その1、第2回掲載の三種の神器と素戔鳴尊についての補足の事、他
素戔鳴尊(スサノオ)と関連の深い出雲(いずも)は元々、泉(いずみ )と呼ばれていたのではないか、と言う説があります。それは昔、この地に麻奈加比池(まなかいのいけ)という大きな池があった事からです。(現在の真名井町あたり)昔は水のある所は文明の発祥地となる位重要でしたから、この地もその意味ではかなり発展していたのでは無いでしょうか?そこでなぜ、"いずみ"が"いずも"=いずるくも、になったのか?これはあちこち調べて出て来た事実の断片から推理した所、どうも中国に関係あるらしいです。中国の『史記』の高祖本紀に"斬蛇剣"(ざんだけん)というのがあり、それを持つ高祖の頭上には、常に雲気が立ち上っていた。と言う記述があります。蛇を切る剣、もうおわかりですね。(八岐大蛇を退治したのは?)そう、まるっきり素戔鳴尊の記述を見ている様ではありませんか。渡来の神である素戔鳴尊が、本当に元々は中国にいたのかも知れませんし、新羅の神が中国でリメイクされたのか、それは分かりませんが、大蛇の殺し手であり、斬蛇剣=蛇麁正(オロチノアラマサ)を持つ素戔鳴尊のいる所は雲が湧き立っていた、(もしくは、いなければならなかった)のではないでしょうか?泉が湧き立つ様に。なぜなら、この葦原中国の支配者である象徴としてこの剣を所有していたからです。cf=そして、その上を行く力の象徴として、蛇麁正に刃こぼれを生じさせる程の名刀として天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)を登場させたのです。以上の事から、いずみの地は=いずもと呼ばれる様になった、のではないかと思うのですが、(違うかな? )
その2、八岐大蛇考
八岐大蛇は川の氾濫を表しそれに対して人身御供として若い娘を捧げた、という説が一般的だが、なぜ川が氾濫したか?と言うと森が無くなったからである。木がなくなった為に地中に染み込まずに流れ出た雨水が水量を増し、川が氾濫と言う事だ。またまたなぜだが、森が無くなったのか?製鉄の為に森の木を切って燃料にしたから、である。では、素戔鳴尊の役割とは?勿論、素戔鳴尊は森の王と呼ばれるのでこれを何とかしたに違いない。つまりまずは乱伐を辞めさせたのだろう。そして植樹。だがこの乱伐を辞めさせる際には、ある程度の粛正がなされたはずだ。おまえらは製鉄を辞めてこれからは木を植えろ、と言っても素直に従わないだろう。そこで武力ですよ。数を減らして従わせる。おまけに支配して鉄製品=草薙の剣(素戔鳴尊はそれまで青銅製の剣を使っていたのかも?)も手に入れる。一石二鳥ウマーですよ。彼らが使った分だけ植樹してたとも思えないし、バッサバッサ切って木が無くなったら別の森に移動、ってか。限りある資源の消費も度が過ぎれば悪って見本。どう見ても計画性のある素戔鳴尊の勝ちですだ。あ、それからちょっとうろ覚えなんだが、製鉄の際に火の中に人を燃やすと人体の成分が作用して火の加減がどうたらで良い製品が作れるって言ってた様な気がするんだが、娘の人身御供と関係ありなのかどうか?推測するだけで怖い。それにやっぱ聞き違いだよねアハハ。でももし、森から出てっても良いから娘よこせや! なんてやってたらこいつらは八岐大蛇が象徴する化け物に違いないし、素戔鳴尊でなくても怒るよね。
その3、剣=権力と物部氏(序章)
しかし、調べて行くと色々な事が思いもよらぬ形で絡み合っています。
それに古代では剣がかなり、私達が(と言うか私が)思っているよりももっと、重要なものだったみたいですね。
剣についてもう少し知りたくなりました。
素戔鳴尊の手を離れた剣は石神神宮(いそのかみじんぐう)に納められたわけですが、この石神神宮は今の私達の認識する神社と比べると、中々得体が知れません。ここには御存知の国宝の伝世呪刀(じゅとう)「七支刀」(シチシトウもしくは、ナナサヤノタチとも言う)があるのですが、ここを物部氏が管理していたんですね。
あの物部氏、がです。
大連である物部氏は(臣=おみ、と連=むらじ、の違い教わりましたね。でも、おさらいします。臣とは、土地に根ざす豪族の事で遡れば天皇の祖先と同格、もしくは質的に大差無い一族の事である。連とは、職務に関連していて、その技能を朝廷に認められる事により権力を維持しているのである。ゆえに、天皇と婚姻関係が多いのは臣の出の者であり、連の者は少ない)
その名からも判る様に、モノに関連しているのです。
では、モノとは何か
1,物の具、=武器の事。2,物忌み、物怖じ、物狂い、物の怪、のモノである。=つまり、目に見えない魑魅魍魎の類い。(そして
物部氏は鎮魂の呪法者であったといいます)
また、この1,2,の2つは切っても切れない関係にあります。なぜなら、その頃の日本では、裁判と言えば"神前裁判"でした。物事の善し悪しはすべて神意によるもの。軍事警察的な役割を担う一方で、それを裁く宗教的な役割をも担う一族、それが物部氏だったのです。
物部氏は栄えに栄え「物部の八十氏(もののべのやそし)」と言われるほどの組織力を築きました。そして当然、上記の事からもわかる様に、この神宮にはものすごい規模の武器庫があったのです。
?略?以下はまた別の項目でやります。
その4またまた補足。伊勢神宮外宮の祭神伝説
-丹後国風土記より-
丹後の国の比治の山の頂上に泉が湧いていて、
そこに8人の天女が白鳥になって舞い降りた。
これを見たワナサという老夫妻が、天女の羽衣を隠し
天に帰れなくなった天女を無理矢理に養女にしてしまった。
この天女は飲めば病気も治る程の美酒を作る事が出来たので、
老夫婦はこれを売って大金持ちになった。
すると老夫婦はこの天女を邪魔に思う様になり、とうとう追い出してしまった。
天女は、泣き泣き各地を放浪し、丹後の国の竹野郡の奈具の社に祭られた。
天女の名はトヨワカノメと言い、後に伊勢神宮の外宮に祭られた。

色々と調べモノをしていると、芋づる式に思い掛けない事が
出て来るわ、出て来るわ。
しかし、天女伝説とは…。
確かに外宮の祭神"豊宇気毘売神"=トヨウケビメノカミに
名前は似ていますが。
何か、同一視される根拠があるんでしょうか?
今はデータ不足でなんとも…。