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(ミミの人物歴史講座)
といっても、マニアックに深くはありません
この企画もそもそも変わったもの好きの"触覚"に引っ掛かったものを発展させただけの事で、大概深い意味はありません。深くない代わりにすぐに飽きてしまう事も考えられるのですがノ。


その1.鉄仮面
まず、カスパール・ハウザーなる人物について、私がある書物から知ったのと
他の人が調べた事に大きな隔たりがあり、私が失敗し恥をかいた事に始まります。
調べた事の中のただ一つの共通点は"鉄仮面"だけでした。
彼(カスパール・ハウザー)は鉄仮面を被らされていたらしいのです。
そこで思い出すのが、双児の王位継承者の物語(ディカプリオ君が演ってましたね)です。
そもそも、鉄仮面を被せると言う他者による行為はその人物に対する人間性の否定、本人への生存の自覚を希薄ならしめる為の肉体的、精神的拷問以外のなにものでもありません。
空恐ろしい事です。
これが身分あるものの、ひいては骨肉の争いから出た悲劇と言うものなのでしょう。(昔の日本でも、不具の子供を一生閉じ込めるとか聞いた事がありませんか )
で、鉄仮面というとまっ先に私が思い出したのが、鎧兜の下につける仮面です。
大将が強く見せようと素顔を隠したのでしょう。
"下膨れの狸の様な御面相"だった場合、威厳もへちまもないからです。
そして、鉄仮面の武将といえば
大谷刑部です。
"豊臣秀吉"(とよとみひでよし)の側近としても、関ヶ原の西軍の将としても有名な、
あの
"石田三成"(いしだみつなり)の親友だった人物です。
どれ位の親友か、そして三成の人と成りを現わす事でも有名な逸話があります。
大谷刑部吉継(おおたにぎょうぶよしつぐ)は重いハンセン病を患っていました。
ある日、秀吉が茶会を催した時の事です。吉継の番が回って来た時に、
吉継の鼻汁が茶わんに垂れてしまいました。
他の者達は当然病気の罹患を恐れ、飲む真似だけですぐに茶わんを回したのですが、
三成の番になりますと、彼は一気にこれを飲み干したそうです。
彼の友情に感激した吉継は"三成の為なら死ねる!! "
と思ったそうです。
それまでにも、三成は自分が出世すると同じ様に吉継も必ず引き立ててくれる様に
と秀吉に進言していました。
恩に報いる為に、実際彼は三成に命を捧げる事になるのです。
あの関ヶ原の戦いで
初め彼は秀吉亡き後、徳川家康に接近しました。
時流を良く掴んでいた様です。
そして家康と共に会津の上杉景勝(うえすぎかげかつ)の討伐にいくつもりでした。
しかし、途中で佐和山城へ向い三成の子重家(しげいえ)を連れていこうとしたので
すが、逆に家康討伐を持ちかけられてしまいます。
驚いた吉継は思い止まらせようとしますが、決心は固くついに三成と運命を共に
するのです。関ヶ原の時すでに、吉継は失明していたそうです。
その彼が生前、病気で爛れた顔を隠すのに鉄仮面を被っていた、
とそう言う事なんですね。
しかし、調べモノをしていて三成もノ本当はなかなかイイヤツだったかも。
などと思ってしまいました。
戦国武将らしからぬ、繊細で優しい所が。
しかし、猛々しい男達には小賢しく思われ、猛烈な嫉妬もあった様です。
朝鮮出兵の時も、現場主義の武力派と対立し後々まで遺恨が残ったそうですから、
潔癖症の理論派な側面もあったのかも知れません。
それが"三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城"という落首
(時局の風刺や権力者を批判嘲笑した匿名の文章や詩歌:これを落書という:のうちの詩
歌形式を持ったものを言う)にまでなったのでしょう。
しかし、これはいくら武芸に優れていても所詮は"召し抱えられてなんぼ"
というのが武士ですから批判には値しないと思われます。
要するに、伯楽の千里の馬の故事と同じですね。
今回はこれにて、次回へつづく、かな?。


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