〔感想〕
 で、リメンバーミーを見た感想ですが、とにかく色彩がバツグンに綺麗ですね。この色を見ただけで胸が踊ります。話の内容も家族愛ってことでディズニーらしいなあ、というもの。ただ、ディズニーは問題も提起するけど、性善説みたいな収め方をするのでリアリストには向いていないのは相変わらずです。つまりハッピーエンド以外認めない、という人にしか向いていないと言う意味。
 まあ、子供の情操教育映画と考えれば非常に正しいんですが、大人から見たらアレレな部分は存在しています。

 それ以外の根本的な所での話になりますが、ぶっちゃけ日本人にはガイコツはダメだろう!ということ。ちゃんと土着文化の認識もしているのか?が問題になってきます。日本や他の国で放映するのを前提にしているなら、テーマのガイコツをそれぞれがどのように考えているか?をリサーチすべきだったと思われます。

 日本ではまだガイコツはお化けで穢れ、恐れの対象という認識にあり気軽に見れる題材ではないと思うんですよ。
あまり良くない慣習なんだけど、悪いことするとお化けに連れて行かれるよ、とか子供の教育の一環にお化けが使われているわけですね。抑止力としての恐怖。つまりお化けやガイコツは怖くて忌むべきもの、という認識でほぼ間違い無いと思います。

 小説でも、ゲームでもスケルトンは死霊で生者に害を与える存在として描かれているのが普通だし。
それでこの映画は、スケルトンとしておなじみの若い世代の人の一部には受け入れられるだろうけれども、おじいさんおばあさん世代(それが教育に関わった世代も一部含む)はこの映画は一言『気持ち悪い=気味悪い』で切って捨てられて終わりでしょう。ゾンビの方がまだ良かったかも、見た目人間だし。

 それと、やっぱり家族の問題はすれ違いや勘違いというものは、どの家庭でもいくらかはあるかも知れませんが、このもう一人の主人公とも言うべきヘクター、はマジでクズのロクデナシです。家族を愛していて帰ろうと思ったのも、歌が思うようにやれず(歌を盗まれて殺されているということは、つまり裏で相棒にうまくやられていて貧乏くじ引いていた可能性大!ということで)子供だけは猫可愛がりしていたらしいので、ホームシックにかかってしまったのでしょう。

 この失敗したら帰ればいいと、捨てた方は簡単に考えますが捨てられた方はたまったものではないでしょう。帰ってこられても困ります。そこらへんの憎しみが一族による極端な音楽排斥運動になっているわけですから、捨てられた家族のかなり根深い思いが見て取れます。その思いは残念ながら世代を追うごとに薄まっています。それがココという少年です。しかしそれは逆にいうと、ヘクターのような人間がこの一族からヘクター以降は出ていない、ということです。

 そしてヘクターも死んだから良い人間になったのか?といえば、人のものを勝手に使ったり売り払ったり無くしたり、無責任ぶりは健在のようです。(しかも浮気疑惑もあり)つまり性根はクズのままでしょう。


 核家族という言葉が出来始めから、家族というものに対して考え続けてきた私ですが、ここでも外国ではまだ健在なファミリー(家族というより一族)というものに考えさせられます。
家族は守り、と考えるか足枷と考えるか、でも全然違ってきそうです。私は意外と一族団結して事に当たれば、やれないことはないし仲良くやれればものすごい力になる、とディズニーっぽい見方をしてしまうのですが、それは私が極端に肉親への縁が薄い(知らない)からでしょう。

 一族の団結は否定しないけれども、家業を押し付けられるのはイヤ、みたいなこの物語の主人公の立場だったら、それに従うことは十字架を背負う(自分を殺して他のために生きる)ような覚悟が必要なのかも知れません。


 そもそも大家族で住むというのは、日本では田舎の村など地域で一族が固まって住んでいる、以外にはあんまり見られないので、ピンと来ない人が大半でしょう。盆と正月位しか一族が集まらないのはザラです。そこでちょっとわかりやすさだけで説明してみると、いま流行りの毒親(奴隷のように子供を自分の思い通りにこき使う親。子供が成長すると金を搾取したりもする)と一緒に暮らしていて毒親が急死したりしていなくなると、寂しさはありますが本音ではどこかホッとします。
 しかし、これが毒親ではなくスネが太く存分にかじらせてくれて、頼りになる以上に甘々な親だとしたら、亡くなったら大切にされて生きてきた子供にとってはショックでしょう。目の前真っ暗ですね。

 この自分の自由と人生を奪い干渉してくる親、的な感覚なのがココ(音楽以外は普通のいい家族としか思えないのだが‥‥)。他の人たちは一族だから助け合って稼業に励み、みんな一緒に豊かな生活を送って幸せに暮らしたい、ということに何の疑問も持たず、そして同じ理念で動いており当然困った時には親身に助け合って生きているのです。

 はじめに家族の輪を乱したのがヘクターです。外国で良く言われる黒い羊という存在ですね。自分勝手に生きて、ツケを家族に払わせて平気でいるタイプの人間です。家族が上記の困った時に助け合う理念でうっかり尻拭いをしてしまったために、家族に押し付ける癖がついてしまったのでしょう。このあたりは良し悪しだと思います。

 日本でいうとフーテンの寅です。見てる分には面白いのですが、家族にいたら大変です。映画ではあまり詳しくというか暗黙の了解で描かれてませんが、テキ屋は特に昭和の時代はヤクザ屋さんがバックに付いていたりするし、寅さんも見るからにカタギではないでしょう。(初期の映画では暴力もふるってましたし)身内にヤクザがいるということなんですよ。こういう人は前科が付くと他の家族が困るから、と必死で尻拭いなどすると、その気持ちを平気で利用して更にやりたい放題し出す(家族に後始末だけ押し付ける)のです。

 ヤクザではないにしろ、このように一族が世間体を大切にしすぎて一人の家族のわがまま者に、食い物にされて没落してしまう危険性があるのは否めないでしょう。(だからの核家族の増加と考えてしまうのは、私がひねくれているからでしょうか)ヘクターも同類です。

 ココがなりたいのはそういう存在である、と他の家族は認識しているため、ココの主張、生き方に反対しているのです。


 こういう考え方があり、このへんの家族のあり方に拒否反応を示す人たちは一定数います。リメンバーミー に対する批判も読むとやはりだいたいこのあたりがポイントになるようです。

 核家族が普通という生活様式の人間から見れば、ココは束縛の強い家族の犠牲者、のように見えて受け付けられないという人は、核家族の弊害である毒親(家族内で権力を持っていて、諌める者がいないので増長しやすい。人が多くいれば悪さしようとしても好き勝手はできないのは事実です)の害を受けていた人、もしくは大家族の名残だけがあり(真の助け合いは皆無で金は出さないが口は出す。のような人が増えている)、監視のような状態(黒い羊が出て迷惑をかけられたくないための監視)だけが残った環境にいた人は、当然この物語のファミリーを否定すると思います。恩恵や親しみをあまり感じられないために、窮屈さ不自由感が上回るのでしょう。

 そういう人がリメンバーミーを見たら、トラウマを刺激され、自分の生き方に対する家族の反対に苦しんでいるココに同調してしまうでしょう。身につまされる物語が、結局は家族仲良くで終わるのですから、そうできないから悩んでいる、という人にはこのリメンバーミー に拒絶反応を持っても仕方ないのかも知れません。

 ただ、それも極端なことであり、多くの人は多少家族間に問題を抱えながらも、愛情ゆえに軽々しく見放したり見捨てたりできないのもまた事実なのです。だからこそのディズニー、だからこその愛のある物語であるのでしょう。子供のうちから良い芽を植え付けるのも大事です。悪いものだけ大げさに責め立てるよりも、良いものに目を向けることも非常に重要なことだからです。