手塚治虫原作、「ブッダ、赤い砂漠よ! 美しく」の映画公開がいよいよ5月28日に迫りました。公開を記念してイラストブッダあげw

映画の公式サイトは
こちらっ→『紅い砂漠よ! 美しく』

イメージイラスト。片や生まれながらに尊く蓮の花を持つ様な王子と、片や生まれながら楔に繋がれる様な奴隷。人はなぜ生まれながらに貴賤が決まっているのだろうか?

映画では漫画版ブッダ=シッダールタの生まれる前に起こった=直接接点の無い、ある悲劇とその主人公を、シッダールタと同時代に持ってきて対比させ=奴隷から這い上がろうとした男と、生まれながらに何不自由無い身分の王子と対決させて描いている。そう言えば昔、学校の歴史の教科書に『玉虫の厨子』の写真が載っていて、それに描かれている絵が飛び込みしている天女みたいに見えて、面白がっていたら実際そんな姿を絵にしたものだったのを知りその壮絶な物語に吐き気がしたものだ。○釈迦は前世もある国の王子でとても慈悲深く、谷底で怪我して動けない飢え死にしそうな母虎と、乳飲み子の子虎の為に自分が身投げして亡骸を食わせる、と言う善行をした為にブッダとして生まれ変わる事が出来たという逸話。漫画ブッダにも生きながら食われる写楽=アッサジの話があって、ここから取られている。国語の教科書の『五色の鹿』の話は鹿がブッダで密告し裏切った男がダイバダッタに転生したという、確かそんな話。
<ブッダ感想>
これは、チャプラ赤い砂漠よ美しく、だった。ハッキリ言うと、原作に忠実なチャプラの物語が鮮烈過ぎて、ブッダ空気化。これならシッダールタが原作よりも美貌を重視したキャラになるのは理解出来る。でもしないとホントに描かれ方がキレイキレイ過ぎて、存在に現実味無く結果が空気だから。物語で二人を対比させると聞いた時には、ストーリー構成的にああ上手いな、と思ったものだったが、見た限りでは良いアイディアなのにも関わらず失敗している。それは二人の人生は全くリンクして無い=原作通りwからである。奴隷から自らの才覚で成り上がったチャプラと、生まれながらに何もかも手に入れているが、その実本当の自分は無力である事に気付いたシッダールタとの出合いが会ってお互いに感化されて、みたいなライバル関係を想像しちゃうだろ、この映画解説だと。この絡んでいるかの様な描写は詐欺だ。二人の接点は戦場でのほんの一瞬、お互いの顔を認識した程度だからね。それは百歩譲って良いとしても、チャプラの主題とシッダールタの主題も噛み合ってないので、二人の対比すらも噛み合ってないのだ。対比とはそもそも比べる事象が同じでなくてはイケナイ。チャプラが己の身分を嫌がって偽り、自分ではない=そう定義されているものから抜け出す為に必死に足掻いて、一度は手に入れたのだが肉親への情愛が勝ってしまい、手に入れた全てを失うというのが主題、なら対比するシッダールタは?全く描けていない、のである。シッダールタは、自分の身分が実質的に人間の本質的な平等と異なる事にジレンマを感じる。身分が高くても低くても、人間である限り生老病死は訪れる。それはなぜか?もし科学がもっと発展して、金さえ積めば死から免れる世の中になり、その頃にシッダールタが生まれていれば、こんな疑問は抱かないだろう。身分の高い金持ちは貧乏人とは平等ではない、とハッキリ判るからだ。しかし、古代のインドではそうもいかず、身分と人間の生の実態のジレンマに陥った王子は、王室の身でありながらもそのジレンマから逃れる為に必死に足掻いて、義母だが自分を我が子以上の愛情で育てた母親と、父王そして妻子との愛情満たされていた生活と、身分を捨て去っても出家する。というのがきっちり描かれているか?残念だが、ゼンゼンなってない、んである。シッダールタにチャプラと同じ位密度の濃いエピソード=もっと生々しい苦悩、描けや! なんである。でないと主役が完全に喰われとる。例えば、女盗賊ミゲーラがシッダールタと付き合うのを罰せられ目を潰されて放逐された後、シッダールタがあっさりし過ぎてるけど、ここもっと苦悩入れて悩みまくって、自分のせいで障害者にさせられた彼女の幻影の後ろに、シッダールタが気にかけていた社会的弱者達も亡霊の様に現れて、シッダールタに助けを求め縋り寄る姿を毎晩の様に見てしまう。その後しばらくそのショックで抜け殻のシッダールタになってしまい、それを元気づけて喜ばせようと最初の方に出て来た様な女達の踊りとか華やかな場面や、義母や嫁が気づかって優しくする場面等を入れる。そうすると、シッダールタの内面の地獄絵図と華やかで恵まれた現実の対比が出来て彼の苦悩がよりハッキリすると思うけど。それからチャプラがシッダールタと戦場で出会うシーン、あれは無い。死に直面してしまったチャプラがシッダールタの神々しさに打たれるなんてナイナイ。むしろこんなひ弱で情けない奴が、生まれついただけで自分が必死になって手に入れたものを最初から持っている、のを目の前にしてあと一息だったのに本当に無念、とか思うだろう普通。シッダールタもそのチャプラの凄まじい執念に恐怖し、感じる所はあるはずだ、と思うのだが。他にも色々やりようがあったろうに。これもう少しストーリー捻った方が良いよ。シッダールタは出家するまで普通の人間らしい部分が無いと、続編もキツイだろう。出家後はどう描写する?2時間テレビ特番ではなくて商業的レベル=前売りで安く買って正解だった、の映画にするんならもうちょっと考えないとね、材料=原作しっかりしてんのにここまでグダグダなのは脚本ヘタって事ですな。あんまり苦労とか世間見てる人では無いな。登場人物の成長や時系列が各自てんでんばらばらなのも、ストーリー混乱の原因だと思う。明確に成長=老けてるのがチャプラとシッダールタってのが何とも。それだって史実?では一応釈迦の出家って30才前後だったはず。そうは見えん。それに若い内に亡くなったチャプラらが絡むのはそもそも無理がある。だから、年下のシッダールタが30で出家するのと、チャプラが若い姿で死んでるんでその時期が映画では分りにくいのだ。それと、原作ゼンゼン知らない人連れてったら、チャプラが後々もずっと絡んで来ると思ってて、いきなり退場したのでビックリ訳わかめ、という感想=その時点ですでにチャプラ赤い砂漠になった訳、だった。絵に関しては自分もヘタなんで大きな事言えないけど、それでも横顔ではなく斜めから見た顔がノッペリしすぎダロ。黄色人種じゃねーんだからさwww笑った。それと素人声優だが、俳優だけあって皆そこそこ上手いんで問題無いかと思ったが,唯一父王役の人が声質は良いんだが、台詞が固くて気になる。やはり波平=永井一郎は声の役者としてはサイコーだ。ののこ=声優の卵、もその内ブッダに出れると良いなあw


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