中で寄った支笏湖。広い

 そして、今回は墓参りもそうですが、ウボボイというアイヌの文化センターらしき所に行ってみたいと思いました。
それというのも、国立歴史民俗博物館で開催された展示会『夷酋列像』(前ページ参照)があまりにも素晴らしく、アイヌへのロマンと好奇と失われつつあるものへの哀愁と過去の愚かな争いへの悲哀、といったものを存分に感じさせてくれたからでした。

 これだけ学術的にも資料的にも優れたものを提示されて、興味を持つなと言う方が難しい、それほどまでに素晴らしい(何度でも言う、他の言い回しが、ボキャブラリーが貧困で申し訳ない)展示会でした。私のレポートなんてその半分も魅力を伝えられないよ。
 そういう思いを抱えていたので、相当期待して行きました。ウポポイに

ウポポイPRキャラクター「トゥレッポん」モチーフはユリ根らしい。
左・券売所と入り口。右・入ってすぐの案内板。

左・アイヌ民族衣装アツシ。右・囲炉裏。
敷物。漆器など儀式に使ったと思われるもの。(説明書きないんだよね)

感想は歴史民俗博物館で見た『夷酋列像』を展示企画した人は神!という結論に達しました。
つまり、歴民で得た以上の感慨は得られなかった、ということです。うっすい、薄すぎる。もしかして 私のレポートよりも薄くない?

 理由はすぐにわかったけど、なんとも言えないです。このなんとも言えなさゆえに、レポートして良いんだろうか?と私を躊躇わせたのですよ。
アイヌの末裔と言う人たちがいて、技術も展示披露していたんですが、女の仕事ばっかりなんだわ。男不在。そりゃそうか、男の仕事って夏は漁業で冬は狩猟だもんね。でも、その道具(魚を獲る道具や、マキリといった猟の道具類)を作ったりとかは今はしていないんだろうか?
昔は人に害を与えるクマの駆除にもアイヌ人が力を貸していたと聞いたけど?
なんか、その辺の今に至る事情がさっぱり見えてこない。
今、アイヌは他の日本人と変わらないって、そりゃそうだよ。昔は女性は顔に刺青していたでしょ。そういう独自の文化を捨てて、着るものも食べるものも便利な日本風に馴染んだり、日本人と結婚して混血していったら世代を追うごとに血は薄まるし、文化も独自のものとは言いがたくなるのは、当然ではないでしょうか?


 
  私ね、やっぱり文化の要は文字だと思うんですよ。世界には文字がなくても発展した文化、民族はいたっていうけど、それって今でもそのまま残ってますか?他の民族に吸収されてませんか?言葉は?
文字がない、事の一番の弊害は、その言葉そのものが失われる危険性が高い!ということです。これは日本の明治の学者さんたちが、既に懸念していたことで、それから100年たった現在では、杞憂では済まなかったのでした。

 だからこそ、アイヌに文字がなかったのは、誠に残念だと思う。だって、その文化を日本語で残した文献でしか、私たちはアイヌについて知ることができないのも事実ですよね。他の民族から教わる自国の歴史って、思わず魏誌倭人伝かっ!と突っ込み入れたくなります。
ウポポイに行くまでは、もしかすると仲間内でアイヌ語が飛び交うのを、聞けるんじゃないかしら?なんてお花畑な考えを持っていた自分を罵倒したい。
単語しかないです。調べた結果、流暢にアイヌ語で日常的会話ができる人は、ほぼいません!
文字がないんだから、家庭で言葉の教育をしなくなったら、言語は失われるんですよ。
左・鮭の皮で作った靴とヒグマの毛皮で作ったベスト。右・マキリと呼ばれる小刀。(どれもアイヌの男の仕事道具)

話を戻しますが、アイヌの文化はダイナミック、というイメージが強いし、実際はそれを欠いたら魅力は半減すると思う。つまり男の仕事がないっていうのは、そう言うことです。
 では、女性の仕事は?というと残念ながら、北海道という土地柄気候風土の厳しさから、繊細で美しいモノ、きらびやかなモノはその代わりに脆くて弱いのが普通なので、北海道の過酷な環境下では壊れやすいものは作るだけ無駄!です。ですから、その土地にあるもので丈夫で長持ちするものを作って、それになんとかして装飾をという努力をしています。しかし、京都の工芸品なんかを見ちゃうと、京都の工芸品がお姫様なら、アイヌのそれは質実剛健のたくましい庶民の女性を見るようなものです。
たとえは悪いんですが、格闘技をやっている骨太女子も、それ以上の格闘技男子と並べたらやっぱり女子だ、ってわかるのと同じでアイヌの伝統的な男の手工芸が見られないと、アイヌの女の仕事も他の地域の女の手仕事と比べてしまう、ということです。