『七色いんこ』の解説

『七色いんこ』とは:『七色いんこ=なないろいんこ』は、手塚治虫の漫画作品。1981年〜1982年に、週刊少年チャンピオン誌上で連載された作品。全47話。物語の主題は演劇。その演劇になぞらえた事象が平行して起こり、代役専門役者兼楽屋ならぬ劇場泥棒の七色いんこが演劇の代役と共に、事件のおとしまえを付ける物語。
序章に代えて 七色いんこの魅力
手塚治虫作品でも、意外にマイナーなのが『七色いんこ』である。特にコアなファンでなくても、手塚先生の代表作は?と聞かれれば大体は昔の世代だと『鉄腕アトム』辺りを出して、ちょっと古い世代だと『ブラックジャック』や『火の鳥』辺りの、オンタイムで自分が知っている人気作品を挙げるのであるが、この『七色いんこ』の名を挙げる人は少ない。と言うか、ファンでは無い一般人に聞いたら「何ソレ?」状態である。少年漫画家と言う位置付けで先生を尊敬しているので、青年誌掲載作は(『奇子』とか『IL』とか結構好きだけど)抜かしたいと思ったのであるが、近年のファンと言えば『陽だまりの樹』や『アドルフに告ぐ』etcの、青年向けと思える作品ばかり挙げている。まあ、それは無理も無い。だって先生が晩年では少年誌で描かなくなっちゃったのだ。先生も"今時の子"達の感覚が良く判らなくなっていたので=というか売れセンと自分の作りたい作品とのかなりのズレを感じていたので、少年向けの漫画家から卒業したのだろう。確かに最近のガキ共と来た日にゃ、やたらとハイテクな機器を使いこなすし、こまっしゃくれてるんであるが、実は子供ガキは子供ガキなんである。週刊少年ジャンプの友情と努力、勝利のスローガンでバカの1つ覚えみたく【悪に打ち勝つ為に努力して闘う漫画】ばっかりで大いなるマンネリだけれども、読者は数年で入れ替わり、なんでゼンゼンオッケーなんである。基本少年漫画家はそれで良いのであるが、ストーリーの妙を売りというか、優れたストーリーテラーとしての手塚先生は、そんなマンネリズムを一番恐れていたんではなかろうか?ここに先生の悲劇がある。しかし、思えば手塚漫画って意外に紙一重なストーリーだったりする事も多い。後の『ミッドナイト』なんて最後に主人公が!?だし。小学校低学年からジャンプ慣れし、画一化されてるものを読んでいると、手塚漫画は違う世界にイッちゃってる、としか見えないと思う。それでカルチャーショックを受けるか、ツマラナイと思うか、二者択一になりそうだ。前作のブラックジャックも最初は悪魔的であった。謎めいていて、高飛車で冷たくて、しかしトリックスターの様に、人の悪意の裏をかいて…みたいなクールな人物であった。だが少年誌で少年向けに、そして人気が出ると、ブラックジャックの魅力の1つである、謎めいた部分やダーティーな面は鳴りを潜めてしまった。次回作であるこの七色いんこは、連載当時(残念だが)ブラックジャック程根強い人気がある作品ではなかった。主題が演劇というのも元ネタが少年には馴染みが無い、という弱点もあると思う。だが、ブラックジャックでは描けなかったピカレスク(優等生と正反対の主人公=ごろつき、が活躍する物語)、というものが存在している。ブラックジャックが途中で失ってしまったものを、もう一回復活させそれを七色いんこで描こうと思ったのであろう。七色いんこは何より先生が、自分の好きな主題で生き生きと描いてらっしゃるのが判る作品なのである。そう、途中までは。後半は前半と比べ違和感がある。なぜなら、途中で演劇も泥棒もへったくれもなく、主人公が突然壊れたのだ。だが本当は、途中でへばってホンネというものを出したかったのは誰だろう?ブラックジャックも人気が出ると読者への影響力を考慮し、純漫画としての荒唐無稽さが封印されてしまった。しかし、命を扱う重いジャンルではなく、現実的にも娯楽や文化の範疇である演劇が舞台なら、劇というそのものがフィクションなので好きに描けるのかもしれない、と期待を持った。だが、自分が好きで描いたもの=売れるもの=支持される、とは限らず、仕事としてのジレンマが膨らみ続けとうとう…物語の方向転換を余儀無くされてしまった。そう思えてならない作品が、この七色いんこなのである。そしていんこが壊れてから、物語はある意味失速し、ある意味加速する。初期の軽妙洒脱なストーリーが暗転し、終末へと一気に向かう様は確かに劇的ではある。そう、七色いんこは終わって初めてその劇的展開に読者達が心を奪われ、忘れられない作品へと変貌を遂げたのだった。七色いんこは物語の主人公でありながら、物語を一歩離れてプロデュースする側であったはずなのだ。しかし彼もまた神秘のベールを剥ぎ取られ、謎の人物では無くなり、いつしか彼自身の人間としての無様な弱さを晒してしまい、自らの人生を読者に対して演じてしまっていた、という点ではとても不本意ではあるが、いんこが人間的=演劇的な魅力を出した作品である、と思う。


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