作品概要: 1976年〜1977年、週刊少年チャンピオン連載作品。原作 : 梶原一騎 画 : ふくしま政美。単行本は秋田書店からは出版されず、1979年になってから芳文社から出版された。1999年には美術出版社から再刊されている(←私はこれを持ってます)。現在はどちらも絶版です。
〜舞台は古代ローマ時代〜、皇帝ネロの治世の事。元格闘士として華々しく活躍していた父によって、同じく格闘士となるべくスパルタ教育を受けるアリオン。日に日に格闘士としての名声と民衆からの信望を受けるアリオンに、危機感を感じるネロは策略を巡らし、アリオンを追い落とそうとするのだった。…以下詳細は物語あらすじページをご覧下さいませ。
『クォ・ヴァディス: ネロの時代の物語』まんまという意見もありますがw
cf:〜DVDの解説より引用〜
【INTRODUCTION・・・解説】
西暦60年代。ローマ皇帝が全世界を支配していた頃。キリスト教徒は皇帝ネロによって迫害されていた。三年に渡る英国遠征を終えて帰国した若い将軍マーカスは、美しい王女リジアの気高い美しさに心を奪われてしまう。しかし、リジアはキリスト教徒ではない彼の求愛を退け、忠実な怪力の忠僕ウルススとともにローマから姿を消してしまう。
その頃皇帝ネロはネロポリスという新しい首都を建設するため、ローマを火を放つ。キリスト教徒に弾圧を加え、彼らを大闘技場に引き出して猛獣の餌食にしようとした。マーカスは火の海の中でリジアを救出したが二人とも捕らえられてしまう。
使徒ピーターとナザルスは危うくローマを逃れ、途中キリストに会い、『主よ何処に行き給うや』(クオ・ヴァディス)と問うと『余はローマに赴きて再び十字架にかからん』と答え、ピーターは翻然悔悟してローマに引き返し、捕らわれた。獄中で彼はマーカスとリジアの結婚式を執り行い、自ら十字架上に果てた。
リジヤが牡牛の背に縛られ猛獣の餌食にされようとした時、忠僕ウルススは猛獣を倒し彼女を救う。マーカスはローマ放火の張本人は皇帝であると叫び、怒った群集に追われた皇帝ネロはキリスト教徒アクテの短剣の露と消えた。暴君ネロの時代は終わり、自由の身となったマーカス、リジア、ウルススらはシシリイに旅立っていく…。
〈あっ、ホントにまんまだったりしてw〉
◇◆格闘士ローマの星との出会い◆◇
その出合いは歯医者の待ち合い室に置かれた少年漫画雑誌だった。歯医者と言うと、その頃のガキ共は甘い駄菓子全盛期で、軒並み虫歯だらけであった。まるでチャーリー・ウォンカの様だが、虫歯になるからという理由で、全くおやつに甘いお菓子を貰えないという、親が神経質で極端な扱いを受ける子なども居たのである(マジで。が、子供の成長の観点から見るとおやつはとても重要なものである。要するに与え方が不味いんだ)所謂オーラルケアが、今程熱心ではない時代だったせいである。まあ、そういう時代背景があった頃に、この物語にちょっと胸を熱くさせたものでした。その頃の何が嫌だったって、口では正義云々言いながら、大人がそれを全く信じていないのが丸判り(大人達が敗戦の影響を引きずり、ナニが正義かも判らんちんになって頃。体制に迎合して何も考えなかった罪から逃げるために。この変わり身と自己保全はコロッセオの観衆さながらだw政治家といういい年した大人も、健忘症にかかって記憶に無いと言えば無罪の世の中だったしね。大山鳴動してネズミ一匹w)だった事、です。そんな時に、この漫画は人間の努力と挫折と再生をつまり正義は勝つ、を正しく描いてくれたのでした。私のその後の人生に大きく影響を及ぼしたかも知れない作品です。ゆえに、この作品がマイベスト愛読書という訳です。後に、北斗の拳を見たらこの作品を思い出しました。あー、おまけとして、その歯医者そこそこ流行ってたんですが、私はあんまり行きたくなかったんですよね。痛いのもありますが、言葉で言えない妙な気分になったからです。しかし、この漫画の為になら嫌だけど治療受けてもイイ、いやむしろ読み終わるまで通えないかな?と思った位。(惚れ込んだ作品ですw)まあ、歯医者に行きたくなかった理由は後日判りましたよ。ニュースにもなりましたが、無免許で診療していたのでした。モグリって事ですね。漫画だとブラック・ジャックですが、現実では人様の体を知識もない人間がいじくり回すというトンデモない事です。人間の胡散臭い臭い、って本当に臭いますよ。私は特に鼻が良いもんでw
▲▼みどころ▼▲
再読しておったまげたのが、物語の最初と最後の頃の絵の違い。クライマックスに向けての盛り上がりしか記憶になかったのであるが、例えばネロ。初期は、あばた面で醜い…。なんで最後の方キレイになってるんだろう?(全体的に画力が向上しているから?)題名に格闘士が付いているだけに正直言って、どこから突っ込んで良いか判らないくらい戦いの描写が凄い。漫画なんで細かい時代設定や考証や格闘のダメージ・後遺症諸々は、一切現実と比較しないのがポリシーなんでそれはしません。てゆーか、突っ込めないのが、対戦キャラゆえなのである。皇帝ネロがアリオンの対戦相手として送り込んで来る刺客が、もうぶっ飛んでて良いのよ、これが。ビジュアルしかり、技しかり。この紹介コンテンツで模写再現でやりたいくらい。(やろうかな?画力が追い付くか疑問だけど、今の所ちょっと頑張ってみようかなって思ってる。)それもこれも全部マンガチックだからそう思うんである。それから、読んでて頭に来るのが血に飢えたコロシアム=英語(『殺し合う』みたいだよねwコロッセオ=イタリア語、も『殺せよ』だろ〜。まあ史実として公開処刑の場だったんだから、正しいっちゃ正しいかな)の観客の豹変振り。コロコロ変わるんだから全く、って感じである。これで、観客=一般市民がアリオンに味方するか、敵となるかでアリオンに対する世論に直結してるのが、マスコミの報道と重なるよね。こわいこわい。アリオンは優しくて正義の心を持ち、それが格闘士のスタイルに出ているし、何しろ美男だから人気が高い。親父に似なくて良かったね。と言いたいが、親父が羽振りが良かった頃には一緒に居て、落ちぶれたら父子ともに捨てて行く女って金目当てなのがミエミエだけど、親父も金にモノを言わせて手に入れた女だろうから美貌の持ち主には間違いない。このローマの星は、格闘技漫画と分類されているようではあるが、平和主義者のわたしはこれを格闘技漫画とはみなしていない。明らかに、恋愛物語である。最初に読んだ時は正義が勝つ物語の方にばかり気を取られていたのであるが、女のために駆け落ちしようとしたり、引退しようとしたり、結局国を出て流浪して共同体作ってしまうんだから、ちょっと格闘漫画とは言い切れないし勧善懲悪&恋愛ものだろうと思う。今読むとまたそこがいいんですよ。もしかすると、この話は男よりも女に受けるかも知れません。ぜひ、あらすじページから内容詳細をご覧下さいね。